信頼できない語り手
「土だ……」
僕は感嘆の息を吐く。
今までの街のような隠密性は無いようで、見た目からして隠れる気はない。建物はエッセンで見るような木造で、雪を被ってかまくらになっているところなどない。
雪の小高い丘から見下ろすその街は、雪原の中にあって、それでも僕の知る『街』と同じ姿をしていた。
雪を踏みしめ近づくと、やはりこの国では珍しい光景が広がる。
まず、地面からして違和感があった。いや、本当はおかしなことではないのだが、僕はこの国では土など、畑でしか見ていなかった。
黒といってもいい、暗い色の土。一掴みを手の中で乾かしても、なかなか水分の飛ばない保水性の高い土。だが、水はけはいいようで、その土に水たまりなどは出来ていない。
その土と、帯のように露出したその土の中央を貫く石畳の道。
スティーブンと別れてから四日後、僕はこの国で最も大きな街へと辿り着いていた。
やはり皆の装いは変わらない。
白に近い寒色系の服を着て、寒さに縮こまり背中を丸めて歩く人々。
だがその顔は明るく希望に満ちていた。
首都ということで人も多いのだろう。石畳の往来を歩く人の数は多い。
啖呵売の類いすら有る。木彫りの熊か犬のようなものを地面に並べ、その後ろに座り込む男性。
なるほど、雪だとそういう待機が出来ないということもあったのか。毛皮があったとしても、長時間の座り込みは出来ない。そう感心しながら、色眼鏡の奥の視線から逃れるように僕はその前を通り過ぎた。
しかしこの感じ、普通の街ではない。いや、普通の街ではあるのだが、多分これは平常ではない。
「祭り、みたいな……」
僕は思わず、感じたことをそのまま呟く。
そうだ、祭りのような雰囲気なのだ。イラインでの新年祭、そこで感じた雰囲気と同様なもの。
通行人の表情が明るい。様々な人はいるが、何かを楽しみにしているように指向性を持って歩く。まるで、何かの出し物に向かうように。
何かあるのだろうか?
その向かっている先を見ても、まだ何も見えない。ただ道の先に、広場のようなものがあるようなのは見えた。
数十人、ことによっては数百人がそこに向かっているようにも見える。
その遠く奥に見える透き通った建物は多分王城だ。多分、というのはやはり今まで見たことがないものだったからだ。
城の形はしている。けれど、石造りでも木造でもない、透き通った透明な素材。所々にある黒と緑のものは土と植物だろうか。その中央にある金色の卵形の物体。それもミールマンの建物一軒よりも大きなものなので、中に入ることも出来るのだろう。
それよりもまずは目先のものだ。
人の波に乗るようにして、広場まで歩き続ける。
途中にあるいくつかの屋台は、凍らせた果実のようなものを売っていた。後で食べてみよう。
しかし、足下がしっかりしているとはこうもいいものなのか。
今までこの国で歩き続けた道とはやはり違う。
屋内であれば木や石などが使われ、また畑には土があったりはしたが、今まで踏みしめられていたのはそれだけだ。
新雪はもとより、踏み固められた雪も不安定だ。
自分が確かに立っているという安心感が薄い。魔法で足場を作ることも出来るし今まで自覚はしていなかったが、石畳を踏んで改めて思う。足で地面を踏みしめる感覚。それは、僕にとってとても重要なものだった。
歩くだけで少し楽しくなってきた。
この行き先は何なのだろうか。この人たちは何を目指しているのだろうか。
そう、少しだけ楽しくなってきた僕。
だが、その横から感じた気配に、僕は身を固めた。
「少年。そんなに急ぐもんじゃないよ」
「……っ!」
僕は驚きそちらを見る。
いや、そこにごく小さな机が置かれ、誰かが座っているのは知っていた。それに、占術の広告を出しているのも知っていた。
なのに、何故僕は驚いたのだろうか。気配がおかしいなど、そういうことではない。それに、今目の前にしても特に不思議な感じも違和感もない。
だが、驚いた。僕はそこに人がいるとは思わなかった。知っていたはずなのに。
だが、たしかにそこには人がいた。フード付きの白い布を被り、机に片手だけかけて、金の髪の女性はこちらを見ていた。
振り返った僕に向けて、女性はニコリと微笑む。目を細め、申し訳なさそうに小さく頭を下げた。
