青髪の入れ知恵
ここに来た顛末をおおかた話し終えると、エウリューケは鉄格子を手放しそのまま仰向けに床に倒れ込む。ドスンと結構大きな音がしたが、やはり衛兵はこちらを気にすることもないようだ。
「それで、次はどうするのー?」
エウリューケの方も、周囲を気にすることなく天井を見つめたままそう僕に尋ねてきた。
背中越しに見れば、なんというか、昔テレビで見た気がする。パンダか何かの動物がくつろいでいるような……。
いや、それよりもエウリューケの問いだ。
「……どうしますかね。あの親子をどうにかして強盗だと証明しなければいけないんですが、やっぱりどうしても証拠はないですし」
「いやいやいやいや、まずぁ君の潔白の証明からではないのかね」
「それもありましたね。……そうだ、僕は一応自分を大事にしなければいけないのに」
言われて気付く。やはり、今までの僕の考え方の癖はすぐには変わらないらしい。自分の身を守るところから始めなければいけないはずなのに。
そうしなければ、母に申し訳が立たないはずなのに。
「まあまあまあまあ、いくつも浮かぶはずだねー。君はその人が死んだ時この国にいなかったしー、大量の金も魔法使いで探索者だからだしー、探索ギルドの方からも厚遇されてるしー」
「その辺りは全部話してみましたが、あの人たちは検証する気もないようで」
魔法を魔法として見せてまで、信じられないとは思わなかった。衛兵のあの親子への信用は並大抵ではないのだろう。
「それでー? 諦めちゃうのー?」
ごろんごろんと廊下を転がりながら、エウリューケは質問を重ねる。服が埃まみれになってるけどいいのか。
「諦めたくはないですけれど、僕に関しては諦めるしかない気もしますね。もう、こういったことになるのが僕の生まれついた星のようです」
「…………」
むくりとエウリューケは起き上がり、僕を真顔で見つめる。乱れた髪の毛もそのままに、つまらなそうに。
僕は無視して続ける。
「今回、少し変わったことをしてみようと思いましたが駄目でした。正直、調子に乗っていたようです」
「何か面白いことでもあったんかい?」
「ええ。少し嬉しいことが」
僕はそう返す。真実だった。
頭の上にある鉄格子を適当にねじ曲げ、波線のようにしながら僕は補足する。
「リドニックの高官が言ったんです。国が変わる事態に乗じて、誰の差別もない国にすると。全ての人間を、人間扱いする国を作ると」
「出来んのかね、そんなこと」
「きっと出来ると思いますよ。少なくとも僕は、そう思っています。願望に近いですけど」
「けー」
エウリューケは横を向く。出来ないと思っているわけではないだろうが、それでも声音からは難しいと感じているとも思う。
「ま、そんな嬉しい話を聞いて、少しだけ舞い上がっていました。国が変われるのなら、僕も変われる、とそう思ったんですが……」
握りしめた鉄格子の鉄が、指の隙間から絞り出される。ほんの少し闘気を込めただけでこれだ。まともな鉄すら使っていないらしい。
「これでは変わったかどうかすらわかりませんね。以前は安易な解決法に飛びついてしまい、後悔した。だから今度はまともに問題を解決しようと人に託したら、自分が捕まってしまった」
よかれと思ったら裏目に出る。今回は、誰にとってのよかれかもわからないが。
「昔から気付いてはいたのに。たとえ僕個人が変わろうとも、周囲は何ひとつ変わらないんです」
昔、迷子のルルとともにルルの母親を探したことを思い出す。
困っている人に僕の拙い手を差し伸べても、そんな善意など周囲は気に留めない。
僕が何をしても、社会が僕を見る目は変わらないのだ。
僕はまた窓越しに空を見て、溜め息をつく。少し疲れた。
「……少しだけ落ち込みますね。僕が何をしても周りは変わらない。でも、簡単に変える奴もいる」
「誰かな?」
「レヴィンです。レヴィン・セイヴァリ・ライプニッツ」
「……誰だっけ?」
僕が名前を言い切ると、エウリューケは指を咥えて首を傾げた。冗談だろうか。そう思い表情を見ると……これはふざけているわけではないらしい。多分。
僕は苦笑を隠しながらまた補足する。
「魅了の魔法を使って、周囲の人間を魅了し騒ぎを起こした奴です」
「……おー? ……おー、そんな感じの奴いた気がする。そういえばいたっけね」
「ええ」
忘れている……? まあ、きっとエウリューケたちにとっては数多くいる敵の一人に過ぎないのだ。仕方あるまい。
