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閑話:それきり彼女は

SIDE:事件直後の姫様




 真夜中、寝る前の暗闇は今の彼女にとってはとても恐ろしいものだ。

 月明かりの下、自らの白い手が暗闇に浮かび上がる。その、くすみのない綺麗な肌は、今の彼女にとって忌むべき代物だった。


 人が視覚から得る情報は、全感覚のうち七割ほどといわれている。

 その視覚のほとんどが制限されてしまう暗闇は、彼女の思考を染めていく。


 考えるのは、祖国での楽しかった日々。

 それから、ミールマンでの退屈な日々。

 そして、イラインでの、後悔の日々だ。


 枕に頭を預けて、天井を見つめる。そこにはまるで、自身を傍から見つめている光景が浮かんでいるような、そんな気がした。

 夢を見ているわけではない。まるで夢を見ているかのような現実感の希薄さはあるものの、やはり意識はしっかりしている。




 頬に当たる温かな光に、耳を喜ばせる小鳥たちの囀り。うららかな春の日。そんな日を思い出す。

 今から思えば、それすらもおかしかったのだ。

 リドニックは寒冷な国。ほぼ一年を通して雪が降っている。そう知識では知っていたはずなのに。なのに何故、温かな日があれほど多かったその不自然さに気が付かなかったのだろうか。

 神器が、自らのために使われていた。そこに、なぜ気が付かなかったのだろうか。


 服は、いい匂いがするのが当然だった。望めば、甘いお菓子が出てくることも当然だった。それが当然でなくなったのは、革命が起こった後だった。


 今でもメルティは覚えている。いつものように、庭園で紅茶の杯を傾けていた時、ソーニャの下に血相を変えた侍女が走りこんできた。その侍女からの耳打ちに顔色を変えたソーニャの指示に従い、馬車に乗り込み着の身着のままで国から逃げ出したのだ。


 私は、どれだけ暢気だったのだろう。そうメルティは自嘲した。その旅の最中も、何が起こったのか正確には理解していなかった。ただ、武器を携えた者たちにより少しだけ王城で騒ぎが起こったのだと、今は安全のために王城から離されているが、鎮圧され次第すぐに城へと帰れるのだろうと、そう思っていたのだ。

 ミールマンに保護されてからも、いつかは帰れると思っていた。また、あの時のような暮らしができると思っていた。それは無理かもしれないと、ミールマンに入り、一月も経つ頃にはそれとなく察してきてはいたが。

 今となってはその日々さえ懐かしい。その頃はまだ、遊びにもなかなか出られない退屈なその生活に、不満をよく漏らしてもいた。

 

 ああ、でも。とメルティは少しだけ顔を綻ばせる。

 あの金の髪の君に会ったのは、ミールマンでの日々で唯一といっていい嬉しい出来事だっただろう。

 ソーニャの目を盗み、メルティは気分転換に庭へ出て、そこで彼と出会った。 


 

 素敵な人だった。

 夕暮れの中でも、金の光が舞うように輝く髪。優雅な所作。優しい声。そんな、レヴィンと名乗ったその男を褒めたたえる言葉がメルティの中に次々と沸きだしてきていた。

 話したのは短時間だけ。そして、舞い上がっていたのか話した内容すらメルティには曖昧だ。けれど、その邂逅がメルティの無聊を慰めたのは、確かなことだろう。それ以来、リドニックで暮らしていた楽しい日々よりも、彼との逢瀬を求める心の方が大きくなってしまったのだから。


 しかし、今に至ってメルティは気が付いていない。

 逢瀬とは、愛し合う男女が行うことである。それが、自らに当てはまるものではないということを。




 それからしばらくして、メルティはイラインへ移送されてくる。

 騎士たちに囲まれ、わがままを聞いてもらえることも少ない。しかし、もはや移動は苦ではなかった。長くリドニックから離れてしまったことで、慣れたといってもいい。

 レヴィンに会える可能性がなくなってしまうかもしれないという不安だけは、メルティの心の中にずっと残ってはいたが。

 消えはしない、初恋の思い出。まるで、毎夜の夢で逢瀬を重ねているように、白昼夢で彼と語らっているように、日毎に想いは募る。それは、レヴィンの方も自らを求めていると錯覚してしまうほど。脳幹に楔を打ち込まれたように、彼の存在はメルティの頭から消えなかった。


