踏み出す勇気
一度引き返した擬人体。再度突入させれば当然のようにまた雷が落ちる。だが、轟音と光の影響以外は感じられなかった。
やはり障壁内部への影響はない。
若干の不正……というか不正しかないが、それでも僕の知恵が勝ったようだ。僕は安堵し擬人体を消去する。
一撃で止まらなかったときのために念のため先行させようとも思ったが、同時に複数の雷が来るのは実験済みだ。透明化させても当たるし、無駄なことだろう。
それに、これは何発受けても問題ない。
僕は今、雷という自然現象を克服したのだ。
先ほどから雷に打たれていた境界まで進む。
手を伸ばせば雷が飛んでくる辺り。きちんと決まっているわけではなく少しずつばらつきがあるようだが、それでも大体この辺りだ。
僕なりの対雷障壁を張り、それから喉が勝手に唾を飲み込んだ。
大丈夫、実験は成功している。だから、ここから進んでも大丈夫だ。
だが、足が出ない。足からではなくても突入できるがそういう話ではない。
何故だろうか。ここから体を進ませようとしても、体が動かない。
……何故だろうと、悩むまでもない。多分これは、恐れだ。
しかし、恐れることはないはずだ。
実験は成功している。進んでも大丈夫だ。
でも、失敗してしまったら?
僕は雷の出所にこれから近づくことになる。一撃で終わればいいが、二撃、三撃と続く恐れもある。そのときに、この障壁で耐えられるだろうか。
首を振って恐れを振り切る。
いいや、それも検証済みのはずだ。先ほど、一度雷を受けた擬人体をもう一度範囲から出して再突入させている。それでも平気だった以上、これは何度雷を受けても大丈夫なはずだ。
だがもう一度、今度は鉄貨を投げ込む。
過たず、鉄貨に雷が落ちて破片が下へと落ちていった。
検証済みのはずだ。
だが、万が一失敗してしまえば僕もあのコインと同じことになる。
黒焦げになり、力なく地面へと落下してしまう。太陽に翼を焼かれたイカロスや、太陽の神殿に激突したブレイダッドのように。
検証は済んだ。もう、これ以上行く意味はあるのだろうか。
そう、僕は怖じ気づいた。
しかし、それは違うと、自分で自分の感情を否定する。何故怖じ気づいているのだろうか。
行く意味はある。いいや、行く意味がなくとも、行く理由はある。
僕はなんのためにこの障壁を考えたというのだろうか。この先に行き、標を見るためではなかったか。思い立った目標を、達成するためではなかったのだろうか。
僕の雑で稚拙な理論の構築は出来た。実験も済んだ。
ならば、この先を。実践するべきだ。してみるべきだ。
もう一度下を見る。
万が一失敗したときに、落下していく先を。その先、もはや目を強化しても砂漠に埋もれてほぼ見えない街を。
そして、その中にいるであろうエネルジコを。
彼はまだ未完成と知りつつも、飛ぶために自分の開発した機体に搭乗していた。
セーフティの開発すら済んでいないのに自分の開発した技術に命を預ける。馬鹿なことだろう。発想力や好奇心はあるのに、きっとそういう方面では彼は馬鹿だ。
それでも、蔑んでいるわけではない。多分、彼が僕の魔法使いとしての気質を評価したように。
そして本当は多分、馬鹿でもないのだ。僕に足りないものを持っているから、そう見えてしまうだけで。
彼ならば、この先も簡単に乗り越えていけるだろう。
自分の考え出した雷対策を信じ、自らの命を晒すことが出来る。そして、結果成功する。
いや、失敗するかもしれないけれど。
自分の考え出したものを信じるのは怖い。きっと根拠が自分しかないから。
一度握りしめた拳。解いた手を前に出しかけて止める。
躊躇したわけではない。今たしかに進もうとした。
けれど、僕の動きは止まった。
今度は恐れではない。ようやく気付いたのだ。
