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捨て子になりましたが、魔法のおかげで大丈夫そうです  作者: 明日
閑章:近況

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閑話:悪い虫

2019/10/17 タイトル変更しました。





 狭い路地でニクスキーは立ち止まる。

 イラインでも数多い路地。その中でも、衛兵の見回りが行き届いておらず、後ろ暗い商売がしやすい場所はそれなりに限られていた。

「……?」

 そして現在訪れた路地もその類いで、そのために、なおのことニクスキーは首を傾げた。

 

 背後には、いつもと変わらない雑踏がある。

 だが、ニクスキーの立っている路地には誰一人として目を向けない。

 路地の存在が見えないわけではない。誰に隠されているわけでもない。ただ、そこにあるのが当たり前すぎて誰にも注目されないのだ。

 道幅に合わせて少しだけ細かくなった石畳。手入れもされていないはずの石畳だが、足を踏み入れる者も往来より少なく傷みも少ない。


 路地の左右には点々と店の看板と扉がある。

 どれも、娼館や肉体的な接待要員のいる酒場、賭場など、あまり大通りで営業できない類いの店だ。それを禁じる法などはないが。

 煙の匂いがニクスキーの鼻につく。だが、それには反応しない。この匂いは、禁制品の薬物ではない。ただの煙草だと即座に判断して。

 


 しかし、どういうことだろうか。

 ニクスキーは、さりげなく視線を周囲に飛ばしながら、路地に足を踏み入れる。

 そして、改めて確認した。やはりだ。

 名簿になかった薬物中毒者が、薬を手に入れた場所。その場所を見て回り、これで三カ所目。

 間違いない。ここは、石ころ屋の売人も出歩いている場所だ。


 


 薬物というのは、人を壊す。そして壊れた人によって、社会も壊す。

 それ故に、衛兵はほぼ必ず薬物を敵視し、そしてそういった薬物に関わらない一般の善良な市民の多くも薬物を忌避する。

 彼らに見つかってしまい、通報され、逮捕されてしまえば強制労働(奴隷落ち)は免れない。


 故に、薬物の売人というのは、周囲の目を酷く気にするのである。相手が善良であれ誰であれ、通行人をひとまずは確認する。

 衛兵ではないか。『善良な市民』ではないか。そして、同じような犯罪者ではないか。


 この街での違法薬物の流通は、ほぼ石ころ屋で独占されている。

 そして、石ころ屋以外が違法薬物を扱えば、ほぼ間違いなく『不審死』する。そういう共通認識があるはずなのに。


 

 大胆な行動だ。内心、ニクスキーは今回の敵をひとまずそう称賛した。

 商売敵の縄張りをものともせずに商売を行う。それを責める気はなかった。協定でも結んであれば別ではあるが、それ自体は別に責められたことではない。

 

 石ころ屋が使っている以上、ここは薬物売人にとっては格好の場所だ。

 誰かが遊ぶためにこの路地を立ち寄ったとしたら、まず賭場を訪れる。

 賭博とは、儲かるときは儲かるものだ。銅貨数枚しか持っていなかった男が賭場に入り、金貨十数枚を携えて出ていく話もよくあることだ。もちろん、その逆のほうがずっと多いが。