 彼女は気が付かない。実際に、脳にレヴィンの爪痕が残っていることなど。


 イラインへ入って、すぐに新しい住居に移される。

 その予定だった。けれど、そこで、彼女は見たくないものを見てしまう。

 それは、ソーニャが意図的にメルティには見せないようにしていたもの。貴い身分である者であれば、武断の者でもない限りは見る機会すらないだろうもの。





 メルティの回想は、一度そこで止まる。

 イラインへ入ってきた直後のこと。それはメルティにとって、とても、とても苦しいものだった。

 だが、覚えておかなければならない。そう感じたメルティは、必死にその姿を思い出す。

 外から感じた不穏な雰囲気にソーニャに抑えられ、それでも気になって覗いてみたもの。覗いて、見てしまったもの。


 記憶の中のメルティは、閂を外し、扉を開いた。

 それは単純な好奇心だった。先ほどの騒ぎは何だろう。落ち着きつつあるその騒ぎで何が起きたのか、ただそれが気になったのだ。

 だが、メルティはすぐに後悔することになる。


 そこに『あった』のは、まだ年端も行かぬ少女。

 自らと同じく、成人するかしないか程度だろう、その細い体に大きく走った裂け目。そして、そこから漏れだす赤い血と肉の塊。

 鉄錆の臭いが鼻を突く。国にいた時であれば、いつも自らの衣装を覆っていた甘い香りとは全く違うその臭い。そして、無言で瞳に空を映す彼女の顔。血の溢れる唇が、微かに笑って見えたのがかえって不気味だった。


 それを見た瞬間、我を忘れて叫んだ。

 メルティは全て悟ってしまった。

 目の前の彼女は今、殺されたのだ。誰に? 当然、騎士たちに。そして周囲に転がる刃物を見れば、その少女の目的は一目瞭然だろう。


 どこか、今まで人ごとだった。

 国で革命が起きたと聞いても、関心が持てなかった。民衆が国を裏切るはずがない。そんなお祭りなどすぐに終わって、また帰れるのだろうと。

 自分が恨まれていると古参の女官に聞いても、そんな馬鹿なことをと流していた。

 イラインへ立つ直前、父親が殺されたと聞いても、作り話とさえ思った。もっともその時は、金髪の君に夢中でそんな場合ではなかったのだが。

 だが、とメルティは思った。自分は、こんな少女にすら恨まれていたのだろうか?


 同じような年ごろのこんな少女が、大量の武器を携えて自らを殺しに来るほど。

 そんな深い恨みを、自分は今まで知らなかったのだろうか。


 何故、知らなかったのだろうか。

 その戸惑いと、それから生じた行き場のない怒り。はじめ、その怒りはソーニャに向いた。

 だって、ソーニャはいつも言っていた。自分たちは、民から慕われているから豪華な生活が出来るのだと。王族を嫌っているものなど、リドニックのどこを探しても一人もいないと。

 そう言っていたからこそ、楽観的でいられたのに。だから、幸せでいられたのに。

 だが、すぐにその考えは小さくなる。消えはしないが、それでも否定をしようとしたのは彼女の良心だ。優しい世界で生きてきた彼女。そのため、思慮は浅い。けれど幸運にも、良心や優しさ、そんな美徳は損なわれずに育っていた。


 では、誰が悪いのだろうか。

 そこで思考が空白となる。考えたくないその答えに、思考が強制的に中断される。

 

 しかし、見つめなければならない。暗闇の中で、メルティは必死にそう自らに言い聞かせる。

 

