見てはならぬ
申し訳ありませんが、作者の個人的都合により19日夜分の更新を20日夜にさせて頂きます。
二日に一度の更新なのに、ペースを乱してしまい申し訳ないです。
モスクは僕の言葉には答えない。だが、教えてくれる気はあるのだろう。
それからまたもとの通気口に入り、四つん這いの肩越しに先導するモスクの声が響いた。
「位置的にはさっきの水場の上ってとこだな。いつも表層近くにあるから、またしばらくしたら移転すんだろうが」
「はぁ……」
また上に登っていく。垂直な通路を器用に登っていく。だんだんと、通気口の中の湿気が強くなってきた気がする。
通気口の先から籠もったような声が聞こえる。
ミールマンの建物はほぼ全て密閉されているので声は響いているのだが、その密閉の度合いがさらに増しているような感じだ。
水音も聞こえ、そして、明らかな湯気が僕の顔に当たった。
やがて、二手に分かれた通路。真反対に分かれたその通路の右からは男性の声だけが、左からは女性の声だけが聞こえる。
「この先、若干石が滑ると思うから気をつけろよ」
「あ、これってもしかして」
ようやく僕も察しがつく。男女に分かれた声。滑るほどに濡れた通路。そして、水辺の近くにあるもの。
「そ。風呂。部屋の奥の方に出るし、湯気で目立たないから服脱いでいけばバレねえけど気をつけて使えよ」
「本来は入場料とかあったり?」
「そうだな。表からは鉄貨五枚で入れたはず。俺払ったことねえけど」
何の気なしに左を見る。そちらからは女性の声が響いている。灯りが入ってきていると言うことは、奥の突き当たりを右に曲がればすぐに中が覗けるだろう。ハイロやレシッド辺りは喜びそうな気がする。
かまわず男湯に進んでいくモスクを追う。
その体の向こうに見える部屋は湯気で煙り、隣にいる人の顔がなんとか見える程度だ。
顔などは見えずとも、湯気の中でちらちらと見える肌色が上気しているのはよくわかる。
方式としては、湯船に入って体を温めるというよりは、溜めたお湯を手桶ですくい体に掛けて洗うのが主といった感じだろうか。一応入れる湯船はあるようだが、それとかけ湯用が別になっていてしかも湯船は小さい。立って入り、横に何人か並べば一杯となってしまう。
「これは、川の水でも引き込んでいるんですか?」
「そうだな。地下水をそのまま通気口みたいなとこに通して温めてる。時間によっては冷たいときもあるから注意しろな」
僕もモスクも今日は入る気はないのでそのまま引き返す。
しかし、モスクもここを利用しているようだが、それにしては失礼ながら垢じみている気がする。
「……どれくらいの頻度で利用しているんです?」
「俺は七日に一度は来てるよ。さすがにあの住処は定期的に暑くなって汗かくし」
「そうでしたか」
なるほど、まあ仕方ない。汗で絡んで固まった髪の毛を見ながら、僕は頷いた。
「ま、お前もちょっとは小綺麗にしてるみたいだし、有効に使えや」
「そうですね。お風呂自体は珍しい気もしますので、あとで入ってみようかと思います」
いつもは水浴びで済ましていたが、お湯を使ってもいいかもしれない。
ここを使ってもいい。だが、一応稼いではいるのだ。正規の方法で入るのが礼儀だろう。
のそのそと次の目的地に進むモスクを見ながら、僕はそう決めた。
「あとは俺が案内できるところもそうそうないんだが……。ここらへんが最後かな」
それからいくつかの狩り場や休憩所として使える場所を回り、表層に出る。ここが終点らしい。部屋の中を覗くことは出来るが、明るさの関係で中から通気口内部は若干覗きづらい。
そのため、堂々と……ではないがゆっくりと中を見まわすことが出来る。
一応屋根はあるものの、その端にある隙間を見ればもう空が見えており、ここが一番上の層であることを明確に示していた。
