閑話:言葉遊び
SIDE:ルチア
「では、そのようにお願いいたします」
「………」
モノケルは、無言で目の前の少女に背を向けた。そしてそのまま振り返らずに歩き出す。返事がないことなどいつものことだったので、その少女、ルチアは笑顔のままそれを見送った。
レヴィンと数人の仲間たち。彼らがひとまず借りている宿。それは本来『ひとまず』という用途に使われるものではない。
三階建て。厩があり、そこで預けられた騎獣を守る護衛までついている。どの部屋も豪奢なものであるが、三階のその部屋は特に広く、大きいベッドや暖炉やその他、もはや一つの家と言ってもいい設備が備え付けられている。
部屋の中の部屋、その密室に残った二人の少女。
一方は椅子に深く腰掛け、もう一方は立っている。それは二人の身分差などとは関係なく、二人に与えられたと信じている役割の分担によるものだった。
一人の少女は白く丈の長いドレスを。もう一人は黒く丈の短いチューブトップとハーフパンツを身に纏い、その上から幅の広い布を幾重か体に巻きつけている。その対照さは、個人の好みによるものだったが。
座っているドレスの少女、ルチアはその長い金色の髪の毛を背もたれの後ろに払いのけると、背もたれに寄り掛かりもう一人に話しかけた。
「それで、どうなると思いますか?」
「正直、ちょっと足りない」
おそらく力不足だ。そういった意味の言葉を凝縮し、気怠げに答えたもう一人の少女エリノアは、表情に乏しい顔でモノケルの消えた扉を見つめる。
文句も言わず、すぐに発ったのだろう。その実直な姿勢は、愛するレヴィンよりもむしろ尊敬できると彼女は思っていた。
「さてさて、どうなりますことやら……」
そんなエリノアを無視して、ルチアは懐から取り出した手鏡の蓋を開く。一見懐中時計にも見えるその鏡は、ルチアの家に代々伝わってきた貴重な品だ。
その鏡に、魔力を通す。鏡が水面に変わり、水滴が落ちたかのように歪んだ。
そしてそこに映し出された像は、ルチアの端正な顔ではない。
「あらあら、やっぱりモノケルさん、負けてしまいました。これはあのときの……カラスさんですねぇ」
そこにはあの日見た真っ黒な装束の少年が、モノケルの首を掴んで話しかけている姿があった。
モノケルは、今しがたこの宿を発った。なのに、そこには殺されている姿が映し出されている。
それは明らかに未来の情報。その種は、それが映し出されている鏡そのものにある。
その能力は、『未来視』
範囲は限定的であり、そして連続使用も難しい神器ではあるが、『未来を見ることが出来る』という凄まじい能力だ。それを存分に使い、ルチアはこれからの算段を付けていく。
「止める?」
モノケルが死ぬ。それを知ったエリノアは、今発ったばかりのモノケルを止めることを提案する。
しかし、ルチアは柔らかい微笑みでエリノアを制止した。
「いいえ。貴女は手紙を出してくださいな。今から用意しますので、それをいつものように場所がわからないようにして標的の店に届くように手配をお願いします」
「……了解」
それからルチアは手紙の準備を始める。紙を広げ、筆記具を並べて。
瓶の口に羽根ペンを付け、インクの量を調整しているその姿を、エリノアは微動だにせず見守っていた。
かすかに扉の外から、キャッキャッとはしゃぐ声がする。
その声にルチアは手を止めると、手紙から目を離さずにエリノアに話しかけた。
「向こうで皆様と楽しんできてもいいんですよ? 今のところ、貴女の仕事はありませんから」
「構わない」
扉の向こうでは、レヴィンとミーティア人の姉妹が盤上の遊戯で盛り上がっていた。
「……貴女は、あの陰陽石が苦手でしたものね、フフフ」
陰陽石。
それはライプニッツ領に広まりつつある玩具、そしてそれを使ったゲームだった。
「石は一種類だけ。盤面も共通。単純な規則で驚くほど広がりを見せる。割と面白いですよ」
知恵を使うゲームだ。交互に石を打ち合い、自分の陣地を広げていく。簡単な遊戯だったが、やはり仲間内ではルチアが一番の好成績を誇っていた。
「最近では、旦那様が相手してくれなくなってしまったのが寂しいところですけれど」
