食は国なり
それから、腹ごしらえをしようと街の一角に到着した僕の足は、昼飯時の光景を目の前にして止まってしまった。
「よかった、まだ開いてた」
呟きながら、僕は目の前に圧倒される。視界を埋め尽くす人の海、この一角だけ見れば、イラインの繁華街に近いのではないかというほどの人口密度。
もちろん、そのほかの人口密度が下がっているので都市の総人口としてはイラインはおろかリドニックの一都市にも及ばないのだけれど。
乱雑ではないものの、整然とも言い難い風に折りたたみの木の机が並べられている。
ある者はそこに座り、またある者は手だけついて寄りかかり昼飯を頬張る。周囲にあるのは、屋台のような飯屋ばかり。
売れ残りを回避しようと飯屋の店主が声を上げて、幼い子供を連れた母親が安売りになった食品を買いに走る。
熱せられた油の匂いと弾ける音。竈の火力調整を怠った結果上る火柱はパフォーマンスじみて見える。もちろん、皆見慣れているのでもう驚きもしない。
食事をするために集まる者、食事を終えて午後の仕事に出る者、公的な仕事だろう机を清掃する者、様々な者が入り乱れている。
豆と挽肉の煮物を手で食べる者もいれば、持ってきていた匙で食べる者もいる。マナーはあるのだろうけれど、誰もそれを気にせず、そして気にせずとも不快にはならない食事風景。
クラリセンでも少しだけ見た光景。
飯時の屋台村、というエッセンではなかなか見ない光景が、そこに広がっていた。
これが、朝昼晩と三回ほど作られるらしい。
開けたり閉じたり忙しいことで、常設にすればいいのにとも思ったが、それも難しいらしい。往来を贅沢に使っているからと雨瓢箪売りの老人は言っていた。だから専用の場所にすればいいのに。
入れ代わり続ける人間たちで、常時数百人が一堂に会する青空食堂。食事時のコミュニケーションをとる場所としてはいいところなのだろう。
ともかく、もう昼飯時も終わりかけだ。
屋台に急ぐ。どれも物珍しいから、適当な屋台でいいや。
「鉄貨三枚。持ってる?」
「ああ、はい」
「器は?」
「これでお願いできますか?」
僕は、屋台で鍋をかき混ぜながら接客している女性に言われるがままに、持っていた小さな器とムジカル鉄貨を差し出す。
器は料理が入ればある程度自由らしい。もちろん、大きな器でも量は屋台側で調整されてしまうし、小さな器であればその分量も少なくなるらしいが。
そして、なければ買うことも出来る。品質に比してかなり割高な、砂を特別な窯で製錬して作った使い捨てに近い粗末な容器。それは屋台ではなく、街の大きな収入源の一つとなっていると老人は笑っていた。
そして注がれる、茶碗一杯ほどの量のどろんとした緑色の液体。
緑色なのは液体成分ではなく細かい葉っぱのようなもので、液体成分自体は琥珀色に近いか。しかもそれ以外に粘りけのある細く黄色い糸のようなものが中で絡んでいた。
粥のようなスープのような変な食べ物。いや、これだけではつまらない。
腕は二本あるのだ。もう一つ、どこかで買いたい。出来れば固形のものを。
そう思い、見回した先にあった帽子を平たく潰した様な形のパンを買い、とりあえず僕は空いている席に座った。
とりあえず、パンを少しだけ千切り口に運ぶ。
咀嚼するのに少し時間がかかる。固いパンだ。開拓村で食べられていた黒パンのような固さで、さらに風味も薄い気がする。食パンの皮を少し柔らかくしたような食感だけがひたすら口の中で主張する。
まあ、これはおそらくそのまま食べることを想定していないのだろう。周囲を見てみれば、皆このパンを僕も買った粥のようなものにつけたり、パンを開いて豆と挽肉の炒め物らしきものを挟んで食べていたりする。
それに倣おう。だが、まずは……。
匙を用意するのが面倒くさいので、緑色のスープをそのまま器から口に流し込む。
思った通り、どろんとした塊と、ぽそぽそとした葉っぱが口の中で混ざり合った。
噛む度に繊維が千切れる。ゼラチンよりも固くて、こんにゃくよりも弾力はない感じ……、これは、前食べた気がする。
念動力で一本だけその繊維を抜き出し、観察してみればやはりそうだ。
多分、これはサンギエで食べた黄色い苔のようなものだ。それを乾燥させて戻したもの……だと思う。調理法までは自信がないが。
噛めば、寒天のような食感だ。やはり味は薄く、けれどもどこかで緑色の匂いがする。
刻んで入れられている緑の葉っぱは……何だろう、これ? 前世でも食べたことない気がする。
味はほとんどしないが、若干青臭い。スープのとろみはおそらくこれ由来だろうけれど。
なんとなく、健康に良さそうな葉っぱだ。嫌みではなく。
そして、全体的な汁の味は、……。
「……辛い……」
思わず溜め息が漏れる。口の中が痛い。痺れるようなものではないので、山椒系ではなく多分唐辛子のようなものだろうけれど。
そして、辛さに隠れた塩味。その二つを舌で受け取った僕の肌から、一気に汗が噴き出る。ああ、これは、そうか。
