変質魔法
「変質、ですか」
「そう、変質。ちょっと面倒なことが判明したんだ」
次の日、また石ころ屋には同じ面子が集まっていた。
グスタフさんに、レイトン。それと大きな包みを足元に置き、ニヤニヤと笑っているエウリューケだ。
それなりに重要な情報を伝える、とそういう前置きで語り始めたレイトンが言った言葉がその『変質』だった。
詳しい説明を求めてレイトンを見つめると、一瞬溜めてから口を開く。
「昨日、エウリューケに頼んでモノケルの頭部を解……」
「はいはーい! そこからはあたしが説明しちゃってあげるよー!!」
だがその口を開いたレイトンと僕の間にエウリューケが割込み、そしてレイトンを遮り話し始めた。
いそいそとエウリューケは包みを開く。
そこには、半寸ほどの分厚いガラスの板のようなものが何枚も入っていた。板ガラスか、と一瞬思ったがそうではないらしい。何故かといえば、その中心付近に何か物体が埋め込まれていたのが見えたからだが。
そしてエウリューケは何かに悩んだ後、無言で店の奥へと入っていった。すぐに出てきたが、その小脇には畳まれた小さな机が抱えられている。
その間に、話を遮られたレイトンを見れば、特に気を悪くした様子もなくいつものようにエウリューケを見つめていた。
「どしーん! 、と」
エウリューケが部屋の中央に机を広げ、そこに一枚のガラスを置く。その中には、魚の輪切りのような物体が……。
「昨日、レイトン坊やに頼まれて、解剖してみたんだー。なんとあの、モノケルさんの頭の横断標本ですよ」
魚のような、じゃなかった。これは、あれか。人間の頭部の輪切りそのまんまか。
ガラスの中に綺麗に固定された頭部の輪切り。骨や脳、神経に皮膚まで綺麗に切断したようで、足元に置かれているものも全て並べれば、位置だけは綺麗に再現できるだろう。
「細かい説明はカラス君にはわから……いや、わかるなこれー。でもでもめんどくさいから率直に言っちゃうんだけど、この辺、変質してた」
細かい説明を放棄し、エウリューケはざっくりと脳の場所を指で示す。
「簡単にいえば、前のほう。意思決定に関する部分が縮小されたうえ、脳が全体的に前に寄ってた。あと、副産物かもしれないけど、こっちの小っちゃい脳のほうが複雑に肥大してた」
前頭葉と、小脳。それと終脳、だろうか。フルシールの恐怖喚起についていろいろ試したとはいえ、脳の解剖を詳しく覚えていないので自信は無いが。むしろ、よく前頭葉の機能を断言していると思う。それは元治療師の面目躍如といったところか。
「脳機能に異常があった、ってことですか?」
「見方を変えればそうかも。でも全体的には障害が出てるわけでもなく、むしろ運動機能は上がっているかな? って感じ」
「ああ、小脳の辺りの影響です、かね」
言いながら考えるが自信が無い。たしか協調性の運動機能に関係していた気がする。
「しょうのう、っていうのか知らんけど、そうね大体このへんのせいかも」
小っちゃい脳、とは言ったが、正式な名称は無いのか。
「他の場所がどうなってたかっていえば……」
「エウリューケからの報告を簡単にまとめると、彼の脳は変質していた。特定の人物の命令に対し思考能力が低下して、そしてその命令に反応して快楽が沸き起こるように。ね?」
レイトンはそこで口を挟み、確認をするようにエウリューケに尋ねた。エウリューケは唇を尖らせて顔を背け、レイトンを無視する。この二人、実は仲が悪いのか。
しかし何故それを調べたのだろうか。
そう思い口を開こうとすれば、先にレイトンが話し始めた。
「以前のクラリセンのことは覚えているだろう? オトフシはレヴィンの命令できみの殺害を実行しようとした。その時に、『断るという選択肢が消えた』と言っていたことも」
「……そういえば、そんなことも……」
たしかその時、レイトンも何か使われたと推測していた。ならば、これがその結果か。
「魔法、でしょうか」
「そうだね。知っての通り、レヴィンは魔道具が使えない。……きみという例外はあるにしても、彼は魔法使いだからだ。神器、という線もあるにはあるけれど……」
