知らせ
「さて。カラス殿が帰ってこられたのはとても喜ばしいことじゃが……」
「なんです?」
歯切れ悪く、温かくなった空気を切り、スティーブンは僕を見る。そういえば先ほどから何か言いづらそうにしていたが、それはさっきの望まれない新兵の増加のことではなかったのだろうか。
「ここで話すことでもあるまい。どこかの部屋で」
「こちらに。ちょうど空いている会議室がございますので」
スティーブンに視線を向けられたマリーヤが背後を指し示す。実際に指し示しているのはその向こうにある階段を上った部屋だろうが。
そしてスティーブンと同じくマリーヤも、いや、マリーヤだけではなくグーゼルまで少しだけ表情に影を見せる。共通する嫌なことがあった。それも、新しい話題で。
マリーヤの案内に従いスティーブンたちとともに歩き出す。
グーゼルが最後の指示を騎士たちに出すのを尻目に、僕らは階段を上り始める。
なんとなく、まだ靴を履く気にはなれなかった。
水煉瓦を抜けてきた青い太陽光に包まれた会議室。
大きな机もあるが、その手前にあった小さな談話スペースのような場所で僕らは膝をつき合わせる。
焦げ茶色のソファーが必要以上に冷たく感じる。
やがて、遅れて入ってきたグーゼルも席にどかりと座り、マリーヤの言葉を待った。
マリーヤが、スティーブンに尋ねる。
「……どこまで伝えたんですか?」
「まだ何も」
スティーブンの答えに、マリーヤが溜め息を吐く。彼に対する文句のようなものではなく、覚悟を決めたという表情で。
それから、やや俯いたマリーヤが僕を上目遣いに見る。長い睫毛が忙しなく動いていた。
もう一度息を吸い、それからようやく僕に対する言葉を口にする。
「プロンデ・シーゲンターラー殿が、身罷られました」
マリーヤの言葉に僕は目を見開く。その言葉の意味を捉えきれず、次の言葉を待った。
しかしなかなか次の言葉は吐かれず、新たな情報を求めて僕の口が質問を述べた。
「それは、あの戦場で、でしょうか」
言いながら内心否定する。そんなわけがない。
仮にも水天流免許皆伝の聖騎士だ。あの程度の魔物ならば後れをとることはないだろうし、その上僕が波に飲まれた時点で、既に大きな魔物は掃討済みだったはずだ。
ならば波に飲まれた? それもない。今回あそこに来ていた人間は、僕とアブラムだけだったとエインセルたちははっきり言っていた。
……残る可能性、それは……。
「いいえ、この城で、です」
「何故……」
この城で死ぬなど、どうして。そうは思ったが、もうほとんどそれだけで理由は絞り込まれている。その理由の理由はわからないが。
「……もはやその顔じゃ。気付いておるじゃろう」
スティーブンも僕にそう告げる。まだ言葉にしていないにもかかわらず、それを肯定された。しかし、ならば本当に何故、そして誰が。
「プロンデ殿は、殺された。王城に侵入してきた何者かによって」
スティーブンがはっきりとそう口にする。僕の脳内で絞り込まれていた理由と、全く同じ言葉を。
「何者か、って……。そうだ、ウェイト殿は」
一緒に行動していたウェイトはどこへ消えた。
「ウェイト殿は休暇を終え、ミールマンへと戻っていった。そしてその『何者か』じゃが……」
スティーブンは言いづらそうに唇を結び力を入れる。それから一度首を振って、頷いた。
「レイトン殿の話では、プリシラ殿、らしい……」
「……まさか……」
僕は絶句する。
何故、本当に何故だろうか。あの優しげな笑みと本性が剥離しているのは知っている。レイトンとの仲が悪いことも。しかし、あの僕やスティーブンに向けた優しげな笑みも本物だと思っていたのに。
「激高したウェイトってやつがずっと『レイトンがまた殺した』とかなんとか叫んでたけど、実際にはわかんねえ。あたしが見たときにはちょうど死体を挟んでウェイトとレイトンって野郎が向かい合ってたところだったし。でもその横に、誰かが使ったばっかみたいな脱出口があったのも事実だし」
グーゼルがひらひらと手を振る。
「抑えるのに苦労したよ、あの野郎、その場で切り合い始めるところだったんだぜ」
……その『あの野郎』がどちらかというのは容易に察しがつく。その彼の気持ちもわからないでもないけれど。だがきっと、レイトンも釈明はしたはずだ。
「……レイトンさんの言い分は……」
「ジジイが言った通りだな。王城に侵入したプリシラって女が、プロンデを殺して緊急脱出口を使って逃げた。あたしも、ジジイの話を聞くまでその女が本当にいるとも思ってなかったけど」