エネルジコに感じた言葉は間違えていた。再現性はたしかにあった。
僕が羨んだ、……きっと憧れた彼らには。
そうだ。彼らならば、ここから先へと進むことが出来る。
彼らにはきちんと共通点があった。僕に全く足りないもの。多分、森から出たときのほうがまだマシだったもの。
エウリューケは、破門など意に介さず人を治すことが出来る。
モスクは、人の評価も気にせず宝物を探し続けることが出来る。
エネルジコは、ただひたすら空を目指すことが出来る。
リコやニクスキーさんや、グスタフさんも、きっと。
見たものから学ぶ。それは僕の特技のはずだ。ならば、彼らからも学んで行かなければ。
彼らから学んで、僕は信じる。だが、その対象は魔法でも彼らでもない。たとえ僕の障壁が魔法で作られているとしても。
宙に浮いた足を一歩踏み出して、境界を越える。
すぐに飛んでくる雷。だが、僕は退かずにただ受ける。轟音と閃光。それが消えた瞬間、ピシッという放電が、僕の障壁から行われた。
大丈夫。これならばいける。
追撃は来ないか。僕がここにまだいて、排除できないと感知した何かは、追撃を行わ……。
ドン、という音が響く。やはりまた落雷した。それでも僕の障壁は好調だ。
そして落雷は続く。
間隔は五秒から十秒といったところだろうか。ばらつくがそれでも定期的に雷が落ちる。
それでも、僕にはなんの影響もない。
何の対処もしていなかった耳と目だが、二回ほど雷を受けた後にその対策も設定した。障壁内に入ってくる音と光を低減させただけでもそれなりに効果はあるようだ。
周囲の感知は魔力圏で出来るし、全く入ってこないという状況を作ることも出来るがそれでは趣がない。そんな気分で、やはり僕は自分の耳と目で確認しながら進んでいった。
それに、これだけ何度も受けていれば要領は掴めた気がする。
今回に限るだろうが、雷への対抗手段はなんとなく身につけてきた。未だに三回に二回は失敗するけど。
雷が落ちる間隔は不定期。だが、その出所は先ほどから単一で、溝にあるいくつかの丸い部分の集合体。雷を出している丸い部分以外にも同じような場所があるので、多分一番近い場所から出ているのだと思うがとりあえずは限定はされている。
どこから雷が来るかはわかっている。そして、僕に間違いなく命中するのもわかっている。
ならば、その中間地点にものを置けばいい。
常時置いておくとまた異なる射出口から僕とそれの二つに同時に当たるので、雷が落ちる瞬間に限るが。
根拠はわからないが、その『雷が落ちる瞬間』も何となく感覚が掴めてきた。あの標は、狙いを定めて、雷を撃つ。その狙いを定めてから撃つまで、一秒にも満たない時間がある……気がする。
その瞬間に僕と射出口の間に球状の障壁を置けば、その障壁にだけ雷は衝突する。本物の雷らしく、そこで発散してしまえばここまでは来ない。
多分、やはりその狙いを定めるために僕に『何か』を当てているのだろう。それを僕は障壁越しに無意識に感じ取っている。その何かの正体は未だに掴めていないが。
だが、境界線があって、しかも透明化した僕に当たるということはおそらく波状に広がる何かだとも思う。テスラコイルだっけ。電磁波で励起している感じだろうか。狙いをつける時間は、その電磁波で僕が励起されるまでの時間だと考えればそれはつじつまが合う気がする。
積み上げた不安定な仮説だが、僕の中では矛盾はないし、事実僕は無事だからいいのだ。
雷が放出される瞬間を察知し、障壁を置く。
失敗し、雷を障壁で受ける。成功し、少しの手応えと達成感を味わう。
その繰り返し。
何度目かの成功で、僕の頬が綻ぶ。
この標の雷はもはや脅威ではない。そう確信して。
本当に、一歩踏み出せば全ては解決するのだ。
