昔むかし
「あら、そんな警戒しないでよ」
僕がモスクの前に一歩出ると、それを見てシャナは目を細めた。
警戒するな、というのは無理だろう。明らかな死体が起き上がり、灼熱に覆われた部屋で平然と話している。
先ほど見た大きな死体の頭部も含めて、異常事態ばかりだ。まるで、遺跡の中にでもいるような。
「この熱に、何の影響も受けていない方が言えることではないと思いますが」
「それは貴方も同じじゃないかしら。いいえ、貴方の方が異常よ。後ろの子には、何の力も無いんだもの」
シャナが一歩歩く。だが、ただ歩いたその動作に僕は違和感を覚えた。
体重が感じられないのだ。
武術の達人ともなれば、体重の移動を悟らせない動きが可能だという。たしか、空手の達人が放つ直突きは、肩も頭も揺らさぬ歩法で打たれるため間合いを見誤ると聞いたことがある気がする。
水天流にも似たようなものはあるし、すり足での水平移動と考えれば、拙いがバーンも似たようなことをしていた。
だが、これは違う。
歩法によるものではない。ただ、体重が感じられないのだ。踏み出した一歩に重さが乗っていない。先ほど、体が再生する途中に吊り上げられたかのように空中に浮かび上がったが、それがまだ続いているかのように。
まるで水中で歩く真似をしているような仕草に、僕は釘付けになった。
「私の肉がまだあった頃、詠唱なしでそんな真似は出来なかったわ。とても強い魔法使いみたいね。片手以上はあるかしら」
「その分類には僕は当てはまらないので、なんとも」
「そう、まあ別にどうでもいいものね」
パンパンとシャナが周囲を見回しながら手を叩く。見回した先にいるのは先ほどの人工生物で、それが頷きあい、僕らの周りに集まってくる。
何をする気だろうか。敵意はないし、障壁外から攻撃するにしても通じないということはわかってはいるが、表情も何もない人工生物はやはり不気味だ。
「だからぁ、警戒しなくっていいってば」
シャナが言う。すると、人工生物は三匹ほど集まり、それから大きな塊になった。
ぐねぐねと動き回るその粘土のような塊が玉になり、それから歪み、玉を上から棒で叩いたような形になる。
これは、椅子か。見れば、シャナの方にもいつの間にか作られたその椅子に腰掛けていた。
「座りなさいな」
「これ、熱くねえか?」
モスクが心配そうに尋ねる。もっともな疑問だ。というか、部屋の中の温度に紛れているがこの人工生物もかなりの高温なのだ。多分、腰掛ければそのまま僕らは姿焼きになる。
その言葉を聞いたシャナは、一瞬不満そうな顔をする。だがそれは一瞬だけで、また友好的な顔に戻った。
「あら、そ。お気に召さないの?」
シャナは僕も見るが、僕も正直座りたくない。僕の方は何とかなるかもしれないが、それでも人工生物は触りたくない。これは、理性とかそういうものではなく本能的なものだろう。
「ええ。少し僕らには向いていないと思います。熱が出ていなければあるいは」
「ああ、まあ、この子たちも冷ましちゃうと活動停止しちゃうし、そういえばそうね」
言葉が終わると同時に、僕らの近くに置かれた椅子が弾ける。
三つに飛び散った不定形の塊は、粘度の高いインクのように潰れ、それから尺取り虫のようにぐねぐねと動いて先ほどの人型に戻った。
「肉のある人と話すなんて久しぶりだから、ごめんなさいね」
そう言いながら、シャナは部屋の隅を見る。そこからは、人工生物が建材に使われているブロックの塊を一つずつバケツリレーのように運び入れていた。
そのバケツリレーの終端は、僕とモスクだ。
やがて、ある程度の山になると、シャナが手を振る。そうすると、またカチャカチャと建材が音を立てて組み合わさり、あっという間に椅子の形になった。
だが、近づいたところでやはり熱い。この部屋に運び入れた瞬間から加熱されているのだ。障壁に触れた瞬間、現在の障壁の耐熱性を上回ったのだろう、熱気が感じられた。
多分抗議の意を込めて、モスクはシャナを見る。だがシャナは気にせず、僕の方を見て言い放った。
「貴方なら冷ませるでしょ」
「……ええ」
急激に冷ますと割れないだろうか。そうは思ったが、ゆっくり冷やすのも面倒だ。魔力に覆われた石の椅子の温度を強制的に下げれば、結露したのだろう、じとっと濡れた椅子が出来上がった。
だが、まだ温かい程度に温度は残っている。すぐにそれは蒸発してしまい、乾燥した椅子に変わった。
すとんと、僕とモスクも椅子に腰掛ける。
気味の悪い生物が動き回り、中央には奇妙な死体がある灼熱の部屋で、元死体の女性と向かい合う。何から何まで不可思議な状況だ。
「そうそう、お茶でも出した方がいいかしら」
今気が付いたかのように、シャナは指を振る。それだけで、いつの間にかシャナの手元に三つ、紅茶のカップが出現した。それも、中身入りで。
