強大な敵
「……失礼ですけれど」
会議室の大机に銘々離れて座り、マリーヤに手配された料理を口にする。机の上には正直、意外な光景が広がっていた。
「リドニックにもこんな料理があったんですね」
「こんなってどういうことだよ」
グーゼルが噴き出しながら、丸ごとフォークで突き刺したパイ……というか魚肉ハンバーグのようなものを囓る。マリーヤが丁寧にナイフで切り分けて食べているのとは全く違うが、きっと作法としてはマリーヤが正しいのだろう。
川魚と芋と玉葱……かな? をみじん切りにして混ぜて焼いたものだと思う。
意外というのは本当に失礼だけれど、この国の料理にしては歯ごたえがちゃんとある。そして、味も良い。
酸味のある果物のソースを絡めて食べれば、魚肉の旨みが口の中に広がる。
「この国に来てからは、粥か汁物しか食べていなかったもので……」
あとは例外的に、スープが品切れの店で出された焼き魚か。それも、普段は賄いとして出されるものらしいが。
まず始めに運ばれてきた料理を見て、僕は少しげんなりした。出された料理なのに失礼とも思うが。
始めに出されたのは、キャベツの酢漬けのスープ。
ああ、王城でもこれか。
また歯ごたえのない食事をしなければいけないのかと少しだけがっかりした。
だが、その量がおかしかったのだ。多いわけではない、少ないのだ。それだけで腹を満たすことなど到底出来ない量。それに違和感を覚えた僕は、皿を下げるために来た給仕が持っていく皿の代わりに差し出したそのパイで、この国を少しだけ見直した。
ナイフやフォークなどの食器はその都度出していくスタイルらしい。そのために僕はこれがコース料理だと気付かなかったわけだが、それは嬉しい驚きだ。
マリーヤが口元をぺろりと舐めながら補足してくれる。
「そうですか。カラス殿はこの国の、いいえ、王城の料理は初めてでしたか」
「……そうですね。僕がこの国で食事をとるとしたら、大衆的な料理屋だけだったので」
というか、国民でもほとんどいないだろう。城勤めでもなく、こういった豪華な食事をとれる者は。
「もったいねえなあ。つっても、あたしもずっとそんなもんだったけど」
もっちゃもっちゃと頬に料理を溜めて、グーゼルが笑う。それから大げさな動作で口の中のものを飲み込んで、空になった皿を少しだけ押しのけた。
「まあ、こういう贅沢は王城でもほとんど出来なかったでしょう。ですが、今日は特別です。料理長にも無理を言ってしまいましたが、久々に腕を振るっていただきました」
「快気祝いってことでいいっしょ」
「ええ。今回のは私からのお祝いということで、……かつての王城で出されていた料理の品々をお楽しみ下さい」
「かつての……」
その単語を口に出すときに、少しだけマリーヤの笑顔に影が見えた。
なるほど、これが昔メルティたちが食べていた料理の一部か。
「庶民が食べるものとは全く違うということに驚くでしょう。当然です。彼らは少ない食材で腹を膨らませなければならず、そして寒さに耐えるため、早急に体を温めなければならない」
「ああいうのはああいうので美味えけど」
「儂も少し脂ものを控えてもらえれば問題ないな」
ソースで汚れた髭を気にせず、スティーブンもグーゼルに同意する。老人にはとろみ食とかあうんだろうけれど……失礼な話だった。
僕はパイの最後の一欠片を口に運び、味わって飲み込む。
「……僕はこちらの方が好きですね」
「そう言っていただけて何よりです。妙な話ですけれど、この国では王城料理のほうがエッセンやムジカルの料理に近いと思っております。今日は特に、そういった料理をお願いいたしましたし」
この国の料理を馬鹿にするわけではないが、ありがたい。僕にとってはやはりこういうもののほうが料理という感じがする。
腹を満たすよりも、味を楽しむための料理。
多分、王城料理が他国のものに近いのは、政治的な意図もあるだろうが。
新たに運ばれてきた肉……じゃないな。ピンポン球大の真球に近い揚げ物を開けば、厚い衣の中にリゾットのようなものが見えた。
「やっぱひとつひとつ小せえのがまどろっこしいし」
「ゆっくり食事をお楽しみいただければという心遣いでございますよ」
マリーヤがそういうと、不満げにグーゼルはまたライスコロッケを丸かじりする。ナイフを使わないのか。
「そうじゃのう。たまには仕事など忘れ、ゆっくり楽しむのもいいんじゃないかの」
「紅血隊は活動停止中だし。言われなくてもゆっくりしますぅー」
米の芯に若干の硬さが残ってはいるものの、火は通っているしそれがまた良いアクセントとなっている。
固いご飯は通常あまり歓迎できるものではないが、これはいい。
僕が会話に参加せず料理を堪能していると、グーゼルは僕の顔をじっと見た。
「……幸せそうに食ってんなぁ」
皮肉にも聞こえるが、皮肉ではなく単純な感想だろう。
