上へ下へ
「では、二階下の奥から二番目の部屋をお使いいただきます」
今回は一応の危険はないらしい。特に怪しいことのない店員に案内された部屋。
そこにはきちんと鍵がかけられるし血の跡などもなかった。いや、そんな心配をしなくてはいけないということ自体がおかしいのだが、そんな確認をしてしまうのはこの前の教訓からだ。
そして、部屋を見て納得する。なるほど、由来かどうかはわからないが、ここはたしかに『もぐら穴』だ。
外と同じく滑らかな石畳と凹凸の少ない石の壁、そして窓はない。
灯りに火を使うために通気口は上部にあるようで、さらにそこからどうやってか常に微風が吹いてきているもののやはり光が入ってくることはない。
僕が入り火をつけるまで、本当に暗闇の部屋だった。
石で出来た部屋に温かみはない。視覚的に寒いが、それでも暖房代わりだろうか、壁を触ればじんわりと温かかった。
寝台はそれでも石ではなく、固められた毛布のような塊だ。なんというか、この部屋で柔らかいものはそれだけで、他は全てかっちりとした印象だった。
失礼な話ではあるが、贅沢な監獄、そんな感じだ。
部屋を確認した僕は、荷物を置かずに鍵だけもって外へ出る。
階段を上りつつ地下一階を横目で見れば、そこも似たようなものだ。だが、壁の建材に手を触れると、地下二階よりは新しい石をつかっているようでまだ摩耗していない。まだざらざらした感触が残っていた。
地上に出れば、ようやくまた空が見える。
後ろを見れば、今出てきた地下へとつながる穴蔵。
息を吸えば、開放感が胸一杯に広がった気がした。
さて、今夜の宿も決まった。
今日は適当にこの街を見て回ろう。そう思い、適当に出歩く。
何も目的地のようなものはない。けれど、そうだ。
とりあえず、気になるところを探そう。
誰の目にもつかぬように姿を消して、それから上空に上がった。
「へえ……」
上空から見下ろす街は、窮屈な街から雑多な街という印象に変わった。
屋根の高さが揃っていないのもそうだが、城から四方に伸びる大通り以外は路地に規則性がまるでなく、本当に迷路のような感じだ。
所々に木で枠を作り石を積む、改築……というか増築中のような箇所もあるが、そこすら狭い路地と隣接する建物に阻まれ、人夫たちが窮屈そうに働いていた。
近づいてみれば、木の枠組みすら複雑に見える。
そして、ひとつ面白いことに気がついた。
その木の枠の下に、もうすでに出入り口があるのだ。周囲を邪魔せぬようにしながら覗き込んでみればそこは新築ではなく、既に人が使っていた形跡がある。
通路には荷物が置かれ、埃のようなところには足跡がついている。
そしてそこから周囲を見回せば、また気づく。なるほど、だから僕は一瞬改築かと思ったのか。
その下の、既にある建物の一部が剥がされ、その建材が新たに上に積まれている。要は、完全に新しいものではなく古いものを使った上で、高く作り替えているのだ。
それと同じだとすると、先ほどの宿屋の様子も納得できるか。
地下二階よりも一階の方が明らかに新しかった。つまり、あれは最初から『地下を作った』のではなく、上に積むように建物を作っているので『地下になってしまった』のだ。
……しかし、何故だろうか?
わざわざ、建物を増築して使い続ける理由。複数の建物がそうだったことからして、今見ているこの建物特有の事情と言うことではないだろう。
土地が足りない? 一番はじめにそれが浮かんだが、結構それも有力だろう。
街は完全に大きな壁に囲まれて、これ以上広げることは出来ない。その壁の外に作れば良いのだろうけれど、民が勝手にそうした結果がイラインの貧民街だ。街として認められているわけではなく、衛兵や行政の庇護の対象にはならない。結果として治安が悪くなり、犯罪者の温床となる。だから、はじめからそれを禁じているという可能性もある。貧民街が見えなかったのもその証拠と言えるかもしれない。
しかし、ならば別に行政主導でやってしまえばいいのだ。
街を拡充し、周囲に新たに壁を作り、そこに人を住まわせる。そうすれば人の住む土地も大きくなり、街のキャパシティも大きくなる。
それを何故しないのだろうか。
出来ない理由でもあるのか、それとも増築する利点があるのか。
少し気になっただけだ。けれど、如何にも『街』だったイラインと比べ、『城塞』という感じでこの街が繁栄する理由。それは僕の、知りたいことのリストに追加された。
そして、もう一つ気になっているものがあった。
先ほど上空から見ていたときに、街の一角に穴があったのだ。
穴、といっても大きなものではない。ただ、一辺が十段ほどの階段になっている四角形の穴で、覗き込めば下は真っ暗。温かい風がそこから吹き出ていた。
好奇心はある。入っても良いものだろうか。
その周りには衝立のようなものもなく、別に立ち入りを制限されているようには見えないが、私有地なのだろうか。それとも公共の施設なのだろうか。
うん。危なそうなら出てこよう。
好奇心に負けた僕はそこに舞い降りる。そして、せっかくなら階段を使って降りていこう。
そして僕は、生温かい風を頬に受けながら、一歩一歩階段を降りていった。
「……」
十階分ほどは降りただろうか。当然と言って良いのか、変化は一切ない。
階段は変わらず、ただ上を見れば空がかなり小さい。
壁を見れば、人が触ることもないのか摩耗などはしていないがどんどんと古いものに変わっているようで、色だけが変わっていた。
やがて、一つ明らかに変わったものが現れる。階段の途中、壁に空洞があいていたのだ。
扉などはないただの穴。しかし、人が入れるようで、しかも中を覗けば誰かいるのだろうか、小さく灯りが漏れていた。
……これは、住居? 集合住宅のようなものだったのだろうか。
いや、そんな感じではない。人の気配はするものの、たとえば料理の匂いはないし干した洗濯物などの人が生活をすれば必ず出るであろうものがない。
そもそも、この穴自体おかしいのだ。
一見すると、入り口に見える。けれど、その縁を触ればこれは削られている。
通行用に作られたものではなく、勝手に開けられた穴。そんな印象を受けた。
とすると。
僕の脳裏にある可能性が浮かぶ。いや、本当は喜ぶべきことでもない。本来はあってはいけないことだ。
けれど、心のどこかで腑にも落ちている。安心といっても良いかもしれない。
そうだ、この街には貧民街がない、そう思っていた。だが違う。
足を踏み入れる。その雰囲気は懐かしいもので……。
奥の灯りの部屋。
そこでは、明らかに僕やハイロと同類の少年が、木箱に腰掛けて齧り付くように本を読んでいた。




