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捨て子になりましたが、魔法のおかげで大丈夫そうです  作者: 明日
収穫の国

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足止め

本編《青年期編》再開




 ハアハアと、少年の吐息が漏れる。

 ここは砂漠。ムジカルの王都ジャーリャへ向かう道。


 道といっても、舗装などがされているわけではない。

 むしろ逆。一面の砂漠と真っ青な空が広がっている。

 少しの窪地があれば流砂の如くその足は絡め取られ、丘があればまるで渓流を上るように体力を奪う。


 頼れるものがない、熱風の吹きすさぶ国。

 それはまるで、常に戦い続けるこの国の気風を表しているようだった。



 少年は、このムジカルの国民ではない。

 正確には国民である。だが、ほんのわずか数十日前までは少年の国はムジカルではなかった。

 ムジカルの北東にあった小さな国で、家畜を育てて生計を得ていたのに。

 ただ、負けた。ムジカルとの戦で、ムジカルの騎爬兵に村は蹂躙された。

 そして、村と同じく、街も。

 故に彼の国はムジカル。百年以上前にムジカルから独立した国は、資源や人と共に、また吸収されることになった。



 痩せた体。リドニックに似ているが、しかし隣接する聖領エリフの影響で温暖な土地で育った彼にとってこの砂漠の暑さは厳しい。

 紺色の布を体に巻き、日光と熱風を遮る。それでも、この暑さはどうしようもない。

 だが、諦めるわけにはいかない。

 もはや口内に唾もなく、顔に汗の一垂らしも浮かない。垢じみた顔を洗う水は二日前に尽きた。前の街で、夜半に人目を盗んでくすねた水、その水筒もどこかに落としてしまった。



 見上げる空に列を成す標。以前の国ではほぼ意識したこともなかったのに。

 霞む目。日の光の焼き付いた向こう側に見えるその黒い点を追えば、いつかはきっと王都に着く。

 そう信じて少年は一歩一歩と足を踏み出す。その先に待っていると姉に思いを馳せて。


 彼は、姉がその先で待っていると信じていた。





 広大なムジカルの砂漠。しかしそれでも、ごく希に水場が出現することがある。

 その出現は時間も場所もほとんど予測できない。ただひとつ、標の列の下に出現するということしか。

 地下水を掘り、街で井戸として使っている水脈。それが何かの拍子で地表まで偶発的に染み出してくると識者は述べている。


 歩き通していた少年が立ち止まる。

 成長し、水が溜まれば魚が何百匹と養えるほどの大きさの、『水場の子供』を見て。


 水はたしかに上がってきている。

 砂地に染みこみ色を変え、きっともうすぐここは一時的に池か湖のようにになるのだろう。


 だが、まだだ。

 水の染みこんだ砂は重さを変えて、性質を変える。

 先ほどまでは、流砂の()()だった。しかし、今はまさしくそこは流砂だ。

 通ることは出来る。流砂の上であっても、歩き続け、立ち止まらなければ問題ない。それは経験則として知っている。

 それでも今の少年の鈍った足で、沈まずにいられるだろうか? そう躊躇し、故に少年はそこに立ち止まり、垂れてもいない汗を拭った。


 それに。


 少年は辺りを見回す。この水の貴重な砂漠にいる生物は、目敏く聡い。

 水を得るため、その匂いを嗅ぎつけて集まってくる恐れもある。

 

 それに、彼らの目的は水だけではない。沈み埋まってしまって立ち往生した獲物を狩るため、ここに来る。


 今のぼやけて霞んだ視界を信頼すれば、きっと今はまだ何もいないのだろう。

 渡ってしまおうか。それとも警戒して、標から目を離さぬよう迂回するか。


 進まないという選択肢はない。そして、ここで街へつく時間が延びてしまえば自分の命も危うい。

 唾もないのに喉が鳴る。

 しかし、自分は知っていた。

 駱駝もなく、騎爬もない。徒歩の旅は危険だと、知っていたはずだ。


 行こう。ここを突っ切って、標の通りに。

 

 足を踏み出し、流砂を踏む。

 ここから立ち止まってしまわぬよう、慎重に。



 右足が沈む前に左足を出す。ひたすらその繰り返し。息が切れる。

 それでも立ち止まることは出来ない。少しの間だけならば良いだろう。だが、そこで甘えてしまえば次も立ち止まってしまう。今回だけ、今回だけと立ち止まって、その時間が長くなってしまえば。


 考えないようにしても背中が冷えた気がした。この空気すら熱い国で。

 そうなってしまえば、まさしくこの流砂は『足止め』となる。仮に足首まで埋まってしまえば、そこから脱出する力は自分には残っていないだろう。

 喉が焼けるように熱い。水が欲しい。その水に、今は苦しめられているが。


 せめてもう少し水が上がってきていてくれれば。

 そこから水を採ることも出来たかもしれない。

 なのに、こんな中途半端に水があるから。


 そんな憎しみに似た苛立ちが少年の足を支えていた。



 転ばないように下を向く。

 焼けた視界で砂が暗い。緑の混じった黒さを帯びた砂に足を乗せるように歩く。

 足が萎えそうになる度に、故郷の姿を思い出す。

 焼かれた家。無意味に弄ばれて殺される家畜。連れ去られる両親と姉。


 そしてそれを、ただ藁の中に隠れて見ていた自分。


 悔しさと悲しさが交互に襲い来る。

 どうにかして、取り戻さなければ。家族を。あの安らかな生活を。


 

