人の知恵など
すいません、最近既に遅れ気味なんですが、二十七日夜投稿分は、夜のうちには難しそうです。
定時で見に来ていただいた方はペースを乱してしまい申し訳ありません。
朝までには何とかしますので……。
街の北、街から出たすぐ目の前に現れた岩山。
岩山に見えるが、違うだろう。その山には木が一本も生えておらず、そしてやや丸みを帯びて見える。
そして、その麓ではいくつかの建物が並び、石工職人が所狭しと石を叩いて加工していた。同じ形の直方体に削り、出っ張りを叩いて潰す。その行き先は建材だろうか。
少し離れた場所から見上げれば、ちょうど青空と山の境界線が見える。
これは山ではない。採掘場。そして、硬い岩盤のような岩。これが、モスクとシャナが言っていた、イークスから飛んできた岩だろう。
仕事の邪魔をしたくはないし、そもそも近づいていいものかわからない。
しかし好奇心に勝てなかった僕は、透明化しその石に近づいていく。
カツンカツンという石を金槌で叩く音や、掘削のためにツルハシを打ち込む音がする。
担いだ棒の両端に籠をつけ、そこに屑石だろうか、細かく割れた石をつめてよたよたと人夫が運ぶ。重ねた直方体の石を麻縄のようなもので縛り、両手で一抱えずつ運ぶ屈強な男。
ぽろぽろと崩れるように脆い白い部分は軽いのか、大きめの冷蔵庫のような大きな石を、二人で運んでいる姿もある。
働く者たちの熱気に、空気が揺れる。
街の中は温かかったが、それでもなお、この掘削場のほうが温かい気がする。
この街で初めてみた薄着の姿に、僕はそう思った。
手を触れられる位置まで石に近づく。
四百年もの間に石はすっかり削り取られ、地上に出ている半円状のドームは上から見れば鼠が囓ったように抉れている。
色々と場所を分けているのは、その場所によって性質が違うからだろう。見た目も白っぽかったり黒っぽかったり、つるつるとしていたりごつごつとしていたり様々だ。
その四百年の歳月は、やはりシャナの存在も消し去ってしまったのだろうか。
何処を見ても、溶けた様子の石はない。何処も石工の手によるノミやツルハシの跡が残る。
石工たちに悪意があってやったわけではないだろう。けれど、少しだけ寂しくなった。
この寒空の下で働く者たちは、地下深くの灼熱地獄で暮らす女性のことを誰一人として知らないのだ。
街を焼き尽くそうとした怪物が実在していたことも知らない。
そして、考えてみれば、忘れられているのはシャナだけではない。
シャナは言っていた。『いっぱい死んだ』と。
シャナが忘れ去られている以上、その焦熱鬼の被害者たちも忘れ去られているだろう。
墓すらない。ただ記憶にだけ残っていた彼らは、人々の記憶の中からすら消えてしまった。
……モスクには頑張ってもらわなければ。
シャナを、笑い女を実際に見れば、皆も信じることだろう。かつてこの街には伝説の魔物と戦い散った女性がいたと。その女性は、自らの体を捨て去ってまで、この街のために尽くし続けていると。
何年後かはわからないが、モスクがこの街の建築に口出しできるようになるまで、頑張ってもらわなければ。
多分、半生か、ことによっては一生を掛けた仕事だ。
頑張ってほしい。その夢を追い続ける限り、僕はモスクの味方だ。
建築に僕は興味がない。
石ばかり見ていてもお腹はふくれない。
僕はその石の上を突っ切るように駆け上がる。この建材の利用に興味はない。
駆け下り、リドニックへの道を辿る。
背後を振り返れば、まだその岩山はただ鎮座している。人の手の四百年を鼻で笑うかのように、ただ手つかずに見えた。
そこから何日も歩き続ける。
ミールマンを出た後、景色はすぐには何も変わらなかった。
ただ、寒冷な地。乾燥しつつもあるのか土というよりは乾いた泥、というような地面にはなっているが、ネルグの森は何も変わらない。
青い実もそれを食べている鳥もそのままだ。
あのごろごろと鳴く鳥。その鳥は何度も見ていたので、二度ほど捕らえて食べてみたが、失敗した。