「ええ。とても美味しくていいですね」
顔が綻ぶのが自分でもわかる。やはり、美味しいものを味わえていればそれだけで人は幸せになるのだろう。
問題は、美味しいものがなくなるか、味わう余裕や時間がなくなったとき。それは悲劇だ。
それから肉料理と魚料理と、分厚いクレープのようなパン。そんな普通のコース料理のような皿が出て、僕は舌鼓を打ち続けた。
恐らく、イラインにいたときであればここまで喜びはしなかっただろう。ミールマンやリドニックの料理に飽きてきた頃だからこそだろうが、それでも美味しいからいい。
そうして料理も佳境に入ってきた、と思ったときに、給仕がマリーヤに難しい顔をして小声で問いかける。
「……マリーヤ様。料理長が、マリーヤ様に艱難鳥はいかがですか、と……」
「……しかし……」
二人がちらりと僕を見るが、その視線には気遣いが見える。だが、少しだけマリーヤの頬が上がるのを僕は見ていた。
「出していただきましょう。もちろん、全員分」
「かしこまりました」
給仕が立ち去った後、僕はマリーヤに話しかけた。
「艱難鳥って何でしょうか?」
「……本日の突き出しですね。本当はもう少し前に出すようなものですが……、ヴォロディア王向けに下拵えしていたものですが、どうせあの方が召し上がらないからでしょう」
「はぁ……?」
それだけにしてはその笑顔が気になる。まるで、これから楽しいことが待っているかのような……。
「うぇ、あれあたし苦手なんだけど……」
「おや、グーゼル様はお食べになったことがおありでしたか」
「昔な。肉は良いんだけどなぁ」
ボリボリと後頭部を掻きながらグーゼルがしかめ面をする。その顔を見て、食べてみたいと思う者がいるとはあまり思えないが。
そんな心配をしていることを察したようで、マリーヤは僕に微笑みかけた。
「心配せずとも、カラス殿は大丈夫でしょう。それに、不味いのは一部だけですから」
「今不味いって言いましたね?」
「…………」
「不味いって」
僕がそう聞き返しても、マリーヤは答えない。ただ、照れたように目を背けた。照れてるわけではないけれど。
どうしよう。残すのは嫌だけど、不味いとわかってて食べたくもないんだけど。
やがて運ばれてきたのは、薄切りになり、照り焼きにされた鶏の腿肉だった。
それに関しては全く問題がない。普通の美味しそうな肉に茶色いソースがお洒落にかけられているだけだ。細かく散らされているのは蕪か大根の角切りだろうか。
だが、それに加えて一つ気になるものがある。
添えられた小さなショットグラス。今は空だが、給仕がそこにデキャンタのようなものから透明な液体を注いで回っている。
やがて僕のところにも注がれたそれは、無色透明のまるで水のような液体だった。
「これは……」
「皿に手を付ける前に、そちらを飲んでからというのが習わしとなっているそうです」
何かがわからず唾を飲む僕に、マリーヤはそう付け加えた。何だろうか、これ。無色だが、揺らすとわずかに淀みが見える。
見ている間に、くっと一息にマリーヤが自分の前に置かれたその水を飲み干す。それから震える手で……震える手で?
「……大丈夫ですか?」
「ええ。もちろんでございますとも」
震える手でナプキンをとり、口を拭いてから笑顔でそう答える、が、明らかに様子がおかしい。顔が引きつりわかりづらい程度に多少呼吸も荒くなっている。
これは、毒ではないにしても……。
「害がありそうですが」
「さっさと飲んだ方が早く終わるし」
グーゼルも一息で飲み干す。それから息を吐き出すと、勢いよくグラスを机に置いた。
そこでようやく僕はその正体に気付く。いや、その仕草を見たことがあるからこその連想からだろう。
グラスを傾け、匂いを嗅ぐ。
「これ、お酒ですね」
「酒精はほとんど飛ばしてありますし、その上水で割ってあるので、酔うことはないかと」
ようやく落ち着いてきたマリーヤが、ナイフとフォークを手に鶏を切り分ける。それから、ちらりと僕を見る。
「別に、飲まずともいいのですけれど」
そうは言いながらも、言葉通りの意味ではあるまい。これは挑発だろう。グーゼルも頬杖をつきながら僕の動向を見つめていた。
「酒……つーかこのあと楽しむための備えっつーか、あれだよ」
「あれ?」
「なんか、……あー、気の利いた説明難しいんだけど」
助けを求めるように、グーゼルはマリーヤを見る。
それから、グーゼルの視線を受けたマリーヤがコホンと軽く咳払いする。
「リドニックの南部からネルグの北側に多く生息する、業路という鳥をご存じでしょうか?」
「……いえ」
僕は素直に首を横に振る。その名前は聞いたことがない。だが、鳥というのには少しだけ引っかかるものがあった。
「少なくとも、見たことはあるはずでございますよ。白く大きな鳥で、青い木の実を常食している……」