重要なのは、僕にとってだけなのだ。
「リドニックの変化は僕にとっては嬉しいものでした。しかし、その変化の発端は他ならないあいつです。去年の吹雪からの飢饉、国に反意を持った優秀な仲間、色々と複合的な要因はあるんでしょうけれどね」
しかし、やはり全てはあいつが始めたことだ。ヴォロディアも国に不満は持っていたのだろう。だがあの性格ではきっとレヴィンなしでは立ち上がるまい。
苦笑する。
「何のことはない。僕はずっと馬鹿にしていたあいつに負けていたんです」
僕は自分に対する周りの態度を変えられなかったのに、あいつは変えた。
国を巻き込み、僕すら喜ぶ国へと変化する土台を作った。
銃は未だに反対だけど。
「……そういわれちゃえばそうかもしれんね」
エウリューケも頷く。それから笑って首を左右に揺らした。
会話が途切れる。しかし、何も問題は解決していない。
最悪壁か鉄格子を壊して逃げるだけになってしまうが、それしかないのだろうか。
壁のひび割れを見ながら一瞬ぼんやりした僕に向け、エウリューケは咳払いをした。
「でもさぁ、やっぱりキミは自分をわかってはおらんよ」
「どうでしょうか」
膝を立てて振り返れば、その先でいつの間にかエウリューケが横になっていた。頭を片手で支えて、涅槃像のように。
「たしかに奴は国を変えたね。国という枠組みをね! でもよう、でもでもよう……」
そこまで言って黙り、エウリューケは目を伏せる。そして一瞬何かに悩んだ後、空いた左手で首元を掻いた。
「先に報告しちゃおか。あたしがここに来た理由でごわす」
「……何です?」
この流れであれば、きっと何か関わりがあることなのだろうが。そういえば、エウリューケは何をしていたのだろう。
「あたしはね、ここに来る前にミールマンにいたんだよ。何故だと思うかの?」
「さて……何のお仕事でしょうか」
「キミがモスク君に持たせた焦熱鬼の髪の毛。それが本物だと確認できましたぜぃ。やったね」
喜ぶような言葉でも、少しも嬉しそうではない。心にもないことを言っている風情だ。
だが、それは朗報だ。あの髪の毛が本物だと確認したら、きっとグスタフさんならモスクの力になってくれるだろう。あの執念と知恵を通陽口の底に投げ捨てることになるのは惜しい。
万感の思いを込めて、僕は喜びの言葉を吐く。上手く表現は出来ないけれど。
「……よかったです。本当に。彼のような人材は、無駄にしちゃいけませんよね」
彼にとっての適材適所がどういうものか実際にはわからないが、少なくとも前よりはいい。それに、ハイロたちと違いその後のサポートも頼んでいる。グスタフさんなら、見極めた上できちんと配置してくれるだろう。
だが僕の答えに不満だったようで、エウリューケは細く溜め息をついた。
「わかっとらんね。うんうん、わかっとらん」
「何がでしょう?」
「レヴィンは国を変えたね。国という枠組みを。でも、国の構成要素を思い出してくれ」
エウリューケの言葉に、僕は思い返す。
「国主と国土と国民と神器、でしょうか」
「それな。でもさ、キミが変えたもんがそこにあるじゃないかね」
「……それは」
「キミが、キミの行動でモスク君の運命を変えたんだい。それに、モスク君だけじゃない。ミーティアのワンワンも、キミがいなけりゃ国を出なかったんだろ? じっちゃんから聞いたぜ?」
「……そうかもしれませんが……」
「彼らは人だ、国民だ。国の構成要素のどれが変わっても、きっといずれは良きにしろ悪きにしろ変化はあるざんす。その中でも、国民、人は大きなもんだとあたしは思うだよ」
むくりとエウリューケは起き上がる。
それから四つん這いで這うようにして、鉄格子越しに僕に顔を近づけた。
「だから、キミは負けたなんてこたぁない。あたし的には勝ってるし、悪くても引き分けじゃないすか」
「……そうですかね」
「そうじゃのう。じゃからして、立ち上がれい若人よ。こんなにぷるぷるの肌して!」
鉄格子の隙間から差し入れられた手が、僕の頬を摘まんで引き延ばす。
「痛いです」
何してくれてんだろうこの人。
手が離れた後も、頬が痛い。多分赤くなってる。
「でまあこっからは、じゃあじゃあ助言といくかい! ああ! あちきまるでレーちゃんみたい! 美人!」
「突っ込みが追いつかないので、突っ込みどころを複数作るのはやめてください」
