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捨て子になりましたが、魔法のおかげで大丈夫そうです  作者: 明日
収穫の国

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496/937

少しの前進

 



 座標で示された位置を簡単に思い浮かべてみれば、まさしく砂漠のど真ん中だ。

 標の列からも大分外れ、おそらく空には何も浮かんで見えてはいない。人のいない場所を探索している僕は確かにそういう場所をよく歩いているけれど、この場所を調べてこいとでも言うのだろうか。


 ガランテを見れば、挑戦的な目つきで僕を笑っていた。

「ジャーリャから、蜥蜴を使ってだいたい二日。あんたなら、一日で往復できるだろう?」

「ええ、まあ」

 多分出来る。だが、それは何も障害がないという条件付きだが。

 ガランテはその言葉を聞いて鼻を鳴らした。

「そこに行ってきてほしいのさ。そこに、あたしが手配した荷が埋まってるんだ」

「……こんな、道から外れた場所に?」


 僕はもう一度座標と、添えられた地図を見る。

 しかし、にわかには信じがたい話だ。

 通常、手配した荷物というのは標の下の街道を通って送り届けられる。何にもない砂漠ではあるが、街道であれば人は行き来しているし、行き先に迷うことはない。標も、すぐに消えてはしまうが足跡も、真っ直ぐに近隣の街を示している。

 そして、人の行き来があれば、当然魔物や災害からの安全も担保されている。定期的に軍が巡回し、魔物や危険な動物の縄張りが被りそうであれば排除する。ジャーリャ付近には少ないが、砂漠で稼業を営む盗賊も、軍と遭遇したくないために街道から離れた位置に根城を作る。

 故に、手配した荷物が街道から外れた砂漠にぽつんと埋まるなどということは、通常考えられない。


 僕が不可思議さに首を傾げると、ガランテは笑みを強める。それから申し訳なさそうに眉を顰めた。

「下手な業者を掴んじまったんだ。安値で、それなりに信用できそうだったのに、あたしもヤキがまわったかね」

 ガランテが煙管の雁首に詰めた煙草は、今度は最初から普通の煙草らしい。沈静香は僕には効果ないということがわかっているからだろう。

「今、〈貴婦人〉が王宮に滞在していることは知っているだろ?」

「五英将の?」

「そうさ。あの女も奴隷にゃ優しいからね。持ち回りで、この花街から定期的に贈り物をしているんだけど、今回はあたしの番だったんだ」

「……はあ……」


 〈貴婦人〉。ごく普通の単語で、本来であれば高貴な身分の女性全般を示すものだが、それが固有名詞になるとこの国ではただ一人を指す。

 即ち、五英将の一人、フラム・ビスクローマ

 彼女が攻め込んだ街は、一晩で百足や蟻、蜘蛛や蠍たち、毒虫の坩堝になるという。

 まるで、昔とある魔女がクラリセンという小さな街を滅ぼしたように。



「手配した荷物は、注文通りに加工されてきちんと送りだされた。でも、その後の行方が知れない。約束の期日を過ぎたから、探索者を雇って調べさせたんだよ。出た街や目撃証言、辿っていくと、その位置で荷物が見つかった」

「わざと街道を外れたんですか?」

「約束の期限ギリギリだったからね。近道をしようとしたらしい。本来なら、五日前検品して届けられるはずだったんだけど……」

 濁した言葉。その届けられるはずだった荷物は、今砂漠の砂中に沈みつつある。


 それを、僕にとってきてほしい。それはわかった。しかし、何故。

「場所がわかっているのであれば、その探索者に持ってきてもらえばいいのでは?」

「蜥蜴一頭で引いてきた荷だからね。それに、その場所は魔物の縄張りだ。這々の体で、その探索者たちも逃げだしてきた」

「なるほど」

 位置の確認までは出来た。けれど、それを持ってくるための準備も、魔物から身を守るための戦力もなかった。……まあ、この国の探索者であれば仕方あるまい。

「犯罪とかでもなく、ただ砂漠で魔物に襲われただけだ。今まさに襲われているわけでもなければ軍は動いてくれないし、金で雇える戦力なんかたかがしれてる。そこで、あんたにしか頼めないんだよ」