「プリシラさん自体は実在しますから……」
「ああ。だからあたしはどっちかっていうとその女が犯人説を支持してる」
僕は頷く。確かに彼女ならプロンデを殺すだけの腕もあるだろう。なにせ、殺しにかかったレイトンが殺せなかった相手なのだから。
「でも、あのプリシラさんが……」
だがそちらはまだ信じられない。レイトンかプリシラか、プロンデを殺すとするならば印象的にはレイトンだろう。しかしそれでも、レイトンも積極的には官憲を殺すことはないと思う。わずかな交流ではあったが、プロンデに殺される理由があったとも思えない。
「その辺はあたしにはわかんねえ。灰寄雲も降ってたから足跡も消えちまったのか確認出来なかったし」
「まあ、物証は残しませんよね」
姉弟の能力が完全に類似するものだとは言い切れないが、それでも類似する傾向にはある。本当にあのレイトンの姉だとしたら、そうなっていてもおかしくはない。厄介なことに。
「死体を検分はしたが、凄まじいものじゃったわ。切り口以外寸分の損傷もなく切り取られた断面に、防御創すらなかった。知らぬ間に切られたんじゃなかろうかと言うほどの鋭利な切り口でのう……。まるで、音に聞く葉雨流の者のような……」
「プリシラさんも、レイトンさんも、葉雨流の使い手ですよ」
「なっ……」
スティーブンが驚き、声なく口を開閉させる。
だが、まるでも何もない。彼ら自身が言っていたのだからきっとそうなのだろう。
「三十年以上前に失伝したと聞いていたが……生きていたのか……」
「真偽は知りませんが、プリシラさんはそう言っていましたね」
そして、その技能を知られることをレイトンは嫌っていた。思えばミーティア人の姉妹を殺したときも、そんなようなことを言っていた気がする。
たしかに、思い返してみれば彼女らの使っていた技法はプリシラたちが使っていたものと同様のものだ。もっとも、僕でも簡単に対応できたほど程度は低いものだったが。
……技術の流出を恐れている? いや、あれはただ単にプリシラに関わっていたからだという気がする。
「しかし、そんなに有名な流派なんですか?」
僕は尋ねる。スティーブンが『音に聞く』というくらいだ。今は失伝していようが、当時は隆盛を誇っていたとかあるのだろうか。
だが、スティーブンは首を傾げた。
「……有名、というのとはちと違うのう。無数にある武術門派の一つに過ぎんよ。じゃが、その特異な暗殺術は恐れられておった」
「特異……というのは」
「標的に知られずに忍び寄り、気付かれんように殺すんじゃ」
スティーブンの言葉に今度は僕が首を傾げる。そんなもの当たり前、とは言わないが珍しくもないとは思うが。
しかし彼らの隠行を思い起こせば、それは確かに特異的とすら言えるかもしれない。目の前にいるのに、わからなくなるのだから。
他にも心当たりはある。遅効性の攻撃。やはりあれは、その流派の特色だったか。
スティーブンは僕の内心を読み取ったのか、重ねて解説を加える。
「本当に気付かれないんじゃよ。殺されている標的すら、その者が立ち去るまで自分が死んでいることに気がつかず歩き回るんじゃ」
「……恐ろしいですね」
『気付かれない』という言葉。それに『本人にも』と加わるだけで大分印象が変わるものだ。
脳裏に歩く死体が思い浮かぶ。
いや、ただ死んでいるだけだからそんなに凄惨でもないだろうが、まるでゾンビ映画のような……。
「じゃから、恐れられとった。日常のふとした瞬間に首が外れ、戸惑いながら自分の体を見つめて死ぬ。それ以上に恐ろしいことはそうそうなかろうて」
「たしかに、そうかもしれません」
僕らの首は繋がっているのが当たり前だ。それが彼らに狙われたが最後、それが本当に繋がっているのか疑い続けなければならないなんて。
「しかしそうか、プリシラ殿たちがのう……。なら、あの切り口も納得できるわい」
「では、犯人は葉雨流の誰かということで確定でしょうか」
「まあそうなるのう。レイトン殿の疑いは晴れなかったな」
わずかに寂しそうにスティーブンは笑う。
そうだ。これでは彼ら二人のうちどちらかが、としかならない。僕はどちら寄りだろうか。……信頼がある分、どちらかといえばプリシラ犯人説を支持するかもしれない。
「ですが、問題はその犯人が誰かというものではないのです」
マリーヤがそう話題を継ぐ。息の吐き方に疲れが見えた。
「……彼らの身分、でしょうか」
