人生の楽しみ方
実際ホラーではないんですが、人によっては怖いかも
日も傾いてきた頃、僕らは街へと戻ってきていた。
砦を出る前に少し軽食をとったとはいえ、夕飯にはまだ少し早いが腹が減ってきている。
それを伝えると、スティーブンも笑顔でそれに同意した。やはり、運動すればお腹は減る。道理だ。
しかし、店は何処が良いだろうか。
エッセンの人間が好みそうな料理というと、朝行った『七星亭』が浮かぶが、通常料理は一日同じものを出すらしい。朝ご飯と同じというのも悪いわけではないが味気ない。
では、適当に探そうか。そんな風に話していると、ふいに少しだけスティーブンの顔が曇った。
「ね、賭けは失敗だったでしょう?」
適当に歩いていると横から声がかかる。
僕は驚き身構えるが、スティーブンは普通に振り返っていた。気がついていたのか、どうでもよかったのかはわからない。
しかしやはり、改めて考えてもこの女性の、声をかける前とかけた後の気配は全く違う。今見ても何の変哲もないが、存在感と言おうか、存在の質と言おうか……。
まあ、敵意は見えない、僕は警戒をある程度解いて、プリシラに歩み寄った。
「僕らを待っていたんですか?」
「……それはさすがに言い掛かりかな。ここ、私がずっと店を出している場所だよ」
一応僕も敵意なく返したはずだが、言葉から棘を感じ取られたらしい。無意識の警戒はまだ解けていなかったか。
そして見回してみれば、確かにそうだ。確かにここは、朝スティーブンと合流したところだった。
「すいません。気が立ってたようです」
「ひひ。ま、気にしないでよ。君の警戒もわかるからさ」
白い手を机の上でパタパタと振り、プリシラは笑った。
そのプリシラにスティーブンはまた一歩歩み寄り、見下ろすように立つ。
「……お主の言うとおりじゃったわ。勝てぬ賭け、じゃったかの」
「そうだよ。あの北壁に若返りの薬なんてない。あるのはただの通れない壁だけ。スティーブン殿の行く先を暗示しているだけだったんだ」
やはり、朝の接触でプリシラはスティーブンの考えを読んでいたのか。しかし、グーゼルまで一緒に連れていくことまでは読めていないはずだ。
……しかし、どこからどこまでこの女性の掌の上だったのだろう。
ふとプリシラの笑顔が緩む。少しだけうつむき、優しげな笑みになった。
「だから、私からの助言もしっかりと受け取りなよ。怖がることなんてないんだ」
「……北壁までは、グーゼルという女性に案内してもろうた。その女性を見て、やはりそれは出来んと儂は悟った」
プリシラの優しい言葉を遮るように、スティーブンはゆっくりと言葉を紡ぐ。表情を見ても、言い負かすことなどは考えていないだろう。愚痴のような雰囲気で。
「強く美しい女性じゃ。お主のようにな。そして、儂よりも歳をとってなお、若く美しい体を保っておった」
「仙術だっけ。あれは魔術師用の技術だからね。スティーブン殿には使えないさ」
「そう、使えないんじゃよ。儂が儂である以上、儂にはあの若さが手に入らん」
スティーブンが拳を握りしめる。その手甲から、鋼が歪む音が響いた。
「お主は、諦めろというのか? 怖がらずに老いを受け入れろというのか?」
「そこまでは言っていないけど、そうだね。その通りさ。人生には、その年齢なりの楽しみ方がある。そして、もう戻ることは出来ない。魔法使いでもない限りね」
ちらりとプリシラは僕の方を向く。
その視線に、少しだけ心臓が跳ねた気がした。
「人生というのは、何もしなくても減っていく金貨なんだ。使おうと使うまいと、それはいつかはなくなる。なら、残りの人生のうち一番金持ちの今使わないと損じゃないか」
「お主も、グーゼル殿も、カラス殿も、金持ちじゃな」
「ひひひ。皮肉が下手だね。でもまあ、その通りだよ。私たちはまだ金貨を持っていて、スティーブン殿は残り少ない」
言いづらいことをはっきりと言う……。
そんな僕の内心を読むこともないだろう。プリシラは、悪びれもせずに続けた。
「それは環境や生まれつきの体質もあるだろう。なら、生まれを呪うかい?」
「……いや」
完全に下を向いたスティーブン。
僕はその姿に、口を挟めない。
「儂は、父母にはよくしてもらった。戦場で失うまで、ずっと使い続けた剣は両親に贈られたものじゃ。生まれが変われば、この歩んできた道すら失ってしまうじゃろう」
「じゃあ、闘気を使えるようになるまでの修業時代を? もっと他の修行なら変わったかもね」
重ねるようにプリシラが口にした言葉にも、スティーブンは首を振った。
「あの修業時代、儂は妻と知り合った。もうどこに居るか、死んどるかもわからんが、それでもあれをなかったことにしてくれなんぞ口が裂けても言えんわ」
「だったら……」
「よい。お主の言うとおりじゃ。今までの人生、どこか変わればお主らのようになれたかもしれん。じゃが、どこか変われば今の儂にはなれん。受け入れるべきなんじゃ。それはわかっとるよ」