 そして、ようやく自らが求める答えを導き出す。

 決まっている。恨まれているのが自分ならば、悪いのは、自分だ。

 その赤い血を流したのは、自分だ。あの時の少女を作り出してしまったのは、メルティ自身だ。そう考える。


 



 現在のメルティが、意を決して跳ね起きる。頭の中にあるのは、あの日以来ずっと考えていること。


 血を流させたのは自分だ。自分を恨んでいる少女、彼女はもの言えぬ死体となってしまった。

 今まで、自分は何を見ていたのだろうか。笑顔に囲まれ、花を眺めながら歌って楽しんで生きてきた。そのもの言えぬ死体が一つだけだと、どうして言えよう。

 庭園を囲んでいた壁、その外に、死体がなかったなどどうして言えよう。塀の外から聞こえてきていたはずの声を、自分は無視していた。

 あの死体はものを言えないのではない。きっと今もまだ、全身全霊で叫んでいる。

 

 伝え聞いた国の惨状。先ほどマリーヤが言っていた、五万の民が死んだと。

 ならばその五万の民も、きっともの言えぬ死体となって、今もまだ声にならぬ声を上げているのだ。


 暗闇の中、声が聞こえる気がする。これは、自分の心が生み出した幻だろうか。それとも、今更に聞こえた彼らの声だろうか。

 そのどちらでも、同じことだ。そうメルティは恥じるように笑った。




 枕の下に手を入れる。その手の先に触れた革の感触に、メルティは安心する。

 よかった、ソーニャに没収されていなかった。そう、溜息が漏れた。


 年頃になった女性の枕の下に短剣を忍ばせる。それはリドニックやそこに近いミールマン地方の風習だった。

 それは妖精(アルプ)が夢を介して取りつくのを防ぐための(まじな)いと言われているが、それは真実ではないだろう。

 意に沿わぬ男性との、不本意な交わりから身を守るため。それが妥当なところだろうとメルティも考えていたし、事実、そう使われた事例も数多くあった。


 外出の理由が死ぬことだと露呈してしまった以上、こういった危険物は取り除かれてしまうかもしれない。そうは思ったが、あるのであればありがたい。だが、それすらも考え付かないほど無理をさせてしまったのだろうか。それを考え、それもまたメルティの心をチクリと刺した。


 本当は、神器を革命軍の手に渡らせてあげたかった。

 その短剣の鞘を払い、切っ先を自らの喉に向ける。月明かりが反射して、小さく星のように光が見えた。


 やはり、自分は死ななければならない。

 馬車から見えた彼女は、自分を殺すために来た。ならば、私は死ぬべきだ。そのもの言えぬ死体はきっとそう言っているのだろう。

 責任の取り方など、メルティは知らない。だが、責任感はある。何かをして、どうにかして民に謝りたかった。ただひたすら、許してほしかった。


 もの言えぬ死体たちの生き残り、革命軍の者に殺されるのであれば、償いになると思った。

 メルティはまた溜息を吐く。自分なりに精いっぱい考えてようやく出た結論だったが、それはもう出来そうにない。今日の騒動を考えれば、もはやソーニャは自分を外に出そうとはしないだろう。


 ならばせめて、死ななければ。



 あの、カラスという少年は言っていた。

 政情が安定してから、生きてリドニックに戻れと。もはや殺される心配もなくなった後、不満のはけ口として、ただ憎まれて生きろと。

 それもいいかもしれないとは思った。そうして民の心が少しでも癒されるのであれば、それも王族としての責務だろう。すくなくとも、今まで安穏として生きてこられた罪滅ぼしとしてはいいかもしれない。


 けれど、とメルティは手に力をこめる。


 それを自分が上手くできるという自信はない。  

 きっと、逃げ出してしまうだろう。この弱い心では、どれだけその場に留まろうとしても、きっと。

 そのような中途半端なことをするのであれば、ここで決着をつけてしまいたい。

 