「報酬は?」

「銀貨二十……いや、金貨一枚出そう」


 金貨一枚。だいたい、この国で市民に一月に配られる金額のおよそ倍。まあ、順当かもしれない。

 半分納得した僕は、わかりましたと答えようとしたが、ガランテは更に続けた。

「探索ギルドを通せば、あんたがその程度の値段で雇えないことも重々承知さ。そこで、もう一つ」

 その通りではあるが、別にいいのに。そう思う。そして、その顔に言葉の続きが予想できて内心溜め息をついた。


「さっきあんたに絡んだ子いたろ? 緑の髪の」

「……セシーレさん、でしたっけ?」

「ああ。あの子と一晩遊ぶといいさ。あの子、あたしの城じゃ稼ぎ頭の一人なんだよ」


 ガランテの手つきがいやらしい。当然、遊ぶというのも、ボードゲームやショッピングの類いではないだろう。

「そういうの、前もお断りしたはずですが」

「……男なら飛びついてもおかしくないのに、おかしなやつだね。たたないわけでもなかろうに」

「価値がわかりやすい方がいいので」

 報酬代わりのサービス。それ自体は別に構わないが、それが報酬に値するかというのは僕の側の問題も大きい。

 仮にそのサービスを受けたところで、楽しめなければ報酬としては不足だし、逆に溺れるようなことがあったらそれは過分な報酬だ。

 ……もっとも、こういう店の利用を避けているということもあるけれど。


「金貨一枚で結構です。どんな魔物がいるんですか?」

「……探索者が見たってのが、石結(せきゆう)が数匹。あと、石結がいるんならもちろん鼬鼠もいるだろうね」

「そうですか」


 石結。一抱えほどある岩がいくつか結びついて人の形を成したような魔物。

 可食部がないわけではないが、食いでもないしお腹も膨れない。

 鼬鼠も、普通の動物と同じようなものではあるが、それよりも賢い。石結の表面に浮く苔や小さな草木を目当てに集い、苔を食う代わりに虫や他の小動物に対する囮役をする。

 そして呼び寄せられた虫や小動物たちを磨りつぶし、石結は食する。そういう共生関係を作っていた。



 ふと、客用の机に置かれた茶が目に入った。

 件のセシーレが淹れてくれたものだ。ランメルトも僕も、一切手をつけていなかったが。

 緑の中に、煙のように青色がいくつも棚引く。そこそこいいお茶かな。

 表面に浮かぶほんの小さな氷の欠片は、きっとここに持ってきてくれた時点ではもっと大きかったのだろうけれど。


 その茶碗を手に取り、魔力を込める。せっかくの心づくし、味わわないのはもったいない。

 ピキン、と手元の液体が高い音を奏でる。凝結し、大きく育った氷が、常温となってしまっていた茶の温度でひび割れる。

 その音に目を細めたガランテは、小さく溜め息をついた。

「あんたがこの娼館で靴を脱いでくれりゃ、あたしも万々歳なんだけどさ」

「別に悪感情を持っているわけではありませんが、お断りします」

 クイと傾け口に花茶を流し込めば、甘い匂いとは打って変わり、やや渋めの味が口内に広がる。

 熱気が溜まったような部屋の中、氷で冷やされた液体が喉を伝う感触がとても気持ちいい。

 鼻から抜ける匂いは、体内で温められ、素の匂いともまた違う花の香りだった。


「まあ、つまり、荷物を持ってくればいいわけですね」

「砂の中から掘り出す手間もあるだろうけど、そうだね。目録はこれだよ」

 もう一枚の薄い紙をガランテは僕に差し出す。そこには、布や玉の鏡、装飾品の数々が細かく並んでいた。

「わかりました」

 なら、簡単だ。

 頷く僕に、ガランテは金属片を投げ渡す。受け取ってみれば、小さく、それでいてズシリと重たい半分に割れたムジカル金貨。金貨ほどの高額貨幣は通常あまり割って使うことはないのに、半金貨とは珍しいものを。

