明日生きるために
僕に名前がついた。
ハイロが考えたというのはその時点でもう少し気に入らないが、名前にすると言い出したのはグスタフさんだ。
名付け親はグスタフさんと思えばいい。
少し気に入らないが、そう思えばまあ、それはそれでいいだろう。
少し気に入らないが。
「あ、話の腰折ってすいません。続きをどうぞ」
そういえば、今はハイロとリコの就職相談の真っ最中だった。忘れる前に、続きを促す。
「なあ、話に腰なんてあるのか……?」
「話を途中で止めた、って意味だよ」
小声でリコに尋ねるハイロが微笑ましい。グスタフさんはその姿を見て鼻を鳴らした。
「それで、そいつ……カラスに助けられたから仕事が欲しいって?」
早速使われる僕の名前だが、やはり慣れるまでは大変そうだ。実感が薄い。
「あ、ああ。俺たちも、自分で自分を助けられる力が欲しい。カラスみたいに魔法は使えないけど、金を稼げればそれなりになんとかなる。何か、出来ることをしたいんだ」
「僕たちだって、何か出来ることがあると思うんです。人に迷惑を掛けずに、明日のことを笑って考えられるようになりたいんです」
「自分に出来ることを……ねえ……」
グスタフさんはクルリと後ろを向く。
ハイロ達に表情を窺われたくないのだろうか。しかし、斜め後ろからちらりと見える横顔は、微笑んでいるように見えた。
「まあ、死にそうになったら考えが変わるなんてことはよくあることだが、お前らは極端すぎるな」
またゆっくりとハイロ達の方を見ると、また無表情に戻っている。
きっと、笑顔を見られたくないのだ。僕が静かに苦笑すると、抗議の視線が送られてきた。ハイロ達は、気付いていないだろう。
「代金は出せるんだろうな?」
そうグスタフさんが言うと、ハイロもリコも固まった。まさか、何も考えていなかったのか。
「ど、どれくらい必要ですか?」
「紹介する仕事にもよるが、……そうだな、銅貨二枚程度だな」
「え? その程度?」
リコが驚きの声を上げた。
「まあ、そんなもんだ。どんな仕事かにもよるから、もっと高い場合もあるし低い場合もある。問題は、お前らに何が出来るかだ。お前らに、何が出来る?」
グスタフさんはそう言うと、黙ってハイロ達を見つめる。
まるで面接でも受けているかのような光景に、僕は不謹慎ながら楽しさを感じた。
「俺は、速く走れる」
ハイロは半ば叫ぶようにそう言い切った。
「ひったくりでも、大人に負けねえくらい速く走れるし、人混みの中だってぶつからないで走れる」
鼻息荒くそう言うと、胸を張って見栄を張り、それから黙ってしまった。
まさか、今のでアピール終わりか。
「俺は、……何でしょう?」
続いてリコも、という流れではあったが、そうでもなかったらしい。
「……俺は、得意なものはありません。ハイロみたいに体が強くもないし、……カラス君みたいに魔法が使えるわけでもないです。でも……」
そこで言葉を切り、悩む。
きっと今、必死に考えているんだろう。何か、自分が持っているもの、人より優れているかも知れないものを、懸命に。
「……そうですね、ハイロとの食料品の分配や保管の割合を決めるのは俺の役目でした。……きっと、何かを計画するのは出来ると思います」
二人の言葉を黙って聞いていたグスタフさんは、片目を閉じおもむろに口を開いた。
「二人とも、そんなもんか」
そして腕を組み、考えている。これは、どういう解釈をすべきだろうか。
断ることを考えているのか。それとも、紹介すべき仕事について悩んでいるのか。わからない。
「とりあえず、お前らは明日また来い。そのときまでに、何か考えてやるよ」
答えは、前向きな返答だった。
「いいんですか?」
「報酬の問題以外で、俺が取引を断ったことがあったか?」
リコに向けて、諭すように言った。たしかにこの店主は、金さえあれば何でもしてくれる。
「でも、代金が」
ハイロがそう言うのを遮り、グスタフさんが続けた。
「お前らが受け取る報酬の一部を、俺の取り分にする。それで問題無い」
「そんなこと」
「その方が、俺も取りっぱぐれがないしな」
そして、おそらく初めてだろう微笑みを、二人に向けた。
「じゃあな、カラス……さん」
「カラス君、また」
相談はまとまった。
とりあえず明日、二人は何処かの作業所に紹介されるらしい。就職だ。
明日に向けて早く休もうと、二人は早々に帰っていった。
「代金後払いなんて、珍しいんじゃないですか?」
「ん? ああ……」
代金の後払いが可能であるならば、今までの展開がだいぶ変わってくるのだ。