 そして懐が温まり、大きくなった気のままに、大抵彼らは散財する。

 男女問わず、娼館や酒場で。

 そして、嗜好品としてはやや高価な薬物で。


 だから、ここを使うのは間違いではない。

 ただここは、石ころ屋の縄張りだ。


 道義的には間違いではない。そういう意味で、ここでの商売を責める気はない。

 だが商売敵である以上、縄張り争いは起こるものだ。

 当然、石ころ屋の売人も、それとなく周囲を見ている。この場所の確認をし、縄張り争いに備えて準備をしている。


 にも関わらず、ここで商売を行える剛の者がいる。

 ニクスキーは、それに酷く違和感を覚えた。





 次にニクスキーが訪れたのは、少し前、禁制品の薬物を扱い禁固刑を受けた仕立屋の店だった。

 一番街にあるこの店は、新進気鋭の職人がいるということでそれなりに評判も良く、客の入りも増えている時期だったのに。

 黄色い壁。その上で踊る文字だけの看板は、少しだけくすんで見えた。 


 一番街特有の香を焚いた甘い匂いに包まれた店内。そこは今、火が消えているように静かになっていた。

 内部の手入れはされている。床は磨かれ、壁際に並べて吊られた服には埃一つ付いていない。明かり取りの窓から差し込む光が服に当たらぬよう、計算された棚。

 何ひとつ変わらない。だが、その中に人気(ひとけ)はない。

 

 悪い噂というものは際限なく増えていく。

 この店の擁護をするならば、この店で薬物を取り扱っていたことは一切ない。

 にもかかわらず、そういう噂が立ってしまった。この店の常連客は、みな薬物中毒者だ。この店の商品には薬物が染みこませてあるため、買っていくのはそういう連中だ。などと。


 客の入りは増えていたのに。

 従業員は数多くいた。しかしその噂もあり、こういった店ではつきものの、入店者に付き従い採寸を行う店員すらもはやいない有様だった。


 扉を開き、鐘の音を鳴らす。

 その音が内部に響き、それから、奥から従業員が静かに現れた。


「すまないが、話を……」

 その金の髪の女性にニクスキーが声を掛けると、その途中でクスと女性が笑う。

 深緑のワンピースに身を包んだ女性は、上品な仕草で頭を下げる。

「ようこそいらっしゃいました。ニクスキー様」

「…………」

 自らの名前を知っている。その事実にわずかな警戒心を覚えたニクスキーは、その女性の顔を改めて見た。そして、それから気付き、警戒を解く。

 彼女ならば、自分のことを知っていて当然だったと思い。

「探索ギルドの受付で見た顔だ」

「オルガ・ユスティティアと申します。今は探索ギルドではなく、この店の従業員ですが」

 笑い、指輪が付いたひとさし指で髪の先を弾く。それだけで、金の光が部屋を舞った。


「ニクスキー様がこの店を訪れた理由は察しがつきます。服を買いにいらっしゃったわけではないでしょう」

「……そうだ。この店にいた、件の仕立屋について知りたい」

「痛いところを突きますね」

 フフ、とオルガは笑う。それから踵を返し、店の奥を指で示した。

「どうぞ、中へ。このような店先で話すような話でもありませんから」

「…………」

 ニクスキーは無言で応える。オルガはそれを確認し、丁寧に、しずしずと店の奥へとニクスキーを先導した。



「私としても不本意なんです。せっかくお父様に申し立てて、このイラインに残ったというのに」

 いくつかの書類を棚から取り出しながら、オルガはそう愚痴を吐く。

「これでは、もう出会いもままならない」



 隣国リドニックの元王女メルティはやや極端であるが、良家の子女というものは往々にして嫁入りまでは大事に育てられるものだ。悪い虫が寄ってくるのを防ぎ、その白い肌に傷が付くのを許さない。

 だが、中には行儀見習いということを行う家もある。他家……それもほとんどが自分よりも家格の高い家であるが、他家で下働きをし行儀を身につけるというものだ。

 ユスティティア家は後者で、そしてその中でも代々伝わる変わった風習がある。

 行儀見習いには出る。だが、その行き先は三年間ずつ、様々な場所へと移っていく。

 

 その目的は、結婚相手の選定、また、それを見極めるために人を見る目を養うため。

 