「あんたなら心配ないとは思うけど、残りは戻ってきてからだよ」

「渡してもらえなければ、暴れますので」

「ああ。あたしも約束は守るから、あんたも守りな」


 実際には必要ないだろうやりとり。

 お互いそういうことはしないだろうとは思っているが、それでも行う儀礼的なやりとりだ。


「ごちそうさまでした」

 僕は頭を下げて退出する。ランメルトのことは僕の中では片付いているし、そちらはもう僕は必要ないだろう。

 だが一応、火傷したハモルの手を治しておかなければ、寝覚めが悪い。


 そうしてハモルに謝罪はしたが、本人は賄賂の方が勝っていると怒った様子はなかった。


 帰り道、ランメルトがブリランテに何か聞いている後ろ姿を見た。

 そこで一緒に聞いていたセシーレが僕に気付くと、笑顔で手を振る。


 僕はそれに、会釈で応えた。





 街を出た僕は、砂漠を前に足に力を込める。

 革靴を伝い感じる砂漠の砂、そして熱。踏み込めば沈むし、摺り足にすれば押しのけられた砂が足を取る。

 まだ真っ昼間の砂漠は照り返しも強く、昨日と同じく太陽に下からも焙られているような気分だった。


 暑い国だ。しかし、この前見た雨期の光景も圧巻だった。

 雨期には止まない雨が降る。砂漠が全面的に流砂のようになり、重たい水を湛えた湖のようになる。そこかしこに噴水のように水が湧き、鉄砲水が何故か平地でもところ構わず頻繁に起きる。

 砂漠での運行が蜥蜴や駱駝から船に代わり、その船を漕ぐのも探索者の重要な仕事となる。


 当然、流砂の部分を航行するのではなく、やや深い水路となった場所を航行するのだが、雲で覆われた空では標も見えない。そしてそもそも水路自体が標とは関係のない無秩序な形で生成されるため、道に迷うことが多いらしい。


 そんな苦労も、今となっては陽炎のように消えてしまった。

 見渡す限り、乾いた砂の海。場所によっては岩砂漠の場所もあるが、ここジャーリャの周辺は全て砂砂漠だ。雲一つない晴天に、黒い標が小さく開けられた穴のように見える。

 あの標が生き物だとは、未だに誰も知らないだろう。



 跳ねるように駆けていく。リコの靴は今日も快調だ。

 やはり細かい傷は増え、縫い目もところどころ解れてはいるものの、大きな損壊はない。

 駆けていく足元が心強い。衝撃で砂が散るが、それでも足元の砂を噛み、推進力に影響はない。

 このムジカルで庶民が履く、草履のような靴ではこうはいかない。固定も緩く、露出面も多い頼りない靴では、走れなくもないが裸足の方が幾分マシだと思う。


 正直、この靴でなくとも構わない。

 しかし、このムジカルでは革靴自体が単体ではなかなか手に入らない。皆、裸足か草履かを履く。軍の装備として、鋼の補強のある革靴はあるが、見た目が悪い。

 取り寄せるのにも時間がかかるし、靴一足などそんな小さなものでわざわざ依頼するのも申し訳ない。重要なのは僕にとってだけなのだし。


 だから、一度帰ろう。

 すぐにではない。寄り道しながらだが。


 目的地に向かう間、僕はそんなことを考え続けていた。



「三十八番目の標から……あれ、今何個目だっけ……?」

 数えながら来てはいるが、ちょっと数え間違えたかもしれない。いや、多分合っている。

「中天にある太陽と影の向きを考えて……」

 立ち止まりながら、ガランテの荷物の位置を特定していく。大きな地図があればこういうことはしなくてもいいのに、今は必要で面倒な作業だ。

 簡単にいえば、ガランテの荷物を運んでいた業者は、立ち寄る街を一つ省略しようとしたらしい。標に従い歩いていけば、ある街を起点に九十度鋭角に曲がる街道があった。そのある街を省けば、正方形の二辺をわざわざ通るまでもなく対角線を通って目的地に着く。そんな安易な考えだったのだろう。