そしてその好成績故に、もはやルチアは参加できない。
勝ちすぎたのだ、彼女は。
彼女の能力を軽く考えて、初めはレヴィンのほうから彼女を誘った。しかし、続くレヴィンの負け。勝負であれば、手加減はしないほうがいいだろうというルチアの配慮が裏目に出た。一方的な展開にレヴィンのほうが面白くなく、ルチアはここしばらくレヴィンとは遊べなくなっていた。
「だから、今回は負けてみることにしました」
「意味が分からない」
玩具から手紙の話へ。唐突な話題の転換についていけず、エリノアは唇を引き締める。ルチアはそんなエリノアを内心笑いながら、説明を加えていった。
「今回のモノケルさんの使い道ですよ。彼は顔を見られた。そのせいで、動けばすぐに足がついてしまう」
「死ねばいい、と、そう……」
「もちろん、死ななければ死なないほうが嬉しゅうございますよ。けれども、結果は失敗する。それも思った通りなんですけど」
手紙の執筆は再開される。
この短い会話も、ルチアにとってはただの気分転換だ。
「今回の敵。『石ころ屋』という方々は気がついていないでしょうね。顔も身元も知れているモノケルさんは、私たちにとっていまはただの厄介者なんです。いなくなってくれたほうがいいくらい」
「……」
辛辣な言葉にエリノアは眉を顰める。だが、ルチアはそんなものは見ていなかった。
「私たちが動くのはもう少し後。私たちはそのときに備えて、万全の状態で準備をしましょう」
「当然」
「古の勇者曰く、内助の功、と言ったかしら? ああ、旦那様の晴れ姿、想像しただけで嬉しくなります」
恍惚に緩んだ頬をルチアは支える。端正なその顔はバラ色に染まり、まさしくそれは恋する乙女というものだろう。
「その横に、正室たる私が並ぶ。フフフフフ、その時はエリノアさんも、目立つ格好でよろしいですのよ」
不快さに、エリノアが奥歯を噛みしめる。レヴィンは私達を皆平等だと言ってくれているのに。
エリノアはルチアのこの、自らを正室、他の仲間を側室とみなす態度が大嫌いだった。
パタリと筆記具が置かれ、手紙が封蝋で閉じられる。
「では、お願いします」
「…………」
微かにエリノアは頷くと、その手紙を受け取り部屋を出る。そこには、主人レヴィンとそのお気に入りの姉妹が、やはり机を囲んで座っていた。囲んで、といっても、妹はレヴィンのすぐ横触れ合う位置にいたが。
「エリノア、出かけるのか」
静かに尋ねられたその声。その声だけで心臓が跳ねる。エリノアはそちらをちらりと見て、口に出した。
「手紙を出してくる」
「そうか」
短い言葉の応酬の後、レヴィンは盤上に目を戻した。それを確認して、エリノアは宿を出る。
見送ったルチアも、すぐに姿を見せる。
「旦那様、私も」
「……お前強すぎるからなぁ……」
入ってもいいか、と尋ねようとした言葉を途中で遮られる。だがもはやルチアはレヴィンの右隣、妹の反対側に腰かけてレヴィンにしなだれかかっていた。
「見ているだけ、ならばいいでしょう?」
「あ、ああ、まあな」
自分は遊戯に参加していない。それは負け。
けれども愛する旦那の横に座った。妾の彼女らと同じように。それを見れば引き分けだ。
内心で、ルチアは今現在の敵、石ころ屋のこれからとる方策を思い浮かべる。
(モノケルさんは殺される。貴方たちから見たら、私たちは一方的に仲間を殺されて、その命を使って命乞いをしている。無様な負けね)
体でレヴィンの体温を感じる。盤上の動きも手に取るように予想しながら。
そこは駄目。五手先で逆転される。今は、そう、取れる陣地は少ないけれどそこに。
姉の応援をして、その通りに進んでいく現状にニンマリと笑った。
(でも、モノケルさんは私たちにとって殺されたほうがいい存在。これは負けじゃない、痛み分け。それでも、より隠密性を増した動きに貴方たちの油断、私達のほうが次は幾分が有利になる)
逆転の手を封じられた妹は頭を抱えて、それをレヴィンが慰める。
それを確認したルチアは、レヴィンの腕にしがみつく力を一層強めた。
(私たちは体よく引き分けた。貴方たちは偽物の勝利に、惑わされずにいられるかしら?)
この先の逆転勝ちを夢想し、ルチアは今日一番の笑みを浮かべた。




