空と砂と
やはりといっていいだろう。それから先も、プリシラの干渉はなかった。
彼女からの手紙の文面からすると、プリシラは僕よりも先にスタックたちに関わっていたのだ。今回は僕から彼女に遭遇したようなもので、疑うのもおかしな事だと思うけれど。
しかし、やはりどこか引っかかるものはある。
プリシラは、僕がスタックたちの母親を治したことを奇跡と称していた。ならば、プリシラも彼らの母親が石壁花で助かることはないと知っていたはずだ。
そして、兄妹は言っていた。石壁花の加工法を、『お姉ちゃんに教えてもらった』と。おそらくそれがプリシラだろう。
そこがおかしい。
プリシラは母親の病気を知っていた。それなのに、彼ら兄妹に石壁花の使い方を教えた。成人の儀式の詳細を教えた。無駄になるとわかっていたはずなのに。
僕が『石壁花がないとどうにもならない』と言ったのは、彼らの父親に向けた小さな嫌がらせも兼ねている。しかしそれでも、僕は彼らの母親を治す気でいた。
プリシラは治療師ではない。おそらくだが、本草学以上の治療の手段は持たないだろう。なのに、彼らに仮初めの希望を与えた。仮に石壁花を手に入れても、彼らの母親は変わらず死に向かうはずなのに。
否定的な思考は止まらない。
何故プリシラは、彼らに嘘ではないがほとんど無意味な情報を与えたのだろうか?
結果、スタックは死ぬところだった。もちろんあの墜落に作為的なものはなかったし、スタックが無傷で石壁花を採る未来もあったのだろうけれど。
僕と同じ意図、であるならば治す手段があるはずだ。だが、プリシラには……。
思考の停滞を感じ、頭を振って考えを打ち切る。今は崖の上、誰にも見えないようにしてあるから安心とはいえ、何か不測の事態があるかもしれない。考え事は今度にしよう。
おそらく、このままではまた思考は堂々巡りになる。何か閃きがあるまで、きっと。
今すぐに考えなければいけないことではない。ならば、後回しにしても大丈夫だろう。
一応常に考えておくべきはプリシラの居場所。僕が探して捉えられるところにいるとも思えないけれど、それでも何かの兆候があれば見逃さないべきだ。注視するのはそこだけでいい。
だが、何か嫌な気分だ。
まるで、レイトンにからかわれている最中のような、そんな気分。
やはり、姉弟だということだろうか。
そう思って、僕は今までの思考を意識的に頭の隅に沈めた。
昼も夜も岩の上を飛ぶ。といっても一日程度。
乾燥した国だ。夜のうちに補給した飲み水はすぐになくなってしまう。喉が渇かないように魔法で保護も出来るだろうが、何となく旅の楽しみを阻んでしまう気がしてそれはしなかった。喉が渇くのが楽しみとかそういうことはないけれど。
やがて、乾燥した空気に熱が混じる。
湿気などはやはりないが、地面の岩も触れば熱い。むしろ空気よりも熱く、水筒をしばらく置いておけばぬるま湯になるだろう温度だ。気温は温かい程度なのに。
まだ景色的に代わり映えはしないものの、サンギエの岩に食い込んで生える草のようなものが多くなってきた気がする。
ということは、水分があるのだろうか。そう思って探れば、地下水が細く染み出してきているようで、少しだけ湿っている。
細い円柱状の葉っぱは真っ青で、湿った岩に絡みつき、中に浸潤するように食い込んでその水分を吸おうとしていた。
そのうちの一本を摘まんで引き抜けば、抵抗なくするりと抜ける。そして後には、太めの糸といえるくらいのこの草とほぼ同じ太さの穴がぽっかりと空いた。
おあつらえ向きな穴、だけれどこれは軽石などのように形成過程で出来るようなものではなさそうだ。……とすると、この草は成長するにつれて岩をくりぬいているのだろうか。
味は薄いが、葱のような刺激的な芳香が微かにする。引っ張れば簡単に千切れてしまうような草。そんな弱い存在なのに、岩に穴を穿つとは。雨だれ岩をも穿つというが、生き物や自然とは強いものだ。
素直にそう感心した。
しかし、気候が変わってきたということは。
僕はその温い空気の先、まだ続いている岩の荒野の先を見る。
まだおそらく集落はそこら中に埋もれている。だが、その先が見えてきたということだろうか。旧クラリセンに強い影響を与えた国。灼熱の聖領エーリフと隣り合った温かい国。
目指す大国、ムジカルはすぐそこにあるのだ。
次の日。
人の気配を感じ、そして景色の変化を見て取り、僕は足を止める。
ようやく石とひび割れの国からも出ることが出来そうだ。
まず目に入ったのは、崖の切れ目。ネルグの森からこのサンギエに入ってきたときと同じように、突然岩山が終わっていた。
そして、その切り立った崖の下から地平線に向けて、代わりに橙色の砂が立ち上がる。砂丘のようで、模様すらないその砂地の向こうには、ただ濃い青の空が広がっていた。
それと、もちろん村もエッセンから入ってきたときと同様にあった。
ひび割れた岩に開いた洞窟のような広場。そこで、大勢の人が通行人相手の商売にいそしんでいる。