 街道から外れてしまえば、道はないのに。



 エッセンでは、聖領さえ気をつけてしまえば後は魔物の心配も地形的な心配もほとんどなかった。リドニックも、雪原に多少の魔物はいるものの、ほとんど心配なかった。

 だがこの国は、比較的安全なのは街道だけだ。

 聖領ではないが、聖領と街と街道が入り組んで作られている国。そう捉えれば簡単だろう。

 おそらく、辺縁部ではわざとでもあるのだろうが、仮に大軍を送り込まれたところで街道を無視しての進軍は難しい。

 街道から外れてしまえば、そこは聖領ネルグの森や聖領アウラの海と変わらない。この国の移動にはほぼ必ず、ただでさえ暑さや乾燥が敵になるのに、そこに魔物と環境が加わる。流砂や毒虫、間欠泉、全てが兵に牙を剥く。


 進軍経路は街道のみ。そこに兵を配置すれば妨害は容易だし、仮に街道を外れた場所であっても、そこならば砂漠に慣れたこの国の兵が断然有利だ。

 リドニックのような天然の要塞と同じく、この国は砂漠に守られている。


 今回ガランテが手配した者たちは、その守護から外れてしまったのだ。

 魔物に襲われたか、流砂に足を取られたか、それともまた別の要因か。人通りのない砂漠のど真ん中に、それを凌ぐ術を持たずに足を踏み入れた。


 馬鹿なことを。

 期限が迫っていたからという、切実な理由があったらしい。それが順当なものかは僕は知らない。ガランテが無理に期日を早めたから、ということもあるかもしれない。全て想像だが。

 だが、命まで手放すことはない。どうしても、そうしなければ明日の命すらないほど困窮しているとかであれば別だけれど。



 歩いていると、岩が乱雑に並ぶ岩場が見える。

 僕の一抱えほどの岩。それと、それよりも大きな岩。ちょろちょろと先ほどから足元を駆けているのは、砂漠に住む鼬鼠の仲間だろう。


 殊更に、僕の気を引こうと足に絡みつくように駆け回る。少し足を踏み出せば、それに傷つけられないよう身を引いて、少しだけ岩に近づいたようにまた駆け回る。

 賢い鼬鼠。親に倣ったのか、動物たちの気を引くことに特化した小さな体。砂に紛れる茶色い体に、尻尾にだけ白と黒の斑点が入っていた。


 簡単に抱き上げられるほどの小さな体。通常は、石結の下に案内するように逃げるだけの無害な小動物。

 だが、仮に捕まえてしまえばこれも一般の人間には脅威だ。

 大した能力はない。普通の獣だ。けれど、そのすばしっこさに、容赦のなさ。通常は苔を食べて生活している草食という食性ながらも、本当は雑食。


「ヂッ……!?」

 足元に来た鼬鼠を顔の高さまで蹴り上げ、空中で掴む。だが僕に捕まえられたと判断した……多分雌……彼女は、即座に体をバネのように伸縮させ、尖った前歯を僕の眼鏡越しに眼球に向けた。

 ぢうぢうと鳴きながら、その体をくねらせる。尖った前歯は岩から苔をこそぎ落とす過程で鋭く研がれており、人の肌程度であれば簡単に貫き、血管ごと中の筋肉を食いちぎることが出来た。



