閑話:グスタフの始末
SIDE:レイトン・ドルグワント
「ぼくを呼ぶなんて、珍しいじゃないか」
その日、石ころ屋に呼ばれた探索者の青年は、そうグスタフにぼやいた。
「こっちにも事情があんだよ。それで」
「ああ、事情は大体わかっているつもりだよ。それで、その少年を狙っている奴らをどうしたいのさ」
青年は不敵な笑みを崩さず、グスタフの言葉を遮った。
それがいつものことであるので、グスタフはそのまま言葉を続ける。
「片付けるだけで良い。で、そいつらの一部を、バールに届けてもらえるか」
「はいはい。そのぐらいは割り増し無しでやってあげるよ」
グスタフは黙って、金貨をカウンターに積み上げる。それを見て、その青年――レイトン――は、片眉を上げた。
「へえ、金貨五枚! 張り込むねえ。その少年がそんなに大事かい?」
「大事って訳じゃねえよ」
照れ隠しのように、グスタフは顔を逸らす。その反応も、レイトンがからかう要因となるのだが。
「それだけの価値があるってだけだ。あいつ……カラスにはな」
「ま、そっちに踏み入る気はないよ。金額も充分だしね。しっかりやるさ」
金貨を手の中で軽く振り、軽く感触を確かめた後、レイトンは金貨を下衣のポケットにねじ込んだ。
「それにしても、彼……カラス君なら、自分でも片付けられる問題じゃないのかい?」
「あいつを知ってんのか?」
意外そうにグスタフは問いかけた後、トーンを落として一人で納得したように呟いた。
「ああ、どっかで見てやがったのか」
「直接見たわけじゃないよ。カラス君の、戦った跡を見ただけさ」
「バールが詰め所から血相変えて走って行ったからね。詰め所の中を覗いてみたんだ。いやあ、壮観だったね」
「悪趣味なこった」
グスタフは苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てた。
「じゃあ、今から取りかかるよ。きっとすぐに終わるさ」
「そうしてくれると助かる」
ヒラヒラと手を振りながら出て行くレイトンを、グスタフは冷たい目で見送った。
昼の街を、レイトンは歩く。
一応武器は帯びているものの、線の細いその体は遊び人といった言葉がよく似合い、とても戦える者だとは思えなかった。
スラムから出て、すぐに路地裏に入る。
そして、壁を蹴り、屋根の上に登っていった。
「さあて、どこにいるかなぁ」
まるで散歩でもしているかのように、暢気な声でレイトンは呟く。
街からすれば空の上、鳥しかいない屋根の上では、その言葉を聞いている者もいない。
鼻歌を歌いながら、屋根から屋根へ飛び移る。
その動きは軽やかで、誰か見ていれば踊っているかのようにも見えただろう。
トントンと、軽い音をさせながら、路地の下を見て歩く。
探しているのは、石ころ屋を見張る影だ。
カラスやニクスキーを狙うために放たれた刺客は、全部で三人。それはもう知っていた。
しかし、その刺客達が今どこにいるのか。それは知らなかった。
グスタフなら知っていたかもしれない。あの老人であれば、そこまで調べていてもおかしくはない。
だが、そういった情報をレイトンは尋ねない。
すぐに見つかるとも思っているし、そもそもそんなもの、自分には必要ないと思っていた。
事前情報の取得は最小限に。それが、彼が仕事をする上での自分に課したルールだった。
「一人見っけ」
一人の影が、石ころ屋を見張っている。
何かを売っているような露店を開いてはいるが、明らかに売る気はなかった。
商品を並べてはいる。看板を出してはいる。しかし、呼び込みも無く商品の質も見るからに悪い。
その店は、そこから微かに石ころ屋の出入りが確認出来るような位置に設けられていた。
半端な偽装をした上で、石ころ屋を見張っているのだ。
