昔、貧民街で起きたこと
「俺に聞かれても、わからないことの方が多いと思うが」
そうニクスキーさんは謙遜するが、僕よりもニクスキーさんの方がつきあいは長いのだ。僕よりも多くを知っている。それは確実だ。
「それでも、僕よりは知っています」
僕は一拍置いて質問を投げかける。
「今回の留置所襲撃、なんか過激じゃありませんでしたか?」
「過激……? ……たしかに、グスタフさんにしては事を大きくしすぎている気もするが……」
そう言ってテーブルに目を落とす。
「しかし、あの人のすることだ。これが一番効率的な処置だったんじゃないか」
「そうかもしれませんが、僕を切り捨てた方がよっぽど簡単に済んだと思うんです」
もしくは、逃がしてしまえばそれほど手間もかからず済んだ。
「逃がしてしまってもいい。僕が集める資源がそれほど惜しいのなら、ここみたいな隠れ家もあるんです。ここを使って取引すれば良い。しばらくすれば、また街にも戻れたでしょう」
「つまり、グスタフさんが衛兵を害するためにわざわざ非効率な方法をとった、と?」
「僕にはそう思えるんです」
もちろん、僕の考えに何か欠陥があるのかもしれない。というか、その可能性の方が高い。
けれど、あの利益には公正な老人が、私情に走ったとしたら。
もしそうならば、少し楽しい話だ。
ここまで考えて気付いたが、これは単なる好奇心からの疑問だ。
付き合わせているニクスキーさんには申し訳のない話だが、特に答えが得られなくても問題は無かった。
「あとは、グスタフさんが何かバールやハマンに悪感情を持っていそう、ってことでしょうか」
「嫌いだと、ハッキリとそう言ったのか?」
「いえ、そんな感じがしただけです」
必要以上の悪口を言ったのは一度きりだが、普段はそんなことは言わないのに気になっていた。
腕を組み、ニクスキーさんは目を瞑る。
そして、少し考えた後、ポツリポツリと話し始めた。
「……グスタフさんにも、嫌いな奴らはいる」
「へぇ……」
やはり、何か知っている様子だ。
「前に少し聞いたことがある。あれは、俺がまだ探索者になって十年くらいだったか。ある事件が起きたんだ」
「事件、ですか」
「ああ、ありふれた事件だ。街中で、暴漢達に襲われそうになった女性を助けようとした貧民街住民が、女性の代わりに暴行を受けた」
「ありふれていてほしくない事件ですね」
何処か遠くを見て、呟くようにニクスキーさんは語る。
「だが、貧民街住民が暴行を受けるのはよくあることだ」
その日、その貧民街の住民、ガラクスという男は仕事の帰り道だったらしい。
突然の叫び声に、路地裏を覗いた彼は、暴漢達に乱暴されそうになっている女性を発見した。
ガラクスは、正義感溢れる男だった。
それだけではなく、いわゆる良い奴だったらしい。
仕事先での評判も良く、貧民街の住民にもかかわらず、仕事が途切れることはない。
店の前の掃除や看板の塗り替え、屋根の修理などしてまともに生計を立てていた。
そんな男だったらしい。
女性を発見したガラクスは、暴漢達に食ってかかった。
「やめろ! 何してんだ! やめろ!」
そう、ガラクスが止めに入ったところ、隙を突いて女性は逃走出来た。
そこで終われば、それでよかった。
ガラクスも逃げ、そこから先はいつもの生活に戻れるなら、それでよかった。
ガラクスに腹を立てた暴漢達は、彼に暴行を加えた。そこでガラクスも反撃して、暴漢達を追い払うところまでは出来たらしい。
しかし、ガラクスも大きな怪我を負った。
それは酷い有様だった。
全身、痣になっていないところはなく、着ている物はどす黒く染まっていたそうだ。
それでその日は終わったらしい。その日は。
命からがら貧民街へと帰ったガラクスは、次の日に衛兵に捕らえられてしまう。
容疑は、女性への暴行未遂。
加害者と被害者の行動が入れ替わるように、衛兵に伝わっていた。
ガラクスは女性を襲おうとした。そしてその怪我は、女性への暴行を止めようとした男達に負わされたものだ。そういうことになっていた。
当時もう石ころ屋の店主だったグスタフさんは、それに抗議したらしい。
「ガラクスはそんなやつじゃない。ちゃんと調べれば、真逆のことだとわかるはずだ」
そういった抗議の言葉も、『貧民街の者の言葉は信じられない』というだけで却下された。
ガラクスの怪我は、取調べ中にも悪化していった。
前日の怪我で、内臓を痛めていたのもある。しかし、主な原因は衛兵の過激な取り調べそのものだった。
その結果、ガラクスは亡くなってしまう。
逃げた女性も、暴行した男性達の素性も、今となっては藪の中だ。