 しかし……。

「数匹どころじゃないよなぁ……」

 暴れる彼女を解放し、ぼやくように僕は口に出す。それもそのはず。この光景は何だろう。

 視界の中に何十個も並ぶ岩。ほとんどの岩の隙間や影から鼬鼠が覗いているため、きっとおそらくこれは全て石結だろう。

 だが、数が尋常ではない。仮に街道沿いで見かけられた場合は、軍が出動した上で数日間その街道が使えなくなるくらいだと思う。


 たしかに、通常ならばガランテのいうとおり石結は数匹の群れを作る。だが、この数は異常だ。

 そんなに飢えているのか。……それとも、そんなに美味しかったのだろうか。荷物を運んでいた御者たちは。



 手近な石結に逃げ込んだ鼬鼠。告げ口をするようにその岩の陰に隠れると、ズズ、と隠れられた岩が動き出す。

 砂の中に埋まっていた、同じほどの大きさの残り四個の岩。平均的な構成だ。


 鳴き声も上げず、二つの岩がドスドスと砂地を踏む。


 背丈的には僕と同じくらい。成人男性の中でもやや小さなくらい。

 それでもその重量は、僕と比較にならないほどだろう。



 一匹の石結が、僕の前に立つ。腕……でもないが、その紐のようなもので繋がった大きな石を振りかざし、横薙ぎに振るう。

 豪腕による風の音。地面に掠ったことにより弾かれた砂。後ろに跳ねて躱せば、砂地にもかかわらずドンという派手な音がして砂が吹き飛ばされた。


 見た目は、細い何本かの肉の紐で繋がった五つの岩。胴体を兼ねた頭と、そこから伸びる四肢代わりの石。

 その核は、頭の岩の中にある。


 (千キログラム)はあってもおかしくない岩の塊。それがヌンチャクのように縦横無尽に伸びてくる。

 それを跳んで躱しながら、中央の石の前まで走る。


 左足を軸足とし、右脚に力を込めて、前に蹴る。

 だが、その足に伝わってきたのは、やはり岩の感触。固く、衝撃が中まで浸透しないほどの。

 太腿と膝関節が軋む。


 やはりこの程度の力では無理か。

 ぐるんと大きな円を描くようにして飛んできた左腕の岩。それを、掌で受け止める。

 闘気をやや込めれば、その程度抑えられる。踏ん張った足元の砂が抉れた。


 ならば、もう一度。

 闘気を強めて、もう一度蹴る。固い感触、だが先ほどよりも幾分か柔らかい。


 めり込むように足が岩を突き崩す。砕け散った岩の中にあった肉の紐の結節点。ビー玉ほどのそこを潰せば、紐は力を失い支えをなくし、残りの岩は普通の岩に戻り地面にごろんと転がり落ちた。



 ひとまず訪れる静寂に、少し考える時間が出来た。

「場所は……もうちょっと先かな?」

 呟きながら、魔力を波に変え、飛ばして周囲の砂中を探査する。布や宝石の塊はすぐに見つかったが、位置としてはこの石結の群れの向こうにある。

 どう進もうかと眺めていると、やはり鳴き声一つあげず石結たちは立ち上がる。

 どこからともなく、ピキと音がした気がした。声もなく、顔色が変わることもない。表情すらない石結たちの、仲間を殺した僕への殺意だけが付近に漂っていた。



 ドスドスと、奇岩たちが迫ってくる。灰色と茶色の中間の色が視界を埋め尽くす。艶もなく、質感はコンクリートに似ているが多分それよりも固い。コンクリートを砕いたことなど一度もないと思うが。


 目の前に迫る大群。それを眺めて、僕は半開きにした唇を人差し指で塞ぐ。

 逃げるのは簡単だ。石結自体はそれほど速く動く魔物ではない。僕なら背を向け逃げれば簡単に逃げおおせるし、空を飛んでも構わない。視覚や嗅覚はないようで、聴覚だけで対象を見分けているらしいから、音を消せばすり抜けられるだろう。