レイトンはそこで言い淀む。レイトンですら結論が出ていないのだろう。ならば、今確定しているのはそこまでだ。
言葉を予想し、相槌を打つように僕は続きを口にする。
「とにかく、何かが使われた。それも脳が変質する類のものを」
「そう。オトフシの反応からして、短時間では効果が長続きしない。意図的に解く理由が無いし、恐らく変質するまで時間がかかるんだろう。だが、これは少々怖いものだ」
「そう、ですね」
脳が変質する。それも先ほどの説明通りならば、誰かの命令に素直に従うような、そんな構造に。永続的に解けない洗脳の魔法。そんなものもあるのか。
「魔術師には、魔法への抵抗力もある、だろう? ぼくは魔力が使えないからよくわかってはいないけど」
「……はい。一応、直接体内に作用を起こすことは難しいですし、多少弾くことも出来ます。闘気ほどではないですけど」
魔力は魔力を弾く。溶かすように作用する闘気とは違い、邪魔をする、といった感じか。
「オトフシの魔力はそれなりだ。魔法使いほどではないにしろ、それなりに強い魔力を持つオトフシでもそんな状態になった。ならば」
言いながら、エウリューケのほうを見る。視線が集まったのに反応したのか、両手で頬を挟み顔を歪ませた。
「彼女も、かかる」
「……戦力外通告……?」
「はっきり言いやがったなテメー!!」
その場でドタバタとしながら騒ぐエウリューケをその場全員が半ば無視し、レイトンはさらに続けた。
「そこまでじゃないさ。でも戦線に投入は出来ても、レヴィンと接触させるわけにはいかなくなった。それだけじゃない。昨日まで味方だと思っていた奴が、突然敵になる。そんな懸念も出てきた」
「それはやや厳しい状況……です、か?」
言いながら、それは違うと思った。戦略的には確かに問題はある。だが、よく考えてみたら戦術的にはあまり問題は無い。今のところ味方として参加している人間で、危ういのはエウリューケだけだ。グスタフさんはそもそも戦闘には参加しない。それに、有事の際には必ずニクスキーさんが控えている、らしい。この目で見たことは無いが。
もっと下の、監視員などのレベルで不都合が出るかもしれないが、懸念としてはそれくらいではないだろうか。
「厳しいというほどじゃないけど、情報には気を付けてね、ってところさ。きみにとっては面倒だろう?」
「ま、そうですね」
偽報に気を付けろ。そう解釈して僕は同意した。
カウンターに片肘をつき、僕らの様子を見守っていたグスタフさんは、ここではじめて口を開いた。
「連絡はもう一つある。奴らからの伝言が届いた」
グスタフさんに視線が集まる。様子からみて、レイトンはもうその中身を知っているようだがエウリューケは知らないようだ。カウンターに両手をつき、ピョンピョンと跳ねながら手紙が開かれる様を見ていた。
「大意はもう知っての通りだろう。読んでみるか?」
そう言いながら、手紙が僕に渡される。そこには綺麗な文字が等間隔に並び、やはり格式ばった文章でグスタフさんたちの予想通りの文が書き綴られていた。
「『先日の不幸なすれ違いの末、このような悲劇が起きてしまいました。こちらにはあなた方に敵対する意思もなく、またそのような刃も持ちえません。どうか今回の件は、我らのかけがえのない仲間であるモノケル・ラースの死により、禊を済ませたとしてご容赦いただけますよう』……ハハ……」
その中の一部を声に出して読む。本当に、予想通りの一文だ。そしてその他には、やはり『イラインに手出しすることは無い』や『衛兵たちのカラス様への誤解はといておきます』やら、とても信じられるものではない文が並んでいる。
「……届けられた経路から、奴らの場所が特定できたりとか?」
「それは今調査中だが、細かい場所の確定は難しいかもしれねえな」
僕の手から手紙を奪い取り、光に透かすようにしてエウリューケも手紙に目を通す。
「本気たあ思えねえなあウィヒヒヒヒ」
エウリューケはふざけた感じで内容についてそう笑うが、僕も同意見だ。
その意見はきっと、この部屋のいる者の総意だろう。