ニクスキーやカラスが出入りすれば、きっと仲間に情報が行くに違いない。
他の二人はどうしているのだろうか。
屋根の上で、レイトンは思案する。
街中を、ニクスキー達を探して練り歩いている。その可能性もあるが、通りそうな所を見張っている可能性もある。どこかで待機しているのかもしれない。
情報が足りない。
とりあえず露店の男の顔を覚え、レイトンは駆け出す。
まだまだ情報を得るために。彼を殺すのは、その後だ。
暗い廃屋の中、二人の男が言葉を交わし合う。
二人とも、名の知れた暗殺者である。
細身でタイトな衣服を身につけた黒衣の男。双鈎を使い、数多の人間の心臓を抉り出してきた。
その武術に名は無いが、ただ彼の異名〈無心〉から、無心鈎術と呼ばれていた。
もう一人の男が愚痴る。
「ケッ! たくよお! ガキと男一人ずつなんぞ、俺だけで何とかなるっつうの!」
「ラニング殿、お静かに。待機が辛いのはわかるが、目立ってはまずい」
ラニングと呼ばれたもう一人の男は、魔術師だった。
身体の強化や索敵などの基礎的な魔術は備えており、なおかつ雷の魔法で敵の集団を焼き尽くす力を持つ。轟音の後には瓦礫しか残さない。〈雷轟〉と呼ばれるその男は、短気なことで有名だった。
「アビスさんもよぉ、こーんな狭いとこで待ってんの退屈だろ? 探しに行ってきて下さいよぉ」
「そうはいかん。話では、双方とも手練れだと聞いている。二人で確実に仕留めねばなるまい」
アビスに窘められ、ラニングは苛立たしげに地面を蹴る。
ここ何日かの見張りで、目立った成果も無い。先の見えない苛立ちに、二人の間も亀裂が入り始めていた。
暗殺者とは言うが、二人とも正式には探索者である。
ただ、二人の強さは折り紙付きで、いつしか人間を狙う仕事を中心に受け始めた。それだけだった。
見張りをしている男、フォータも探索者である。
ただ、二人に比べると強さではなく、スカウトとしての実力で選ばれた。
戦闘はそこそこ出来るが、二人には及ばない。
だが、戦闘以外では二人は見張りをしているフォータに及ばなかった。
「お、来た」
フォータからの定時連絡が入る。
鳩にくくりつけられた手紙を開き、ラニングがしかめっ面をする。
「どうした」
「また何もねえって、よ」
丸め、その手紙をアビスに投げ渡す。
手紙を受け取ったアビスはそれをまた開き、無言で蝋燭にかざし、燃やした。
「あーあ! あとどんくらいかかんのかねぇ!」
「待つしかあるまい。フォータが、いずれ尻尾を掴む」
「早いところ、そうしてほしいもんだ」
それは、アビスも同意見だった。
また数刻後、定時連絡が来る。
それは、彼らへのあの世への招待状に等しかったが。
「来た来た。どうせまた……」
いつものように伝書鳩の手紙を開いたラニングは、言葉を止める。
「アビスさん! 来たってよ!」
「そうか」
一言だけ返したアビスも、実際には喜んでいる。
これでもうすぐ、悪態ばかりついているラニングとの共同任務が終わるのだ。
「石ころ屋に入ったニクスキーらしい男、逃げられては敵わん。すぐに行くぞ」
「ケケッ、丸焼きにしてやる」
そう、二人で廃屋から踏み出す。しかし、すぐに足を止めた。
前を見れば、一人の男が立ち塞がっていた。
「誰だ? てめえ」
「ククク。キミ達が探していた男の、代理、って感じかな」
「頭おかしいのか。どけよ」
意に介さず、通り抜けようとしたラニングを、アビスは止める。
「待て。こいつは……」
「はぁ? アビスさんまで何言ってんだよ。早く行かねえと」
「行っても、誰もいないよ?」
微笑みを絶やさずに、レイトンは男達を見据える。
「さっきの情報、誤報だからね」
「やはり……!」
アビスは二本の鈎を抜き放つ。その鈎は二本とも、レイトンをしっかりと捉えて構えられていた。
