焦熱地獄が出来たわけ
「聖獣、というとかつて魔王が配下にしたというあれですか」
千年前の勇者が討伐した魔王。それらに付き従っていたのは五匹……だっけ? の聖獣だったといわれている。焦熱鬼は初耳だが、何種類もいるのだろうか。
「ええ。とても優秀な魔物使いだった魔王に従い、勇者と戦ったといわれる彼ら。まさに神話の登場人物よ。私も、あのとき初めてこの目で見たわ」
「聖獣は聖領の奥深くにしかいないはず、とシャナさんも仰いましたが」
たった今、そう言っていた。
「そうだよな。何で、隣といってもだいぶ離れているエーリフの聖獣がイークスから飛んできた岩に紛れてるんだ?」
「そんなの知らないわよ」
紅茶をクイと傾けて、シャナはそう吐き捨てる。興味が無いところに無関心なのはエウリューケそっくりだ。
「……イークスで、山脈が作られる過程はご存じ?」
「知らねえ」
「すいませんが、僕もです」
諸手を上げて僕はそう返す。少しだけ悔しいが、恥ずかしくはない。
遠く離れた土地について知る術は、この世界では少ないのだ。
「そ。簡単に言えば、泥団子を作ってるのよ。見渡す限りの荒野の中、竜巻で巻き上げられた粉塵が天地が常に入れ替わり続けるために集まって塊になる。固く堅牢な岩になるまで圧縮されてね。やがて、山脈ほどの大きさになった岩が、空に向かって落ちてゆく」
「……正直、想像しがたいんですが」
荒野の中に竜巻が吹き荒れる。それはわかる。きっと、砂嵐が常に吹いているような土地なのだ。
僕の脳裏に、昔見た無声映画の風景が浮かぶ。テンガロンハットを被ったカウボーイが、荒野で荒くれ者相手に銃で戦うような、そんな光景。題名も俳優の名前も覚えてはいないが、多分僕はそれをどこかで見たのだろうと思う。
だが、天地が入れ替わる? どういうことだろうか。それに、空に向かって落ちていく、とは。
「そればかりは、行ったことがなければ難しいかもしれないわね。今度、行ってみたらいかがかしら。貴方たちは何処にだって行けるんですもの」
僕の苦言のような呟きに、シャナは寂しそうに返す。まあ、百聞は一見にしかずというけれども。
「まあ、その過程でよく動物が巻き込まれるらしいのよ。多くは鳥、たまに魔物なんてのも出てくるらしいわ。たまたま隣の聖領にお散歩に来ていた聖獣がそこに巻き込まれた、なんて素敵な話じゃないかしら」
冗談めかしてシャナはそう言うが、笑えない話だと思う。
五匹集まり世界に対して脅威となった魔物が、飛んできた石から普通に出てくるなんて、恐ろしい話にもほどがある。
「……続きを話しても?」
「あ、ええ、はい。すいません」
じとっとした目でシャナは僕とモスクを見る。話の腰を折られたのが気にくわないのだろう。気になったのだから仕方ないが。
「あの石は、はじめ無害なものだと思われていた。ところが、半壊した街の修理やら何やらであの石が採掘されはじめたその時、妙なことが起きたの」
「妙なこと?」
「ええ。この寒冷な街にしてはおかしなほどの気温の上昇。現場の作業員の水筒が、口を開けておけばすぐに空になってしまうほどのね」
温度が上がったことにより、湿度も下がってしまったのだろうか。
「そして、やがてその焦熱鬼が出てきたわ。薄くなった岩盤を溶解させて、真っ赤に焼けた溶岩と一緒に」
「……溶岩っていうと、あれか、エーリフ全体が沈んでるっていう」
「そうね。ただエーリフのとは関係なく、焦熱鬼が溶かしたものだったみたいだけれど。長年の絶食で弱っていても、岩を溶かすくらいの力はあったみたい」
熱は防いでいるのに、想像して額に汗が浮かんだ。
それはつまり、今この部屋を覆っている熱気の正体が……。
「出てきた瞬間、この街に夏が訪れた。いいえ、夏どころじゃない。街の反対ですら感じる熱気。近づけば剣は形を失ってしまうし、鎧は体にまとわりつく。炎もないのに服は燃え上がり、人々の体は真っ白な灰になって崩れていく」
本当に、夏、なんてのどかな雰囲気の状況じゃない。灼熱地獄、といったほうが正しいだろう。
シャナが顔を伏せる。流石に、笑顔で出来る話ではないようだ。
「いっぱい死んだわ。ちょうど城に詰めていた私が現場に駆けつけるまでに、騎士や衛兵、それに戦う術を持たない人たちまで」
モスクが、眉を顰めて声を上げる。