近づく標の壁。もうすぐそこに手が届く。足が届く。
乗り込んで触れば、ざらざらとした固い表面だ。
石というか、金属というか。磨かれた石とくすんだ金属の中間のような質感。
ガラス質にも近い。正直、見た目ではどれだかわからない。『正解はこれだ』と、どれをいわれても納得できる黒い素材。
遠くから見ていた白い罅のような溝も、間近で見ればとても大きい。溝の断端に僕が立って、上は体育館や講演ホールと同じような高さに天井がある。だが溝の深さ自体はさほどでもないようで、大通りくらいといえば大体合っているだろう。
溝の奥には、黒い場所と同じような質感だが、塗られたように白い壁がある。これが白く見えていたのか。
白い壁に連なっている雷の射出口はそれだけでも街一つすっぽりと入りそうで、比べた自分がとてもとても小さく見えた。
靴越しに、足に固い感触が触れる。
黒い壁は、今立っている場所は内部に空洞などがなく均質らしい。それでもところどころ密度が違うように感じるのは、作成されたときの精度の問題だろうか。というか、これを誰が作ったのだろう。
溝の中に立ってからは、落雷がない。自分を雷で打たないようにと安全装置でも働いているのだろうか。まあ、角度の問題で穴から溝の中へ、雷を通すことは出来なさそうだけど。
中に向けて歩き出す。
この国に入ってからほとんど聞いてはいなかった、固いものの上で靴が鳴る音。木の床もあったにはあったが、やはり革靴が石を叩くようなこの音が好きだ。
そして辿り着いた白い壁を叩くと、また違った感触がした。
「……お?」
指の第二関節で一度叩き、その感触に首を傾げる。
感触というか、帰ってきた音の感じが違う。もう一度、今度は握り拳で軽くノックする。
やはり。今踏んでいる場所よりは柔らかいようだが素材自体はかなり固く、中に空洞がある。空洞といっても壁もかなり分厚く、更に空洞というよりは水分がある感じの濁った反響が……。
それから視線を上に這わせ、僕は気付く。
白い壁をちょうど上下に半分にしたくらいにあった、線。線というか、切れ目。ほぼぴったり合っていたから、至近距離までわからなかったけど。
目で追っていくと、やはり白い壁に沿ってずっとあるらしい。見えなくなるまでその継ぎ目はあった。
魔力を使い調べてみても、そこは接着などしていないらしくただ押しつけられているだけだ。重さからか素材の固さからか、念動力でも引きはがせそうにないけど。……少しだけ壁がたわんだ。
そのとき、足の下から振動が響く。
風などでの揺れではない。明らかな地震のような揺れ。いや、震え。
まるで標全体が揺れているような、そんな感触。
なんだろうか。
僕が何かスイッチのようなものを押してしまった? そう一瞬考えたが、それらしきものは触っていないはずだ。ならば、何が。
そう思ったところで、振り返る。立っている場所が暗くなったのだ。
元々日が差してはいなかったが、照り返しだけで充分明るかったのに。それが、何かに遮られた。
光が薄くなった溝の中。そこに、何か近づいている気がして。
我が目を疑った。
「…………!!」
そこには、棘のある黒い円筒形のものが僕へと迫ってきていた。
いや、円筒形というか、直径は僕の身長よりも大きいが、その先は尖っており、まるで甲殻類の足の先を巨大にしたかのようなもの。
それがどこからか伸びてきており、僕に迫る。
「おぉう!?」
咄嗟に障壁の物理作用を強めて、それから僕は右手横へと走り出す。溝の断端、走るだけのスペースはある。
黒く照りのある足の先が、ゴズンと音を立てて白い壁を突く。
しかし見ていると、思った感触がなかったのか、それからしばらくゴリゴリと白い壁を削るような動きと何かを磨りつぶすような鈍い音が響き続けた。
あれはなんだ?