 ユスティティア家の結婚では、相手の家の力は重視されない。それを見ないわけではないが、それは単なる一要素なのだ。

 それよりも重要なのが、相手の持つ力。

 単純な腕力、鍛錬された武力、蓄えられた財力、様々な方法で得た権力、その他全ての力が判定される。

 この店で働いていたのは、相手の魅力を見極める目を養うためだ。

 魅力というのも多岐にわたる。相手の生来の肉体的魅力もあるし、着飾る能力もある。

 あわよくば、店を訪れた美しい人間に、結婚を前提に近づくことすら考えられていた。もっとも、オルガにそんな気を起こさせる人間は、ついぞこの店には訪れなかったが。



「と、こちらで全部ですね」

 オルガは、ドサリと紙の束を机に放る。

 集められたのは、仕立屋に関する書類。出身地や名前などが記された名簿や、店としてではなく、彼個人として外部と連絡していた手紙なども含めて、布を裁断するための大きな机が一杯になる量だった。


 その一枚をニクスキーは手に取る。仕立屋が買った糸の決裁書類だった。

「衛兵も調べておりましたが、それだけでは満足できないと?」

「……関知することではない」

 それ以上の追求を、ニクスキーは端的に止める。オルガはその言葉に美しい顔を歪め、笑いながら眉を顰めた。

 

 書類を一枚ずつ捲り、簡単に目を通していく。

 仕立屋などの職人同士のネットワークをニクスキーが把握しているわけでもないが、それでも不審なものを見逃さぬように。

 

 だが、やはり不審な点は見つからない。

「……お前の言ったとおり、衛兵も、やはり調べてはいるようだ」

「そうでしょう?」

 それ見たことか、とオルガは胸をはる。探索者ギルドでは取れなかった仕草だ。

 

 様々な書類を瞬時に確認しつつ、やはりとニクスキーは思う。

 薬物汚染というのは何らかの関係を持った人物で広まっていくことが多い。衛兵も、彼らの関係は確認している。周辺にいた人物でもいくらか逮捕されている。

 ニクスキーの手元の資料と照らし合わせてみれば、逮捕された中には石ころ屋の把握していなかった人物がいる。

 今回は、衛兵の捜査に瑕疵はなかった。そうニクスキーは確認した。


 ならば。

 衛兵はこれを調べた。ならば、それ以外の方法で迫るべきだ。そう思ったニクスキーは懐のまとめてある道具を探る。

 そしてその中にあった一つの瓶を取り出し、軽く振った。黒い糸くずのようなものがざわざわと音を立てる。


「そちらは?」

「虫だ」


 ニクスキーが瓶の口を開けて横倒しにし振れば、蚊のような見た目の羽虫が十匹ほど転がり出る。羽虫は新鮮な空気を吸うと、すぐに目を覚まして宙を舞った。

 羽虫は空中を漂い、それから一目散に書類へと舞い降りる。ニクスキーは、じっとそれを見守っていた。


 そしていくつかの書類に止まり、羽虫はその体を書類に擦りつけるように動かす。

 そこまで確認したニクスキーは、その書類を拾い上げ、もう一度目を通した。


「……薬に反応する虫ですか。やはり、石ころ屋の方々は珍妙なものを持っていますね」

「周囲には言わない方がいい。俺たちは構わないが」

 感嘆するオルガに、ニクスキーは言う。オルガは一瞬その意味がわからず、形の整えられた眉を上げた。

「これは俺たちが開発したものではない。治療師……聖教会で秘匿されているものの横流し品だ」

「敵はあなた方ではない、と」

「いくつもの国家を股に掛けた巨大組織に喧嘩を売りたければ好きにすればいい」

「……それがあれば、薬物汚染がどれだけ防げることでしょう」

「並の治療師にすら機密にされていることだ。衛兵が手に入れるのは、まだ先の話だろう」


 石ころ屋ですら手に入れたのは最近のことだ。それも、青髪の魔術師が持ち込んでようやくそのような技術があったと知られたもの。

 近いうちにどうにかして流出をさせたいとグスタフは考えていたが、それも今のところは難しい。


 それに、やはり精度の問題もある。

 今回は、薬物の煙が残留している書類を検知した。幸いにもこの部屋で薬物使われたことがないためこの虫を使うことが出来たが、仮に薬物を使われていた部屋で放てば壁や天井に止まってしまい無意味なものとなってしまう。

