命の使い道
僕が何事か言う前に、俯いたメルティが口を開いた。
「待ってくださいまし」
その声にまずソーニャが、そしてハイロが反応する。落ち込んだその声に、心配そうにソーニャはメルティの顔を覗き込んだ。
「姫様、とりあえず中に入りましょう。それから、温かい飲み物でも……」
「ねえ、ソーニャ。少しだけ、そこの男と話をさせてください」
今日一日でも珍しい。わがまま、という感じではない。これは真摯な嘆願だ。その真面目なトーンに、ソーニャも少したじろぎ、身を引いて僕に視線を向けた。
その、『そこの男』の僕に、何か用だろうか。というか、取り繕うことはもうやめたらしい。
「何故、こんなことをしたんですの?」
「どのことを指して言っているのか、見当がつかないんですが」
僕がからかうようにそう言うと、唇を結んでから僕の方を向いた。涙目で。
「マリーヤが言った通りです。私をなぜ殺さなかったのですか? レヴィン様の腕と名誉まで奪ったお前が、何故?」
「いや、姫様それは……」
「何故、私のことを助けたのですか? 何を企んでいるのか、仰いませ」
とりなすソーニャを無視して、メルティは重ねて僕に尋ねる。そんなに不思議だろうか。
……いや、不思議か。
多分、レヴィンは僕のことを地位と名誉を求める浅ましい亡者とでもしたかったのだろう。
なるほど、以前グスタフさんが言っていた。『自分と同じ考えを皆が持つと思い込む。それが思慮が浅い小物の特徴だ』と。
そして改めて、やはり《魅了》は厄介だ。そんなバカげた話でも、無条件に信じられてしまうのだから。
「先ほど言った通りです。別にメルティ様を積極的に傷つけたいような理由もありませんし、そもそもお仕事だったので」
「そんな嘘は、もう聞きたくありません」
メルティが目を瞑り耳を塞ぐ。その直前にソーニャの方を向いたのは、きっと無意識のことなのだろう。
「何で殺してくださらなかったのですか! 何で私が死ぬのを邪魔するんですか!! 私は、死ななければ……!」
「姫様!!」
叫んでいる途中のメルティの両肩をソーニャが掴み、言葉を止める。
「姫様はお疲れなのです。さ、早く中へ」
だが、メルティの言葉は止まらない。それから、悲しそうで悔しそうな目をソーニャに向けて、ぺたんと座り込んだ。
「もうたくさん! もううんざり! 何故、何故ソーニャも言ってくれなかったの!?」
涙は溢れてはいないが、声に鼻水を啜る音が少しだけ混じっている。もうすぐ泣きそうだ。
「リドニックでは、王は民に好かれていると仰っていたじゃないですか。今年も平和で、民たちも幸せに暮らしていると言っていたじゃないですか」
「それは……」
手を泳がせて、ソーニャは言い淀む。考え方によっては、この人が諸悪の根源な気もする。
「革命が起きたと聞いて、何が何だかわかりませんでした。だって、前の日はいつもとおんなじで。温かい庭で楽しく過ごしていたのに。なのに、突然逃げろだなんて」
力なく白い手が土を叩く。
「それから、ずっと閉じ込められて。ソーニャ、貴女が教えてくれなかったこと、この街に来たときにようやくわかりました。馬車の中から青い空と、黒い影と、それから赤い……」
胃が収縮したように、メルティが体を震わせる。僕やハイロは慣れているだろうが、赤い血を見たのは、それだけ衝撃的なことだったのだろう。
……本当はきっと、それが正常なのだ。
キッとメルティがソーニャを睨む。ソーニャはその視線を受けて、固まった。
「それから、ようやくわかりました。私たちは好かれてなどいなかった! 護衛の騎士たちに尋ねて回って、ようやく、全部全部わかりました!」
「私の目を盗み、そんなことを」
「嘘ばかりだった!! お父様は民を殺して、だから民はお父様を殺した! だから、本当は私も……!」
「私も死ぬべきだった、と」
メルティの言葉を継いで、僕が喋る。この場でメルティ以外、口に出せるのは僕だけだろう。
「死んでどうするんですか? 死ねば何か起きるとでも?」
「償わなければならないんです! 私は王女なのですから!!」
もはや周囲を気にしない叫び声。紅潮したメルティとは反対に、ソーニャの血の気が引いていった。
僕は、少しだけ息を吐いて肩越しにちらりと後ろを見る。
「ですって、ハイロ」
「え」
いきなり話を振られて戸惑っているが、せめてここで何かを言ってもらわなければ。連れてきた意味が半分くらいになってしまう。
「落ち込んでいる女性にかける言葉は持ち合わせていませんので。任せました」
「んな、俺だって……、でも……な……」
少し渋るも、ハイロはつばを飲み込み拳を握る。決意に一歩だけ踏み出した。
「えっと、メルティ様!」
ハイロの声は聞こえていないかのように無視される。けれど、頬が少し震えた。聞こえているのは確かだ。それは察していないだろうが、ハイロは言葉を続ける。
「し、死ぬなんて言わないでください。俺、まだ事情とかよく分かってないんですけど、でも、死ぬなんて」
もう一歩近づき、しゃがむ。座り込んでいるメルティに目線を合わせた。
「また行きましょうよ、五番街。一緒に美味しいものを食べて、き、綺麗なものを見たら……」
「同情はやめてください!!」
メルティは大きく首を振る。ハイロの色男っぷりはまだ足りないらしい。
「今だって、ハイロ様は私に優しい声音で嘘を吐きかけている。誰も彼も、本当は私なんて嫌いなのよ!」