「ああ、驚かせたようでごめんなさい。少しだけ危うそうに見えたからね」
「……危うそう?」
僕が聞き返すと、その女性は目の前の椅子を示す。
「そうだね。驚かせたお詫びに、ちょっと見てあげよう」
「……すいません。占いに興味はないので……」
魔法や魔術などがあるこの世界だ。元の世界よりも占いの信憑性は高い。とはいえ、そんなに僕は信じていない。
それに、今の言葉はよくある客引きだろう。そう思い、立ち去ろうとした僕の耳に、また僕の興味を引くような言葉が飛び込んできた。
「そう言わないでよ、カラス君。君の今後を、私に占わせてくれないかな?」
その女性の口から出たのは、僕の名前。
……今度は何の騒動だ。
「……」
僕はため息を押し殺し、女性から目を離さないようにして黙って席に着いた。
正面から見ても、勿論僕にこの女性の見覚えはない。
ただ、その金のボブカットに、少しだけ何かの片鱗を感じた。
「……何故、僕の名前を?」
「私は占い師だよ? 当然、占いで私が今日出会う人の名前は知っているのさ」
不敵な笑み。だが、敵意も害意も微塵も感じられない。
「さ、手を出して。私は手を見れば、おおよそその人の過去と現在と未来が見渡せるというのが売りでね」
「お代は?」
「さっきも言ったろう? これはお詫び。代金はいらないよ」
僕は動向を探ろうと左手を差し出す。利き手を差し出すほどまだ信用は出来ない。
それを読み取ったのか、女性はほんの少し唇を緩めた。
それに、これはただ単に形式的なものだろう。
女性は僕の掌に親指を当て、残りの指で手の甲を支えるように右手を添えた。
「名前はカラス君。君はとても用心深いようだ。やや内気、けれどたまに大胆に人に意見することもある。決まりとかそういうのは守る。でもそれを内心疑うことが多い。よく、それにわざと逆らってやろうとかそういうことを思う」
そこで言葉を切り、女性は僕の瞳を真正面から見つめる。
ここで反応を返してはいけないのだろう。僕は出来る限りためらわず、返した。
「……続けてください」
「ひひひ。はいはい。今は旅の途中だけど、いつかどこかで落ち着きたいと思っている。……それも、温かいところがいいみたい? 食べるものが充実しているライプニッツ領とかが君にはあっているね。将来の伴侶は決まっている……ん? いや、決まっていた、かな」
いくつか推測を続けていくが、具体的な話になると少し曖昧になる。
まだ続けるべきだろうか? いや、もうこれで充分だろう。
僕の同意が得られると思ったのだろうか。少しだけ間を開けた女性に、僕は首を振る。
「間違いですね。僕に将来を誓った女性はいませんよ」
というか、この風体を見ればわかるだろう。貴族でもなければ、この年齢で許嫁がいることはそうそうない。
「……それを君は知らない……、いや、忘れているだけだね。おそらくは、親が決めた……」
「僕に親はいません。勿論産んだ親はいますが、生まれて一刻もしないうちに捨てられました」
決まりだ。少なくとも彼女は、魔法やそれに類する力で僕の占いをしているわけではない。
僕は手を引っ込める。少しだけ、掌に汗をかいていた。
「で、何故僕の名前を知っていたんでしょうか」
「占いだってば」
「表情が崩れていますよ」
女性の笑みが種類を変える。
営業用だろう、一応の親愛の笑みから愉悦のほうに。
「ハハ、ごめんごめん。そうだね。一応営業妨害になるから言いふらしてはほしくないんだけど、そうだね。そこは嘘だよ」
「嘘、ということは知っていたんですね。それ以外の僕の生い立ちくらい調べてくれば良いのに」
「そこは、って言ったでしょう? 他は違うよ。まあ、占いでもないんだけどね」
あっさりと、女性はそう白状する。
やはりそうだったか。
僕も、自分の知識からそれに当てはまるよう、考えを整理していく。
たしか、コールドリーディングといったか。……それともホットリーディングだっけ? まあ、その場で適当な質問を投げかけて、その反応から相手のことを調べていく。そして言い当てたかのように見せかけて、その能力を信用させるのだ。
「誰にでも当てはまることをさも今知ったかのように言う。詐欺の基本じゃないですか」