「ああ、はい。あの苦い鳥」
それならば見た。それに、食べようとした。結局は食べることは出来なかったけれど。
僕が答えると、マリーヤは一度目を丸くしてからクスリと笑った。
「食べたことがおありでしたか。ならば話が早い。こちらの料理は、あの鳥でございます」
「え、そうすると、食べられたものでは……」
食べられたものではない。
文字通り、煮ても焼いても食べられるものではなかったのだ。悪意の塊とすら思えるほどの苦みの塊で、肉汁も肉自体にも思わず嚥下を諦めるほどの強烈な渋みすらある。
だが、マリーヤはナイフで小さく肉を切ると、ゆっくりと口に運んで咀嚼する。今度は、我慢している様子など微塵もなかった。
「その強烈な苦みをどうにかしようと先人たちが努力した結果、案外何とかなるものですね、こういった料理が出来ました」
「この儀式までは要らないと思うんだけど、まあしゃーないし」
グーゼルはグラスを指で弾きながら溜め息をつく。それから、肉をフォークで口の中に押し込んでいった。
「強い酒精を持つ酒で処理されて、どうにか通常通りの肉と同様に扱えるようになっております。この酒は、その副産物です」
僕の手の中にあるグラスを揺らす。なるほど、ほんの少しだがアルコールの臭いがした。そんなに強いわけでもなく、栄養ドリンクなどと同程度ではあるだろうが、他の臭いがほとんどない分それなりに強く感じた。
「本当は液体部分は廃棄されてしまうものだったそうですが、『艱難は君子を磨く』という言葉を元に、食前に飲むようになったとか。意味のないしきたりだとも思いますけれどね」
また一口マリーヤが肉を囓る。その姿が、少しだけ恨めしく思えてきた。
そして銀食器を皿に置き、マリーヤは皿を見つめて肩を落とす。
「……この艱難鳥が廃れた主な原因は二つ。まず処理に時間がかかること。二週間ほど漬けておく必要がありますので。それと……」
沈んだ目で僕を見る。
「かつての……先王よりも何代も前の王の好みに合わなかったから、だそうです。先日私がこの菜譜を書庫で発見したときには驚き、そして悔しかった」
そして、ぽつりと呟く。自嘲か恨みか、そんな感情がわずかに読み取れた。
「この料理が、あの鳥の処理方法が庶民の間に残っていれば、餓死者はもっと少なく済んだのです。未だあの鳥は民にとっては食べられない鳥で、子供にすら捕まえられる鳥だというのに」
「手軽に手に入る食糧になり得た、ということですね」
「ええ。それを、誰一人として知らなかった。悔しいことに」
僕とスティーブンはしんみりとして、グーゼルは鶏肉を噛み砕きながらそれをマリーヤの嘆きを聞いていた。
「もちろん、去年の飢饉でもあの鳥を食そうと試みられていたそうですよ。壁の木材よりは簡単に食べることが出来そうでしたから。ですが、誰一人として思いつきもせず、仮に思いついてもその頃には酒を手に入れることも難しかった」
「仕方ないじゃろ。生活の知恵というのは移ろいゆくものじゃ。去年までは、そんなもの必要がない生活が出来とったんじゃからの」
まあ、たしかにどちらかといえば誇るべきことだとも思う。緊急時の保存食は、不要であるのが一番良い。王のせいも大きいが、緊急時に必要なものが廃れてしまうほど使われなかった。それまでは、つつがない生活が出来ていたのだから。
そのせいで民間での伝承も途絶えてしまっていたのに加え、その知識を取り出せる者もいなかったのは明らかな失態だが。
「とまあ、そんなこの国の教訓を示すために用意させたものですが、食べてしまいましょう」
「いいんですか?」
マリーヤはそう言うが、これはヴォロディア王に食べさせるべきものだろう。そもそも料理長が何故これを勧めたかもわからないけれど。
「いいのですよ。これは恐らく、私への心遣いです。先ほど『廃棄される』とも言いましたが、この鳥の苦みは滋養強壮の作用もあるようですので」
「ふむ?」
マリーヤの言葉に反応し、スティーブンもその水を口に含む。
そして、表情を変えずに飲み干した。
そっとグラスを机に置いて、何度も頷く。
「……ぅぁ……、確かに体に良さそうな味じゃのう……。飲めんことはないが」
それ、味蕾が死んでるんですよ、と口に出しそうだったがそこで止めた。
「整腸作用に、血の気を下げる効果もあるとか。一口飲めば一日寿命が延びるとも言われていたそうです」
「カラス殿、カラス殿のも儂が飲んじゃる」
スティーブンが僕のグラスに手を伸ばす。だが、グーゼルの視線を受けてその手が止まった。
「なんじゃ」
「肉が美味くなるってのも言ったろ。それ飲まなきゃまだ食えたもんじゃねえんだよ、その肉」
「飲みたければ別に用意させますので、どうぞ」
「ありがたいのう……ふふ……」
スティーブンの顔が綻ぶ。マリーヤはそれに応えて、呼び鈴を鳴らした。




