僕の名前は
人によっては胸糞展開かも
「戻ってきたか」
石ころ屋に着くなり、グスタフさんはそう言って僕を迎えた。
手元にある書類のような紙束から目を離して、僕の姿を確認する。
「怪我は……無いようだな?」
「ええ、全く」
わざと受けたハマンの平手打ち以外は、体に触らせてもいないのだから当たり前だ。
「こちらはどんな感じです?」
「問題無く手配してある」
笑いながら、親指を立てる。自信ありげな頼れる顔だった。
「先程受けた報告によると、今留置所ではバールが呼んだ治療師が衛兵達の治療に当たっているらしい」
「早速外部に漏れてませんか?」
治療師から、衛兵達が全滅していることが周囲に広がりそうだが。隠したいのならば、何か理由をつけて少人数ずつ治療院に行かせたりするのではないだろうか。
「いいや。たしかに普通の治療師が呼ばれたんなら漏れるかもしれん。だが、呼ばれたのはバールの息がかかっている奴だ。それもわざわざ勤務外の奴を呼んでいるから、隠蔽に走り出してるとみていいな」
「そうですか」
バールは僕よりも、隠蔽に関しては有能なようだ。
「じゃあ、あとは結果待ちですね。といっても、明確な結果は出なさそうですが」
事件が消える、というのは明確な定義が難しい。町の大半がこの一連の事件が誤報だと思っているとなれば、ほぼ成功と言っていいだろうが。
「バールのほうでどうにか出来なければ、俺がどうにかするさ」
そう、紙束をまとめながらグスタフさんは呟いた。言葉の通り、何とかするだろう。
「まあ後は念のため、しばらくお前は身を隠しとけ」
「何故です?」
「もう流れている噂、事件を消すには、どうすればいいかはわかるな?」
「ええと、箝口令を敷いて情報の拡散を防ぐのと、目眩ましに違う大きな出来事を起こす、少し違う話を拡散する、くらいでしょうか」
今適当に思いつくのはそれくらいだ。実行したことがないので自信は無いが。
「そのとおりだが、一つ補足がある」
親指を立てて首を横に切るジェスチャー、意味は地球と変わらないらしい。
「情報の拡散は、関係者の命を奪えば簡単に防げるってことだ」
グスタフさんは書類を丸め、紐でくくる。そして、先を蝋で留める。高そうな封蝋だ。
「この場合、衛兵達と被害者の職人たちはあいつらの権力で何とかなる。俺も何とかなる範囲内だ。口止めだけで充分だろう」
「自分で言いますか」
「当たり前だろう。俺は貧民街にある、しがない雑貨屋の店長だからな」
そんなことは毛ほども思っていない顔をして、グスタフさんはそう言った。
「問題は、事件の中心にいて、かつ姿が消えても何も周囲に問題が無い連中だ。今回で言うと、お前とニクスキー、そしてレシッドだな」
「僕を含め、誰も周囲に広めなさそうな面々ですね」
「その通りだと思うが、あいつらはそうは思わない」
あいつらとは、ハマンとバールのことだろうか。
「お前らが事件をネタに、いい目を見ようとする。そう思うだろう。自分の考えることは、皆が考えることだと思ってしまう。短慮な小物の特徴だ」
僕は僅かに首を傾げる。
「……馬鹿にしすぎじゃないですか?」
曲がりなりにも人の上に立ち、事を成している人たちだ。短慮ではやっていけないんじゃないか。
「……だから、ここまでやってやったんだ」
「へ?」
その小さな呟きがどういう意味かは、わからなかった。
「まあ、そんなわけでお前らは命を狙われる可能性がある。今度は本気で始末する気でな。しばらく……二週間くらいで良いか。身を隠していろ」
「姿を見せなければいいですかね」
またスラム生活だろうか。いつも通りだから不便でも何でもない。
しかし、グスタフさんは首を横に振る。目の奥に一瞬、申し訳なさそうな色が見えた気がした。
「少し足りない。奴らの目を躱し続けるには、貧民街は不適切だ」
そう言って、横から巻いた紙を取り出す。それを広げて、僕に示した。
「森の中に小屋が用意してある。ここで、少し休暇を取ってこい」
この街の周辺の地図に、印が描いてある。少し離れてはいるが、沢に近く人が来なさそうなところだ。
「それは構いませんが……」
しばらくは出来ることもないのだ。いつも通り生活するしかない。その生活の拠点が、少し人里離れるだけである。何の問題も無い。しかし。
「仕事もないって、暇そうですね」
「最近はいつも獲物を獲らせていたからな。そう思うかもしれん」
僕がその場所を覚えるのに充分な時間をとって、紙を再び丸める。その地図はくれないらしい。
「だが、お前に万が一のことがあっちゃ俺の重大な損失になる。これも、俺からの依頼だと思ってくれ」
「僕一人いなくなっても、何も問題無いでしょうに」
僕の言葉に、グスタフさんは無言で応える。
過保護なことだ。
会話が止まって静かになると、ちょうど扉の向こうから話し声が聞こえてきた。
もう昼近くだ。人も働いているこの時間に、この店に客が来てもおかしくはない。
しかし、その話し声は中々店内に入ってこず、チラチラと扉の下から影を見せるだけだった。
「……なんでしょうかね」
「さてな」
警戒のしすぎだと思うが、今僕が狙われるという説明を聞いたばかりだ。
壁に身を寄せ身構える。そして、魔力を展開し、扉の外を探った。
小さい二つの姿が見える。
そこには、ハイロとリコがいた。
「ハイロ達です」
そうグスタフさんを向いて言うと、溜め息を吐いてから顎で扉を指す。
「……開けてやれ」
