閑話:隠し言葉
SIDE:石ころ屋
イラインの一角。石造りの大きな建物で、高い塀に囲まれて外部からは遮断されている。その中でも多くの人が集まる部屋。部屋とはいうが壁は殆どなく、石畳にただ屋根をつけたようにも見えるその部屋は、イライン付近で盛んに学ばれる、月野流剣術の道場だった。
月野流に入門した門下生はまず、木刀を渡される。
そしてその木刀を、地面に埋め込まれた杭に押し付けることから、修行が始まるのだ。
「フ、ウゥゥゥ……」
汗が滴り、煙を纏う如くに湯気が立つ。筋肉は軋み、弾けるような熱を放つ。
昼夜を問わず、構えた木刀を杭に押し当てる。鍔迫り合いの形。それは月野流の基本の技術であり、そして骨子となる業だ。
月野流の技術の殆どは、鍔迫り合いの形から始まる。そしてそこからの変化は多彩で、他の流派に類を見ない。まず、鍔迫り合いから押し切り、押し倒した相手の武器と首を切断する必勝型。切り結んだ相手の武器を弾き飛ばし、無防備な喉を突く形。相手を掴むことなく、切り結んだ自らの武器と相手の武器を介して相手に力を伝え、投げ飛ばす技まである程だ。
その日、門下生は入門後の初めての壁を越えようとしていた。
この流派の始まりは、これより二十年前の戦まで遡れる。
その中で、一兵士として参加した武術家スティーブン・ラチャンス。月野流は、彼が使っていた兵法を再編、体系化したものだった。
イラインより西、およそ五里ほど離れたところにある小さな街で彼は生まれた。
開拓村でもなく、街とも言い切れない。街ではあるが、農村といったほうが正しい貧しい村。そんな村で農家の次男として生まれ育った彼の幼少期、それはやはり農作物の世話しか能のない、ただの子供だった。
既にネルグとの間にはイラインが存在し、魔物の出現は少ない。貧しいことが幸いして、防備はないが村を狙う賊もいない。そんな村で、彼は平和に過ごして育った。
やがて家督を彼の兄が継ぐことになるのだが、そのときに武で身を興そうと考えたのは、彼の失策だろう。
水天流、黒々流、その他数々の道場を渡り歩いたが、彼に芽はなかった。
農業のみに徹し育ってきたその手は戦うことを知らず、あるものといえば農機具を振るうために鍛えられた体のみ。
技術もなく、武器は扱えない。剣を振ったところで刃筋は通らず、槍の穂先は斜めに叩きつけられる。
当て感という、幼少期から培わなければならない重要な感覚が、彼には一切理解出来なかったのだ。
しかし、彼は諦めなかった。
自分には才能がない。だからなんだ。自分には、他人が持つ手札がない。だからどうした。
ならば、自らの持っている手札を最大限使えばいい。まだやれることはある。
そう信じて、体を鍛え抜き、そしてある境地に至る。
そうだ。振って当たらないのならば、振らなければいい。避けられてしまうのであれば、避けられないようにすればいいのだ。
天啓が下った。彼には自らの手札を使った勝ち筋が、クッキリと見えたのだ。
それから彼は野試合を繰り返し、名を上げてゆくことになる。
刃を構え、体ごと飛び込み、鍔迫り合いを押し切り相手に降参を迫る。泥臭い戦法だ。水天流のようなどこか華麗な業でもなく、黒々流のような巧妙な戦術でもない。
だがその泥臭い戦法は、試合を見た才能の無い者に光明を与えた。
才能なんかいらない。自分も強くなれる。
皆にそういった幻想を与え、支持者を増やしていくスティーブン。その名声は、先の戦争で多くの首を取ったことでいよいよ高まった。
そしてその報奨金をもとに、彼はついに流派を興す。
魔物相手よりも対人特化のその戦法。歴史は浅い。しかし今ではイライン周辺の騎士や衛兵において、水天流に次ぐ門下生の数を誇っていた。
ボキリと鈍い音がして、木刀が折れる。
門下生が杭に押し当てていた木刀。それが折れたことを確認した師範代は、破片を拾ってウンウンと頷いた。
「いい感じでやすな。これでお前も切り紙授与です」