 だが。

 捜索の邪魔になる。それは確かだ。足元をちょろちょろと駆ける鼬鼠たちは普通の生物で、その足音で僕の居場所を伝え続けている。

 透明化し、姿を隠せば見えないし、それもなくなると思うが。


 ここは彼らの居場所。それはわかっている。

 この砂漠は人のものではなく、彼らが住み着いた彼らの住処。僕は侵入者で、彼らは自衛をしているだけとも取れる。


 しかし、もう一匹殺してしまった。

 彼らの怒りは収まるまい。大群はもう僕の手の届くところに立ち並び、その怒りが空気を震わせている。


 ここで逃げれば、彼らは僕を求めて近隣に散る。街道まで範囲を延ばせば、普通に街道を通行している無辜の民が犠牲になるかもしれない。

 僕の過失が始まりだけれど、それでもやはり、責任はとらなければ。


 二つの岩を重ねて、目の前の石結が両腕を振り下ろす。

 横に跳んで躱せば、のし掛かるように他の岩がぶちかましにきた。


 彼らを、全滅させる。少なくともしばらくは行動不能になるように。


 そう決めた。




 石結は、そう強い魔物ではない。

 攻撃自体も力任せに岩を叩きつける質量攻撃のみで、知恵もないのか単調な動きだ。

 ただ石の体故に頑強で、熟練していない闘気使いも魔術師も、それを倒す火力を持たないという点で厄介というだけで。


 故に、簡単に突き崩せる。

 目の前にある岩。それを正拳突きで崩せば、また核が露出した。


 赤いミミズのような筋肉の紐。それが彼らの本体で、運動器官であり、消化器官だ。

 叩きつぶし、捻るように引きちぎる。それだけで、彼らは容易に無力化できる。


 一匹、二匹と襲いかかる石人ともいうべき魔物たちを砕き、切断していく。


 振りかざされる豪腕を受け止め、その勢いを返すように蹴る。

 以前ならば、きっとここで魔法に頼ったことだろう。

 だが今は、必要ない。

 それが、この国に来てから僕が、胸を張って成長したと言える部分だ。



 初めは、単純な危機感だった。

 今まで僕が頼ってきたのは、魔法。それが自分の自信の根拠になっていた。

 けれど、それでは足りないと気付いた。あの、天空に浮かぶ標の蟹に対抗し、障壁を作ったあの時に。


 僕の生活は、魔法の産物だ。

 小さな頃から影を見せないように生活し、頼ってきた。途中、幾度もそれでは駄目だと思ったけれど、僕にとって魔力はこの世界で生まれたときから得ている手足だ。

 手を動かすのにも、意識的に抑えたとしても、きっと無意識に使っているだろう。

 選択肢を選ぶ際、きっと心のどこかで『いざとなったら魔法でどうにかすればいい』と考えてしまっていた。


 それはもうどうしようもない。

 僕はそう育ってしまっていて、そしてそれは意識的に変えることはとてもとても困難なことだ。



 背後から迫ってきた岩を空中に蹴り上げ、手近な石結を持ち上げてぶつける。

 鈍い音とともに、上手い具合に双方割れた。



 そして、このジャーリャに来てしばらくしたとき、単純に思いついた。


 『魔法でしか出来ないことと、魔法でなくても出来ることを区別しよう』と。


 目の前に出てきたより大きな岩。他よりも大きく、そして恐らく固い。

 質量も大きく、その振り下ろされる腕の衝撃は先ほどまでの小さなものとは比べものにならないだろう。

 だが、怖くはない。今ならば。


 横振りの豪腕をいなし、左からの攻撃を右にすかす。

 その横っ腹……どこが横っ腹かはわからないが、その辺りに蹴りを入れるが、固く重い。僕の体重程度ではまったく相手にならず、まるで鉄の塔でも蹴ったような感触だった。


 魔法の出番だろう。《山徹し》はやり過ぎにしても、衝撃での攻撃で砕いてもいいし。熱してから冷却して割ってもいい。


 だが、これは魔法でなくてもいいことだ。

 今の僕にとっては。