走り少しだけ遠くに逃げのびながら、僕は考える。
ここは上空。生物もおらず、鳥が飛んでくることもない。
いいや、鳥どころか、他の生物もほぼいなかったはずだ。何せ、近づくと全て落雷で叩き落とされてしまうのだから。
だが、たしかにあれは生物だ。
やがて、壁を削るのに飽きたように爪の先は一度溝から離れていく。
終わりか? そうは思ったが、甘かったらしい。
これはたまたまだろう。僕のいる側とは反対方向の溝に再度突き立てられた爪は、その溝を一層深く掘るように動き出す。当然、僕のいる方へ。
逃げなければ。
明らかな生物。それがこの標に住んでいる? この標はその生物の巣だったのだろうか。
そんなことを考えながら。
ガリガリと壁を削る音が僕へと迫ってくる。
それなりに急いで逃げているが、それでもなお、音は迫ってくる。
もはや振り返る余裕もない。それからしばらく走り続け、また妙なことが起きた。
妙なことというか、さっきも起きたが、足場が揺れたのだ。それも、僕の進む先に傾斜をつけるように傾きながら。
それでも、逃げていく。
不測の事態だ。空を飛んで逃げた方がいいだろうか。障壁をまた対雷に切り替えつつ、僕は思考を続ける。
カンカンと、革靴が金属質の床を蹴る音が響き続ける。まだ揺れは続いている。
とりあえず、飛び出して……。
ビシャ、と音がした。
機先を制され、僕はその音の出所を思わず見る。左手に見える白い壁に水が伝う。
……水? まさか、この国のこの空中で?
そうまた新たな展開に混乱していると、伝っている水が多くなる。
それだけではない。
白い溝の真ん中にあった切れ目。それが、進行方向上では開きつつあった。
その中は黒い闇の中で、そこに逃げ込もうとも一瞬考えた。
だが、その広がった切れ目が僕のところまで辿り着いたとき、それは無理だと悟った。
溢れるように水が噴き出してきたのは、もはや切れ目でも白い壁でもなく、ぽっかりと空いた空間。
中は光が当たらない黒さ……でもなく、ヌチャヌチャとした黒い肉のような何かで埋まっている。
そして、カニなどをひっくり返し、その白い腹を黒く塗ったような肉に、みっしりと大量に付いているもの。
目。眼球。
正直、運動しているのに鳥肌が立った。
黒い闇の中から僕を見つめる目、目、目、目、目、目、目、目、……。
「……っ!?」
そして、それを見て若干動きが鈍った僕へと背中からぶち当たる爪。
当たるというものではない。後ろから壁が迫ってきた。そんな感じだ。
障壁越しで、痛みなどはない。だが、パリパリと放電する音が障壁の外に響く。
そして、その壁に連れられて、高速で外へと運ばれた僕。
まるで、歯の溝を爪楊枝でこすり取るように外へと弾き飛ばされる。
同時に、僕の髪の毛が箒のように広がった。これは、静電気か。それもかなり強い……。
パチン、と静電気の弾けるような音。それが一瞬僕の障壁を突き抜け、振るわせる。
爪で徐々に加速されつつあった僕。それに加えて、まるで同極の磁石が弾かれるように加速される。
障壁の前側で、何度も破裂音が響く。これは、僕の障壁からでも爪からでもない。
多分、空気の……。
「……!!!」
思わず叫びそうになるが、そうなってもあまり恥ずかしくはないと思う。
空中でなんとか身を翻すが、その勢いはなかなか止まらない。
そして、音の壁を何度も超えながら遠ざかりつつある視界の中、僕は見た。
八面体だったはずの標が、展開されている。
黒い面に何条も入った白い溝の部分で分解されて、中から何本もの黒い足が伸びており、そしてハサミのような鋏脚も二本伸びている。
そして、僕を見つめる黒くて丸い眼球がいくつも飛び出ていた。
まるで、カニのようなヤドカリのような、甲殻類。
それが青空に、ぽっかりと浮かんでいた。
ボーッと見てもいられない。
障壁の外部だが、飛んでいく前方の温度が急上昇していく。
これはあれか、断熱圧縮か。この球状の空気抵抗の大きい障壁で、未だ超音速を保っているということはどれだけ強い力で飛ばしたんだろう。あの、カニ……エビ……? は。
どうしようか。とりあえず戻って、あの甲殻類に仕返しを……。
仕返しを……するべきだろうか?