千切ったパンにつけて食べれば、それなりにマイルドにはなるものの、それでも刺激物だという事には変わりない。
水がほしい。そう感じた僕が水筒を煽ると、その水分がそのまま肌から出てきたような感覚があった。
水筒をタンと机に置く。
そういえば、クラリセンでもスパイスが多い料理ばかりだった気がする。その本場だからだろう、とても刺激性の高い料理だ。
慣れてきた勢いで、スープにつけたパンをもう一口頬張る。痛みに慣れてきたからか、次には香草らしき匂いに気付くことが出来た。
他の客が食べているものに目を向ければ、やはりエッセンとは使われている食材の傾向が違う気がする。
強い匂いの香草、豆、……肉は匂いでなんだか分からないから後で食べてみよう。それに、これは乾燥地帯らしくない気もするがおそらくサンギエ産の苔。
ソースに使われているトマトらしきものはエッセンと同じか。
だが、屋台などで手早く食べる以上は上品さなどは求められていないということを差し引いても、全体的な傾向はよくわかる。
エッセン以上に、味が濃い。それも食材の味ではなく、調味料の味が。
暑い中、汗をかくためというのもあるだろう。汗で失われた塩分を補給するという意味でも、イラインの五番街で売られているような塩味の濃い料理は必要だ。
だが、それ以上に装飾されている気がする。なんとなく、求められている以上に味を足しているという気がする。
初めての食事だし、そもそも食べるだけでそういった事情までわかるものでもないとは思う。しかしエッセンとの国民性の違いともいうべき何かがある気がして、もう一品食べようと僕は席を立った。
また席について、人が少なくなり始めた中もう一度僕は食事を始める。
「これ、豚?、……でもないよなぁ……」
そして、豆と挽肉を炒めたものに大量の生の香草を混ぜた料理を口に運び、また僕は首を捻った。
なんだろう、この肉。炒めてある上に味付けまでされているので変わってはいるが、色をみて僕はまず牛肉かと思った。
しかし、味や食感は豚肉のようで、脂身と赤身の味がはっきりと分かれている。羊みたいな匂いも若干する気もするけれど、でも羊ならもっと匂いが強い。子羊よりも匂いはない。
美味しいからいいといえばいいが、それでもこれは食べたことがない肉だ。少しだけ悔しい。
「花茶いかがっすかー!」
首に紐をかけ、お盆を下げた少年が近くで声を上げる。もちろん、僕へ向けてではなく、僕を含めた周囲の人間に向けたものだ。
お盆に乗っているのは少しだけ濁ったガラス瓶で、中に紫色の液体が揺れて見えた。
「いかがっすか?」
そして、それをみていた僕に少年が声をかけてくる。花茶、ということはお茶で、食中か食後にでも飲むものなのだろう。ガラス瓶の表面を伝う液体に、その中が冷えていることが読み取れた。
「一杯下さい」
「はい、鉄貨一枚で」
僕は背嚢からムジカル鉄貨と、汚れていない金属の容器を差し出す。そこに注がれた液体はやはり紫色で、透明なグラスならもっと綺麗だったろうにと悔やんだ。
他の客にも応えて注いで回る少年をみながら、花茶を一口含む。これ自体は花茶、というだけあってハーブティーのようなものだろうか。お茶に適当な表現かはわからないが、淡泊な味だった。
……そういえば、オルガさんが前に『ムジカルから高価な花茶を取り寄せた』と言っていたっけ。
高価なということは、きっとこれとも違う味なのだろう。今思えば少し飲ませてもらえばよかった。
なんとなく違う意図も見えていたので、断ったのも正解だと思うけれど。
新たに買ったパンの片側に穴を開けて、袋状にする。中が空洞なのはこのためだろう。
その中に豆と挽肉の炒め物を流し込んで、パンごと囓る。
とりあえず、この料理に関してはこうするのが正解なのだろう。辛味と塩味がパンと油で中和され、やや刺激を残した旨みに、僕は舌鼓を打った。
デザート代わりの、砂糖液を染みこませたドーナツのようなものはクラリセンでも食べたことがある。それは味がそっくりだったので、クラリセンでも忠実に再現していたのだろう。
それなりにお腹には溜まった。
僕は腹が落ち着いたのを確認し、席を立つ。食後の運動はよくないというが、そんな運動にはなるまい。
昼も過ぎたが、まあいいだろう。出来れば朝確認したかったが。
次に向かうは、この国でも変わらず使えるという探索ギルド。
使えては色々と不味い気もするが。治療ギルド……聖教会もだが、この二つには少しだけ疑念が湧いてきている。リドニックでも変わらないその組織。
国を跨いで同じことが出来る集団を形成している組織。僕は、そういった集まりをもう一つ知っている。
だがまあ、その超国家的組織の内情に関しては今はいいだろう。とりあえずはこの国に関することだ。
……それよりもまず、こっちが何か知りたくなってきたけれど。
僕は天を仰ぎ見る。
歩き出した僕の影を覆い隠すよう、大きな翼を持つ黒い影が、ちょうど僕の上を通り過ぎた。




