災いを避ける
「お、おおおー? ってことは何かい? そのおなごは、そいつも《魅了》されているってんかや?」
「はい。『レヴィン様』に、ご執心だったようです」
レヴィンのために、わざわざ僕を巻き込んだ。そんなことをしなければつつがなくメルティは死んでいたのに、余計なことをしたせいで、失敗した。それだけ、思考が鈍っているということか。
本末転倒。一番大事な目標まで見失わせるという、本当に嫌な魔法だ。
「エリノアを回収していったエウリューケさんが、そちらに挑戦していないとは思えません。多分、もう試していますよね?」
「え、あ、うーん……」
僕の質問に、エウリューケは腕を組んで応える。渋るような、嫌がるような、変な反応だ。
「まさか、出来なかったとか」
「いや、出来るよ。出来るんだけど、ちょっとすぐには厳しいかなー。主に、あたしの気分の問題なんだけど!!」
「……えっと?」
グスタフさんを見る。グスタフさんも、エウリューケの今の言葉に溜息を吐いていた。
「調子のいい時じゃないと多分成功しないんだよねー、急ぐー?」
「いえ、まあ、出来れば早めに、とは思いますけど」
「じゃ、この子は預かっておくでよ、ちょっち待っとくれな。先にじっちゃんへの用事とか済ませておくんなまし」
言いながら、エウリューケは屈み、マリーヤに手を触れる。そして、今気が付いたかのように顔を上げた。
「待って、この子眠らせてあるん?」
「ええ。昨夜朝知らず茸を含ませてあります。今日は起きないかと」
「よっしゃよっしゃ、手間が省けていいぜい。じゃ、ちょっと預かるし」
またマリーヤに目を戻し、手に力をこめる。ざわりと刺青の端が動くのが見えたと同時に、マリーヤの姿が消えた。
「それで……?」
グスタフさんが僕に催促する。その手で振られている水筒には、水がもう入っていない。
僕は背嚢から一つ包みを取り出す。布で巻いた上から紐で縛ってあるが、中の重みがズシリと手に響くようだ。重み自体はそんなにないはずだが、これは中の存在を僕が神器だと知っているからだろう。
それをカウンターに置く。グスタフさんがそれを開くと、中から胡桃大のブローチの輝きが見えた。
「こりゃあ……」
赤や青、黄など様々な色の宝石が散りばめられたブローチ。それをグスタフさんが包んでいた布ごと持ち上げると、エウリューケも興味津々で身を乗り出した。
「なんだこれ! すげー!」
「売りたい……てわけじゃねえな」
興奮するエウリューケを尻目に、グスタフさんは僕をじっと見る。高価そうな装飾品を見せたのに、目の色が変わらないのは流石だ。エウリューケの目の色が変わっているのは、高価だからではないだろうが。
僕はグスタフさんの問いに頷いてから答える。
「リドニックの神器です。これを、リドニックへ戻していただきたいと思いまして」
これは、昨日の屋敷探索の結果だ。そうと書かれているわけではないが、メルティの持ち物の中で、魔力に反応したのはこれだけだった。ならば、これだろう。
反応はしたものの発動させるまではいかなかったので、効果のほどはわからないが。
「〈災い避け〉か。……構わねえよ」
二つ返事。軽い口調だった。
とても、国家を保証できるほどの宝物を扱っているようには見えない。それは、価値を知らないからではない。きっと、その価値の使い方を知っているからだ。
「……どれくらいの猶予がありましたか」
「まあ、あと半年ってとこだったな。それ以上の無力な状態が続けば、もうどこか……どうせエッセンが行動を起こしてただろう」
「切迫してたんですね」
神器を失ったリドニック。その国が延命できる期限は、グスタフさんの見立てで半年か。誤差はあるかもしれないが、グスタフさんが言うのだ。そう大きくは違わないだろう。
「神器をいくつも保有する大国エッセンと、神器も無くいまやただの国を名乗る集団のリドニック。一方的な虐殺になっただろうな」