「よく知っているね。本当はここから色々水晶の腕輪とか薦めるんだけど。その様子では出来ないなぁ」
残念そうに唇を女性は唇を尖らせた。
それから、切り替えるように息を吐く。
「でもね、声音や視線、重心の変化、生物は情報の塊だ。中でも手はわかりやすい。『手を見れば』っていうのは本当だよ。手はその人の人生そのものだ。君のこともそれでけっこうわかったからね」
「一応警戒はしたんですが、やっぱりですか」
女性は両掌を上に向け、胸の前に示す。綺麗な肌だった。
「肌の荒れ具合で健康状態はわかるし、汗の様子から緊張や嘘は読み取れる。肉の付き方で職業や趣味も。……力の入れ方から、女性経験の有無もね」
最後の言葉は意味ありげに呟いた。そこでどういう反応を返せば良かったかわからない僕は、ただ黙って流した。
「だから、そこからその人の未来がわかるっていうのも嘘じゃないんだ。本人が望み、努力していることなら手に出るから。私はその望みを口にしてあげるだけ」
ぎゅっと手を握る。先ほどの言葉通りだ。静かな言葉から、彼女の経験が読み取れた。
「今日は本当に単なる挨拶だったんだよ。驚かせてごめんね。さっきの、占いで君のことを知っていたというのは嘘。本当は違う街の酒場で聞いたんだよ。『探索者として有名なカラスが、首都を目指して旅しているらしい』って」
「それだけで僕の名前を……」
「それだけじゃわからないんだけどね。だから、鎌をかけてみた。黒い装束でこの国らしからぬ軽装。ああ、この子かな、と思ったら見事引っかかってくれたから」
ヒヒ、とまた女性は笑う。
「しかし、本当にわかりやすいから注意した方がいいよ。こういう手合いは無視した方がいい。お姉さんとの約束だよ」
「で、本当に挨拶だけなんですか?」
僕は警戒心を強めて女性の仕草を見つめる。そうだ、こういう手合いは……
女性への警戒心を強めた僕の頭が、そこで思考を止める。
こういう手合いは? 今、その言葉の続きを考えようとした瞬間酷い違和感を覚えた。
吐き気が起きた気さえする。体に何の不調もないのに。
「本当だよ。……さっきの占いの補足だけど、君は警戒心が強すぎる。今もそう。自分に近づいてきた人間は何か良からぬことを考えていると思っている。皆、自分を騙そうとしていると思っている」
「……そんなことは」
「少しは他人を信用した方が良いよ? これは占い師としてじゃなく、私個人の忠告だけど」
「それこそ、僕の出自から……」
そこまで口にして言葉に詰まる。
その後の言葉が口に出せない。まるで、心のどこかに鍵をかけたように。
僕はなんとか反論の言葉を絞り出そうとする。なんとか絞りだそうとした言葉も、どういうわけか難癖に聞こえた。
「……それこそ、占いでも何でもなく、僕の出自を聞いたからこその言葉でしょう。孤児が、突然出会った他人を信じられるわけがない」
「そうかもね」
僕の内心の動揺まで読み取ったのか、ふと笑う女性。その顔に毒気を抜かれた僕は、両腕の力を抜く。というか、無意識に込めていた。彼女と戦う気はなかったはずなのに。
鐘が鳴る。時間を知らせるものだろう。
それと同時に、広場の方で歓声が上がった。
「引き留めて悪かったね。私はプリシラ。この顔を覚えておいて。私はしばらく毎日ここで占いをする予定だから、出来れば宣伝してくれるとありがたいな。そして、思い悩んだらまたおいでよ」
「……思い悩むことなどありません」
「人はみんなそう思っているんだ。いや、自分にそう言い聞かせている。話せば楽になることもあるし、気づくこともあるのに。弱いことは罪じゃないと、みんなが気付けば良いんだけどね」
優しげな笑み。綺麗な衣服。
何もかもが違う。ただ一つの、女性という共通点からだろうか。いや、そんなことで。
だが何故か、僕の脳裏には、この前灰にした少女の顔が浮かんだ。
「さ、早く行かないと演説が始まっちゃうよ」
プリシラは僕に立ち上がるように促す。僕も、おとなしくそれに従った。
「……演説?」
「そう、偉大なる新王にしてこの国最後の王、ヴォロディア様の定期演説。この街に来たなら、これを聞かなくちゃ」
一層声が大きくなる。
広場にある台の上に、誰かが上る。
豆粒のような大きさにしか見えないその男性は、檀上で大きく手を広げていた。




