知と血
ドス、という鈍い音が何度も響く。
勿論、衛兵たちも反応できていないわけではない。警戒してはいたし、雪海豚の群れを察知し飛び出てくるタイミングまでわかってはいたのだろう。
槍を構えて衝撃を逸らそうとする。あわよくば、突き刺して殺そうと刃を向ける。
だが、防げない。
「ぐああああっ!!!?」
「がぉ……!」
構えた槍に対する突進を抑えられず、衝突の勢いで雪面に押し倒される。避けても海豚の腹が肩に接触し、弾き飛ばされる。運良く槍が海豚の口内に突き刺さり、躱せた衛兵も横からの衝撃に耐えられずに空中を舞った。
「総員、体勢を立て直す! 下がれ!」
衛兵隊長らしい男はそう叫びながら槍を振るう。
やはり一番腕が立つのか、雪海豚の分厚い脂肪を叩き、牽制することには成功していた。
「待て、何をしている応戦したまえ!」
だが、怒号が僕らの後ろから飛ぶ。若干震えてはいるものの、怒気でそれを隠しているのか、大きな声だ。
その言葉に振り返ろうとした隊長は、雪海豚に押しつぶされたようで動かなくなってしまう。
最初の雪海豚が飛び出して、まだ十秒ほどしかたっていない。なのに、中心部は惨々たる有様だった。
不安定な着地ではそのまま潜ることは出来ないのだろう。
雪海豚たちは一度跳ねる。その下で、五人もの衛兵が転がり呻いている。
下手に矢を放ち、衛兵に当てるわけにはいかない。だからだろう、狩人たちは弓を構えて動けない。取り囲んでいる残りの衛兵たちも、仲間の失敗を目の当たりにして飛び出せずにいた。それでも隊長の最後の指示に従わないのは、意地だろうか。それとも。
「行け! 殺せ!」
口の端から泡を飛ばして僕の後ろで元気に叫んでいる、町長を恐れてだろうか。
探索者たちも動かない。報酬分の仕事はしてほしいと内心文句は思うが。それはあとで強制的にやってもらおうと思う。
そもそも、雪海豚と戦えるだけの力は彼らにはないのだ。取り囲んで殺すか、罠に掛けて殺すか、そうしなければ渡り合うことは出来ない。
本来はそれでいいのだと思う。
前世では、獣よりも体が強い人間などそうそういなかった。だが、人間は繁栄できた。道具を使い、罠を使い。知恵を使って獣たちと渡り合って生活圏を広げてきた。
この世界においても、それは一緒だ。
何も探索者は戦闘に強い必要はない。強いに越したことはないだろうが、彼らの仕事は遺跡から魔道具を持ち帰ってくること。罠を察知し、逆に罠を張り、魔物や獣その他の障害を排除し生還する。そういう仕事だ。
道具を使い、罠を張り、知恵を絞れば強さなど必要ないのだ。
勿論、その仕事に従事した結果、必要に駆られて強さを手に入れる者が殆どだが。
町長はまだ何事か叫んでいる。『突撃』や『攻撃しろ』といったようなことを言葉を変えて何度も何度も叫んでいる。
本来、強さなど必要ない。探索者にも狩人にも。
彼らは罠や鳥獣の知識に熟達し、それぞれの目的を果たせればそれでいい。
だが、騎士や衛兵は、違うだろう。犯罪者や他国の騎士団に対して武力を示し、威圧し、制圧する。それが彼らの仕事だからだ。
だから、衛兵が今中心で転がっているのは、彼ら自身の力不足だ。
雪海豚が、一度跳ねて作り出した窪みに滑り込もうとする。
そのまま雪中に潜るのだろう。その後、また奇襲を掛けるかそれとも逃げるかまではわからないが。
まあ、そのどちらでも構わない。
どちらにせよ、させる気はないのだから。
「シロイ殿、私たちも」
「おう、腕が鳴るわい!!!」
シロイに呼びかける。それと同時に、新たな魔法を使う。
飛ばしたのは、熱気。それに続いて、冷気。
「プギュッ!?」
雪中に潜ろうとした雪海豚が鼻先を潰す。
転がっている衛兵、そしてそれを取り囲む衛兵と狩人、探索者、全てを巻き込み飛ばした熱気が雪を溶かし、そして次いで飛ばした冷気が凍り付かせる。
結果、一瞬で見渡す限りの雪原が、氷原ともいうべき見た目に変貌していた。
「フハハハハハッ! 流石、魔法使いは規格外じゃのう! 援護も頼んだ!!」
賛辞の言葉を叫びながら、シロイは滑るように走って行く。
僕も無言で続く。他には誰も動かない。衛兵たちも、狩人も、探索者も。
ならば、僕らが戦うしかないだろう。