「そっちの……双鈎使い……アビスって事は、〈無心〉のアビスか。大物だね」
「貴様……〈血煙〉か」
「よく知ってるねぇ。知っているなら、抵抗しないで死んでくれるとありがたい。ぼくも、無駄な労働は嫌いなんだよね」
そう言いながら、レイトンは刀の柄に手を掛けた。
「ってことは、敵か? なら、燃やしても問題はねえよなあ!」
会話を打ち切り、ラニングは後ろへ跳ぶ。そして、詠唱を開始した。
「雲を裂き 走る雷よ我が手に宿れ 我が敵を焼き尽くせ《炎雷》!」
「力の差がわからないものは、哀れだね」
レイトンは横に跳ぶ。それだけで雷は、レイトンの横を抜けて遙か後方に着弾した。
着地したレイトンに、アビスの鈎が襲いかかる。
一振り目の横薙ぎで構えた武器を弾き飛ばし、二振り目で心臓を貫く。それがいつものパターンだった。
「単純だね」
しかし、その一撃目の鈎が切り払われる。中程で両断され、鈎の穂先が地に落ちた。
「っ!?」
アビスは息を飲む。
闘気が込められた得物だった。
当然強化されており、岩すら貫く威力と自負している。
それが、簡単に断たれたのだ。
見ても、この男の体に闘気の欠片も見えない。ただの自然体で、レイトンは闘気の籠もった鈎を壊したのだ。
「何やってんだよぉ!」
後方でラニングが叫ぶ。
自分の魔術が避けられたのも忘れ、アビスを責めているのだ。
しかし、そんなことを意に介している場合ではない。
「貴様……どうやって……?」
レイトンの名は知っていた。血煙という異名も。
けれど、レイトンがどうやって戦うかなど、アビスは知らなかった。
ラニングも同様だ。
そしてラニングから見ても、闘気は見えない。
ただのひょろっとした青年に、アビスの鈎術が防がれたのだ。怒りの矛先は、当然アビスに向かう。
「ああ、もう、面倒くせえ! アビスさん、避けろよ!」
そう叫び、またまた詠唱を開始する。
すぐに、今度は扇状に広がるように、幾条もの雷が飛ぶ。どれも、当たれば死ぬ、そういう威力だった。
巻き込まれないように後方に注意をしつつ、レイトンからは目を離さない。
それは、これまでの経験と、積み上げてきた技量のなせる業だった。
「味方を巻き込むのならば、敵を葬り去れる威力にしないとね」
そう、ひょうひょうと言うレイトンは、微動だにしない。
何とか雷の範囲から逃れたアビスは、それをしっかりと見ていた。
アビスは驚愕する。
アビスの驚愕は、今まで見たどの光景よりも勝っていた。
レイトンに、雷が直撃していたのだ。
本来ならば、喜ぶべき時だろう。
ラニングの雷の威力は、自らも認めている。これで、本来ならば戦闘は終わりだ。
しかし、レイトンは微動だにしていない。
魔術が、効いていないのだ。
「ちっ! 何しやがった!」
苛立ち、ラニングは叫ぶ。しかし、それにはもうレイトンは答えなかった。
「とりあえず、キミはこれで終わり」
空に跳んだアビスを無視して、ラニングに近寄る。
アビスには、一瞬で移動したようにも見えた。
そしてレイトンが刀を一振りすると、ラニングの体は輪切りになって崩れた。
ラニングの、断末魔の叫びは無かった。
アビスは着地して、片方がただの棒となった双鈎を構え直す。
今の所行を見てなお、自信は崩れていなかった。
レイトンは、闘気を使っていないのだ。どうやって自分の得物を切り落としたのかは謎だが、それでも闘気の無い脆弱な体だ。
自分の鈎が、一つ当たれば致命的な損傷を与えられる。
自分の力量ならば、出来るはずだ。今までの修行を思い出せ。
幾人の武芸者を殺してきた。幾体の魔物を貫いてきた。
人生をかけて培ってきたこの技術は、この男にも対抗出来るはずだ。
そう信じて、双鈎を構える。
「キミの方は会話が出来そうだから言うけど、この仕事から手を引いてくれないかな。ぼくの成果としては、さっきの見張りとそっちの魔術師の彼だけで充分なんだよね」