詳細を語り終えたニクスキーさんは、ぱたりと口を閉じた。
「……酷い事件だとは思いますが……その事件が何か」
「あの時、珍しくグスタフさんは荒れていた。ガラクスはお気に入りだったんだ」
あのグスタフさんが取り乱す姿など想像出来ないが、そんなにもか。
「酔っ払って、俺に愚痴った。俺は、奴らが嫌いだと。正義を気取り、現実を見ていない悪人が嫌いだと、繰り返し言っていた」
「それが、グスタフさんの嫌いな奴ですか」
「ああ。……酔ったグスタフさんを見たのは、この五十年でそれ一度だけだ」
嫌いなのは、『正義を気取り現実を見ていない悪人』、つまり、今回の件で言えば『真面目に事情を調べない衛兵』ということか。
「バールやハマンじゃなく、衛兵達が嫌いだったんですね」
「それもあるだろうな」
半分ほど、腑に落ちた。
「そして、こうも言っていた。『やつらが正義を通さないのなら、それなら、俺が悪人をやってやる。だから、正義を気取って悪い事する奴らは許さない』と」
「今のグスタフさんからは想像もつかない台詞ですね」
ニクスキーさんは頷く。
「グスタフさんも、俺も若かったからな」
『正義を気取って悪いことをする奴ら』というのは、ハマンとバールに当てはまる。
なんだ、やつらは、グスタフさんの嫌いな人物のど真ん中にいたんだ。
「なるほど、腑に落ちました。今回、奴らはグスタフさんの逆鱗に触れた」
「整理してみれば、そういうことだったのだな」
ニクスキーさんも、感心するように唇を歪めた。
「俺が悪人をやってやる、というのは?」
「俺にも詳しい意味はわからない。三十年も前の話だ。本当にそう言ったかも定かではないが……」
そこで言葉を切り、部屋の隅を見て少し考えていた。そして、考えがまとまったのだろう、こちらをまっすぐ向いて言った。
「おそらく、貧民街の連中が起こす犯罪を、取り仕切りたいのだと思う」
「犯罪を取り仕切るって……」
まるで、悪の組織じゃないか。
「俺たち貧民街出身の探索者や商売人を使い、貧民街以外の者の犯罪の邪魔をする。そして、貧民街の者の犯罪への出資を行う。ひったくり犯から物を買い取ったりしていただろう」
「出資……。盗品や禁制品を扱うのもその一環ですか」
「他よりも盗品を高く買えば、盗品は皆石ころ屋に集まる。そして安く売れば、石ころ屋以外で盗品を買う者はいなくなる。いずれ犯罪者は、皆石ころ屋を頼るようになる」
「そうすれば、石ころ屋以外は犯罪に手を染めなくなる……ですか。儲けを度外視していますね」
利益を考えず、自らが悪人となり、他の者が善人であることを強制する。あのグスタフさんからは考えづらい。
「まあ、これは俺の推測だ。実際には、何も考えていないのかも知れない」
「少年が……カラスといったか、カラスが何を考えているのかも俺はわからない」
ニクスキーさんは立ち上がる。マントを払い、皺を伸ばした。
「今回の事件で、グスタフさんに対して何か思うところでもあったか」
「いいえ?」
単なる、好奇心だ。
「カラスは、ガラクスと同じくグスタフさんに気に入られている」
じっと僕を見つめる視線に、感情は見えない。茶色い瞳は真正面から僕を捉える。
「だから、死ぬな」
「ええ、もちろん。そのつもりはありません」
僕は即答した。
その言葉に満足したのか、フッと微笑むと、ニクスキーさんはフードを被り顔を隠した。
「話しすぎた。……では、また」
そして扉を開けると、あっという間に森の中に姿を消していった。
一人になった小屋の中で、僕は脱力しボーッと壁を見つめる。
好奇心から聞いたことで、意外にも昔の事件を知れた。
途中から話が逸れていったようにも思えるが、大体の事情はわかった気がする。
だが、実際のところはわからない。後半のグスタフさんの考えは、ほとんどニクスキーさんの推測である。
実際のところを、グスタフさんに聞いてみる気はない。
『ハマン達に厳しい気がする』という、僅かな違和感から生じた好奇心は、だいぶシリアスな事情に触れているようだった。
そこまで立ち入って触れることは出来ない。あくまでも僕は石ころ屋の常連客というだけなのだ。
別に、忘れてもいいことだ。今まで通り、気にしないようにしよう。
意識的に気にしないようにして、逆に意識してしまわないようにしよう。
腹芸が苦手な僕には、厳しい話ではあるが。
心機一転、僅かながらの好奇心を満たし、満足した僕は小包を開く。
紙紐を解き、本を包んでいる厚手の紙を取り除いた。
あとは注文していた本を読んで、今日を過ごすとしようか。