悶えるように氷面に体を打ち付けて、雪海豚が穴を開けようとする。やはり地表では行動しづらいのだろうか。雪中に浮力があるとは思えないし、打ち上げられても死なないとは思うが、それでも行動は出来なくなっていた。
跳ねることは出来るらしい。スケートリンクのようになった円陣の中に駆け込んだ僕らに向かい、雪海豚は跳ねてくる。僕らを敵と定めたらしい。先ほどの手当たり次第の奇襲とは違う。初めて雪海豚と遭遇したときと同じように、歯が見えた。
「ぬ!」
その手近な雪海豚と僕の間に、シロイが割り込む。その手には、幅の広い短剣。
雪を掘るための金属製の板に刃を付けたようなその剣が垂直に体の前に立てられ、それが雪海豚の口を押さえる。
「ぅん!」
しかし、押さえたのも一瞬だけ。シロイは前屈みに重心を移動させ、体ごと前に倒れるように刃を振る。
「ギュ……」
断末魔の声すら殆ど響かせず、雪海豚は裂ける。まるで川の流れに剣を突き立てたかのように、勢いに任せて二つに分かれて、シロイと僕の後方に滑り飛んでいった。
「月野流《滝分》! 凄まじいじゃろ!!」
間髪入れずに叫んだのは、宣伝の言葉だろう。周りに聞こえるように、そして見えるように見得を切る。
だが、そんな事をしている暇はないだろう。
後二匹、ついでとばかりに雪海豚は僕らの頭を啄もうと跳ぶ。
「忙しないのう!」
文句を言いながら、シロイはそのうちの片方に刃を合わせる。今度は水平に、それも片手で。
野球で言うなら、バントをする感じだろうか。躱しながら、止めた刃に海豚の口を合わせる。そして、一瞬溜めた後、振り払うように切り払う。
今度は上下に分かれた雪海豚が、氷面を血で濡らしながら滑っていく。臓物も振りまきながら。
……シロイの評価がいよいよ僕の中で高まっていく。
バーンの動きとは違う。ちらりとしか見ていないが、クリスの動きよりも熟達しているのではないだろうか。
無駄のない動き、立ち回り。当てに行くのではなく待つようなその攻撃は、確実に雪海豚の命を刈り取っていく。
しかし、シロイにばかり任せてはいられない。
残り一匹の飛びかかってきている雪海豚は僕が対応するべきだろう。
その雪海豚を空中にいるうちに念動力で押さえつけ、叩き落とす。そのまま荷重をかければ、あばらが砕けた音がして幾分か体も薄くなり、そして動かなくなった。
「……容赦ない……」
「見ている暇はありませんよ」
嘆くように呟いたシロイの言葉を遮るように、僕は氷上で何匹も跳ねている雪海豚を指し示す。
雪に潜れなかったことで若干のパニックを起こしているらしい。苛立ったように、尾びれがばたばたと無意味に揺れていた。
「おう、そうじゃの……って、見とらんでお前らも手を貸さんか! 案山子としてここに来とるわけじゃなかろうに!!」
シロイの呼びかけに、動かなかった探索者と狩人、それとまだ元気な衛兵たちが体を震わせた。それから我に返ったように皆雪海豚に駆け寄っていく。
少しだけ残念な気がした。元気な雪海豚を、適当に探索者たちの前に投下しようと思っていたのに。
だがまあ、働いてくれるならいいかな。
そう気を取り直し、僕もまだ元気のいい、向かってくる雪海豚を何匹も叩き落としてゆく。
そのたびに群がるように探索者がそこに駆け寄る。両手で力を込めて雪海豚のゴムのような表皮に傷を付けてゆく。やはり硬いのか、急所であっても手こずるようだ。
衛兵たちも参加し、雪海豚が殺されていく。
断末魔の声が響き、氷上が赤く染まっていく。
戦場はもう既に、後片付けの様相を呈していた。
だがまだ問題自体は残っている。
「カラス殿、これで全部かのう……」
元気な雪海豚の相手も終わり、暇になったようでシロイが僕に話しかけてくる。
その言葉に、僕は首を横に振った。
言いたいことはわかっている。雪海豚の数が足りないのだ。
「いえ。群れは二十頭からなるものだったはずです。ですが、今現在ここにいるのは十三頭。少し足りません」
「じゃの。違う群れじゃったとかか?」
「いいえ。それもちょっと違いますね。違う群れだったかはわかりませんが、一応この群れは全部で二十頭です」
「……どういうことじゃ?」
頭上に疑問符を浮かべて、シロイは首を傾げる。そのシロイに僕は、少し離れた氷の下を指さす。
「これで、全部です」
白い氷に、突如赤い色が水たまりのように広がる。いや、僕が潰したので突如も何もないのだが。
