今も昔も
「そもそも、私が知られていないなんておかしな話じゃないかしら?」
シャナは心底可笑しそうに笑顔を作る。体を前後に揺らすその姿は、どこか少しだけユーモラスだ。
「そうだけど……。そういや、何でなんだ? 街を救った英雄だろあんた」
「嬉しいこと言ってくれるじゃない。そうね、そうなるはずだわ。本当なら」
「また妙な言い回しですが……」
本当ならそうなるはず。つまり、今は不当にこの扱いを受けている。
それはどこかへの抗議の意を込めている言葉だろうか。大儲けの話とも関係なさそうだが。
「本当ならそうなっているはず。でも、そうなっていない。それは、ただ単に忘れ去られているからかしら。いいえ、違うはずよ」
「それは何か理由があってのことでしょうか」
「理由? 多分あるわね。つまんない理由が」
ケラケラとシャナが笑う。持って回った言い回しは、高貴な人特有のものだろうか。
座り直し、それから僕らを一度見回す。その目はもう笑っていなかった。
「私の活躍が知られていると、不都合な人がいた。なんて考えるのはどう?」
「そんなもの、誰が……」
モスクは言葉を切り、それから唾を飲んだ。
「通陽口を利用している王族」
「そう、あの子たちが一番怪しいところよね。だって知っているのに、記録に残さず知らないふりまでしてるんですもの」
シャナは、膝を打って高笑いする。
「ちなみに、その通陽口は貴方たちにとってどういうものなのかしら。この熱源は、どういうふうに伝わってるの?」
「生活のために必須なものとなってますね。そして元はたしか、王族の責務、とだけ……」
たしかモスクがそう言っていた。そんな妙なところで嘘は吐くまい。
「王族の責務! フフ、そうね、なんだ、正しく伝えてはいるじゃない! でもその話に、私の名前はない。でしょう?」
僕もモスクも答えない。だが、明白なことだ。それを誰も否定しなかった。
「私にも、この部屋のことを隠した理由ははっきりとはわからない。でも、簡単に想像はつくわ。あの頃から彼らは私の存在が邪魔だった。この街で、私が唯一の魔法使いだったんだもの。民の人気を集めたい彼らには、とてもとても邪魔な存在だった」
ぽつぽつと、そうシャナは呟くように言った。
なるほど。本当につまらない理由だ。僕も苦笑しため息を吐く。
ルルが巻き込まれた諸問題。その辺りは、四百年前も今も変わっていないというわけか。
僕はシャナの言葉をまとめ、補足するようにして口に出す。
「公文書には残さず、その便利な機能だけ利用して、それも王族の仕事だと言いながら貴方の功績を掠め取る。なるほど、本当につまらないですね」
「そんなところだと思うのよ。派閥争いだの、権力闘争だの、奴らは上から下までそればかり。ああ、やだやだ」
「でも……」
だが、それにしては少しだけ不自然だ。
公文書に関しては隠蔽が可能だろう。だが、その場には民もいたはずだ。それに、唯一の魔法使い、ならば事件に関係なく彼女の存在自体は知られていたはず。
「口伝でも残っていない、というのは不自然じゃないですか?」
「……俺も、噂話とか全部知ってるわけじゃねえけど、そうだよなぁ……」
モスクも頷く。孤児である以上彼らはそういった話に触れづらいとは思うが、それでも街中で頻繁に活動しているのだ。そんな話が伝わっていれば、どこかで触れる機会もあるだろう。
「残ってはいたみたいよ。少なくとも私は読んだことがある。この、二層か三層か上のところに置き忘れていた本の中でね。でもそれは、子供向けの本だった」
「……そこまで本気で隠蔽していたんですか」
シャナは頷く。
つまり、その内容が語り継がれていないわけではない。ただ、それはおとぎ話としての話で、本当の話としては伝わっていないのだ。グスタフさんが昔言っていた。噂話の隠蔽のためには、少しだけ違う話を拡散する、と。
もちろん、はじめの数世代にとってはそれは事実だろう。けれど、世代を重ねていくごとにその口伝の信憑性は低くなっていく。それと同じような内容のおとぎ話が本にあれば、それは単なる子守歌のようなものになってしまう。
『お婆さんが昔してくれた話』が、『本に載っていた話』に変わってしまうのだ。
「まあ、その辺りはどうでもいいわ。でも、そこで重要なのが、相手はそれだけ必死で私のことを隠そうとしているってことよ」
「重要……、ああ」
話が戻ったのか。そうか、これこそシャナが言っていた『儲け話』。
「私の話を、上で広めなさい。そして、口止め料をがっぽりいただいちゃいなさい。私が貴方たちにあげる宝物は、この話よ」
言い切ったシャナの顔には、清々しい笑顔が浮かんでいた。
多分、これは本当に儲け話のつもりでもあるんだろうが、彼女にとっての本心は少し違うのだろう。そんな気がする。
「え、えっと……」
モスクが眼鏡を直す。眉根に皺を寄せて、少しだけ唸った。