 大物に構わず無秩序に動く小物たちの邪魔を躱し、ついでに蹴り飛ばして割りながら位置を調整する。

 その大物の核。中央の岩から繋がる紐帯の位置から、その核の位置を推定する。

 そして、鈍重な動きに合わせた前蹴り。こいつらは、防ぐということを知らないため、簡単に当たる。

 その頑丈な体に頼り、狩りをしてきたツケだ。


 伸びきった僕の足が、固い感触を感じ取る。

 他の小物と比べても密度が段違いで、割ることすらできない。僕の膝が軋み、悲鳴を上げる。

 だが、その程度では止まらない。


 伸びきった状態から、更に先を蹴る。蹴るのは表面ではなく、その中。そしてその奥、石結の向こう側。


 ドス、という柔らかいものを叩く鈍い音が響く。整ってはいないが円形にくり抜かれたように、破片が向こうに押し出される。


 硬い岩に衝撃を伝え、その向こう側まで伝える。

 スティーブンの使っていた月野流。あの雪鯱に刃を当て、刃の当たっていない向こう側にまで衝撃を伝えて裂いた技術。その模倣だ。



 核が潰れて崩れる大物。その姿を見て、他の小物がたじろいだ。

 流石に恐怖は知っているらしい。だが、逃がすわけにはいかない。


 鼬鼠には悪いが、ここの石結は、全滅させる。

 大物が消えて少しだけ気を緩めてしまったが、気を取り直し僕は踏み出す。


 少しだけ温度が低い風が吹いた頃には、そこに動く岩は残っていなかった。





 この砂漠を放浪している間、鍛えていたものがある。

 鍛えるというよりも、修練していたもの。襲ってきた盗賊や魔物たちを相手にし、練習してきたもの。

 武術を、少しだけ使えるようになった。それが僕の成長したことだ。


 魔法とそれ以外を分けたい。そう思ったとき、一つ考えた。

 誰かと戦うとき、戦闘の時に僕がとる手段を増やしたいと思った。


 魔法は甘い誘惑だ。

 後先を考えなければ、大抵のことは魔法の力があれば比較的簡単に解決できる。

 だが、それではいけないと思った。魔法は僕の力だが、僕の力はきっと魔法だけではない。

 魔法以外に、僕が胸を張って出来ることを作りたい。

 リコやモスクやエネルジコのように、自分の得た力で。


 そう思い、僕が主に魔法を使う状況はと考えれば、それはやはり戦闘中だった。

 魔物と戦うときすらも、風の刃で固い鱗を切断し、白熱した火球で毛皮ごと中を焼く。そうすれば簡単だし、それだけで全て解決すると言っても過言ではないと思う。


 しかし、一つの手段にだけ頼るのは危険だ。それが効果がなかったら、打つ手がなくなるということだ。

 どんな問題でも、問題には対抗策がある。その策が効果があるかどうかは、そのときによるだろうが。


 薬の使用も、その一環だ。

 法術や、僕の我流の治療術は魔力を使う。それはとても効果があるが、そうでないこともあるかもしれない。

 薬、点穴、その他の治療手段を持っていてもいいと思った。



 もちろん、武術も我流に近い。それに、水準としては誇れるレベルではない。

 キーチの修練を見て、その鍛錬に付き合って水天流を学んできた。演舞から型を覚え、基本的な動きは繰り返し練習してきた。

 だが、それで組み手をしたりなどはしていないし、秘術に類するものは僕は知ってもいない。

 きっと、それがスティーブンに『体術が主』と指摘された理由だろう。

 揉手、約束組手、その他の対練には相手が必要なのに、僕にはいなかったから。


 その問題は、実は未だに解決していない。

 全て見様見真似だ。スティーブンの月野流、プリシラの葉雨流、そのわずかな間に見た技術を、見様見真似で練習しているに過ぎない。

 きっと、師がいればもっと簡単に習得はできたのだろう。先ほど大きな岩を突き崩した蹴りも、スティーブンの仕草を思い返し、そして何百匹の魔物を犠牲にして習得したものだ。