「……本当に、容赦ないのう……」
「先ほど僕が雪を氷に変えたせいで、雪上に上がれなかったようですね。雪中に待機していました。何度か出ようとしていましたが、無理だったようで」
奴らにとっての第二陣、という感じだろう。恐らく、始めに奇襲した雪海豚たちが雪中に潜るのと入れ替わりで飛び出すつもりだったのではないだろうか。
だが、その計画の成就はさせなかった。そんな赤い斑点が同じようにいくつか広がる。その下には、潰れて裂けた雪海豚の死体が埋まっている。土中の虫を探す作業と同じようなものだ。
もはや、戦いではなく作業が進む。その様子を、シロイはため息をつきながら見ていた。
「しっかし、衛兵たちは災難じゃったな。指揮官の無能のせいで怪我人が出てしもうた」
「ま、怪我人が出るくらいは仕方ないと思いますが、本当にそうですね」
僕とシロイの働きで、簡単に終わった雪海豚の討伐。そんな簡単な討伐作戦も、指揮官の立てた作戦のせいで五人もの重傷者が出ている。
集められ、呻いている重傷者たちを眺めながら、僕は少し考えた。
ギルド職員は、これを危惧していたのだ。
いや、もうここまでは予想していたということの方が正しい。探索者の参加を第二陣からとしたのはそういうことだろう。
第一陣の犠牲を糧に、第二陣で勝負を付ける。今まさに僕らが行ったことを、しようとしていた。
彼らは個々では戦力たり得ない。一人で相手できるのは、僕とシロイと騎士二人の計四人だけ。あとの人間は、数合わせでしかない。
だが、本当は数あわせでも充分だった。数で勝っている、それは大きな武器だ。
一頭を一人で相手取るのは無理にせよ、数で勝っていたのだ。一頭を二人ないし三人で受け持てば、それなりに勝負にはなったはずだ。
なのに、それをしなかった。
町長は衛兵をわざわざ二つに分けて、さらに探索者という数の有利まで排除したのだ。
他の襲撃に備えての温存や、何か意味があってのことではない。ただの、自分の見栄のために。
ギルド職員が上げた声を無視した。
本当は第一陣に衛兵を全員突っ込ませればよかったと思うが、そこまでの計画の変更は町長が認めるとは思わなかったのだろう。妥協して、第二陣へと参加させようとした職員の声を、しかし町長は無視した。
昔は賢明だったと聞く。それについての真偽は知らない。見たこともないし。
だが、今は絶対に違うだろう。
僕も人のことを言えないが、自分の見栄のために命を無駄に散らすのは、ただの馬鹿だ。
まあ、その辺もいいだろう。後は適当に町長の脳を見て、治療が必要なら治していこう。
僕がこの街に対して出来ることは、それくらいだ。
町長は大体の街において世襲制だが、この国では無能といわれた施政者を追い落とした実績がある。本当に馬鹿ならば、そのうち追い落とされるだろう。そう思う。
それに。
「大勝利、快勝である! みろ、私の的確な指示があれば、雪海豚なぞ恐るるにたらんのだよ。このような探索者も不要であった!」
「……町長、そういった講評はまた後ほど……」
未だ後ろの安全圏で、騎士に対して何事か言っている町長。その意味を受け取る気もないが、その様子は、追い落とされるべき者だ。
後の問題は、怪我人だろうか。
「治療師がここまで来るんでしょうか? それとも、街で治療をするんでしょうか」
「どうするんじゃろうなぁ? 儂らも道場稽古で怪我人をよく出すが、その場合は大体動かさんようにして治療師を呼ばせるようにしとるよ」
「頭とか打ってればそれが正しいとは思いますが……」
しかし、衛兵たちは担架のような布を広げている。明らかに運ぶ気だった。
「そういうことは口出しせんほうがいいじゃろ。そこではそういうもの、と思っておけばよい」
「まあ、後で文句言われても困りますしね」
お前が口出ししたせいで後遺症が残った、と何の根拠もなく罵られる姿が目に浮かぶ。交流もなく、人となりも知らない衛兵相手には失礼な話だとは思うが、町長のは簡単に思い浮かんだ。
担架に乗せられた怪我人が、僕らの横を通り過ぎる。
衝突で腕が折れ、さらに折れた骨が皮膚を突き破り出血していた。
滴り落ちる血の滴。雪にそれが落ちると、赤色から桃色に変わったように薄くなり染みこんでいく。
ふと、鉄錆の臭いが僕の鼻をついた。
「シロイ殿、は知りませんね」