 リドニックの皆さま、これで少しでも償いになればいいのですけれど。

 革命で、多くの血が流れたことでしょう。あの少女の流した血の、何万倍も。


 ですけれど、どうか、皆さまお願いいたします。

 これで、最後です。どうか、この私の血が、リドニックで流される最後の王族の血となりますように。


 

 そう、深く願ってから、勢いよく切っ先を喉に突き入れる。

 喉を掻き切れば人は死ぬ。メルティも、それは知っていた。





 しかし、その目論見も外れてしまう。

 突き刺さると思った。間違いなくその剣は自らの細い喉を破り、真っ赤な血を溢れさせるはずだった。


 しかし、伝わったのは鍔の部分が喉に強く当たった感触。

 当然、痛い。だがそれは、期待したものではない。


「ゲホッ!!」

 衝撃にむせる。何故だろうか、そんなはずは……。

 そう思ったメルティは、涙目になった目を擦り、寝台の上に注目した。

「なん……ですの……?」

 そこに落ちていたのは、金属の刃。自らが持っている短剣についているはずの、重要な部分だった。

 見れば、その根元の部分で短剣から分離していた。まるで初めから繋がっていなかったかのような鋭利な断面は、武器に慣れ親しんでないメルティにすら不可解なものだ。


 パキと音を立ててその刃がひとりでに歪む。

「ひっ!?」

 驚き固まるメルティ。だが、そんなことなど全く関係なく、刃は折りたたまれるように小さく丸まっていく。溶けるように、刃が潰れて柔らかみを増す。最初にかすかな音を立てた以外、まるで粘土を丸めるように、変形していった。

 

 やがて、残ったのは金属製の真球。恐る恐るそれを摘まみ上げると、メルティは息を飲んだ。

 何が起きている? 明らかな異常事態に、心臓が鼓動を強めた。静かな部屋に、自分の心臓の音と呼吸音だけが聞こえてくる。見回しても、当然誰もいない。

 

 ふと視界の隅に、帽子が映る。

 それは、カラスという探索者が忘れていったもので、それをさらにソーニャがメルティの部屋に忘れていったものだ。

 何の変哲もないはずのそれを見て、メルティの肩が震えた。



 そうだ、リドニックに伝わる妖精(アルプ)は姿を消すことのできる怪物だ。

 そして、あの少年も、同じことを。


 メルティが、視線を背ける。それ以上、その帽子を視界に入れることが出来なかった。

 妖精は、姿を消すことのできる帽子を被り、女性の夢の中に侵入してくるという。まさか、そのために、今邪魔な剣を……。


 的外れだが、あながち間違いでもない推理。

 それを思いついたメルティは、恐怖に打ち震える。責任感も希死念慮もすべて放り投げ、その思考は今現在の処理で占められた。


 そうだ、あのような恐怖を放つ人間など、いるわけがない。

 あいつは化生の類なのだ。討ち払われるべき魔の者。


 そんな者に私は今狙われているとでもいうのだろうか。

 では、ここで寝てしまえば、それは奴の思うつぼで……。


 思考の奔逸が止まらない。皮肉なことではあるが、恐怖が彼女の思考を生きる方向へと走らせてゆく。

 歯の根が合わない。寝間着が汗で湿り気を帯びる。

(レヴィン様、助けてください……!)

 ただ彼女に出来るのは、目を閉じて愛しい男性に救いを求めることだけ。


 

 翌日、ソーニャが起こしに来るまで、彼女は寝台の隅で震えていた。

 当然、周囲に助けを求めるが、妖精など誰も信じない。一部の人間はその口から出た名前を訝しむが、殆どのものはただ、神経の衰弱だと切り捨てる。


 それきり、彼女は眠ることが出来ない。

 彼女が安眠できるまで回復するのは、少しだけ先の話だ。





私事ではありますが、なんと幸運にも第六回ネット小説大賞受賞が確定しました。

泡沫候補だった拙作がそのような栄誉を頂けるのは、ここまで読んでいただいた皆様のおかげです。本当にありがとうございます。

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[一言] 主人公のヒロインはいつ現れるん?
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