「ここまでされて、手を引けと言うか」
「手間賃ぐらいは出せるよ?」
「ふざけるな!」
怒りで、体を覆う闘気が増す。もう細く立ち上る光などではなく、体を覆う白い炎のように見えた。
「いくら〈血煙〉だろうが、そんな提案」
「決裂かー」
怒りの言葉を遮り、レイトンは溜め息を吐く。
「その脆弱な肉体に、我が一撃当てれば勝負はつくのだ。お前こそ、逃げても良いのだぞ」
「出来ない相談だね」
構えもせず、レイトンは話し始める。
「キミに脆弱って言われたぼくの肉体だけどね、別に闘気は出せるんだよ?」
「ならば、早く纏え! 無抵抗で殺されるのはお前も無念だろう」
レイトンは噴き出す。それを見て、アビスの怒りも満ちていく。
「ああ、ぼくの体は特異体質らしくてね。闘気を一瞬しか出せないんだ。だから、ああいった芸が必要なんだよね」
ちらりと先程バラバラにしたラニングの死体を見ながら言葉を紡ぐ。その死体は、とても一太刀で作られた物だとは到底思えないほど細かくなっていた。
「種明かしとは、命乞いのつもりか?」
「どこをどう聞いたらそうなるのさ」
レイトンは、片手で刀を構え直す。いつの間にか、真顔になっていた。
「今から死ぬ相手だから、バラしても構わないのさ」
「貴様!」
アビスは飛びかかる。その速度は風のように速く、鈎は風を纏っていた。
「武器を落として体勢を崩してからの一撃。たしかに、単純に強いよね」
しかし、レイトンは冷静に対処する。
アビスの武器を地面に落とす。その、両手首ごと。
「さよなら」
そう軽く言うと、痛みにひるんだアビスに刀を振う。
刀を一回振り切ると、アビスの体も解体されていた。
血溜まりが広がる。それを見ても、レイトンは微笑みを崩さない。
「さて、あとはやることやらないとね」
そう涼しげにレイトンは呟く。
その姿を見て、今人を殺したなど思う者はいないだろう。
次の日、衛兵達の詰め所に一つの包みが届いた。
「バールさん、お届け物です」
「お、おお」
隠蔽工作に走り回り、疲れ切ったバールは部下の衛兵に適当な返事を返す。
襲撃事件から日も経ち、衛兵達の傷は癒えた。見かけ上、衛兵達の詰め所は正常に動いている。
いつも通りに街中に駐屯し、陳情があればそこへ急行、トラブルを解決する。
そういう機能は回復していた。
目下の問題。目撃者への口止めと、代わりとなる風説の流布も終わった。
しかしそのための挨拶回りには疲れたし、使われた金貨の量は馬鹿にはならない。
ハマンの陳情から行われた検挙だが、こんなことがまたあっては困る。
ハマンとの付き合い方も、今後は考えなくてはなるまい。
そう、バールは思っていた。
厄介な案件もほとんど終わり、あとは当事者達の始末を待つだけだ。
今回雇った三人はどれも腕利きで、あの悪魔のような子供も簡単に始末してくれるだろう。
そう、甘く考えていた。
その悪魔……カラスが、グスタフの庇護を受けていることなど頭の何処かに捨て去って。
届けられた包みを開く。
またきっと、何処かからの賄賂だろう。
懇意にしていれば、犯罪は見逃される。そう思い、バールに近づく有力者は多いのだ。
やけに重たい。
酒だろうか。いや、液体のような感じはしない。ならば、何か果物だろうか。いいや、たまに金がそのまま入っていることもある。
僅かな楽しみに、バールは包みの中の箱を見る。その上に、手紙が入っていた。
その紙にはただ一言、「お返しします」と書いてある。
バールは首を捻る。妙な文面だ。これは、賄賂ではない。
中身を確かめようと、箱を開く。
「ひぃ……!」
バールは驚き、椅子から落ちた。その弾みで、箱も床に落ちる。
ドチャリと音が響いた。
中には右手首が三つ、入っていた。