「あ、ありがとうございます!!」
門下生は頭を下げる。
切り紙。それはこれからようやく技を学べるという証。木刀が折れたところでようやく得られるそれは、剣の道にとって初歩の初歩もいいところである。しかし剣を学ぼうとする彼らにとっては、それでもやはり嬉しいものだった。
今道場を切り盛りしているのは五人の師範代、そして師範代を除けば三人の内弟子がいる。師範たるスティーブンは現在、各地を周り月野流の宣伝活動を行っている。最近ではその目的の殆どが遊行になってしまっているきらいもあったが、とにかく現在は、師範不在で道場は回っていた。
その師範代の一人、クリス・ウィートンは今日も道場にいた。
飄々としており、そしてその態度により周りからは軽んじられていたが、それでもなお腕前は確かな男だった。
「それでは、明日から本格的な稽古に入りやす。今日はしっかりと休んで……おや」
その細い目の端に、一羽の鵲が映った。特に尾羽が白いその鳥は、彼にとって無視してはならない類のものだ。
それでも、優先すべきは今段階を進めた内弟子だ。言葉を止めたクリスの態度に戸惑っている弟子に向け、クリスは笑顔を作る。
「いえ、今日はしっかりとお休みください。特に、腕はきちんと手当しておくこと」
どの内弟子もまず学ぶ技術。それは、腕の炎症を抑える薬湯の作り方だった。
「はい!」
元気の良い挨拶を残して弟子は帰ってゆく。
「……さて」
頭を下げて退室する弟子を見送ったクリスは、肩に力を込め、下ろす。緊張をほぐすその動作を何度か繰り返し、それから鳥の伝言に目を通した。
「おう」
伝言を見たクリスの足は、いくつかの建物を経由した後貧民街へ向いていた。貧民街の一角にある雑貨屋『石ころ屋』。彼はその店が、名前に似つかわしくない剣呑な店であることも知っている。
そこにいる老人、グスタフに呼びつけられた彼は、簡単な挨拶に丁寧な会釈を返した。
「どうも、遅くなりやした」
「構わねえよ。それで、どうなった」
何を、とは言わない。そもそも他の用事などないのだ。
クリスとて、グスタフが『使える男』でなければ頼みなど引き受けない。だが、世話になっている。だからこそ、彼はその月野流の持つ繋がりを、グスタフのために最大限使用していた。
アヒル口をパカリと開け、クリスは報告を始める。
「はいな。今朝多発した火災やその付近の建物が倒壊した事件。門下生の衛兵に確認したところ、火災や倒壊の原因となった下手人は一向に見つからずに、捜査も打ち切られる模様でやす。また、カラスさんという探索者がそこに関わり、殺人まで犯した疑いがあったそうでやすが……」
言葉を切り、クリスはニヤリと笑う。
「その辺で、『うちの若いもんが高名なカラスさんに一手指南を求めて立ち合っていた』そうで。つまり、居たことは居たけれども、していたことは平和的な野試合。生首を持っていたというとこらへんも含めて、目撃者の勘違いでやすな」
「……ご苦労だった」
労いの言葉。それを受けて、クリスは会釈し一歩下がる。
騎士団や衛兵に門下生を多数輩出している流派の師範代。彼にとって、この程度の仕事は朝飯前だった。
グスタフはコトリとカウンターに金貨を置く。
月野流道場の食い扶持のため、クリスには貴重な収入源だ。それをするりと懐に入れると、クリスはもう一度会釈をする。
「それではこれで」
「おう」
用事は済んだ。クリスはそそくさと石ころ屋を出てゆく。
これから内弟子に稽古をつけるのだ。最近、騎士から探索者へと志望を変えた、若く才能ある内弟子に。
貧民街から出たクリスの顔。それはそれまで見せていた商人のようなものと打って変わって、その内弟子のことを真剣に考える指導者の顔になっていた。
協力者も出てゆき、静かになった店内。
ごく短い滞在ではあったが。やはり来客というものは騒がしいものだ。それがどんなに静かな者であっても。