あの苦い青い実を主食にしているからか、肉に強い苦みがある。最初に食べてみたときは、イライン周辺の鳥と同じように捌き、焼いてみた。しかしその時は苦く、塩をつけても食べられたものではなかった。
焦がしたわけでもないのに、口の中に渋みと苦みが広がる。滴る肉汁まで、まるで重曹を水に溶いたかのような味がする。重曹は食べたことないけど。
結局その時は我慢して食べきったが、やはり不満は残る。
固くて食べれたものではなかった竜の肉ですら、食べる方法があったのだ。
冷煮込み。直接料理人に聞いたわけではないが、噂でその調理法は知ることが出来た。肉を入れ、さらに各種香辛料を入れた煮汁を沸騰させた後、保温容器に入れる。それを一昼夜掛けてじわじわと冷ますという行程を三度以上繰り返したのだという。
勿論その他にも蒸したり干したりする行程が目撃されたそうだが、その冷煮込みの煮汁を作る時点で僕には真似できそうになかったので、その辺はいいだろう。
その調理法は別に今はいい。
だが、竜の肉ですら食べることが出来た。なら、頻繁に森で目撃する鳥くらい、食べることは出来るだろう。
それに、今回は固さの問題ではなく、味の問題だ。
持っている調味料で何とかならないだろうか。そう思って色々と試してはみた。
桃椒という、酸味のある山椒のような粉を振りかけてみたが、やはり苦みが勝つ。
辛さで誤魔化せないかとムジカル産の辛子の粉を掛けてはみたが、効果はない。
甘さでもなんとも出来ず、ちょうどそれを試したところで肉がなくなったので、その日の挑戦はそこまでだった。
次の日、やはり調味料では限界があると思い、今度は調理法で何とか出来ないかやってみた。
水に晒せば苦みが抜けないかと、川を見つけてそこで長い時間洗ってみたが駄目だった。肉汁が苦かったということから、煮出せば苦い汁が出るんじゃないかと思いやってみたが、それも効果は出なかった。
煮汁を飲んでもほとんど苦みがないのだ。どうしても、肉と、その中の肉汁に苦みが残ってしまうらしい。肉汁が抜けてパッサパサになるまで茹でればまた違ったが、そうすると食感が酷いことになる。それに、肉自体はまだ苦い。
枝を切り出し作った串に通し、肉を囓る。
やはり、苦い。椿のような実から絞り出した油を使い、揚げてみたが無駄だったか。
飲み込もうとするたびに、喉の奥が拒否する。毒ではないというのは探査の結果よくわかっているのだが、それでもこの味だ。苦い。
昔いた開拓村で、子供に対して『これくらい食べられるくらいになれば大人だよ』と、苦みがあるアンディーブのような野草を食べながらこれ見よがしに言っている大人を何回も見た。それならばこれを食べてみろと言いたい。
苦みに苦しみながら咀嚼し続ける僕をあざ笑うかのように、上からゴロロロと声が響く。
見上げてみれば、羽の先が赤い、僕が今食べている鳥と同種の鳥だ。
最初に見たとき、警戒心のない鳥だと思った。
今ならその理由がわかる。捕食者がいないのだ。
ネルグの森は広大だ。何処かには味など気にせず食べる猛者もいるかもしれない。
だが、人間は食べない。だから、狩人もこの鳥を狩らず、そのためにこの鳥も人間を怖がらないのだ。
飲み込み、もう一口囓る。少し涙が出てきた。
食事とは、美味しいものでなければいけないのに。
命を奪った鳥には申し訳ないが、不味い鳥だ。まるで薬でも飲み込むようにしながら、鳥の肉を飲み込んでゆく。骨の際から肉をこそげ取るように、歯を立てて引き抜く。
骨を地面に埋めて、見上げてもまだ先ほどの鳥が木の枝に止まっている。
無表情だが、僕を笑うような鳴き声が腹立たしい。
悔しい。
次に食べるときは、違う手段を考えてやるからな。
無言でそう宣言した僕に向けて、鳥がにやりと笑った気がした。
そんなふうにして、鳥と格闘を続けてはや五日間。
突然地面の色が変わる。踏み心地も、全然違う。
いや、地面の色が変わったのではない。ただ、見慣れない景色に僕は圧倒された。
奥に見えるのは、吹雪に包まれた雪山だろう。けれど、そこに至るまでは平坦な道。だが、険しい道かもしれない。
雪。雪。雪。
一面の雪景色だった。