それだけ言い切り、スティーブンは大きな息を吐いた。
これから言おうとしている愚痴も全て吐き出すように。
それから顔を上げたスティーブンは、また微かな笑顔を湛えていた。
「そうじゃ。賭けには負けた。じゃが、良いこともあったんじゃよ」
「へえ。何だい? それ」
「あの北壁に行く前に、懐かしい顔に会えたんじゃ。もう何年も会っとらん、妻に」
「それは……」
思わず僕は口を挟もうとする。
砦以降、僕らは誰とも会っていない。ならば、それは多分『リンナさん』の……。
「今も変わらず元気じゃった。若く、皺一つなく、焼け付くように痛んだ儂の腕の手当をしてくれていたあの頃のままでの」
「それは、幻の……」
「幻でも、儂には真実じゃ。確かに儂の前にはいたんじゃ! いーたーんーじゃー!」
僕に向かって吠えるように、スティーブンはそう言い放つ。
「じゃからして、賭けは一勝一敗というところじゃ。ほほ、お主の占いも外れたのう」
勝ち誇るように言ったその言葉に、プリシラは噴き出す。
「……それはよかった。私の占いが外れてよかったじゃないか。私もまだまだ研鑽が足りないね」
「いや、良い腕じゃよ。やはりお主は、良い腕じゃ」
しみじみとスティーブンはそう言って、机を指で叩く。それから僕の方を向いた。
「カラス殿」
「何でしょう」
「儂は今日の宿を取っておらんかった。今から探さんといけん。ここで、今日は解散としよう」
宿。そういえば僕もだったか。昨日は城に泊まったから気にしてなかったけど。
「夕飯も適当に宿で済ませる。なに、与えられた食物も楽しまんとな」
「……そうですか」
空元気に近い笑い。けれど、少しだけ力が入っているようにも見える。なるほど、『占い』もバカにはならない。
本当に、気の持ちようというだけだろうけれど。
「……プリシラ殿。儂はまだ諦めておらんぞ」
「ひひひ。元気なのは良いことだけど、あきらめが肝心だよ。探し求めていたものがなかったときの絶望は、とても怖いものだ」
「もう一突きで出るかもしれん金の鉱脈を、諦めて見つけられんほうが儂には怖い。まだまだ種銭は残っとる」
そう言い切り、スティーブンは僕の方を向いた。
「曲がった骨を真っ直ぐに治すことが出来ると思うか? 潰れた肺を、元に戻すなんぞ出来ると思うか? 少なくとも儂は今まで、無理じゃと思っとった」
「難しいだろうね」
「じゃが、世界は広い。出来るんじゃよ。なら、まだ誰も知らん方法で、金貨を増やすことも出来るとは思わんか? まだ試してないこともある。なら、やってみんとな。人生は賭けじゃ。賭けのない人生など、つまらんものじゃて」
プリシラは両手を挙げて目を瞑る。悔しそうな顔ではない。ただ、少し嬉しそうだった。
「そう。じゃ、好きにしなよ。かわいいかわいいスティーブン殿」
「くふふ。では儂は明日からの準備を考えんといけんからのう。失礼する」
のしのし、という音を立てるように、スティーブンの後ろ姿は遠ざかっていく。
思い出したかのように月野流の旗を広げて、がに股で歩いていく。
その姿を見て、通行人は足を止めていた。
「……次は何処へ行くつもりでしょうかね」
「さあ? それは本人に聞いた方が早いと思うよ。でもあの雰囲気からすると、南の方かな。まだ未練はあるみたいだから、しばらくはこの国に残ると思うけれど」
「そうですか?」
僕は聞き返す。僕の目には、すぐにでもスティーブンは出て行きそうだと思ったが。
だがやはり、プリシラの目には違う光景が見えていたらしい。
「さすがに、触ってもいないからただの勘だけどね。でも、多分間違いないよ」
「占い師としての勘、ですか」
ただの山勘ではない。今までの経験から覚えた印象ならば、きっと無意識の根拠はあるだろう。
そう思い尋ねた言葉は、プリシラの笑顔に流された。
プリシラは座り直し、僕の顔を正面から見る。
「それよりも。少し気になったんだけど」
「何です?」
プリシラの方から質問が来るとは思わなかった。なんとなく、人には何も聞かないという印象だったのだが。
「先ほどスティーブン殿が言っていた、『妻に会った』ってどういうことかな?」
「ああ、あれですか」
幻、とも言ったとは思うが、その辺りは現場にいなければわからないか。
いや、現場にいずともなんとなく察せそうな感じがするが。
「北壁に行くのに高い山を登ったんですが、途中空気が足りずに幻覚を見たんです。視力障害に、意識の混濁。あれほど鍛えていても防げないんですね」
慣れていればそうでもないだろうが、それでも急激に高度を上げればああなってしまう。ゆっくり登れる体力がなかったせいもあるけど。
「……そっか」
僕の言葉に、プリシラは素っ気なく返す。なんとなく、残念そうに見えた。
「……誰か、会いたい人でもいるんですか?」