 


 虫が止まった書類を整理する。止まらなかった書類には今のところ用はない。

 そして、やはり既に捕まった中毒者とのやりとりの手紙に止まっていることを確認し、ニクスキーは内心溜め息をつく。

 衛兵でも知らない者がいれば。そうは思ったが。

 一枚、二枚、と捲りそれでもやはり見つからない。


 だが。諦めかけた最後の一枚。そこに、一つの名前があった。

 エドワード・スクラージ。ニクスキーは知らない名前。だが、文面から探索者だということが読み取れた。

 

 ……これは……。


「エドワード様でしょうか。たまに、雇い主様の衣装を受け取りにきていましたが……」

「その雇い主とは?」

「……申し訳ありませんが、私はお会いしたことがなく。注文もそのように、手紙のやりとりで済ませていたようで」

 オルガが頭を下げる。濡れたように輝く髪の毛が重力に従って垂れ下がった。

 ニクスキーはそれには応えず質問を重ねる。もとより責める気はない。

「エドワードとはどういう男だ?」

「いつも何人もの仲間をお連れになっていた方でしたね。探索者としては身なりも良く、二番街のギルドで主に活動なさっているとか。黒い髪に、黒を基調にした衣装を身に纏って……」

 オルガも何度も話しかけられたことがある。その度に、食事や遊行を断っていたが。


「……黒……か……」

 ニクスキーは少しだけ感慨深く呟く。思い浮かべたのはエドワードの想像図ではない。もっと小さく、そして強い。

 それを察したオルガは笑う。

 そういえば、『彼』も黒を基調にした衣装を身に纏っていた。いつも黒い外套で、この一番街で着替えてもなお黒い礼服となっていたのは少し可笑しかったが。

「……彼のようではないですよ。革と鎖を使った軽鎧が多かったですね」

「……ああ」

 ニクスキーも少しだけ微笑む。ほんのわずかな表情の変化で、それはレイトンにも読み取れないほどの些細なものだった。


「そういえば、彼は元気でしょうか」

「ムジカルの方へと行ったらしい」

 エウリューケが彼を見送った。それを聞いたレイトンが心底驚き、そして大笑いをしていていたのは記憶に新しい。

「そうですか。……もう花茶では釣れませんね……」

 ムジカルと聞いて、オルガも少し落胆する。また会える日は遠そうだ。そう思って。


 オルガの感情を読み取り、ニクスキーは閉じていた口を開く。普段の無口さは鳴りを潜めていた。

「ユスティティア家の令嬢。そしてここは一番街。選り取り見取りだろう」

「選り取り見取り、その通りでしょう」

 フフ、とオルガは笑う。指先を折り、見た男の数を数えながら。

「美しい男性は幾人もいらっしゃいました。強い男性も限りなく。ですが、今のところそれ以上を知っているので、心動くことはありませんでしたね」

 言い寄った男の指をへし折ったことは何度もある。

 悪い虫から自分の身を守るのも淑女のたしなみ。ユスティティア家の家訓の一つだった。


 ニクスキーの書類を探る手が止まったのを確認し、オルガは一歩歩み寄る。

「用事は済みましたでしょうか?」

「ああ」

 ニクスキーは頷く。次に探るべき先はわかった。というよりも、恐らく答えが。

「では、そろそろ別の従業員も戻って参ります。どうか、お帰り下さい」

「助かった」

 そう言いながら、ニクスキーが懐を探る。情報料、そして迷惑を掛けた謝罪のための銀貨を取り出そうとしていたが、オルガはそれを指の仕草で制する。


「要りません。『手には力を。心に正義を』。それがユスティティア家の家訓です」

