鎧袖一触
26日深夜分です
人通りもなく、誰もいなくなった道に一人佇む。
僕はどうすればいいのだろう。
いや、それは明白だ。すぐにこの場を立ち去るべきだ。
この人通りのなさがレイトンの『人払いのお守り』とやらの効果ならば、もうすぐ回復するだろう。元の通り、多くはないが少なくもない人の流れが戻ってくる。
そのとき、この荒れた現場に残っているのはまずいだろう。
道を見る。
ある意味地味ではあるが、凄まじい攻防だった。
ただの剣の一振りで地面は捲り上がる。ただの突きで、軌跡の雪が抉れる。
そのせいで荒れきった地面は、その場にいる者の破壊工作が疑われてしまうほど。
うん。
すぐに立ち去ろう。
しかし、どこへ?
姿を消して逃げるのは簡単だ。ではこの場から離れるだけでいいのだろうか。
いいや。そうではないはずだ。
プリシラは最後に言い残していった。
この先の道を行き、先延ばしなら左へ、自分を変えたければ右へ。全てを投げ出したければ逆方向へ。
選ぶべきだろう。レイトンも、選ぶべきとは言っていた。すぐに時間切れが来るとも。
ならば、選ぶべきだ。僕がどうしたいのか、自分の心に諮り。
選ばない、という選択肢はない。
一応時間切れはあるのだ。レイトンが最後に口にした言葉はきっとそういう意味だろう。
そしてプリシラは言っていた。『今は悩むべき』だと。
ならば、悩み続けて時間切れを待つのが正解という恐れもある。その場合、何の正解かはわからないが。
しかし、それを選ぶわけにはいかない。
損得の問題でも、道理の問題でもない。
先ほど、僕は思ったはずだ。『自分が何をしたいのかわからない』と。
このまま何もしないことを選べば、そのままだ。
消極的な選択と、積極的な選択は違う。そして、魔法使い病を治せとも助言をされた。
プリシラの目的はわからない。会ったのも三度だけだが、初めに言っていたとおりただの挨拶で、案外何もないのかもしれない。
レイトンが敵意を剥き出しにしているというところは気になるが、それでも僕には今のところ人当たりのいい年上の女性だ。
そしてスティーブンも言っていたとおり、プリシラは『占い師』としては有能なのだろう。そちらは信頼できる。スティーブンは、長年人の指導をして、人を見てきたのだから。多分、あの賛辞は本音だ。
先ほどの戦いを見たからか。
僕も、プリシラの能力は信頼してもいいと思い始めている。
今ならば認めよう。多分、僕には婚約者がいた。多分、前世で。
そのプリシラが気遣いで言い残していった言葉だ。
信頼すべきだろう。
ならば、選択肢は決まっている。
先延ばしをすることも、投げ出すこともない。
友誼に従い、自分を変える。右の道一択だろう。
腹は決まった。
僕はまっすぐに歩き出す。プリシラの示した道へ。
荒れた石畳と雪を後ろに、傷一つない道を踏む。投げ出すのならばこのまま身を翻し反対に走ってもいい。しかし、そんな気は一切起こらなかった。
『お守り』のせいだろう。通りには不自然なほどに誰も姿を見せない。誰かが姿を見せたら、さすがに躊躇したかもしれないのに。
これがどちらのお膳立てかはわからない。けれど、プリシラが導き、敵対しているレイトンがそれを邪魔しなかった。ならばどちらがやっても同じことだ。そして、プリシラの得になるものでもレイトンの害になるものでもないのだろう。
これは、僕の道だ。二人の気遣いにより作られた僕の道。
二股に分かれた道。その右の道を行く。
まだ人通りはない。
けれど、一人いた。
青白い光景の中。静かな町並みの中に一人だけ。
こちらに向けて歩いてくる者。この国では見慣れぬ金属製の鎧。しかし見慣れた銀の鎧。
旗は掲げていないが、それだけでも誰だかすぐにわかる。
そして、その顔は……。
「あれ、スティーブン殿。この街を出立するのですか?」
僕は問いかける。
しかし、その問いに返答はない。
目が少し虚ろに、そして口は少し開いている。少し、息が荒い。
「…………」
「スティーブン殿?」