「はいはい」
おもむろに扉を開く。二人は、驚いて固まった。
「どうしたんです? 早く入れば良いじゃないですか」
「お、おお……」
「失礼します……」
二人は揃って動き出し、グスタフさんの前までぎこちなく歩いて行った。
「今日は品物を持ってきてないようだが?」
その言葉を聞いて、よく見てみれば、たしかにそうだった。二人が手ぶらでここに来るというのは、どういうことだろうか。
ハイロとリコは顔を見合わせ、息を飲んだ。そして頷きあうと、言い辛そうにハイロが口を開いた。
「今日は、相談があってきたんだ」
「ほう」
グスタフさんは一瞬何かを考えた後、相づちを打って続きを促す。ハイロの手は握られ、震えていた。
「俺たちに、何か仕事を紹介してほしい」
それだけ言うと、何か達成感を得たような表情で、まっすぐにグスタフさんを見た。二人の視線が交差し、場の空気が止まる。
「初めてのことだな。どういう風の吹き回しだ?」
「二人で考えたんだ」
それだけ言って、言葉に詰まる。
助け船を出すように、リコも喋りだした。
「俺が病気になって、どうしようも無くなったのは、今の俺たちの生活のせいだと思うんです」
「生活出来ていないわけじゃないだろう」
「ええ、でも」
ゆっくりと、こちらを見る。僕を見て、ゆっくりと瞬きをしてからグスタフさんに向き直った。
「今日の生活のことばかり、その日のことばかり考えていたら、次の日に何かあってもどうにもできなくなります」
リコは苦笑し、視線を落とした。
「……俺、リコみてえに頭も良くねえし、そいつみたいに金も稼げねえ」
代わる代わる、今度はハイロが話し出す。
息が合っているというのはこういうことなんだろうか。
二人の話とは全く関係ないことだったが、僕はそれに感心していた。
「ムカついて、でも何も出来なくて、だからそいつの邪魔をして何かした気になってた」
ちょっと待て。気になる文言があった。
「でも、今回そいつに助けられた。俺もリコもどうしようも無かったのに、俺もリコもそいつは簡単に助けてくれた」
悲しそうに話を続けるが、そこよりも気になるところがある。
「ちょっと待って下さい」
隣から口を挟む僕に視線が集まる。圧迫感はあるが、それに負けるわけにはいかない。
「僕の邪魔をした、ってどういうことです?」
申し訳なさそうに、シュンとしてハイロは答える。
「……色々やってた。烏野郎……いや、カラスの売ってる肉が、烏肉だって言いふらして、嫌がらせしてたのは俺だ。ごめん」
「初耳なんですけど?」
僕の言葉に、グスタフさんは呆れたように口を開く。
「気付いていなかったのか。道理で、そいつに優しいと思った」
「ええー……。鳥肉が売れなくなったのそのせいなんですか……?」
そんなちっぽけな理由だったのか!?
グスタフさんは、頭を掻きながら取りなす。
「ま、噂ってのがどれだけ厄介かわかったろ」
「そうですけどー……」
無意識に頬が膨らむ。
まあ、そのおかげで翡翠や箴魚に手を出せたのだ。あながち悪いことばかりとも言えない。それに、素直に謝ってきたのだ。許してやろう。
「次はないですからね?」
笑顔でそう言うと、ハイロは頷いた。自らの腕を押さえて、コクコクと何度も頷いた。
もう一つ気になるのだが。
「『カラスの売っている肉』っていうのは……?」
尋ねられたハイロは、何かに怯えるように肩を振わせると、斜め下を向いて小さな声で言った。
「いや、あの、烏野郎ってずっと言ってましたけど、野郎って付けるのは馬鹿にしてる感じがするかな、と思いまして」
何で敬語なんだろう。そして、だんだんその声はだんだん小さくなっていって、そしてついに黙ってしまった。
「ほう、『カラス』か。いい名前じゃねえか」
グスタフさんが、そう口を挟む。
「良い名前、ですか?」
「そうだ、名前だ。お前、まだ名前が無かっただろ?」
ふと考え込む。そういえば、生まれてから今まで名前らしいものは一切無かった。人と話すときも、お前とか君とか、てめえとか、そんなふうに呼ばれてばかりだ。
「そういえば、お前は生まれたときの記憶があるんだったな。もしかして、名前がもうついてたりすんのか?」
僕は無言で首を振る。そんな時間は無かった。
生まれて間もなく、僕は独りになったのだから。
「じゃあ、いいんじゃねえか? 貧民街での名前なんざみんな適当なんだよ。ハイロも、リコも、ニクスキーも見た目や行動で勝手に決まってんだ」
「そういうものでしょうか」
「そんなもんだよ」
それが常識というのなら、まあそうなんだろう。
ハイロもリコも、僕の機嫌を伺うように息を飲む。
僕は、心の中で何度も繰り返す。カラス、カラス、うん、悪くない。
前世の記憶基準では、名前らしい名前ではない。
侮蔑の言葉から生まれている。それは正直少し気になる。
だがこれを名乗れば、僕は胸を張って自己紹介が出来る。
「『僕の名前はカラスです』ねぇ……」
うん、何故かしっくりくる。
「え、ええっと、気にいらね……いりませんか?」
恐る恐るハイロが尋ねてくる。何故か、少し笑えた。
「敬語とか、似合いませんよ」
いいじゃないか。
とりあえず名前を貰った。僕の名前。
怪我を治したお礼としては充分なものだろう。
少なくとも、僕にとっては。
簡単に決まった名前だが、しばらく使ってみよう。
気に入らなかったら、すぐに改名してやる。
その自由は、僕にあるのだ。