頬をさすりながら、僕はエウリューケに向き直る。それから一度呼吸を整えた。
「それでそれで、方針は決まった? 決まってないよね、さっき言ってたもんね!?」
「……そうですね」
「じゃあ、一つ目!」
エウリューケは一差し指を立てて僕に示す。その向こうに見える笑顔が眩しい。
「今キミがやりたいこと。それは『この牢を出て、その親子を犯人として告発したい!』でがしょ?」
「まあそうですね」
「その動作、切り分けられることは気付いているかい? いや、気付いてるね、そうだよ」
「切り分けられる……、前半と後半でしょうか」
「そうそう、ってかこれはさっき自分でも言ってたし」
深く頷き、エウリューケは首を振り上げる。その勢いで、長い髪の毛が僕の顔に当たった。
「問題は出来るだけ切り分けて小さくするべきだよ。キミが自分の潔白を証明することと、親子の犯行証明は別もんだ」
「親子の犯行が証明できれば、前段も解決するんじゃ?」
「ごわしゃん」
また首を振る。鉄格子に当たった髪の毛がびしびしと音を立てる。
「仮にその親子の犯行が証明されたところで、犯人なんて無限に増やせるんだよ。キミも親子も犯人だった、なんて嘘、簡単に作れるっしょ」
「そうですけど……」
たしかに誰も、『犯人は一グループだけ』などと言ってはいないけど。
「だからキミはまず、自分の潔白を証明しなくちゃ。そこで二つ目よ!」
……さっきから思ってはいたが、結構大きな声だ。なのに、衛兵は来ない。本当に無能だ。
「キミは潔白を証明するために何した? また大したことしてないんでしょ。知ってるよ」
「さっき話したとおりですけど……」
大したことをしていない? 一応、一通りは試したはずだが。
そう考えた僕の目の前で、エウリューケはまた人差し指を立てる。
「探索ギルドへの照会は、衛兵がしなかった。時間的にキミがリドニックの首都にいることも照会しないとわかんないし奴らもする気はないね、死ねばいいのに。でもさ、もう一つ、あんたいい加減にやったことあるでしょ」
「いい加減にやった気はないんですけれど」
「いいや、いい加減だね! これだけはその場で証明できるのに!」
エウリューケの袖から見える入れ墨が、ざわりと動く。
転移魔術を使うときなど、前から不思議に思っていたが、入れ墨なのに動くのはどういう原理なんだろうか。
そしてその次の瞬間、僕の顔に熱気が触れた。
「……熱っ!」
僕は身を引く。実際は大して熱くもないが、反射的に口にしてしまった。
「おお! ごめんなー!」
油断していたというのもあるが、それ以上にこれはきっとエウリューケの失敗だ。
エウリューケの指先に火が灯る。ガスバーナーのような火が、一度爆発したかのように膨らんでから轟々と燃えていた。
威力を調節するように、火が小さくなっていく。みるみる勢いが弱くなり、最後には蝋燭の消える寸前のような小さな火が頼りなさげに動いていた。
「おう、すまんな。でさ、金貨を大量に持っている理由、そんなもん、『魔法使いだから』で一発っしょ。むしろ魔法使いで金持ってない方が不審だよ」
「それは信じてもらえませんでしたが」
同じパフォーマンスを僕もやった。しかし、衛兵は信じなかった。
「だってこれ、魔法使いでなくても出来るもん。『魔法使いなら出来る』ってのと、『魔法使いでも出来る』ってのは天と地の差があるからね」
エウリューケは火を消し、それから自らの袂を探る。
ごそごそといくつかの小瓶を取り出して一つを残し、他をしまう。それを両腕分繰り返して二つの瓶を並べる。
器用に瓶の中から軟膏のようなものをそれぞれ取り出し、右手の人差し指と親指にそれぞれ塗った。
「それに、これは別に魔術を使わんでも出来るっちゃ出来る」
パタパタと乾かすように手を振って、それから人差し指の先を親指で擦る。
ジャリ、というわずかな音とともに、黄色の火が上がった。
「これはあたしの緊急時の火付け用だし、ほんとは燃えない布とかで見えないように指先を守るんだけどねー。でも、こういう奇術だってあるのさ」
「……ああ……」
僕は力が抜けた腕を床に落とす。
まただ。また僕は知らなかった。いや、混ぜると発火する薬剤自体は知っていたのに、応用を思いつかなかった。
「そりゃ、闘気使いや魔術師や、それこそ魔法使い相手ならこんなん見分けられるよ。でも、一般人はこれらの見分けがつかない。なら、信じたいものを信じるもん。あいつら馬鹿だから」
