深窓の長椅子
息をするように嘘を吐く作者であれば、今が21日の深夜47時と言い張ることも可能、ということ……。
中は、まるで別世界のようだった。
まあ、世界が別、というよりも国が違う感じか。昼間でも氷点下のこの国で、見た目がここまで温かそうな場所は見たことがない。
塞室は、外から見れば金の卵型の部屋だ。だが巨大な金属質の卵の殻に開いた穴を通り抜け、中に足を踏み入れればそこは卵の中という雰囲気ではない。
殻の部分は城にしては薄く、厚さは子供の僕が親指と人差し指を目一杯広げたくらい。金属質だがその薄さのせいだろうか。この城の他の場所の例に漏れず、若干透けているようにも見える。形まではわからないが、光は漏れるだろう。
その床には薄いクッションが敷かれ、硬い壁に反して柔らかな印象を僕に与えた。
端にある階段から上の階へとあがれるのだろう。四階建てか。上に行くにつれて卵の形に狭まっていくため、一番小さな四階は屋根裏部屋、という風情だったが。
卵の中には柱がある。中央を貫く柱。そして、そこから放射状に殻に柱が伸び、それが殻に沿って作られた籠のような柱に接続されている。
汚いわけではない。だが、その中央の木製の柱は何度も何度も水拭きされたのか、ワックスなど使われた様子もないのに滑らかになり光沢を帯びていた。
その卵の中、二階に設置されたソファのような椅子にヴォロディアはもたれ掛かる。
サイドテーブルには侍従の手により小さなコップが置かれ、ナイトキャップのような甘い香りのする酒が注がれた。
それから、疲れているのか、ヴォロディアは侍従の顔を見ることもなく追い払うように手を振る。その動作に応え、侍従達は頭を下げて塞室から出ていった。
酒を呷り、長い溜め息を吐く。
今日見ていた限りではずっと活動的に過ごしてきていた彼だが、やはり彼も人間なのだろう。疲れた様子で天井を見る。多分、マリーヤは彼の何倍も疲れているのだろうけれど。
「……それで?」
ヴォロディアが呟く。一瞬ドキリとしたが、それは僕や誰かに答えを期待するものではないのだろう。誰もいない部屋の中に、声が消えていった。
「それで、これから俺はどうすれば良い? レヴィン、なあ、レヴィンよ」
本当に聞きたいわけではない、と思う。考えを整理するための呟きだ。疲れて重そうな瞼には、きっとこの国のこれからの展望が映っているのだろう。
正確にはヴォロディアの、ではなく、レヴィンのものだろうが。
やはり疲れていたらしい。
少し首をのけぞり、天を仰ぐようにしてヴォロディアの瞼が閉じられる。
やがて聞こえてきた小さな寝息。ベッドが備えてあるのだから、ソファで座ったまま寝るなどせずそちらを使えばいいのに。
だが、好機だ。
僕はソファの後ろからヴォロディアに忍び寄り、後頭部に指を当てる。
そして探査。調べるまでもないことだったが、やはりといっていいだろうか。その脳の形は作り替えられ、正常な思考が出来ない状態だった。
うにうにと柔らかい脳を動かし、再生させていく。
硬い頭蓋骨の中に入っている豆腐のような脳。ヴォロディアの外見は一切変えることなく、その脳髄からレヴィンの影響を取り除いていく。
作業が終わってもなお、ヴォロディアは安らかな寝息を立てて眠っていた。一度若干顔をしかめたようだが、特に健康被害はないらしい。よかった。
……さて、どうしようか。
先に考えておけば良かったが、今更になって僕は気がついた。
この塞室の扉。入ってくるときに仕掛けが必要な扉だが、実は出て行くときにも必要なのだ。
仕掛けといっても、入ってくるときよりもやはりセキュリティは緩いのだろう、小さなレバーを上下させるだけなのだが。
だが、これを開けるとさすがに不自然だ。塞室の扉が開けば、いくら音を消しても外の部屋で待機している侍従が気付くだろう。
……どうしようか。朝までここにいる? いや、これから何時間もこの部屋で過ごすのは手持ちぶさただし嫌だ。ならば出ていくしかないが、中から扉を開けるのは選ぶ気になれない。
ならば、外から開けてもらうか? ヴォロディアが誰かを呼ぶときに使うだろう呼び鈴が、ヴォロディアの手元にはある。小さなハンドベルのようなそれを鳴らせば、きっと誰かが入ってくるだろう。……それも駄目か。『お呼びになりましたか?』『呼んでねえけど』という会話が目に浮かぶ。それで僕がここにいることまで辿り着くことはないだろうけれど、それでもここまでバレずにきたのだ。何の意味もない小さな意地だが、何か不自然なことを起こすのは最小限にしたい。
僕は壁に手を当ててしばし悩む。
ここが要人のプライベートルームということからすれば、緊急時の脱出口などもありそうなものだが、仮にあってもヴォロディアにバレてしまうか。
万事休す。最悪、明日の朝ヴォロディアと共に出て行けばいいかと思いつつあった僕の耳に、足音が届く。
明らかに、この部屋に向かっている。それも、侍従にも挨拶をして普通に通り抜けてくる男のもの。
しめた。仕掛け扉が開く音がする。そのガチンガチンという音でヴォロディアも気がついたようで、ソファから身を起こし、そちらを見た。
扉が開く。
もうここに用はない。僕は、入ってきた男とすれ違うようにして、部屋を立ち去った。
もう夜だ。マリーヤへの報告は明日でいいだろう。
今日決行することは伝えてあるので伝えずともいいかもしれないが、それでも何も言わないわけにはいかない。
次の日。
とりあえず朝ご飯を食べたい。
城の片隅で一夜を過ごした僕は王城から出て街に下りていた。
まだ朝も早く、日差しは強く感じられるがそれでも気温は低い。刺すような空気の冷たさに対抗するよう、体を魔法で温めながら僕は食堂を探した。
そうして歩いていると、また商売中だろうか。というか、もう商売中なのだろうか。見知った顔が小さなテーブルに肘をついて座っていた。
「今日のおすすめは七星亭だね。上質な鹿の肉を使った煮込みは、エッセンの人間の口にも合うと思うよ」
「……おはようございます。早いですね」
今日は普通に現れた。青白いフード付きのローブを身に纏った金髪の占い師。プリシラは、ニコリと僕に笑いかける。
「おはよう。今日は君にいくつか良いことがあるよ」
「占いをしてもらう気はないですよ?」
辻占い、と言ったところか。だが別に、今占ってほしいことがあるわけでもなく、これでお金を取られるのならただの押し売りだけど。
そう心配して口にした言葉だったが、プリシラは何処吹く風でにっこり笑った。
「やだなぁ。ただの世間話さ。私の占い師としての技能も入っているけど」
「技能、というと噂話でも聞いたんでしょうか?」
「もうそこまでバレてるなら仕方ないね。そうだよ。君は今日、旧知の仲の人と会うだろう」
僕の視界に、一度きらりと光が入った。
なるほど。もう既に占いなどでもなく僕にもそれはわかる。
「今日、というか今ですね」
「? どういうことかな?」
流石にこれはプリシラも予想外らしい。
僕は道の先を向く。さすが、まだ朝早く人通りはまばらだというのに姿を見せた『旧知の仲の人』。
老人の朝は早い。
「こういう場合は、紹介した方がいいのかな……?」
ずんずんと雪を踏みながら歩み寄る人物を、僕はプリシラに紹介すべきか迷う。
だが悩む時間もなさそうだ。向こうも僕に気がついたようで、大きく手を振って声を上げていた。