障壁の外部からの熱の伝播を防ぎつつ、僕は考える。減速はしないまま。
……前にも似たようなことはあった。
リコの要請で、調和水を採りにいったとき。あの時は大蛇に、島から追い払われた。
その時は報復をした。頭を山徹しで消し飛ばしたと思う。
ならば今回も、とは思ったが。
しかし、あの時とは事情が違う。
あの時は、僕も蛇も等しく侵入者だった。それに加えて、あの蛇は僕を食べるつもりで、食べるのも面倒だからと放り出されたのだ。
今回は、侵入者は多分僕だけだ。
見た限りでは、あの標はカニ自身で、そして僕はそこへと忍び込もうとした痴れ者。
雷は、カニが僕を近づかせないためにしていた抵抗で、僕はそれを嘲笑いながら内部へと侵入しかけたのだ。
人が肌に取り付いた蚊を払うように、あのカニは僕を追い払った。
さすがに今回は、彼もしくは彼女に分があるだろう。むしろ、追撃をしないだけ優しいのかもしれない。そこまで考えられるかどうかは知らないけれど。
……ならば、これでいいだろう。
力を抜いて、落ちるに任せる。あのカニの膂力と多分ローレンツ力によって超音速になるまで加速された僕。上るよりも大分早く地面に戻れるだろう。
今回の探索はこれで終了だ。
登った意味はない。何も持ってくることはなく、何かお金になるようなものは存在しなかった。
ただの時間の浪費。そう言ってもいいかもしれない。
我ながら、無駄なことをしたものだ。
けれど。
僕の頬が緩む。
もはや、近づく前と同じような小さな標。街や砂漠の模様もくっきり見えるようになってきた。上ったのはきっと無駄だったのだろう。もう地面はすぐそこだ。
僕は伸びをする。何となく気が楽になった。
これはきっと必要だった。
成人はまだまだ先だが、いいイニシエーションにはなっただろう。
思えば、標まで上らずに王都まで行ってしまえばいつもと同じだったのだ。
いつも僕は選択を迫られてきた。そしてその度に、前に進んだ気がする選択肢を選んできた。
事実、それで本当は前に進むことは出来たのだろう。
デンアに追われ、森の奥へ隠れ住むより、村を出ることを選んだ。
グスタフさんに言われて貧民街を出て白骨塔を目指して一番街へ入ろうとした。
ストナへの、もう既に忘れていた恨みをなかったことにした。
海が見てみたいと、聖領アウラを目指した。
四色の雪が見たいという半分の嘘を携えて、リドニックへ足を踏み入れた。
自分を変えるなら、とプリシラの指示に従ってスティーブンと戦った。
命を投げ出し、運良くアリエル様と出会って前世のことを大分知った。
貰った靴をきちんと使おうと、この国にきた。
しかし、僕はきっと前に進んだ気がしていただけだ。
僕が憧れている彼らが持っている、大事なものを持っていなかったから。
だから、本当は前に進んでいなかった。
そして今回もそうだと内心思っていた。
エネルジコの指示に従いスケルザレという資産家と会ったところで、本当は何も変わらないと思っていた。何かを変えるために行こうというのに。
だから、逃げたのだ。
今日あの街を発って王都に向かおうなどと思いつつも、そうしなかった。
標がいやに気になり、そこへ向かった。本当は必要ないのに。
今回の探索は、ただの現実逃避だった。
鳥とすれ違う。
やはりこの砂漠にも鳥はいるらしい。エネルジコの街に入ればすぐに殺されてしまうだろうけれど。
しかし、鳥が飛ぶ高度ということはそろそろ危ないか。
僕は減速の体勢に入る。急に止めると何となく体に悪そうなので念動力でゆっくりと速度を落としながら、対熱障壁から対物理の障壁に戻す。
また熱風が体にまとわりついてきた。
今回の探索は現実逃避だった。
けれど、収穫はあった。モスクやエネルジコの追体験という、貴重な体験が出来た。
標に行かずに王都へ向かっていっても、やはり何も変わらなかった。スケルザレとやらに会っても、ただ落胆して終わるだけだったと思う。本人に会ったこともないのに失礼な話だが。