「いや、いないよ。ただ、スティーブン殿も『見える人』なのかなぁ、と思ってね」
「『見える人』?」
少しだけ寒気がしたが、気のせいではあるまい。いや、この世界にも幽霊はいないはずだ。
プリシラは何かを思い出すように、遠い目で左下の方を見つめた。
「今朝言った弟がね、そうだったんだよ」
「プリシラさんの弟、ねぇ」
声の感じからすると、酷く懐かしそうだ。恐らく、思い返している光景はその弟が幼いときだろう。
「馬鹿げた話だよ。死んだ人間がその場にいるなんて。でも、弟は凄く感受性と想像力が豊かだったんだね。そこにいないはずの人を見たんだ」
「第六感、とかそういう話でしょうか」
その辺りは未だに信じられない。僕も一度死んでいるとはいえ、死後の世界を体験したわけではないのだから。
僕の言葉にプリシラは首を横に振る。
「ううん。私たちと同じだよ。見える光景から想像しただけさ。君だってある程度は出来るだろう?」
そう言って、プリシラは目の前の石畳に目を向ける。定期的に洗ってはいるのだろうが、そこには、雪と泥で足跡が大量についていた。
「足跡から歩幅はわかる。歩幅がわかれば、足の長さがわかる。柱に手垢がついていれば、身長もある程度わかる。そこから年齢が推測できて、残っている匂いや毛から性別や陰影が想像できる」
言葉の通り、脳裏で誰かの姿を思い浮かべているのだろう。
後に行くにつれて、確信が声に満ちていた。
「落ちているものからその誰かの嗜好はわかるし、経済状況も読み取れる。全部占いに使える情報だよ」
「では、プリシラさんも?」
プリシラの言う、『見える人』なのだろうか。
そうは思ったが、目を細めてまた首を振った。
「いや、私にわかるのは『情報』までさ。でもあの子は特別だよ。特別な才能があった」
胸を張り、自慢をするようにプリシラは頷く。何度も、何度も。
「子供特有の想像力もあるんだろうね。私が着目していなかった情報まで使って、その『人間』まで見えていたらしいよ。私がたまたま仕事を見せてあげようと思って、ある家に連れてったときにあの子は言ったんだ。不思議そうな顔をして、誰もいない暗がりを指さして、『姉さん、あそこにいる人たちは?』って」
「……それは」
またしても背筋が凍る。これだけ説明を受けても、この恐怖心は受け入れがたいらしい。
「かわいいよねぇ。親二人は凄い形相で睨みながら、少年はきょとんとして、私を指さしていたらしいよ。私には何にも見えなかったけど」
「普通に怖い話では……」
「まあ、笑い話さ。大きくなったらそういうことも言わなくなったしね」
プリシラはくつくつと笑い、それからまた居住まいを正す。これはさすがに笑い話ではないだろう。
「ま、だから、スティーブン殿もそうだったのかなと思っただけさ。別に他意はないよ」
「残念、……なんでしょうか?」
よくわからないが、残念ではないだろう。いや、そういう弟さんのような人がいっぱいいるのはさすがに嫌だ。
「じゃあ、ここまで私の話に付き合ってくれたお礼に、ひとつ情報をあげよう」
「……今度は何ですか」
ここまで話してなお、やはりプリシラの手口は自己成就予言が主な気がする。
ここからの話は警戒して聞かねばなるまい。
僕は背筋を伸ばし、プリシラの言葉に耳を傾ける。そうするのがまずい気もするが。
「耳を貸して」
そう言われて一応身を少し乗り出す。
プリシラは自分の右耳から耳飾りを取り外し、僕の耳にかざすように寄せた。
「?」
「私は、こういうものを持っている」
次の瞬間、音が響いた。
「ーーーーーーーーーーー」
騒音ではない。雑音でもない。しかし、意味の全くわからない音。
まるで、様々な人の話し声が同じ音量、同じ位置で混ざり合ったような音が僕の耳に響いた。
「……何ですか? これ」
「私の持つ魔道具さ。《知恵笛》っていう神器の模造品らしいけど」
用が済んだのか、プリシラは耳飾りを元に戻す。フードに隠れていたが、ずっとつけていたのか。
「半径千歩までの人の声をすべて拾い上げる。その魔道具を使って得た確かな情報だよ。いいかい、心して聞きなよ」
その深刻な様子に、僕は唾を飲む。何だろうか。
プリシラの唇の動きに、僕は集中した。
「今日の夜は大波亭がおすすめだよ。さっき大鍋が空になったせいで、しばらく煮込み料理じゃなくて焼き物を出すんだ」
「ありがとうございます」
僕は頭を下げる。そんなことで、とは思わない。重要な、とても重要な話だった。
「ひひひ。早く行った方が良いね。多分、早く閉めちゃうから」
「そうします。ありがとうございました」
僕は歩き出す。朝の七星亭のことを考えれば、その他の要素はともかく料理についてはプリシラのおすすめは信頼できる。
しばらく歩いてから一度振り返る。
意気揚々と歩いていた僕を、プリシラは微笑んで見つめていた。