しずしずと人工生物がそれを運ぶ。その高温でもカップは無事なようで、中身が煮立った様子もなかった。
僕らに差し出されたそのカップを手に持つと、軽くてまるで本物の陶器のような感触がした。モスクならばきっと騙されてしまうくらいに精巧に出来たカップは、眺めてみれば少し古くさいデザインだ。
一口含む。毒は無いだろう。味はちゃんと紅茶の味だし、この量の魔力であれば、モスクにも害は出まい。どちらかといえば、毒にも薬にもならない、といったほうが正確か。
僕が飲んだのを確認して、モスクも心配そうにしながら一口啜った。
シャナが、改まって椅子に座り直す。
「それで? 貴方たちはあんな人の少ない場所で何してたの?」
「何って、お宝探し……?」
疑問型でモスクが返す。何故いきなり自信がなくなった感じなのだろうか。
「お宝なんて、人が住んでた区画にあるわけないじゃない。どうせ、金銀財宝は上にもってっちゃってるでしょ」
「金銀財宝とか、そういうのじゃなくてさ、皿とか、服とか……」
「そんなものがお宝? よくわかんないわね」
へっ、と鼻で笑うようにシャナは切り捨てた。これは馬鹿にしているのではなく、本当に意味がわかっていないのだろう。
だが、モスクはその言葉にカチンときたらしい。言葉を荒くする。
「俺らにはお宝なんだよ。そんなもの、ってあんたが言ったものがなくちゃ、俺らは生活できないんでな」
「あらそう。ごめんなさいね」
にこりと笑って謝ったその声音は、全く悪びれた様子もなかった。
質問の応酬なら、次はこちらだろう。シャナの様子をうかがいながら、僕は口を開く。
「では、貴方は何でこんな場所に? ここで……一人で……もないですが、何をなさっているのでしょうか?」
僕の質問。それを聞いて、シャナが笑う。ただ、少しだけ寂しそうに。
「ああ、やっぱりあの子たちは私のことを伝えてはいないのね。……本当、つまんないことをするわ」
「つまらないこと?」
「ええ」
力強く頷くシャナ。にっこりと笑った笑顔は、とても快活な感じがした。
「そうね。貴方たちにお宝を差し上げましょう」
「お宝!?」
モスクが強く反応し、腰を上げる。だが、この流れではそれは物質的な何かではあるまい。
「教えてあげましょう。この街の成り立ちと、この場所について」
「何でそんなもの……」
ぬか喜びか、と腰を落としたモスクに、シャナは笑いかける。
「そんなもの、なんかじゃないわ。まあ、聞きなさいな。聞けばきっと、貴方たちは富を得る。上手いことやれば、でしょうけどね」
パチンと指を弾いたシャナは、天井を透かして上を覗いた。
「あれは何年前の事かしら。……ええと、今は王歴何年かご存じ?」
「九百六十七年」
「そ。ごめんなさいね。肉が少なくなっていくうちに、時間の感覚が曖昧になってしまって」
気を取り直して、という感じにシャナは座り直す。
「じゃあ、もう四百年近くは経つわね。まだ地上部分しかなかったこの街に、大岩が飛来したの」
「北にあるやつか」
「多分それよ。私が肉眼で見たのは、そのときだけだったけど」
悲しそうにシャナは目を伏せる。いや、これは岩のことを言っているわけではなさそうだ。
「その岩の衝撃で、この街は半壊した。それなりにいい街だったのよ。寒いけど、それでもみんな懸命に生活していた」
「今でもおんなじだよ」
モスクはため息交じりに合いの手を入れる。懸命に生きている、という点では昔も今も多分変わらないだろう。
それに異論は無いようで、シャナはまたにっこり笑った。
「それはいいことだわ」
本心からそう言っているのをモスクも感じたのだろう。無言で頷き、続きを促す。
「そして、街も残った。壊れてしまったけれど、建築資材としてこれ以上無いイークスの石が向こうから来てくれたんだもの。被害があっても、それなりにみんな笑っていた」
「モスクさんが本で読んだ話とほぼ同じですね。ちゃんと伝わっていると……」
「ところが!」
話の腰を僕が折りそうということを察したのだろう。シャナは大げさな身振りとともに語気を強めた。
「その石に巻き込まれていた奴が、やがて目を覚ましたの」
視線の先には、先ほどの頭部だけの死体。奴、というのはそれか。
「焦熱鬼。エーリフにしか生息していないはずの魔物が、石の中で眠っていた。聖領の中でも中心部でしか暮らしていないはずの、聖獣とも呼ばれる魔物が、この街に現れたのよ!」
シャナが首を睨む。
それに応えて、首から感じる熱気の温度が上がった気がした。
またしても私事ではありますが、第六回ネット小説大賞の金賞を頂きました。
ここまで読んでいただいた皆様のおかげです。本当にありがとうございます。