「…………ならば、『全ての行為には報いを』が、石ころ屋の社訓だ」


 ニクスキーは振り返り、扉を開く。

「カラスには、よく言っておこう」

「……それはそれは」

 後ろ姿でのニクスキーの言葉にオルガは笑顔で応える。


 パタン、と扉が閉まり、気配が消える。

 そしてその手の中に銀貨が収まっていることに気付いたオルガは、口を開けて大きく笑った。





 肩で風を切り、青い袖付き外套を羽織った男が颯爽と人混みを分けて歩く。

 防刃服を兼ねたその外套は金属線が編み込まれ、大の大人が剣で切りつけようとも防げる優れものだ。

 その男を知っている者は男の顔を見て眉を顰めるが、男はそれを一切気にしておらず、むしろそれを見る度に高揚感すら覚えていた。

「どこにすっか?」

「どこでもいいよ」

 連れている紺色の髪の女も、その視線はわかっている。だがその意味を、男に対する畏怖だと捉えて逆に周囲に見せつけるように笑いかけた。

 

 二人は目に付いた酒場の扉を勢いよく開く。それで店の視線が集まるのも、男にとっては嬉しいものだ。


 右手には長い机が備え付けられ、その奥に酒瓶が並び、机と酒の間に店主が立つ。

 机には一列に椅子が並べられ、そこにはまばらに人が座る。一般的な酒場だ。それも、やや高級な。

「強い葡萄酒が飲みてえ」

「…………」

 店主は、いらっしゃいませ、とは言えなかった。

 男の顔を知っていたのだ。

 

 その男は探索者ラッズ。過去に幾度も、いくつもの店で暴力沙汰を起こしている者だった。

 当然、この店でも。


 反応が遅れた店主に、ラッズの目が細くなる。

んだ(なんだ)?」

「い、いえ……」

 すぐに準備を始めた店主の手はわずかに震えていた。彼の機嫌を損ねるのはまずい。

 静かに飲んでいた他の客は、残っている酒を勢いよく傾ける。ラッズの顔を知っている者はもとより、知らない者までもその雰囲気を感じ取り。

「んだ? 金の心配ならいらねえぜ? たっぷり持ってるからよ」

「そうよ、この人、()()()お金持ってんだから」

 縋り付くように女はラッズの腕に身を寄せる。それから殊更に周囲を見渡し、男と仲の良いことを周囲に見せつけていた。


「……勘定、おいておくよ」

 飲んでいた壮年の男性客が、空になった杯の横に銅貨を置いて席を立つ。ちょうど葡萄酒がラッズと女に出されたその時だった。

「ああ、毎度……」

「…………」

 哀れみの視線を向けるように、店主を男性客が見る。

 その視線が気になったわけではない。

 だが、ちょうどいいと思った。ラッズのいつもの行動だった。


 後ろから男性客の肩を掴む。

「おいおっさん、俺が来たからって随分と急いでんじゃねえか」

「……そ、そんなことはない」

 ギシリと軋んだ肩に、目の前の男の暴力性を感じ取り男性客が恐怖を覚えた。

 肩に掛けた手に力を込め、ラッズは立ち上がる。後ろで女が体温を上げたのを如実に感じ取った。

「おお!? なんか文句でもあんのか? こら」

「あんた、やめてくれないか……」

「うっせーなぁ!」

 

 止める店主の言葉に応えながら、ラッズは男性客を突き飛ばす。木の壁に激突した男性客は、頭を打ち付けて呻いた。

「酒がまずくならぁ! とっとと出てけよ!」

「アハハハ!」

 また椅子に座り、男性客を見下ろすラッズ。そしてその横で女が笑う。起き上がり、頭をさすりながら店を飛び出す男性客の滑稽さに。

 