「ちょっと待てよ。俺たちはそんな話も聞いたことすら」
「そう、なのよ。貴方たちはそれを知らない、でしょう? だから、私のことも知らなかった」
それに応える苦しそうなシャナの声。だが、そこにいたずらじみた声音も混じっている。
顔を上げたシャナは、懸命に笑顔を作っているように見えた。
「私は、肉のあったときは五本指の魔法使いよ。その私ですら、弱っていたにもかかわらず焦熱鬼にはまるで歯が立たなかった。笑うしかなかったわ。吐き出す火球に障壁は役に立たず、随行した騎士を守る事なんて到底出来なかった。笑える雰囲気でもなかったけど」
「でも、貴方は生きている」
歯が立たなかった、とは言うが、それでも焦熱鬼は生首となり、そしてその様子をシャナは今語っている。勝利したはずだ。
「生きている、といってもいいのかしらね? 貴方はもう、私の状態に察しがついているんじゃないかしら」
僕は、手の中の紅茶に目を向ける。
味はしている、匂いもある。水色が薄く、カップの縁の黄色が強いのがミールマン産の紅茶の特徴だ。
だが、足りない。一口含んで飲み込めば、喉を通る感触までは再現してあるのだが。
「ええ」
僕の手の先だけ、闘気を活性化させる。障壁を消すような真似はしないが、それでも気をつけながら。
すると、予想はついていた不思議なことが起こった。
「おぇ!?」
モスクは驚いたようで、僕の手の先を見て目を丸くする。シャナの方は、目を細めて唇を吊り上げた。
驚くだろう。僕も、人がやってたら驚くかもしれない。
僕の手の先のカップが透けて、そのまま消えてしまったのだ。
「重さや熱を感じていない様子の体に、この魔力で形作られた紅茶。多分、それは全部同じものでしょう。貴方の体は、全て魔力で出来ている」
「……その通りよ」
僕とシャナは、視線を交わして確かめ合う。
だが意味がわからないようで、モスクは口を挟めない様子だ。ただ、眼鏡が少しずり下がった。
「本体は、先ほど僕らに声を掛けてきたあの体ですね」
「そうね。まだ肉の部分が少し残っているから、ゆっくりと魔力で形作られた体に入れ替えているのよ。あと百年もあれば完了するわ」
「最後には、魔法で作られた体が完成する。……危険じゃありませんか?」
僕は好奇心からそう尋ねる。やっていることはわかったが、意図がわからない。
魔法で作られたものは魔力の供給を絶てば消えてしまう。昔、グスタフさんのセーフハウスを魔法で掃除したとき、水が蒸発するより早く消えてしまったように。
だから、僕やモスクの喉を通った紅茶は、胃へと到達しない。多分本気で作れば青酸カリのような胃で作用する毒も作れるだろうが、限界がある。
それに、闘気にも弱い。多分、その体は切り離せば治す間もなく消滅する。レイトンやデンアならば、手を触れずとも消滅させられる。紅茶が食道内で消えてしまうのは、それもある。体内には闘気が満ちているのだから。
「必要なことなのよ。それに、そう悪いものでもないわよ?」
シャナは口に手を当てて笑う。その手も、笑い声も、彼女が一つ一つ操作しているのだ。
「魔法使いの寿命は不安定だけれど、精霊化してしまえば思考の続く限り延びる。それに、肉のあるときには」
指を振る。それだけで、僕の手の中に再度紅茶が出現した。
「ここまで魔力を上手く扱うことは出来なかったわ。魔法使いの障壁をすり抜けて、五本指の限界を超えた位置で魔法を使うなんて」
今度は違うところの紅茶だろうか。少し桃色がかった紅茶は、先ほどよりも花のような匂いが強くなっている。
啜れば、やはり味も違う。なんというか、高級そうな味だ。
「……精霊化?」
味も重要だが、そちらも重要か。シャナの言葉に出た単語を聞き返す。
「そうね、それも知られてはいないわね。私から貴方への贈り物だと思ってちょうだい」
「精霊とは、魔物の一種だと思っていましたが……」
「そう言われていたわね。けれど、少しだけ違うのよ。これは、私たち王族に伝わる秘術でもあるわ。そういうものが存在すると貴方は知った。得したわね?」
「王……!」
モスクが、飲みかけていた紅茶を吹き出して咳き込む。
「あら、驚かせてしまったかしら。王族といっても、傍流もいいところ。系譜を記せば、部屋いっぱいに広げた紙の端っこに名前が載るくらいなんだけど」
「失礼しました!!」