ではこれ以上解説させるのも気の毒だ。そう思い、咄嗟に考えた理由を口に出す。そしてそれは当たっていたらしく、マリーヤはゆっくりと頷いた。
「そうです。彼らはエッセンの聖騎士。王直属の部隊の一員である彼らが、この城内で何者かに殺された。そんなことになってしまえば、即日この小さな国にエッセンの兵たちが押し寄せてくることになってもおかしくはありません」
「そうでしょうけれど……」
たしかに、一兵士が外国の、しかも王城で殺害された。外交問題に発展してもおかしくはない事態だ。
「幸いにもお二方は、名目上はイラインで休暇を取るということでこの国を訪れていたそうです。この国を訪れた目的に関しましては……」
「僕ですね。申し訳ないです」
「カラス殿が止められるわけもなく、お気になさらないで下さい。ですが、それをご存じの方がもしいればまた大問題の種となります。カラス殿が疑われることになりますから……」
マリーヤはそこで言葉を濁す。だが、それも仕方がないだろう。
仮に『容疑者を追って国外までいってくる』と真の目的を誰かに話していたとして、そして死ねばまず疑われるのはその容疑者だ。
しかし。
「マリーヤ殿にとってはそのほうが好都合では? 殺害した犯人がリドニックの人間ではないとすれば、解決する問題ですよね」
「……その通りです。もちろん今となっては最後の手段ではありますが……」
その場合は、僕が波に飲まれて死んでいたほうがよかったのだろう。死人に口なし。死んだ僕に全ての罪を被せてしまえばいいのだから。
「ですが、それはやはり最後の手段です」
マリーヤがちらりとグーゼルを見る。グーゼルが鼻を鳴らしてマリーヤを見ているということは、多分彼女が反対したのだろう。ありがたいことだが、ちょっと複雑だ。
「『責任はとる』ということで、レイトン殿が現在プロンデ殿の死体をイラインまで運搬中です。その後、きちんとイラインで『行方不明の末、事故死』していただくという手筈にはなってます」
「……それでどうにかなるでしょうか」
「ウェイト殿とプロンデ殿が誰にも目的を明かしておらず、そして彼らがこの国にいたという証拠を消し去る私たちの隠蔽が上手くいき、イラインの例の店が力を発揮するという条件の下であれば……」
全ての条件が揃って初めて上手くいく方策。だがきっと、後半二つは問題ないだろう。問題は、一つ目だ。
「ウェイト殿が、黙っていることなど出来るでしょうか」
「……少々お話ししただけでございますが、話がわからない方ではないという印象を受けました。ですが、自分の中にある規則を頑なに守り続けるかたでもあるようで……」
マリーヤもそこは悩むらしい。まあ、当然だろう。僕は、黙っていられないほうに賭けてしまうが。
「面倒くせえ。そのプリシラって女が犯人だって公表しちまえばいいのに」
背もたれに背中を預け、グーゼルが仰け反るように天を仰ぐ。
「プリシラが確保できていればそれが一番でしたが、ね」
「また面目とかの問題だろ? 意地張らねえで正直にやればいいじゃねえか」
「そういうわけにもいかないと何度も申し上げたでしょう。『たった一人の暴漢が、やすやすと王城に侵入して人一人殺害して逃げおおせた』などと、明かすわけにはいかないのです」
「…………」
マリーヤの指摘に、グーゼルも責任を感じているのか、ばつの悪そうな顔をして黙り込んだ。
「既にスティーブン殿協力のもと作成した人相書きが、各地の衛兵に配布されています。殺人容疑などということは明かされていませんが、仮に彼女がどこかに現れればすぐにこちらに情報が集まるようにはなっております」
「……多分、目の前で見てもそうだとは気付きませんよ」
僕は水を差すような言葉を吐く。だが、本音だ。
「どういうことでしょうか?」
「あの人は目の前にいてもその人だとは気がつかない。もっと言えば、視界の中に入っていても、そこにいるとは気がつかないんです。魔法とかそういうものではなく、多分技術として」
「……そんなものがありえるんでしょうか」
「ええ。何度も実体験しています」
僕は思い返し、そして頷く。
レイトンが、《運命の輪》の破り方を明かしたときのコインの移動。あれに全ての技術の一端が詰まっていたのだ。
「スティーブン殿には理解できるでしょう。違う場所に注目を誘う動作、と言えばわかりやすいでしょうか。技術体系として、そういう歩法がどうやら存在するようです」
「……おう、なるほどな」