僕はそこに降り立つ。
明らかにこの先はムジカルだ。補給が必要だろう。物資もだが、情報も。
露天商の品揃えというか業種はやはり入ったときとそう変わりはない。まあ当然だろう。食料品や、山岳案内人の取次店に換金所。エッセンからムジカルに向かうにしても、必要なものは大体同じだ。
雨瓢箪も売っている。結局最初しか僕が世話になることはなかったが、あまり美味しくない水分を毎日摂らなければいけないとしたら、ちょっとげんなりする。
……そういえば、これから先はどうしよう。
一度振り返り、上下で綺麗に二色に分かれた洞窟の出口の先を見る。
明らかに、水がない。オアシスのような場所か、もしくは川のような場所がなければ人間は生活できないが、街には僕が使える水場があるのだろうか。
これは、買っておくべきだろう。情報も、ちょっと嫌だが雨瓢箪も。
「一つください」
「へえ、毎度あり」
雨瓢箪を売るのは老人と決まっているのだろうか。サンプルは少ないが、少なくとも僕が見た限りではいつも男性の老人だった気がする。それも掟、だとしたら面倒な話ではあると思うけれど。
少し震える手で小さめの雨瓢箪を差し出した老爺に向けて、僕はムジカル銅貨を一枚差し出す。
「兄ちゃん、その服見るとエッセンからかい?」
「ええ。これからムジカルに入ろうかと。特に用事はないんですけどね」
服もまあ僕は浮いている。周囲の人を見れば、エッセンからサンギエに入ったときと同じように柄のある布を何枚も重ねた服を着ていた。厚着のようにも見えるが、明らかに布が薄くなっている。どちらかといえば、直射日光を防ぐための服だろう。この洞窟の中にいる限りでは、あまり日光は当たらないが。
「エッセンから、遠いところをわざわざね。それにしちゃあ訛りのねえ綺麗な言葉だな」
「どうも」
僕は頭を下げる。言われてみれば、あまり意識せず言葉が使えていた。
サンギエを通り過ぎる間、いくつかの村で大分慣れたようで、言葉もようやく普通に聞き取れるようになってきたらしい。さすがにネイティブと同じようにはいかないが、それでも一応違和感なく話すことは出来ているようだ。
言葉の習得に関しては、特技と胸を張ってもいいかもしれない。その自信は、この旅で得た収穫の一つだろう。そんな気がする。
「それで、お聞きしたいんですが、街へはどう行けばいいのでしょうか」
「標を辿ってきゃあすぐさ。歩きなら三日ってとこか。蜥蜴使えば一日だ」
「標?」
僕が聞き返すと、聞き返された意味が分からないという感じで老人は所々抜けた黄色い歯を見せる。黒っぽい肌に老人らしい染みがないためかあまり老けては見えなかったが、その歯が見えただけで一気に年寄りらしく見えた。
それから老爺は立ち上がり、後ろに置いてあった杖を支えに洞窟の出口へよたよたと歩き出す。吹き込んできた生温い風に、杖に巻いてある布がなびいた。
四つ又に割れた杖が砂地に食い込む。
そして陽の当たる場所に出た彼は、空を指さした。
「ほれ、あれだよ」
「……ああ」
そして、その指の先を見て初めて気がついた。芥子粒のようなごくごく小さな塊。だが、きっと本当は大きいのだろう。
通常では、注意して見なければ気付かないほど。闘気や魔力で強化しても、あると知らなければ気付かないほどの小ささな何か。そんな小さな何かが、上空に二つ……いや、三つ青空に溶け込むように離れて並んでいた。
それからキョトンとした顔で老爺が僕を見る。垂れ下がった瞼の下から、大きな黒目が覗いていた。
「そうかぁ。そういや、エッセンの方にゃなかったか……」
「ええ。初めて見ました」
空を見上げ続けて目が眩む。照り返しで光量も多いらしく、早々に洞窟の中に引き返した僕の視界は少しだけ暗くなっていた。
「エッセンなんて最後にいったのはもう何十年も前だからなぁ」
そんなことを呟きながら、老爺はまた雨瓢箪の前に座る。改めてみれば膝が悪いらしく、片膝が伸びていた。
しかし、空に浮かんだ標。少し気になるし、あとで間近で見てみよう。
「ま、気をつけていくんだな。そんなじゃ、ムジカルは初めてだろう? 蠍や蜥蜴、怖いもんはたっくさんあるに。案内師を雇うんなら紹介すっけど」
「ありがとうございます。しかし、お気持ちだけで。そういった類いであれば、多分大丈夫なので」
案内人は断り、それから僕は色々と尋ねていく。
近隣の街の様子、一応注意しなければいけないローカルルール。付近の治安情勢など。
思った以上に詳細に答えてくれたが、それも彼のセールスプロモーションの一環だったのだろう。最後にもう一つ雨瓢箪を買わされたのは少しだけの失敗だったが。
まあいいや。
それから僕は洞窟を出て一歩踏み出す。
踏めば一瞬柔らかい感触だが、重みをかけると次の瞬間固くなる。
……砂地の上り坂は、足腰のいい鍛錬になりそうだ。
そんな踏み心地を感じながら、僕は標の位置を確認し、街へ向かって歩き出した。