「もっとわかりやすいことをするべきだった、と」
知っていると便利なことはある。だが、火付けなどは僕には不要のものだ。だから、その応用を考えたことはなかった。やはりまだ、僕には欠点が大量に残っている。
「今更見せるのはだっせぇけど、爆発とかさせちゃえば? それかキミの得意技、認識阻害じゃないあの隠行。あれでいいじゃん」
「……そういう方面の方がいいんですね」
爆発はさせないまでも、明らかな魔法を使うくらいがちょうどいい、と。そういうことか。
エウリューケは左手で火を掴み、消し止める。
それから僕を見ながら頬を膨らませた。
「カラス君ってさー、時々年寄り臭いよねー」
「失礼な」
服の端で、エウリューケは指を拭う。それから一度火がついてしまったようで、慌てて裾を叩いて消火した。
「キミのことだし、まあいつも通りで済ませようとしたんでしょ。知らんけど。いつも通り火を点けて見せて、でも今回はいつも通りで済まなかった。ちゃう?」
「……その通りですが」
グスタフさんやサーロはそれで信じたのに。そう思ったことは嘘ではない。
「いつも出来ていたことをやって、出来なかったらすぐ諦める。それは年寄りの思考だよ。キミの知恵の泉はどこいった」
「若者は違うと?」
「……そうじゃのう。出来なかったら違う手を考える。考えて考えて、それでも出来なければ泣く。それが若さというもんじゃ。それで通るかはそいつの力次第じゃが」
僕が聞き返すと、ない髭をしごきながら、エウリューケはそう笑う。
「考えることをやめたら、すぐに諦めるようになったらもう若くないんだよ。さあ、キミの若さをみせておくれ! 爆発がおすすめ!」
笑顔で抱擁するように両手を差し出して、エウリューケは言い放った。
「ギルドへの照会も、リドニックへの照会も、あいつらはしないよ? さてさて、じゃあ、どうする?」
「……仰りたいことはわかりました」
エウリューケの問いには直接答えず、僕は目を瞑り少しだけ考える。
多分、とりあえず派手な魔法でどうにかさせたいのだろう。とても役に立つ助言ではあると思うが、これはその答えに導かせるためのものだ。
しかし、やはり僕は人の助けがないと何も出来ないのだ。
少しだけ笑う。
イラインからミールマンを経由しリドニックを経たこの旅でも、僕はいろんな人に助けられた。
アブラムがいなければ僕は未だに自分の問題に目を瞑っていただろう。アリエル様やエウリューケに励まされなければ立ち上がれなかったかもしれない。
それにきっと僕は気付いていない。他にもきっと僕の助けになった人がいるのだ。
エウリューケの言うとおり、この衛兵の詰め所を爆発させるのもいいかもしれない。
だがそうするべきではないだろう。
エウリューケの言うとおり、もっと新しい考えがきっと必要なのだ。
というよりも、エウリューケの言葉は罠でもあるのだ。今とりあえず考えるべきは、僕の身の潔白を証明すること。大規模な魔法で逃げ出しては、僕に新たな瑕疵を作ることになるだろう。
ならば、もはや問題は僕が魔法を使えるか否かではない。先ほどの二点。そちらをどうにかするべきだ。
そして、状況も変わっている。
昨日までは僕だけだった。しかし、今ここにはエウリューケがいる。伝説の魔術を軽々と扱う魔女が。
「……エウリューケさんは、今転移魔術をどれくらい使えますか?」
「場合によりまっさ。何? あたしに何をしてほしいのけ?」
軽く尋ねただけだが、意外と乗り気だった。
ならば心強い。
「一人、近くの街から連れてきてほしい人がいるんです。本人が嫌がったら別の手を考えますけど」
「……よっしゃ、かわいい弟子のためだし、やったろうじゃん」
「ありがとうございます。今度お礼はしますね」
詳細を聞く前に引き受けてくれるのはありがたい。僕には多くの場合出来ないことだ。
あの人の都合はどうだか知らないが、暇ならきっと来てくれるだろう。
僕がその名と場所をエウリューケに伝えると、彼女はぴょんと跳びはねてそれから消えた。
独房で一人になると……その表現も変なものだが、一人になり静かになる。
昨日の衛兵の言葉では、今日尋問官が来るらしい。
とりあえずエウリューケが戻ってくるまで、僕はその人との話でも考えておこうかな。
それと、この後のことも。
かんそうらん からの みらいよち !
さくしゃ は みらいよちの せいかいを うけた!