黙ったまま足を止めたスティーブンにもう一度呼びかける。
明らかに様子がおかしい。そしてその手はゆっくりと腰の剣に伸び、その柄を握る。それからゆるりと腰を沈めた。
「どうされましたか」
「ぉ……ぉぉ……」
うめき声のような、わずかな声量。しかし何かを言っているようだ。唇も動かず発音も清明でないため何を言っているかはわからないが。
それから。
「ぉ……ぉおあぁぁぁ!!」
そこまでの動作がなかったら僕も防げなかっただろう。
雄叫びを上げながら、スティーブンが僕へと飛びかかる。そしてその剣が、僕が咄嗟に構えた山刀と結ばれた。
「っ……!!」
何故。
明らかに様子がおかしい。
「ス……」
切り結んだ先のスティーブンの目が、ギロリと僕を見る。
青い目は光りなく、その白目には幾条もの血管が走る。
スティーブンの気合いの声とともに、僕の体が宙を舞う。まるで重力の方向がぐるりと変わったように、スティーブンの体を飛び越えるよう、不可思議な力で投げ飛ばされた。
……これは……。
「ふっ!!」
そして伸びてくる切っ先。白銀の輝きが目に入り、なんとか体を捩るも肩に痛みが走った。
着地し、スティーブンを見る。
第二撃に備えてだろう、構えられた体は山のように安定している。
僕は痛む肩を押さえる。その手を見れば、結構な出血だ。
その掌についた血を見て確信する。
これは、本気だ。
スティーブンの体が膨れあがるように大きくなる。
!! 違う!
これは、すり足で近づいているのだ!!
体の前に立てられた剣。
僕はその剣の軌跡を避ける。
小さく体ごと振り下ろすような剣に、道が縦に割れた。
後ろに跳んで距離をとる。
……どうしたというのだろうか。
目の前には、明らかに正気を失っている様子のスティーブン。その剣を受ければ、僕の体はその道と同じ形になるだろう。
何があったというのだろうか。
何か魔法か何かで精神操作されている? あのスティーブンが?
悩むまもなくスティーブンが迫る。
斜めに振られたその剛剣を避けると、一拍遅れて僕の耳に風切り音が届く。その剣が音速を超えているからだろう。同時に巻き起こる衝撃に蹈鞴を踏めば、その足めがけて剣が伸びた。
……仕方ない。
何が原因で正気を失っているかはわからない。
けれど、このまま放置も出来ない。拘束しようにも、縄などでは簡単に引きちぎるだろう。
気絶させる。
しかし、どうやって?
急所に衝撃を加えて、というのは難しいだろう。
スティーブンの月野流の技は、接触から始まる。その剣や体に直接触れれば、僕の拳足や靴がどうなるかわかったものではない。
では魔法? しかし、それもどうしようか。
あまり怪我をさせたくはない。火を使うのは抵抗がある。
いつものように直接酸素の供給を遮断するのは、今の闘気を活性化しているスティーブンには通じないだろう。空気を遮断した膜が消されてしまう。
突然始まった戦闘で、もう手詰まりか。
どうしよう。
と、そういえばプリシラが言っていた『友誼により』というのはこういうことか!
スティーブンが僕と仲がいいと、まだ言っていたのか。そんなことはないのに。
スティーブンが動く。
仕方ない。
多少手荒になるが、魔法で頭部に衝撃を与える。
間に物質をかませれば、闘気で消されることもないだろう。
スティーブンの剣を躱しながら、その頭部の周囲の空気をいくつも高圧の塊に練る。
横切りをしゃがんで躱し、転がるようにして離れながら、その塊を破裂させて……
当たれば意識は遠くなるだろう。そうは思った。しかし、そうはならなかった。
スティーブンの一振りで、空気の塊が裂ける。
五歩離れた僕の位置まで届く轟音と衝撃波。しかし、それは僕の期待していたほどではない。
……空気を斬った。音も匂いもなく不可視の空気の塊を?
驚く僕の頭を縦に割るように迫る剣。
慌てて飛び退きながら、山刀でいなすように合わせる、が、……。
その山刀の刀身を容易く割りながら、僕の鼻先を剣が掠めていった。