聞こうとして言葉を止める。一つ疑問が湧いたのだが、それにはきっとシロイは答えられないだろう。
「……なんじゃ?」
「いえ。騎士の人……なら知っているかな」
僕はシロイに答えながら、町長の横につく騎士の一人に歩み寄る。僕を見ても侮る気配はなく、何となく信頼できそうな雰囲気の人だった。
「あの、すいません」
「……何だ?」
町長の方を気にしながら、騎士が僕の方に体を向ける。町長の方は、もう一人の騎士と話し込んでいる様子で気にしてもいなかったが。
「雪海豚の討伐、というのはいつもこんなに大きな群れを退治するんですか?」
「いや。いつもは二匹や三匹くらいだ。今回のは、久々に大きな作戦だったな」
胸を張るように、嫌な顔一つせず答えてくれる。多分、町長の命がなければ一番前で働いてくれたろうに。
「では、話変わりますが……。この近くで、雪鯱、というものの目撃証言とかあるんでしょうか。雪海豚の半死体を作った疑いがあるとお聞きしましたが」
「ああ。勿論、ごく稀だがな」
「でしたら、その雪鯱は、どういったものを食べるんでしょうか」
「食べる……、何?」
「いえ」
僕は言い換えるべく言葉を探す。先ほどギルド職員から聞いた、この近くに出没する雪海豚以上の脅威は雪鯱と白煙羅といったか。
白煙羅のほうはよくわからないが、雪鯱の方はその名前からどういうものかを想像できる。
そして、想像できるからこそ、少し気になった。
「……たとえば、どういった姿が目撃されているんですか?」
「雪海豚をいたぶったり、商人を襲ったりだが……」
なるほど、やはり肉食だろうか。そして、ならば雪海豚が音で獲物を探っているように、何かしらのもので獲物を探っているはずだ。
それが雪海豚のように音ならばまだいいが、そうでなかったらどうしようか。
いや、音だけでもまずいのだ。これだけの雪面を叩く音を響かせて、そして断末魔の声まで響いている。
いたぶる、ということは殺さずに弱らせるような動作をしていたということ。それが遊びかどうかはわからないが、少しばかり知能がある。ならば、先ほどの断末魔はこの近辺に死体、もしくは弱った個体がいると知らせてしまっている。
そしてさらに、海にいる鯱がどうかは思い出せないが、光によらない探知方法をとるとすれば、音の他にもう一つあり得る。
ほ乳類と魚類という違いがある。形が似ているというだけだが僕は鮫を連想した。
「カラス殿。不味い気がするぞい」
シロイが、僕の後ろから声を掛けてくる。深刻そうな声音で、振り返ってみれば渋い顔をしていた。
補足するように、見回し、それから言葉を重ねる。
「先ほどから、鳥がこの近辺を飛ばなくなった」
「……不味いですね」
先ほど、大人数を視認しようとも雪海豚の肉を啄みに飛んできていた鳥。
その鳥の姿が見えなくなった。人間には警戒しない鳥が。
少しだけ笑えてきた。
「なんか、いつもこんな目に遭っている気がします」
「災難じゃのう。……やっぱ離れておこうかの、儂」
シロイが冗談を言うように、一歩身をひく。だが、遅い。
「狩人さんの中には、危惧していた方々もいそうな話ですけどね」
「……すまない」
シロイに向けた軽口に、騎士が反応する。この様子では、危惧していたどころか町長に話が行っているのだろう。
そしてそこで、怒られたとかそんな感じか。
視界の端で、白い煙が上がっている。
「騎士の方々のお力は借りられないんでしょうか?」
「町長! 左方地平線上より、不審な煙! 新手かと思われます、至急避難を!」
僕の呼びかけを無視して、騎士は町長を無理に立たせる。
「何を言っているのかね、新手なら応戦したまえ!」
「しかし……!」
事態をわかっていない様子の町長に、いらついた様子で騎士が唇を引き締めた。
「よっしゃあ月野流の出陣第二幕じゃああ! かかってこんかぁぁぁぁ!!」
僕の前方でシロイが構える。力強く、頼れそうな背中が見えた。
ようやく白煙に気が付いた様子の衛兵や狩人も、装備を出し構えをとる。シロイに触発されたのか、逃げようとする者はいない。
僕も、不敵に笑い白煙を見据える町長を背に、魔力を展開する。
敵が出るのは予想外だし、出ない方がいい。しかし同時に、ちょうどいいかもしれない。
シロイの笑いとは違う笑いが、僕の頬を吊り上げた。




