小手調べ
個人的な理由→職場にデータが入ったポメラを置き忘れてきた。
いや、すいません、サボりみたいなもんです。明日は通常通りです。
「どこの鼠かと思ったら、大物がいたな!」
動きを止め、ざわめきこちらを確認する門下生たち。そちらはたいした問題でもないだろう。いや、問題ではあるのだが、目の前にいる男よりはだいぶましだ。
割れた石材が散乱する床に着地する。何が起きているのか理解できていないモスクをふんわりと着地させ、一応背中に隠しながら僕は男を見返した。
やはり、先ほど談笑していた男の一人だった。
見た目成人男性だが、背は普通よりも低く、僕よりは若干高いくらい。細身も相まって貧民街出身者と同じ身体的特徴を持っているように見える。
だが、一目でそれは違うと気が付く。
胸の辺りが張り詰めているタンクトップの、お腹の辺りが緩い。それは痩せて細くなっているのではなく、筋肉が締まっているのだ。
脂肪はなく、筋張っているようにも見える発達した筋肉が、行ってきた鍛錬の苦しさを僕に理解させた。
あっという間に取り囲まれる。
鼠一匹通る隙間がないというのは、比喩表現として正しいのか。十歩ほどの距離をおいて、門下生の体で壁が出来た。逃げる場所は……と考えてみても、半分崩れて埋まっている通気口か空か、か。姿を隠して逃げるにせよ、どちらも現実的ではない。
敵意を持ってこちらを見つめている門下生たちの前で、一歩先ほどの男が進み出た。
「ウェイト様、貴方がなさることでは」
「いいや、多分我らにしか出来ぬよ。なあ、プロンデ」
「ああ」
ウェイト、と呼びかけられた男が、先ほど話していた相手に楽しそうに話しかける。にやついた顔が、僕のよく知る金髪を彷彿とさせた。
呼びかけられたプロンデとやらは、岩のような顔、というのは失礼だろうがごつごつとして迫力のある顔だった。ただ、雰囲気的にはのっぺりとしている。モアイ像といっただろうか、石の巨像を一瞬想像してしまうくらいには。
さて、どうするべきか。
ここから始まるのはなんだろうか。いや、簡単に想像がつく。
無傷で帰れるということはないだろう。身内でもないものが道場を覗いていたのだ。私刑が始まる。よくて重傷、悪くて死亡の。
結果として死のうが、彼らは口裏を合わせれば良いのだ。『他流試合を申し込んできた者が試合の結果死んでしまった』と、そう衛兵に訴え出れば大事にはなるまい。それに、彼らは知らないだろうが、僕もモスクも、死んだとしても誰も問題にはしないのだから。
だが、そうなるのも困る。
困るというか、嫌だ。
目の前のウェイトとやらの悪ふざけのせいで死ぬなど、まっぴらごめんだ。
面倒だし、全員叩き伏せて出ていこうか。
そんな考えが頭に浮かぶ。以前衛兵たちを叩きのめしたときのように、相手の想定よりも大事になれば向こうから事実を糊塗してくれるだろう。
だが、それも出来なさそうだ。あのときはその後、グスタフさんの手によって主犯への口止めが行われた。今回僕だけならば構わないが、その後の処置が僕だけでは出来ない以上、モスクを巻き込むようなことは出来ないだろう。
ならば、正攻法しかないだろうか。とりあえず謝っておこう。
「申し訳ありません。勝手ながら、とても興味深く拝見しておりました」
ぺこりと頭を下げる。お互いに、これが了承済みの理由だろう。
「門外不出の秘技というわけではないが、それでも困る」
「承知しております。門人以外に見せられる套路ではないことも」
「よくわかってるではないか。そうだ。貴様が見たのは技術交流用ではない技術。命を奪う……とは言わないが、報いを受けてもらわねば、こちらの瀬が立たぬ」
男が一歩踏み出す。静かな圧力があった。
「お許しを」
「駄目だ」
鋭い拳撃。
顔の前で受け止めた僕の掌との間に破裂音が鳴る。サーロのように速いだけではない。攻撃を開始する気配がまるでなかったのだ。
僕を見つけた。素手で石の壁を砕いた。
そんなところからもわかってはいたが、これは、面倒な相手らしい。
「ほう」
頷きながら、攻撃は繰り返される。
一つ一つの攻撃は散発的で、連撃ではない。故に躱すことも出来た。ただ、破裂音が何度も響く。僕が避けて受けずとも、その拳が止まるたび空気が破裂しているような鋭い攻撃だ。
だが、それも何発かで終わる。
ふいに腕が下ろされる。ニイという笑いを残して。
「ほうほう。この鼠はよく我の拳を受け、よく躱すようだ。しかもその動き、水天流のものが混じっている」
突然の言葉に、僕らを晒すような手振り。これは僕にとって好ましいものか、好ましくないものか。どちらだろうか。
だが、次の瞬間意図がわかる。僕らを見ていた門下生たちの視線が一瞬緩んだ。
「では、問おうか。貴様、水天流の者だな?」
続けられた質問に息を飲む。いや、この言葉は多分僕の動きなどを見て言っているのではない。ならば、何の目的でここまで……。
「どうした? 答えられないのなら、続きを始めるが」
「いえ。拝師などしてはおりませんが、出身の開拓村で少し教えを……」
「ほう」
ウェイトが声を上げる。その声に、門下生たちの視線が今度は本当に緩んだ。
