僕が決めていた
「しかし、そんだけ凄い魔力があんなら、やっぱり法術なんか必要ねえんじゃねえか?」
「そうでもないんですよ」
「ん? リコの三日熱を治したのはお前だろ?」
確かにそうだが、だからこそ問題点が浮き彫りになったのだ。
「そうなんですが……やっぱり、病気を治すのは難しいんですよ」
そう声のトーンを落として答えると、グスタフさんは意外そうに眉を顰める。そして、指でトントンと机を叩きながら首をかしげた。
「怪我を治すのと、何が違えんだ?」
「え? そりゃあ、…………あれ?」
違うところといったら、色々とあるはすだ。
怪我を治すためには擬似的な皮膚を作って再生を促すのが主だが、その他にも、血流を操作したり、傷口を綺麗に掃除したり、色々とやっている。
病気を治すのとは方法が違うのだ。
「ええっと……、いや、そうです、病原菌を退治する物を作ったとき、魔力が段違いに使われました」
怪我ならば、それこそ足を貫通するような大怪我でも治療できるのだ。使われる魔力も多いが、気絶するほどではない。
「病原菌? って何だ?」
「んーと、病気の原因になる小さい生き物です。リコと僕の場合は、血管と肝臓内にいました」
そうか。微生物という概念が、この世界には無い。パスツールは、この世界にはいないのだ。
「そうか。それを、お前は見つけられるんだな」
「ええ、魔法を使って、ですが」
そんなものいない、と否定しないのはありがたい。信じているのか信じていないのか、それはわからないが。
「その『生き物を退治する物』を作ったときに、大量に魔力を消費した、と」
無表情のグスタフさんは、何を考えているのか本当にわからない。最近はそれなりに表情を見せてくれるが、それがなければ感情すら読めない。
「で、怪我はどうやって治すんだ?」
質問の意図がわからないが、僕は付き合うしかない。
「怪我は……、破けた皮膚や筋肉を擬似的に作り、千切れた細胞をくっつけます。その前に、傷口の清掃や止血などもありますが」
「皮膚や筋肉を作り……か」
「はい」
そして、グスタフさんは悩む。
水を噴き出していたグスタフさんではなく、元の老獪なグスタフさんがそこにいた。
口を静かに開く。
悩んでいたのはきっと、内容にではなく、言うか言うまいか悩んでいたのだろう。
「魔法に関しては、俺は素人だ。お前よか知識も少ないかもな」
「……はい」
否定も肯定も出来ないが、とりあえず相づちを打つ。グスタフさんが魔法に疎いとは思えない。だが、実際に使わなければ知れないこともあるだろう。
「その上で、俺の考えを言ってもいいか?」
「もちろんです」
聞かないなんて理由は無い。集積された老人の知恵は、侮れるものではないのだ。
「まず、やっぱり俺には怪我の治療と病気の治療の違いはわかんねえ」
また大前提を崩すようなことを言う……。しかし、これには僕も言い返せる。
「やってることは大分違うと説明はしたはずですが」
「その上で、だよ。聞いても俺には違いが見えねえんだ。作ってるものはそりゃあ違うな。だが、やってることは同じじゃねえのか」
「皮膚を作るのと、殺菌フィルターを作ることが一緒……ですか」
見るのとやるのとは違うというあれだろうか。簡単にやっているように見えて、実際には違うという……。だが、言葉の端々は、そうではないと伝えている。
「その殺菌?なんちゃらってのを作るのが、皮膚を作ることよりも大分難しかった。そういうことだろう?」
「はい、魔力が大量に必要でした」
「それは、何でだ?」
「きっと……その殺菌フィルターが、実際には存在しないものだから……」
「そう、それだよ。一番わからねえのは」
顔を上げ、グスタフさんは口を歪める。笑っているようにも見えた。
「? どういうことでしょうか」
「作るのが難しかった。それは、実際に存在しないものだから。じゃあ、その擬似的な皮膚ってのは実際に存在してるのか?」
「……ええ、僕の知識のなかには」
前世の知識ではあるが、人工皮膚自体はあったはずだ。その組成まではよく知らないので、何となくで作ってはいるが。
「俺の知識の中には無え。この貧民街で、一番耳が早いという自負はある。その俺が知らねえんだ。この街でも、知ってるやつがいるかどうか怪しい」
「でも、確かに」
「別に疑ってる訳じゃねえ。お前の頭ん中にはあるんだろうし、俺が知らねえだけかもしれねえ。でもそれは、その病気を治すために作ったものも同じなんだ」
人工皮膚と、殺菌フィルターが同じ……?