「いくつも保有するのであれば、別に一つリドニックに渡ったところで変わらなくないでしょうか?」
一方的な虐殺が出来る力は、相手が少しばかり力を取り戻したところで変わらない。それも、別に今の話はエッセン側に〈災い避け〉がある想定ではないだろう。
「別に、エッセンはリドニックを滅ぼしたいわけじゃねえんだ。国を名乗れる大義名分があるなら、手を出すのは渋るだろう」
「領土が増えるのに、それを取りにいかないのはあんまり理解が出来ませんが」
僕個人としては領土など興味はない。けれど、国のほうでは違うだろう。領土は、国の資源の量に直結する。国の資源は養える国民の数に直結し、国民の数は即ち力だ。
その領土を増やすチャンスを生かさないのは何故だろうか。
グスタフさんは、エウリューケの方に神器を押し出して、椅子に座り直した。
神器が手元に来たエウリューケは、口元を緩めながら神器を舐めまわさんばかりに撫でまわす。
「ふひょー! 神器二つ目だぜー! この前のと、機構が違うんか? 制御の魔法陣はどれだ? 刻み込まれてる石の組成を調べて……、ふひょー!? 削っちゃ駄目かないいんじゃないかな!?」
「見てるだけなら構わんが、触るなよ」
「焦らすなぁー! でも、ちょっとくらい……駄目っすか!? 駄目ー?」
首を横に振られたエウリューケはいったん落ち込むも、すぐに持ち直す。それから、襟元から取り出した手帳に、ものすごい勢いでスケッチをし始めた。絵を描くというよりも、文字列を書いていっているというような感じか。それも、僕の知らない文字を。
「領土にも、種類がある」
エウリューケの手帳の中身を解読しようと、謎の文字列に目を凝らす僕。そこに、グスタフさんは構わず話しかけてきた。
「リドニックの北方には、年中吹雪が続く寒雪の地がある。そして、そこから湧いて出る魔物どもも」
グスタフさんは、一度そこで言葉を切る。それだけで察することは出来た。なるほど、だから。
「ああ、……捨て石ですか」
「そうだ。この貧民街と同じく、北方の魔物の脅威をあそこで止めるための、『程よく弱い国』。それも、自分たちが手綱を握らなくても、勝手に活動を続けている、な。それが、エッセンとムジカルにとってのリドニックの役目だ」
僕は、マリーヤの叫びを思い出す。かの国民が過ごす、辛く苦しい日々。
「国民は、そんなものを」
「受け入れてるわけはねえよ。国と国の間の話だ。それも、一方的に押し付けられてる役目」
「……酷い話、とも言えないんですね」
というよりも、言ってあげられない。
彼らは辛く苦しい日々を強いられていた。それも、他の国家の思惑で。
彼らの役割は、北方の魔物を押し止めること。
国民は苦しいはずだ。ただ兵たちを養うために生活し、兵たちは命を賭して北方の魔物を相手に戦い続ける。
使命感などがあれば違うだろう。だが、グスタフさんの言葉からするとそれもない。彼らは何も知らない。そんな役目を押し付けられてるなど、何も。
知らないというのは恐ろしい。
メルティのことを笑えない。彼女らの犠牲は、僕らの足元すら支えていたのだ。
「ねえねえじっちゃん! 使ってみていい? 起動してみていいどすか!?」
僕らの話には全く入らず、神器の何かをスケッチしていたエウリューケが、満面の笑みでグスタフさんに問いかける。グスタフさんはため息をついてから振り返った。
「ああ、わかったわかった」
「きゃっほー! カラスくん悪いね、お先!」
「え、ええ。別にいいんですけど」
エウリューケは〈災い避け〉を摘んで掲げ、くるくると回る。楽しそう。
「でも、危険では?」
「そうでもないかも! この神器、見た感じ攻撃は……」
「……言い淀んでませんか?」
出来ない、とでも言おうとしたのだろう。が、言い切れなかった。エウリューケの口の軽さを持ってしても。それは、危険といっても過言ではないのではないだろうか。