自分だけで考えて、自分を信じて実行してみる。
最近、そんなことをしていなかったと思う。僕には実行できる力があるのに。
何を怖がっていたのだろう。雷は、もはや怖いものではない。
恐怖の対象も、知れば怖いものではないというのは、ミールマンで体験しているはずだ。
少し前の開拓村で盗賊の親子を捕まえたときは明確な失敗だった。
だからなんだ。
エネルジコは、失敗を繰り返しながらも着実に技術を発展させているというのに。
スタックは、崖から落ちて死にかけるというトラウマをきちんと克服しているのに。
僕に向かって言いたいことは山ほどある。まだ消化できていないけれど。
彼らは特別な人ではなかった。落ちこぼれは間違いなく僕だ。
グスタフさんは昔言った。
『お前には運があって、あいつらにはなかった』と。
僕も、同じような言葉を作るとするのなら。
「彼らには勇気があって、僕にはなかった」
ボソリと呟いた言葉に自分で噴き出す。
エウリューケの説教にはなかった。オトフシの指導でも足りない。レイトンの嫌がらせでも得られなかったこの知見。きっと正しいのだろう。
アリエル様のお話で、しっかりと受け止められていればと悔やまれるが。
今思えば、それなりに的確な言葉だった。さすが、自分で母親を名乗るだけはある。
減速はしたが、まだそれなりに速い。
終端速度よりは遅いが、自由落下は続いている。
でも。
障壁は張ってある。怪我はしないだろうし、怪我をしても治せる。
万全の準備は必要だが、それでもこの程度、僕ならば大丈夫だ。
もう既に地上にいる。仰向けの視界の端に砂丘が映っている。もう、数瞬の後に地面と激突するだろう。
思った通り、次の瞬間背中側の障壁が地面に衝突し、砂を巻き上げる。
波のように砂を押しのけ、僕を中心とした蟻地獄のような穴が作られる。やはりというか、思ったよりも衝撃はなかった。
砂埃もほとんど含まれていないのか、巻き上げられた砂はすぐに地面に落ちて透き通った空気へと戻る。パラパラと顔にかかりそうになったのがわずかに不快だが、まあいいだろう。
障壁を解けば、穴に流れこんできた砂に手足が埋まっていく。だが僕は、起き上がる気になれなかった。
視界の中に、いくつかまだ標が浮かんでいる。
太陽の光に紛れて見えづらいが、この国に入ったときとなんら変わらず。
しかし。
僕はまた噴き出す。将来のことを想像して。
エネルジコは、木鳥を完成させたら標を目指すという。きっと将来辿り着き、そして雷も克服し標に辿り着くだろう。
そこで落とされるだろうというのが楽しいわけではない。というか、カニだったということは伏せても、落下対策についてはあとで忠告でもした方がいいだろう。王都へ行く前の最後の仕事だ。
しかしそのとき、標に辿り着いたエネルジコはどう思うのだろう。
自分が目指していたものが、無機物ではなく生物だった。それも、巨大な本来は水辺で暮らすような生物だったと知ったら。
想像して僕はもう一度笑った。
この国の上空を昔から浮かんでいた構造物が、生物だった。
そんな面白いことを知った彼は、どう思うのだろうか?
それが知りたい。
やはり彼には長生きしてもらわなければ。身一つでの降下が出来るようなものの開発も勧めておこう。ヒントなどは出さないし、考え作りだすのは彼でなくてはならないが。
手足を砂の上に出し、僕は一度笑う。
今回は現実逃避の無意味な探索だった。
上空へ上がり、雷への対策を考えて、そして命を賭してその実験を成功させる。
そして落とされた。そんな無意味な探索。
けれど。
長い息を吐き出して、僕は目を閉じる。ようやく体の力が抜けた。
「……あー、楽しかった」
きっと魔力を使いすぎたのだろう。疲れて独り言が多い。
だが、無意味な探索で何が悪い。それは本音だ。
そうして僕は、ムジカルの王都へ渡った。
そして王都でも色々と無駄なことをすることになる。
厄介ごとにも巻き込まれ、その度に悩んで逃げて戦って過ごした。
そして、三年が経つ。