そして、そこから元気の良いかけ声が響く。リズムよく響く足音に、体の動きにつられて動いた衣服が風を切る音。
二十人以上の男女が一糸乱れぬ動きで舞う。
いや、その動きは舞ではない。その手足は当たれば容易に物を破壊し、生物を死に至らしめる。実際には、型。その華麗に見える動きは、機能美と言ってもいい、実用性の塊だ。
「そういえば、水天流の心得があるそうで」
そんなことを言っていた、と僕は思い出す。内弟子でもなく、習うための金を払えるようにも見えない孤児に心得があるというのは不思議な気がしていたが、これがその答えか。
「ああ。ここからの見稽古をしてるってだけなんだけど。すまんな、ちょっと大げさだったかもしれない」
ミールマンの水天流の道場。そこはサッカーグラウンドくらいはあるだろう。
この石の町で見た、一番広い部屋だった。
「しかし、多いですね。さすが本場の道場です」
イラインでは月野流が幅をきかせているのでそんなに大きな道場ではなかったと思うが、それでもここだとやはり開祖の影響が大きいのだろう。
「これでも人数は少なくなってるんだぜ」
「そうなんですか?」
「ああ。何年か前に、……そうだな。俺らと同じくらいの子供が稽古中に何人も再起不能にしてさ。そのせいで何人もやめて。最近若干盛り返してはいるけど、外弟子の数はまだ戻ってないと思う」
「まあ、乱暴者はどこにでもいるってことでしょうか」
僕らと同じくらいで道場の人数に影響が出るほど暴れられるとは、相当な腕だと思うが。
少し見てみたかった気もする。どんな人だったのだろう。
「俺的には見応えあったんだけどな。本当、お手本みたいな動きでさ」
「へえ。見れないのが残念ですね。いつか会えたら良いですけど」
そんなに強いのであれば、いつか会うこともあるだろう。多分。
そして稽古の様子をしばし見守る。
型稽古はシウムやカソクがキーチに教えていたものと一緒だ。人数が多い以外は特に意外性もなく、僕にも舞える。手足は振った勢いを殺さぬように運動を続け、まるで音楽劇のように移動し続けるステップ、あれは風林の型か。
その稽古自体は見ていてもあまり参考にはならないだろう。僕は、他の場所に目を向ける。
道場の一角に、緩いズボンとぴっちりした黒いタンクトップのようなものを着た男たちが二人座って談笑していた。
明らかに、異質な二人。稽古に加わらないのだろうか? 僕が不思議に思っていると、そのうちの一人がふと目を上げた。
鋭い眼光。それから口の端が歪む。
だがその動作は一瞬で、また横の男と会話を再開する。先ほどまでと、同じように。
「あの方々は……?」
モスクに尋ねる。モスクが知っているかどうかはわからないが、いつ頃からいたかぐらい知れたらいいだろう。
僕の質問に、改めてモスクは男たちの方を向いた。
「あん……? ああ、なんか国の聖騎士団、っての? まあそんな偉い奴ららしい。なんかリドニックに関する任務とかでこの街に駐屯してるとかなんとか……。奴らも水天流の門下生なんじゃねえの?」
「水天流の門下生、ですか。いやそれは正しいと思いますけど」
稽古中の道場内にいるのだ。それはそうだろう。
だが、そうか、リドニック対策。国直轄の聖騎士団がここに駐屯しているのは、おそらく目的あってのことだろう。事態が切迫していた証拠だろうか。
マリーヤの働き如何によってはこのまま帰るのだろうが。
それよりも聖騎士団が、何故だろうか。
「僕のせいですかね」
「何だ? いきなり」
モスクが振り返る。彼の察しが悪いとかそういうわけではないだろう。ただ、ちょっとまずいかもしれない。
障壁を張る。衝撃に備えて、モスクを守るように。
ドンと鈍い音がする。
次の瞬間、僕らのいた通気口が崩壊した。