具体的には、リコの薬があの場で何とかなったのだ。分割での後払いを認めていれば、あいつらも銀貨三枚程度、なんとか返せただろう。
「たいしたことじゃねえよ」
「またまた、優しいじゃないですか」
そう褒めるが、グスタフさんの表情は変わらない。
「銅貨何枚か頂くよりも、報酬の一部を長く頂いた方が金額が大きく出来るからな。それだけだ」
「……そうですか」
多分、本音だ。
「そういえば、これであの二人も就職することになりましたが」
「ああ」
「これは、二人が何処かの商店の見習いになる……てことでいいんですか?」
「大まかに言えば、そうだ」
当然のようにグスタフさんは頷いた。
だが、そうだとすると疑問が残る。
以前、就職に関し尋ねたときの話では、家業以外の店での見習い修行は成人してからだった。
しかし、二人は明らかに成人ではない。
「成人じゃない彼らは、就職が出来ないはずじゃ?」
「ああ、そんなことか」
瓶の蓋をキュポッと開けて、口に宛てがいながら答える。
「簡単なことだ。奴らは、その商店に就職するわけじゃないからな」
「……どういうことでしょうか?」
一口水を呷るグスタフさんに、詳細を求めた。簡単に理解出来るものなのか。
「俺の、石ころ屋から派遣された手伝いなんだよ、奴らは」
「就職しているのは、あくまで石ころ屋。その業務の一環で、その商店に行き、手伝いをして手間賃を持ってくる、ということですか」
「そういうことだ。察しが良いじゃねえか」
なるほど。派遣社員としての就職だったのか。
それならば僕も。
「言っておくが、お前には使えねえぞ」
「……何故です?」
言いたかったことが先回りして潰された。何故僕は出来ないのだろうか。
「さすがに小さいからだ」
また年齢の問題か。僕は溜め息を吐いた。
「でもそれなら、ハイロ達だって……」
「ハイロ達は……そうだ、そういえばその話の途中だったな」
何の話だ。
「この前、お前が探索者になるのに、あと五年も要らねえって話をしたな」
「あ-、その話ですか」
リコの三日熱からレシッド、衛兵達との事件でうやむやになってしまった話だった。途中で切れて、気になってはいたのだが、正直、忘れていた。
「ハイロ達は、何歳だと思う?」
「……七歳、八歳くらいでしょうか……?」
僕よりも多少大きい程度だった。そのくらいだとずっと思っていた。
しかし、よく考えてみれば、僕は例外としてこのくらいの歳の子供にしては喋り方や行動がしっかりしているようにも思えてくる。
まさか。
「奴らは、十一歳程度だ」
「マジですか」
若く見える、いや、幼く見えるのか……?
「こういう貧乏暮らしをしている奴らってのはな、体が小せえんだ」
「まあ、そうでしょうけど……」
直接触ったリコのお腹を思い出す。たしかに、肋が浮いた、細く小さい体だった。
「だから、実際の年齢よりも幼く見える。むしろ、正常に育っているお前がおかしいんだ」
「……食べ物の問題ですかね……?」
昔から、食べ物がなくて飢えることはなかったと思う。
「かもしれねえな。まあ、だからお前も、八歳,九歳くらいって言っても多分バレねえ」
「じゃあ、もう少し大きくなったら」
「ああ、探索者ギルドに入ることは可能だろうな」
明るいニュースだ。
五年も待たないといけないと思っていたのが、短縮出来る。
もうすぐ、一般市民を見返してやれるのだ。
言葉に出してみれば小さい目標だが、僕にとっては今のところ人生の目標に近い。
その目標に辿り着くまでの時間が短くなったのだ。喜んでいいだろう。
喜色満面の笑みを浮かべただろう僕の顔を見て、グスタフさんの表情も緩む。
ハイロ達にも、もっと隠さずに笑いかければ良いのに。
コホン、と咳払いを一つして、グスタフさんは無表情に戻る。
「話を戻すが、早い内、出来れば今日か明日中に隠れ家に行け」
もう笑顔は終わりか。本当に、長く付き合った人限定かも知れないが、表情が変わりやすい人だ。
「わかりました。念のため、今から行こうと思います」
隠れ家の地図はおぼろげに覚えている。確信はないが、そこに行けばわかるだろう。
「ああ、そうしろ」
そう命令するように言うと、グスタフさんは丸めた書類をまとめて持ち上げる。倉庫にしまいに行くのだろう。
しかし、まだ一つ用事がある。僕はその横顔を呼び止めた。
「あ、で、一つ手に入れて欲しいものがあるんですが」
「何だ?」
荷物を抱えたまま、グスタフさんは振り返る。
二週間も暇が出来たのだ。
この機会に、色々勉強してみるべきだろう。
グスタフさんはその品物を手に入れたら、隠れ家まで持ってきてくれると約束してくれた。
良い暇つぶしが出来そうだ。