 蹴った瞬間、伸びきった足を捻るように股関節を内側に回旋させ、腰を入れて足を伸ばす。それを瞬時に行う。そう言語化してもなお、感覚というのはわかりづらい。本当なら、こういったものを道場で学ぶのだろうが。


 なので、たとえば『打ち込まれた拳を払いながらその勢いで相手を打つ』や、『相手に打ち込んで防がせてからの投げ』など、練習に相手のいる技術は未だ未熟な限りだ。

 体術だけ、そう言われても仕方がない。

 それでも、出来ることが増えた。それは大きな収穫だ。


 一つの技術に頼りきりでは、きっとどこかで行き詰まる。

 その象徴が、きっと僕の目だろう。

 気を付けてはいたが、それでも魔法に頼りがちだったために、もはや正視には戻らない僕の目。闘気や魔力に頼らなければぼやけたままの視界。

 それを矯正するために、この国で仕立てたオーバルの銀縁眼鏡。常に視界に映るその縁が、僕にとっての戒めだ。



 この国では、砂に何かが埋まる速度は速い。

 既に、砂の中に消えて跡形もなくなっていたガランテの荷物。

 それを思い切り念動力で引き上げ、強引に釣り出す。


 出来る限り使わない。だがやはり、魔法は便利だ。



 幌に乗った砂がサーッという音ともに滑り落ちる。

 緑の布で表面を覆われた荷馬車……引いていたのは蜥蜴だが、荷馬車の中に荷物と一緒に詰め込まれた砂を見て、僕は閉口した。


 中の検品は後でいいだろう。下を探ってみても、布や固形物は見つからない。荷は何者かに荒らされることもなく、恐らく全てこの中に残っている。


 とりあえずこのまま引いていこう。表面の砂を手で払い落とし、そう決める。




 ふと、その荷物の中にキラリと光るものが見えた。

 日光を反射し、僕の顔を焙るように照らす。砂の中からわずかに見えたそれを掘り出してみれば、緑の玉にはめ込まれた鏡だった。

 細かい傷はついているものの、研磨すれば大丈夫だろう。中の荷物の修理は請け負っていない。殊更に傷つけなければ、僕の責任ではない。


 覗き込んだ先にいた男性は、黒髪、黒い瞳の男性。

 つまりは僕だ。


 この国に来て、成長期を経て大分顔つきが変わったと思う。

 整えもせず、背中まで伸びた髪の毛は、最近少し邪魔だ。後で適当に切り落とそう。


 久しぶりに鏡を見た。

 その記憶と違う顔の変化に、僕は少し可笑しくなる。

 もう僕はこの世界に生まれ落ちて十五年になる。数え年だし、正確な年齢はもう誰にもわからないけれど。


 この国では成人年齢が人によってまちまちだから自覚はないが、エッセンではもう成人だ。婚姻も出来る。人目を憚らず飲酒も出来る。

 僕の中で何が変わったわけでもないのに、きっと周囲の扱いはまた変わっているのだろう。


 以前と同じく過ごせるだろうか。

 それともまた何か、あの怖い人たちに答えられない問いを尋ねられ続けるのだろうか。


 いいや、きっと以前とは少し違う。

 年月を過ごせば、硬い石の形も変わってしまう。川底を転がり、日に晒され、風に削られ。

 ならばきっと、以前と同じくは過ごせないだろう。

 けれど、僕なら上手くやる。

 答えられない問いは、きっと少なくなっている。


 もうすぐ帰ろう。懐かしい街へ。


 きらきらと輝く鏡を見ながら、僕はそう思った。





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