「そんなこと……」
「私に本当のことを言ってくれたのは、レヴィン様だけだった! 私を、本当に好きになってくれたのは!!」
「…………!」
衝撃的な告白。正直、このタイミングでとは思わなかった。だが、結構いいタイミングだ。このまま少し続けていけば……。
僕の思惑をよそに、ハイロが絶句し、固まった笑顔のまま少し仰け反る。
「だから、レヴィン様の敵のその男に、少しでも仕返しがしたくて! 大人しくついてこさせたのに、なのに……!!」
やはり、示し合わせてはいなかったか。けれども、示し合わせたかのように意思を統制されている。……まったく、本当に厄介だ。
「……もっと嬉しがってもらって構いませんよ。ちゃんとした、探索者だったでしょう?」
僕がそういうと、元気を取り戻したかのようにまたメルティは僕を睨んだ。
悔しがっている。その顔を見れば、少しだけ溜飲が下がった気がする。
まだ少し足りないけれど。
空気を切る。努めて明るく、僕は笑顔を作る。
「さて、終わりですハイロ。僕たちは帰りましょうか」
「お、おお」
僕が声をかけると、ハイロは目が覚めたかのように返事をして立ち上がる。今目の前の激論が終わり、それからすぐに呼びかけた言葉だ。そういう反応にもなるだろう。
そんな僕らを見つめるメルティの目に、少しだけ怒りが見えた。気のせいかと思うくらい、少しだけ。
「……何でしょうか?」
見つめられているのだ、今更ではあるが、こうやって聞き返しても問題はあるまい。そういった無礼を咎めるはずのソーニャは、呆然としているのだし。
僕が見返すと、少し俯き小さな声でメルティは口を開く。
「貴方たちが、羨ましい」
ぼそりと呟かれた言葉。その言葉は、今日吐いた本音のうち、一番静かな声音だろう。
「羨ましい? 私たちこそメルティ様たちが羨ましく思います。先ほどまでの話を聞く限りでは、まるで私たちと違う世界に生きているのですから」
生きるために何かをすることもなく、待っていればただご飯が来る。嫌な話は聞こえてこず、嘘だが心地のいい話ばかりが耳に入る。革命前夜にもかかわらず、不穏な空気など一切感じることのないほどの安穏とした居場所がある。
何もかも、貧民街とは違う。僕が苦しい生活をしていたなどということは言えないけれど、本当に、ハイロとは正反対だ。
「ハイロ、どう思います? 僕らが羨ましいなんて、そう思えますか?」
「いや、あー……、うん」
先ほどの逆告白が尾を引いているらしい。反応が鈍い。涙目がずっと続いている。
ハイロの方はこれでいいかな。一目ぼれした女性が、好きな男性の名前を目の前で叫ぶなど思春期の少年には少しきついだろう。あとは、社会的なものが楽しみではある。
失恋中の友を視界から外し、メルティに向き直る。力の戻りつつある瞳は、僕を真正面から捉えていた。
「先ほど聞きましたけど、死んでどうなるんです?」
「責任を取ると私は……」
「僕らの死に意味は生まれません。王族の方はまた違うんですね?」
メルティが息を飲む。苛立ったように、髪の毛を掻きあげた。
「なるほど、たしかにメルティ様が何者かの手により身罷られれば、溜飲が下がる者も大勢いるでしょう。革命軍や、圧制を受けてきた民はそうでしょうね」
そして。
「そして、憎悪の対象が一人消え、少しばかり軽くなった気分でそのあとの日々を生きる。素敵な話ですね。……でも、それだけです」
「それで充分じゃないですか……!」
メルティが叫ぶ。少しでも民のために負担を減らそうとする。正しい施政者に少しだけ近づいたのだろうか。それが、もう少し早かったのならよかったのに。
「それは僕らも一緒なんですよ。僕らが死ねば、嫌われ者が一人いなくなれば、それで喜ぶ人たちがいる。このハイロが、死ぬような暴行を受けていたときに周りの大人は笑っていましたから」
王族も貧民街の者も変らない。嫌われ者はみなそうだ。
「だから、一つ提案をしましょう」
「てい……あん……?」
話を変えるように、僕は言う。
確かに、メルティが死んでも責任はとれるだろう。リドニックの国民がそれで前を向けるのであれば、それはそれで有効だ。同じように僕は以前クラリセンで、同じような境遇のヘレナを裁かせようとした。メルティと同じく、次につなげるために。
だが、今回はそれとは少しだけ状況が違う。死なせないためには、そちらを提案しよう。
「言った通り、メルティ様が死んだらそれなりにみんな喜ぶと思います。でもその後に残るのは、少し優しくなった刑罰に、軽くなった税。そして、変わらず続く厳しい気候です」
先ほど、ソーニャはそう言っていた。元々、厳しい土地だったと。
ヘレナが死ねばすべて消える魔物の大群とは違うのだ。
「四色の雪、見てみたいものですね。ちなみに何色なんですか?」
そう軽く尋ねる。これはただの好奇心だった。
「……白と、赤と、橙と……」
たどたどしく答えてくれたメルティは、そこで言葉を止める。もう一色が出てこないようで、小さく首を横に振った。
「まあ、そんな土地です。厳しいのはずっと続く。貴女が死のうが死ぬまいが」
「だから、何を……」
「だから、貴方はリドニックに戻らなければいけないんです。生きて、元気な体で」
そう、あの時はヘレナの死の使い道について争った。
けれど、今回考えるべきは、生の使い道だ。彼女には、生きていてこそ価値がある。
彼女は、生きて、苦しまなければ。