グスタフさんを見れば、グスタフさんも僕から目を逸らした。
「だ、大丈夫だって! ね、えい!」
エウリューケが手に力を込める。広がった薄い光が、部屋を包んだ。
反射的に魔力を広げ、グスタフさんと僕を覆う。障壁を張り脅威に備えた。
しかし、何も起こらない。
「……何か変わりましたか?」
「何もねえが……、エウリューケ」
グスタフさんがエウリューケを呼ぶ。しかし、エウリューケは難しい顔をして唸っていた。
「待って、これ結構魔力ががが……」
そう言って、唸り続ける。だがやがて、変化が起こった。
カランカランと、カウンターに置かれたグスタフさんの水筒が揺れる。もう何も入っていなかったはずだが……。
転がりだす。明らかに何かに干渉されている動き。
やがて勢いよく壁にぶつかった水筒は、押し潰されるように砕け散った。
「あああぁー、ようやくわかってきたかも、この感じ、この感じぃ!」
エウリューケが楽しそうに笑う。それを見て、またグスタフさんが息を吐いた。
「で、何だってんだ?」
「ウィヒヒヒ、すげえよコレ! カラスくん! あたしに炎をぶつけてご覧なせぇ!」
「いや、それは……」
「いいから最大火力で……や、ちょっと自信なくなってきた! やっぱやや焼きで!」
大興奮のエウリューケの剣幕に、僕は少したじろぐ。
だが、本人がやれと言ってるのだ。なら、やってみるべきだろう。
僕は、指先から火球を放つ。エウリューケに当たっても少し熱い程度だろうが、この程度で……。
そう思い、放った火もまたおかしな動きをした。
「な!?」
エウリューケめがけ、障壁外に射出しようとした火球。それは思った通りには動かない。
いや、たしかに射出はされた。されたのだが……。
「おい」
グスタフさんの、非難がましい目が僕に向く。いや、僕だってわざとやったわけではない。
「……すいません」
だが、一応謝らなければ。
それは、先程の水筒と軌跡は違えど同じように壁に吸い込まれた。そして当たり、だが壁の木材を焦がすこともなく弾けたのだ。
失敗を誤魔化すように、得意げな顔でそのさまを見守っていたエウリューケへ向けて質問する。
「物を弾き出す力……ですか?」
「はずれー。物とかそういうんじゃなくて、これはねー、なんてっか、害のあるものを弾き出す力、だね」
白い光が収縮し、エウリューケの手元に戻る。そのブローチの宝石がまた妖しく光った。
「害のあるもの……ああ、だから僕の放った火が」
「そう、さっきはこの部屋を範囲にしたからこの部屋から押し出されたんだ。壁がなかったら、そのままどっかに飛んでってたよ」
危ないことをした。そんなことをすれば、木造が主の貧民街の建物には致命的だ。廃墟のような建物がほとんどだから、燃えても別に変わらない気もするけど。
エウリューケは、〈災い避け〉をカウンターに戻す。次の興味はその手帳に書き写した文字列にあるらしく、そわそわと手帳をいじっていた。
「いんやー、良いもの触らせてもらったぜぃ。カラス君、ありがと!!」
「ええと、どういたしまして」
それで、マリーヤの頭の件はどうなったんだろうか。
しかし、僕がそれを尋ねようと口を開いた瞬間、エウリューケの方から申し出があった。
「それでそれで、いや、良いものみたぜ。さっきの女の頭を治すんだったね。準備しておくから、明日この店まで来ておくれよ。流石に、この店では出来んからねー」
「わかりました」
そういえば、用心棒の仕事中だったか。先ほどハイロを叱った身だ。たしかに、この場で彼女を独占は出来ない。
「では、また明日来ます」
「んじゃねー!!」
グスタフさんとエウリューケに見送られ、店を出る。また明日。その言葉を胸に留めて。
店を出た僕の頭は、今日の昼食について考え始める。
露店が良いか、何処かの食堂が良いか。どこにせよ、全部美味しく食べよう。そう思いつつ。
あ、窃盗の始末について、話すのを忘れてた。