モスクが立ち上がり、頭を下げる。こういうところは見習わなければいけないだろう。
「だからぁ、名ばかりのものなんだから気にしないでいいってば」
手を振って、ケラケラとシャナは笑う。
ここまで話が進んでしまえばもうあまり関係はないだろうが、それでもモスクの対応の方が正しいのだ。僕も席を立ち、胸に手を当て会釈する。
一応、ここに来るまで着席を断ったり、礼には則っているはずだ。ため口を除けば、モスクもそう問題はあるまい。
シャナは、そんなことを考えていた僕に目を留めた。
「あら、貴方の方は落ち着いているわね」
「最近、王族とかに会っているので」
記憶に新しい、メルティもリドニックの王族だ。『元』がつくが。
「そ。まあ、どうでもいいわ。そっちの子も……モスクといったかしら? 楽にしていいわよ。私的な場ですもの、こんな地の底でまで、かしこまることはないわ」
「しかし……!」
「一応そういうのも礼儀だったかしら……、まあ、本当にさっきまでみたいな感じでいいわ。私も、もう歴史から抹消されている身だしね」
寂しそうに、そうシャナは口にする。歴史から抹消されている、というのは後世に伝えられていないということと同義だろうか。
落ち着いた僕らは座り直す。それをつまらなそうに見ていたシャナは、背筋を丸めて息を吐いた。
「まあ、話を戻すけれど。歯が立たなかった私は、それでも相打ち覚悟で焦熱鬼と差し違えた。焦熱鬼が弱っていたのと、大魔法を使うために兵士たちが命を捨ててくれたおかげで、そいつの首を引きちぎることが出来た」
「よかった……のか?」
「そうでもないわ」
シャナは、焦熱鬼の首を見つめてため息をつく。
「焦熱鬼の眼球は熱の塊よ。それに制御を失ったのか、死んだらそれがさらに強くなってしまった。せっかく復興しかけた街が、焼き尽くされそうなほどにね」
「もしかして、それが」
モスクが口を挟もうとしても、シャナは言葉を緩めない。というか、モスクも王族の話に口を挟もうなんて、先ほどの態度を考えると勇気ある行動だ。それだけ好奇心が強いということだろうか。
「だから、私は死ぬ寸前、大地深くに穴を作った。焦熱鬼と私だけを入れる穴」
「それがここですか」
「ええ。それしかなかったのよ。そして持っていた塗料で精霊化のための魔法陣を壁に刻み、残った魔力で熱を抑えつつ自縛した。それがこの部屋。知ってしまえば、簡単な話でしょ?」
そう問いかけるシャナに、何も言い返せなかった。
「それからは私は遠隔でしか知らないんだけど、続きを聞くかしら?」
「お願いします」
「じゃ、次はこの街が広がっていった理由ね。推測もかなり混じっているけど」
どこから取り出したのか、シャナは焼き菓子をほおばる。さくさくと軽い音がした。
「あのときにいた王族の誰かが、この熱気を利用しようとしたんじゃないかしら。限界があるから定期的に放熱をしているんだけれど、その放熱のための穴に沿って、貴方たちが通陽口と呼んでいる穴が作られているんだもの」
「やはり、あの熱風が……」
定期的に吹いている風。そして、通気口内部を吹いている風は、やはりここ由来だったか。
「百五十年はかかったかしら。私が分霊体を作って外を見たときには、もうそんな建物が作られていた。分霊体というのが、さっき貴方たちと会ったときのあれね」
「あれですか」
目を見開き、奇声を発する女。思い出すと少し背筋が凍った。
「でも、建物に沿って魔力を伝わらせているから、複雑化した建物のせいでなかなか上に昇れなくて困ったわ。それでも徐々に上に行けるようにはなっているんだけど、それに時間を掛ければその分人がいる層が上に上がっていってしまうから」
「だから、人に会えなかった、と」
「そう。たまに見ても、びっくりした様子で逃げちゃうし。貴方たちが初めてよ。逃げなかったのは」
嬉しそうにシャナは笑った。
逃げなかったのはモスクだけで、僕が逃げようとしたことは秘密にしておこう。
そう思った。
「その話はどうでもいいわね。で、『王族の誰か』と私は言ったわ」
「ええ。通陽口を利用しようとしたという……」
「モスク君。約束を果たすわ。私の代わりに、大儲けしちゃいなさいな」
多分、儲けという言葉に反応したのだ。
モスクは眼鏡の位置を直し、居住まいを正した。