「つまり、王族を脅せ、と」
「簡単でしょ? 多分、王族の間ではこの部屋の存在は伝わっているでしょう。王族が四百年の間抱えた秘密を暴露する。向こうもそれなりに本気になるんじゃないかしら?」
シャナはそう言い切る。
だが、そうか。彼女は元王族だ。だから、彼女の発想は……。
「……多分、無理かと思います」
僕は口を挟む。水を差すようで申し訳ないが、本当のことなので仕方あるまい。
シャナは僕の方を向き、首を傾げる。
「何故かしら?」
からかっているわけでもない。本当に意味がわからないのだろう。それは、生粋の王族と、僕らの違いだ。
「本気にはなるでしょう。でも、それが本当にばらされたくない話であれば、王族は本気で僕らの首を落としに来ます。交渉の余地なんてありませんよ」
悲しそうに、モスクも何度も頷く。自分で言っていても、少しだけ悲しい。
「俺ら孤児が、そんな交渉なんて出来ねえよ、なあ」
「あら、そういうものなの?」
シャナも、唇を尖らせて残念そうな顔を作る。馬鹿にしているわけではないだろう。
彼女のような王族であれば、王族相手に話し合いが出来る。もちろん誅殺される危険性もあるだろうが、交渉の余地があるのだ。
だが、僕らにはない。僕らの命は軽い。悲しいほどに。
「それに、僕らに市井での発言権はありません。仮に今の話を表層の広間で皆に言おうとしたところで、聞く耳を持つ者はほとんどいないでしょう」
「……そ」
シャナは息を吐く。それから天井を見上げた。
「私がいたころは、そんな子たちなんていなかったのに。時代は変わってしまったのね」
「人が少なければ、当然孤児なんかも少ないですから。それだけ、この街は栄えたんです。シャナ様のおかげで」
僕の言葉をかみしめるように、そして誇るようにシャナは微笑んだ。
「でも、困ったわね。私としては、とっておきの儲け話のつもりだったのだけれど」
んー、とシャナは目を閉じ唇を引き締める。それから、髪の毛を両手で掻き上げた。
部屋の主が唸り、会話が止まる。少しだけ、居心地が悪くなる。
手持ちぶさたになった僕は、周囲を見渡す。
石材を運んだり、無意味に踊るようにして歩き回っている人工生物が目にとまった。
「そういえば……」
僕が口を開くと、両頬を手で吊り上げるようにしながらシャナが顔を上げる。
「彼らは、いったい何なんでしょうか。シャナ様が作った人工生物……であってます?」
「そうよ。本当は戦闘用なんだけどね。暇だから増やしてったら、死なないし何百匹にもなっちゃった」
視線の先では、のっぺらぼうの白熱した人形がエヘンと胸を張る。なんだか、トイレのマークみたいだ。
「私が以前見た人工生物は魔道具で作られたものでしたが、これは、シャナ様の魔法で?」
魔道具は魔法使いには使えない。だが、人形を作ることは自分でも出来るだろう。多分、僕にも出来る。やる気は無いけど。
「いいえ。私の神器よ。〈死者の船〉って言うんだけど。これね」
シャナが自分の髪飾りを指さす。その六芒星の髪飾りが……。
「神器!」
モスクが反応する。まあ、わかりやすいお宝だから当然か。
しかし、軽く言ってくれる。王族の魔法使い、持っていてもおかしくないとはいえ、僕らは本来目にする機会すらない至宝なのに。
僕らの内心を知らず、シャナは口を開く。
「ここ、通陽口……っていうかこの部屋に、貴方たちが死体を落とすじゃない?」
「そういえば、そんな風習があると……」
モスクの方を見れば、モスクは髪飾りに夢中で聞いていなかった。
「その死者の骨の欠片を核にして、そしてその周囲の要素に影響を受けない人形を作る。たとえばこの部屋なら、焼けない人形ね」
ぴょんぴょんと視線の先で輪になった人形が跳ねる。
そして一匹がくるりと回ると、熱を発しながら弾けた。その弾けた欠片が炎に変わり凄まじい熱量を発するが、その周りを取り囲んでいた人形には何の影響もないようだった。
「残念だけど、これはあげられないわよ。これは、必要なものなんだから」
「……ああ」
名残惜しそうに見ているモスクから隠すように、シャナが六芒星を手で覆う。
それを見て、今度はモスクが唇を尖らせていた。
まあ、それは構うまい。
神器。結構なお宝だが、それを欲しいとは思わないし、モスクが仮にもらったところで換金することは出来ないだろう。僕らにとっても、無用なものだ。
……いや、換金できない? 本当にそうだろうか。
僕の脳裏に、何か浮かぶ。妙案ではない。けれど、一応お宝が手に入るだろうか。
うん。言ってみても良いだろう。上手いことすれば、モスクの目的は達成できるし、誰も損をしない。駄目なら別にそれでもいいし。
「じゃあ、あれ頂けます? 一部でいいので」
僕は、部屋の中央にある光を指さす。
シャナはそれを見て、また首を傾げた。