「つまり」
「俺の中では、怪我の治療も病気の治療も、現実には存在してねえもので実行されてんだよ」
なるほど、言いたいことが読めてきた気がする。
うんうんと、何かを納得するように頷いた後、グスタフさんはまっすぐ僕を見た。
「いくつか質問を追加する」
「はい」
「明るく冷たい火、触れる虹、子を生む石、これらをお前は作れるか?」
全て、フラウと一緒に聞いたことがある。英雄譚の中に出てくる魔女が使う魔法だ。しかし、僕には出来ない。
「……いいえ。部分的、あるいは擬似的には可能ですが……」
見た目だけなら再現出来るかも知れない。明るく冷たい、炎に見える何か。虹は屈折した光がそう見えるだけだ、光を肉体で触ることは出来ない。どれも、完璧に再現することは出来ないのだ。
石が生殖活動をするのに至っては、原理すら想像がつかない。
「じゃあ次だ。蝿に姿を変えられるか? 手の数を増やせるか? この小屋より大きくなれるか?」
「全て、いいえですね……」
これも、見た目だけなら再現出来るかも知れない。けれど、そういうことでは無いだろう。実際に肉体を変化させなければ、再現したことにはならない。
「これは全て、現実に魔法使いが起こしたことだ。俺の耳に入ってくる過程で少し変わってるかもしれないがな」
「英雄譚で聞いたことがあるものばかりですね」
そう言うと、グスタフさんは意外な顔をして目を丸くした。
「ほう、勇者の英雄譚を、読んだことがあったか」
「はい、昔いた開拓村で」
盗み読みだが。
「まあ、これは物語ではなく、実際にそういう話があるんだよ。魔法使いや魔術師達が、実際にそういう魔法や魔術を使っているんだ」
「そして、これらは現実には」
「ああ、存在しないものだ。少なくとも俺は、冷たい火も触れる虹も知らない」
グスタフさんは、商品の棚らしきところから水袋を取り出す。そしてその中に入っている水を口に含んだ。
いや、それは商品だろうに……。
「魔法ってのは、魔力から好きなものを作る力だろう?」
「はい。少なくとも僕は、そのつもりです」
「だったら」
そこで一瞬溜めて、吐き出すようにグスタフさんは言った。
「何で、現実に存在しないものは作れないんだ?」
「いや、それはきっと……」
そこで、僕の言葉も止まる。
そういえば、何故そう決めていたんだ?
現実には存在しないものは作り辛い。だから、魔力の消費量も多いと思っていた。
いや、よく考えてみれば、何も無いところに浮かぶ炎の玉や、物を簡単に切断出来る風など、そんなものすらおかしいのだ。あり得ないことと言ってもいい。
いつも使っている念力だって、そもそも魔力だって僕の常識の中には無かったものだ。少なくとも、僕が生まれるまで、そんなものは聞いたことも見たことも無かった。
浮かぶ火の玉なんてありえない。何も無いところから突然現れ、何も燃やすことなく生じ続ける炎など、そんなものはありえない。
その考えが浮かび、確かめるように火の玉を作ってみる。
すると、火の玉は現れるが、一瞬だけで消えてしまった。魔力も、いつもより多く使った気がする。
「おいおい」
グスタフさんが手を泳がせて止めているのが視界の端に入るが、今は実験中なのだ。止めないでほしい。
もう一度やってみる。
今度はちゃんと、火の玉が長く続くように、魔力を消費し続ける。
「……くっ…………」
やはり、魔力の消費量が段違いだ。殺菌フィルターと同じように、脳が冷たくなってゆく気がする。
危ない。
すぐに解除する。
魔力の供給を止めると、一瞬で何も無かったかのように火は消え去った。
「店内で火を使うなよ」
「……すいません」
謝罪の言葉も小さく消えていく。
「もう一度だけ、すぐに終わりますから」
そう懇願すると、グスタフさんは薄笑いを浮かべて頷いた。
許可は得た。
今までは、普通に使えていたのだ。
目を閉じて思い出す。初めて使った、野犬から身を守った橙色の火の玉。
そう、犬を追い払うのに、ずっと使っていたのだ。
ありえない? 今、使えなくなる方があり得ない。
心の中で、強く念じる。
火の玉は、使えて当たり前なのだ。
燃焼元も無い、火種も無い。だが、この火の玉はそんなもの無くても使えるのだ。
もう一度、火の玉を作り出す。
そこには、いつもと変わらない炎が浮かんでいた。
グスタフさんを振り返る。
笑みを浮かべ、白い歯を見せていた。
わかった。グスタフさんが言いたかったことが今わかった。
そして、それは多分正しいのだ。
僕が使えない魔法は、僕が決めていたんだ。