 

 顔を上げる。


 だが、少年はその視界に違和感を持った。


 暗い。焼き付きの緑がかった暗さではなく、まるで日の光が差していないような……。



 瞬間、胴が何かに挟まれる。

 アバラにまで食い込む硬質な何か。けれど、それが何なのかまるでわからず、痛みと苦しみと困惑が少年の脳内を覆い尽くした。

「か、は……」

 メキメキと骨が音を立てる。内臓が押しつぶされて、喉の奥から鉄錆の匂いがした。


 何だ、これは。

 咄嗟に右、その自らの胴を挟んでいる何かから伸びる()を見る。そして、その先を見て、少年は戦慄した。


「…………!!」

 絞り出されるはずの息が、もはや残っていない。

 だが、焼き付き霞んだ視界の中、少年は見た。


 そこにいた、蠍。

 口が自らの頭よりも大きな、巨大な蠍を。


 痛みに顔を歪めても、その感情を理解しない甲殻虫には関係がない。

 もがく足をもう一方の鋏で捕らえ、そして尾の針を伸ばす。



 腹部に一瞬感じた鋭い痛み。

 そして、じわじわと広がる痛みと痺れ。

 少年は呻くことしか出来なかった。



 通常、蠍は獲物を鋏で捕らえると、毒針で動きを奪い捕食する。



 かちかちと鳴る蠍の顎に、少年は恐怖した。

 指が動かない。もがく足の力も弱まりつつある。

 こんな話があって堪るものか。ここまできた、なのに、何の関係もないこの虫に食われてしまうなんて。

 

 もはや動けない体。蠍の顎が迫る。




 プン、と音がした。

 風を切る音。そして、少しだけ感じた涼しさ。


 それと同時に、少年の体が流砂に落ちた。



「よかった、食事前で」


 男性というにはやや高めの声が響く。しかし濁りのないその声が、天から降ってきたように少年は感じた。

 そして次の瞬間、蠍が悶えるように暴れ出す。


 その足が少年を踏み荒らそうとしたその時、その声の主がようやく少年の視界に入ってくる。


 霞む視界の先。

 年の頃は十四か十五くらいだろうか。簡素に纏った麻の布の端は破けていた。

 そして、その頭部の後ろ姿に少年は不思議に思った。

 頭を覆わないのは、この国の砂漠を歩くときには致命的だ。その長めの黒い髪の毛が揺れる。眼鏡の銀色の縁がきらりと光った。


 力なく、視線の先が下がる。眼球を上に向けていることすら出来なくなった。

 そして、そのぼやけた先に映る重そうな靴。それに違和感が更に増した。


「さて」

「へっ……!?」

 その重そうな靴の踵で、自分の胴が蹴り飛ばされたのがわかる。それでも衝撃はなく、ごろごろと転がり静止するときには自分の体に怪我などはないようだった。


 そして、そこからも少年は絶望する。

 どうやってかは知らないが、鋏を落とされ暴れる大蠍。そこに対峙するは黒髪の青年。


 無理な話だ。

 大蠍は、兵士十人がかりでようやく討伐できる魔物と聞く。少年の国にもたまに現れたが、ほぼ必ず死傷者が出たらしい。


 殺される。

 少年はそう思った。蠍の武器は鋏だけではない。その毒針も、顎も、足先の爪に至るまで全てが武器だ。



 なのに。



 ボッ、と音がした。それと同時に蠍の顎から頭が弾ける。

 目の前の青年の蹴り上げた足が、蠍の体を半分ほどまで縦に裂いていた。



 ドシャリと崩れる蠍の体。


 先ほどまでは恐怖の対象だった。死ぬと思った。その巨大で、無感情で、強大な魔物。

 しかし青年を前にしたら、それはまるで普通の蠍のような可愛らしい迫力だった。



 ふと青年が振り返る。その眼鏡の向こうにある目が自分を捉えていた。

 歩み寄る足音が聞こえる。砂を踏み固めながら自分へと迫ってくる。


 そういえば、ここは流砂だった。

 動こうと体を震わせると、少年の体が沈むように地面に食い込んでいく。

 俯せになり、横向きになった口の半分までが沈み込む。



 それでも、少年は渾身の力で腕を伸ばす。

 助かるためではない。助けるために。


 痺れと脱力で震える指。舌を噛んで、その痛みで紛らわせる。

 渾身の力で伸ばした腕は、立ち止まった青年に届かず地面へと落ちた。


 じ、と見つめるその顔はもはや見えないが、それでも自分に興味を持っているらしい。ならばきっと、きっと応えてくれる。


「……助けて……」



 縺れた舌。

 絞り出したその声に、少年の渇ききった喉が痛んだ。




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