スティーブンは頷く。武術の要素が小さいグーゼルにはわかりづらいかもしれないが、きっとスティーブンにはわかるだろう。
「それに、動作だけではないんです。鼻に塗料を塗っただけで、人間はその顔を覚えづらくなる。女性だってそうでしょう? 口紅の色を変えただけで、印象ががらりと変わるんですから」
「そこまで指摘できる殿方も少ないのですけれど、ね……」
要は彼らの動作はフェイントとミスディレクションの塊なのだ。二人の攻防時にも、プリシラの動作はまさにそれだった。人は相手の直前の動作を見て、次の動作の予測を無意識にする。それを惑わすために、無駄な動きが多いように見えていた。
もちろん、相手……レイトンにはそれは無駄な動きにも妙な動きにも見えないのだろう。傍から見ていた僕だからこそ、その動きに違和感を持てたのだろう。
女性の化粧もきっと同じだ。髪の毛のボリュームを出し、顔を小さく見せる。睫毛を強調し、目を大きく見せる。頬紅を入れて、感情を装う。
慣れた者ならば、化粧だけで別人になりきることも可能だろう。
そういうことを含んだ言葉に納得したようで、マリーヤは顔を背けて笑った。
「……どういうこった?」
ただ、やはり化粧っ気のないグーゼルだけはわからなかったようで、眉を顰めて首を傾げる。それを見て、マリーヤはまた笑った。
「グーゼル様も、少しは見栄えを整えた方がよろしいという話です」
「あたしも髪の手入れくらいはしてるし」
「それで、ですか……」
艶がないわけではないが、荒々しく乱れて広がる長髪を見てマリーヤは溜め息を吐く。
「……いつか時間が出来たら、お教えしますよ。紅を入れるくらいでも、グーゼル様でしたらきっと美しくなるでしょう」
「あたしはもうかわいいし、そういうのめんどくさいしー」
マリーヤの申し出に、ぷい、とグーゼルは顔を背けた。
「とまあ、話が逸れてしまいましたが……」
マリーヤが仕切り直すように咳払いをし、そう切り出す。
「プロンデ殿が亡くなったこと、たしかにご報告いたしました。城内でも知っている者はごくわずかですが、カラス殿にはお伝えした方がよろしいかと思いまして」
「僕は彼女を見つけたら、この国まで引っ立ててくればいいでしょうか?」
簡単に引っ立てられるとも、そもそも見つけられる気すらしないのだけれど。
だが僕の協力を申し出た言葉、それにはマリーヤは首を横に振った。
「いいえ。カラス殿はここから先はお気になさらず。部外者ではございませんが、ここから先は私どもにお任せ下さい」
突き放すようなマリーヤの言葉。しかし、その表情は柔らかい。
「……何故です?」
「カラス殿は、命を投げ出してまでこの国を滅亡から救って下さいました。もうそれだけで充分でございます。プロンデ殿の死とそれに付随する諸問題の解決は、この国を維持する私たちの仕事です」
「もうあとはあたしらに任せろってこった。これはこの国の、それも城にいるあたしたちが解決に当たる問題だし」
「そうです。私たちの国の問題です……一部石ころ屋に頼ってしまっておりますけれどね」
後半はボソリと口にする。たしかにそこは恥ずべきかもしれないが、今回は仕方がないだろうに。
「でも、そうでございますね。お見かけしたら近くの衛兵にお伝え下さい。『手配されている女性を見かけた』と」
「僕の言葉は信用されませんけどね」
冗談めかして、僕はそう口にする。今度はきちんと根気よく、言葉を尽くして伝えようと、そうは思っているけれど。
でもきっとそうだろう。いくら僕が変わっても、周囲はきっと変わらない。
だが、察したようでマリーヤはふと笑った。
「今後この国は大きく変わるでしょう。王制は撤廃され、民主制に変わるのはもはや抗えない流れです。ですが、民主制というのは国民に身分や扱いの差が無いという理念の元に運用されなければいけないと私は思っています」
僕は頷く。
そうヴォロディアも口にしていたし、実際もはや貴族は廃止されているのだ。身分も、全てなくなるのだろう。
「ですからご安心下さい。もちろんすぐには変わりませんけれど、この国は、きっと貴方の言葉を信じます」
そこまで言い切り、マリーヤはまた首を振る。そして、毅然とした目で言い放つ。
「いいえ、私たちは施政者の一員として、貴方の言葉を一蹴などさせません。貴方も、この国では一人の人間なんですから」
僕はその言葉に、真顔になってしまう。
「だから嘘吐いたら承知しねえし」
それからグーゼルの軽口にも反応出来ずに、僕は声を出さずに笑った。