「ならばすまないな。同門のお前には関係のない話だったということか。失礼した。先ほどまでの折檻未遂は、覗きなどという不貞の行為に対するものとして受け取られよ」
そして、謝罪のような言葉。見学くらいいいのに、そんなところから覗き見しているから怒られるんだ、と。まあ、僕が水天流の門下生であれば正しい言葉かもしれない。だが、多分雰囲気的にはこれすらも方便だ。この場を治めるための。
「……ああ、なるほど」
「皆も、それでいいな。騒がせた」
皆を散らせるような手振りに、門下生たちは従う。やはり、地位的にもこの男はよほど上位にいるらしい。
師範代か師範かはわからないが、練武の指導に当たっている男すらウェイトの言葉に従っているのだから。
「さて、ではもう一人だが……」
皆が練武に戻ったのを確認して、ウェイトはこちらを向き直る。
ただし、その視線はモスクへと向いていた。
見られたモスクはずり落ちた眼鏡をあげ直し、唾を飲む。
「貴様は違うな。その風体に、足運び、どう見ても戦う者の動作ではない」
「いや、俺だって……!」
次の瞬間、ウェイトの姿が揺れる。
僕がモスクの腹部の前に掌を差し込むと、寸分違わずそこにウェイトの拳が打ち込まれた。
「……!!」
「この程度に反応できぬ様で何を言うのか」
掌が痛む。モスクの腹部を打ち据えることになってしまうため、掌を引いて衝撃を和らげることも出来ずにまともに受けた左掌。あとで治療せねばなるまい。
「俺だって、の後の言葉は言うべきではないだろう。簡単そうに見えたか? 自分でも出来そうだと思ったか? 先ほど、目の前の男が凌いでいた攻撃は、こんなものではなかったぞ?」
目を開いたモスク。衝撃で眼鏡が鼻まで落ちても、直す様子はない。
「ええと……」
たまらず、僕は口を挟む。
優しさや気遣いからではない。この折檻は、明らかに不必要なものなのだ。少なくとも、目の前のウェイトにとっては。
「何だ?」
「目的を教えてください。何故僕らに攻撃を?」
ため息をつくように、ウェイトは息を吐く。何を馬鹿な、という風に。演技だろうが。
「門人以外の人間が道場を覗いていたのだ。対処すべきだろう?」
「嘘ですね」
僕は壊れてしまった通気口を見上げる。その周囲も半壊しているが、これは誰が直すのだろうか。
「ウェイトさんたちのことを彼は知っていました。ならば、以前もこの道場で見かけていたはず……ですよね?」
モスクに尋ねる。声を出さずに、首を縦に振った。
「ならば、その時に既に見つかっているはずです。でも、その時ウェイトさんたちは見逃した」
「我らとて、振るわないときもある。偶然だし、そのときお前はいなかったのだろ? 一人より二人、今日見つけやすくもあった」
偶然と言い張ればそれで済んでしまうが、だがそれも少し僕には納得がいかない。
気配を殺すのは孤児の嗜みだ。無意識に学び、当然出来る程度の基本技能で、モスクもその傾向はあった。そして、僕も。
二人に増えたと言うが、そう簡単な話でなかったという自信はある。
しかし、その件にはこれ以上の反論は出来ないか。
「……そうですか」
まだ二つほど問題は残っている。それが、僕が『厄介だ』と思った理由だ。
モスクも僕も、基本的な動作として気配を殺している。息をするように行っているその動作、それが緩んだという瞬間はなかったはずだ。そしてその上、僕だってそうそうバレる動きはしないし、そうならない自信だってある。透明化などせずとも、それなりの隠密行動は出来るはずだ。
なのに、僕らに気が付いた。それも、肉眼ではほとんど見えない位置にいた僕たちに。
それは簡単ではないはずだ。しかし、ウェイトはそれをやった。ならば、相手は凄腕だ。それもかなりの。
騎士は見たことがある。僕でも、簡単に相手が出来るくらいの腕だった。しかし、その上の聖騎士とは、それほどの相手だったのか。
「では、僕に何のご用事でしょうか」
「貴様に用事などあるわけがない。先ほどの言葉通り、我は出来の悪い同門の士に指導をしたまでのこと」
「でしたら、地位のある貴方ではなく他の誰かがやるはず。どこの誰とも知れない僕相手であれば、なおのことです。なのに、貴方は他の者を制して、自分で手を下そうとした」
それも、一応の理由は先ほどの言葉通りだろう。先ほどの言葉通りだからこそ、おかしいのだが。
「他の者では、私刑にしても抵抗されれば危ないと思った。それは僕が誰だか知っていたからです。違いますか?」
否定はされた、だが僕の中ではまだモスクの覗き見が黙認されていたという説が支配的だ。
そして、その上で僕の存在を確認したから今回事を起こした。
だから、これは僕のせいだ。そう判断したのだが。
僕の問いに、ウェイトの体の力が抜ける。
「よおくわかってるようだ。そう、先ほどまでのは単なる遊びだ」
ふと、諦めたかのような微笑み。それに油断するところだった。
蹴りが飛ぶ。僕の頭部めがけた前蹴りを叩き落とすと、左掌の傷が悪化したらしい。痛みが増す。小手調べではない。大火の型を使った、殺傷能力のある一撃だ。
幾分か低くなった声で、唸るようにウェイトは言葉を吐く。
「なに、少し質問があるだけだ。だが、正直に答えろ。カラス。事によっては、貴様の首が飛ぶことになるぞ」