 男性客が弱いわけではない。日常に割り込む突然の暴力に対応するということは、一種の特殊技能だ。

 慣れている者でもなければ、たとえ子供相手でも暴力を受ければ竦んでしまう。目にすれば、どうしていいかわからず硬直してしまう。それが大多数の反応というだけだ。


 しかし、それがわからない者もいる。

 その暴漢が強く、そして被害者が弱かっただけだと、そう思ってしまう者もいる。


 このときラッズが連れている女もその類いで、そしてそのラッズの見せた強さにまた熱を上げた。

 このラッズは、自分の所有物はこんなにも強いと自慢して回りたい気分だった。


 ラッズは葡萄酒を呷る。蒸留された強い酒が喉を焼いた。

 強く叩きつけるように置かれた杯に、店主が顰めた眉も心地よい。

「それでよ、この後連れていきたい場所があんだけど」

「どこいくの?」

「ちょっとした秘密のお楽しみがあんだよ」

 下卑た笑い。だがその笑みも男性的で女には魅力的に見える。そして、秘密のお楽しみという言葉も興味をそそった。




 酒場の扉が開く。その音に反応した店主は顔を上げた。

 今後の商売のためにも、今は客が来ないでほしいと思いながらも、拒否は出来ない。

「いらっしゃい」

「…………」

 静かに足を踏み入れたのは、浅黄色の外套を羽織った男。無精髭に下がった目だけを見ればだらしない男のようにも見えるが、店主は長年の客商売の経験から、その男にも何か違和感を覚えた。

 ラッズの後ろを通り抜け、静かに座る。そのとき、ようやく店主は気付いた。

 木の床である。靴で叩く音のほか、踏む場所によっては防ぎようのない軋む音もする。それなのに、目の前の男は、一切足音を立てていないのだ。


 もう一度、扉が開く。今度はけたたましい走る音とともに。

「邪魔するぜ!!」

 入ってきたのは坊主頭の男。それも、ラッズよりだいぶ小さい。

 男は店内を見渡し、それからすぐに目当てのラッズを見つけて大きく息を吐いた。


「兄貴! ここにいたか!!」

「なんだよ」

 もうほとんど空になった杯を乱暴に置き、面倒くさそうにラッズは聞き返す。連れの女も、怪訝な目で男を見た。

「エドワードの兄貴が呼んでらぁ! 緊急の用事があるって!!」

「エドワードの……?」

 エドワードも、坊主頭の男もラッズとよく組む仲間である。仲も良く、そして()()()融通しあう仲でもある。酒も女も、そして薬も。


 舌打ちをしてラッズは立ち上がる。

「すまねえがまた明日な。またいつもの場所で」

「ええ?」

 言われた女が抗議の声を上げる。

 だが、ラッズも同じように抗議をしたい気分だった。今日、まさに今からこの女を落とそうと思っていたのに。なのに、邪魔が入るとは。

「勘定!」

「ああ、はい!」

 ラッズは机に、女の分も含めて銀貨を置く。一杯銅貨二枚ほどの酒である。それは明らかに払いすぎだった。

 釣りももらわず、損ばかりではある。だが、そうすることで暴力沙汰を起こしても大きな騒ぎにはならない。店側も、ラッズを追い出したりはしない。彼なりの処世術だった。


 それに、彼にはそれに足るだけの稼ぎがあるのだ。

 目の前の女を落とせば、その何十倍もの稼ぎになるだろうという予想もある。


 ラッズは出ていく。女を残して。

 女はそれを見送って、大きな溜め息をついた。




 騒ぎをしていたわけではないが、それでも静かになった店内。座っていたニクスキーに店主が改めて気付き、慌てて駆け寄る。

 だが、声を掛ける前にニクスキーが立ち上がった。机の上に銀貨を置いて。

「急用が出来た。すまない、邪魔をした」

「あ、いえ……?」

 標的が見つかった。それを確認し、ニクスキーは席を離れ、そして店を出る。


 既に視界の中にはいない二人。だが、気配は捉えている。

 それとなく自らの武器を確認し、そして歩き出す。



 逃がさない。どんな企みがあろうとも、粉砕する。


 彼は、グスタフの命に従う。何があろうとも。

 そう決めていた。




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