その静かさに耐えきれなくなったように、カウンター奥の出入り口から金髪の男がゆっくりと姿を見せ、そして口を開いた。
「ヒヒヒ、本当に過保護だね。それくらいの工作自分でやらせればいーじゃん」
今回の件に関するカラスの配置や役割、そして後の処理。その全てを言外に指した言葉。からかうようなそのレイトンの言葉に、無表情でグスタフは返す。
「あいつには向いてねえからな」
「だけど、その適性はある。『今は』向いていないというのが正しいだろう」
「………」
その通りだとグスタフも思う。だがそれを認める言葉は口に出せなかった。
「……エウリューケはどうした」
代わりにグスタフは、本来ここにいるべき店員の名前を口に出す。レイトンが出てきたこと自体、グスタフにとっては意外なことではあったのだが、グスタフはそれを表には出さなかった。
「彼女ならちょっと頼みごとを聞いてもらってるよ」
「勝手なことを」
「ヒヒ、ちょっと気になったからね。結果はちゃんとお前にも伝えるさ」
グスタフのその言葉は本意ではない。その男が無駄な行為を好まないことを知っているからだ。楽しそうに笑うその笑顔に、文句を重ねる気も無いのだが。
故に悪びれもせず、グスタフの抗議にレイトンは軽く返した。
「今回の件は、痛み分けってことでいいのかな?」
「んなわけがねえよ」
グスタフは即答する。レイトンも、その言葉を本気で口にしてはいなかった。
立場を分けて二人は意見を続ける。『仮に自分がそう思っていたら』という仮想実験。それはただ単に、二人の間でいつもやっている確認作業だ。
「でもさぁ、これだけの騒ぎを起こして、討ちとれたのはモノケル一匹。そしてその成果も相手には織り込み済みだった。こちらに大きな負担をかけて、奴らは体よくモノケルを処分した、といってもいい」
それは痛み分けではなく、負けと言ってもいい。その言葉を、レイトンは口に出さない。それを知っていて、なおかつグスタフは否定を返した。
「だが、確かな成果だ。それに、モノケル一匹程度はこっちも勘定に入れなくて構わねえしな」
「慌てて奴らに連絡を取ろうとするこの街にいる下っ端。その連絡手段を追って本隊を見つけ出そうという策は作動しなかった。全部読まれていたんだよ。だからこそ、あの火災は奴ら個人には伝わっていない」
その追跡。それこそが、レイトンがライプニッツ領に近い南側に置かれた理由だった。
だが、鳥や文、何かですぐに連絡を取ると考えたが、何も動きはなかった。まるで初めから、『無視しろ』と命令されていたかのように。
「だが、今回俺らには痛みも何もなかった。お前の手柄でもあるが、な」
「ヒヒヒ、ま、それで落ち着くんだろうね」
結局意見はすぐにまとまる。ニクスキーも勘違いしてしまうほどの偽装に塗れているが、思考の似通った彼らに、別れなければいけないほどの仲違いはない。
「モノケルは処理した。それも、嬲り殺しなどではなくその力を最大限に出させた上で。これは、レヴィンたちに示したものじゃない」
レイトンのまとめ。それにグスタフも頷いて同意する。
「そうだ。出入りする者の監視も、工作もすべてウチの通常業務だ。今回はそこに、カラスを加えた。それだけだ。それだけで、他は何も変わりは無い」
水を一口飲み、続けた。
「俺らが少し力を入れただけで、あの<剣身>モノケルを処理できた」
「全盛期には〈叫声〉にも匹敵するといわれた男を処理できる。それは他の組織への牽制に過ぎない」
揉み消されたモノケルの死。だがそれに関する人々の記憶までは消えていない。
それにより、騒動に乗じてイラインへと手を伸ばそうとする他の組織への牽制をする。それがレイトンには重要だった。だからこそ、カラスの下へ大剣を届けさせたのだから。
目も合わせず、二人は独り言のように現状をまとめていく。傍から見れば自慢しているような、もしくは自分自身に言い聞かせているような、そんな光景。だが、彼らにそんな意図は一切ない。ただの事実文だ。
「今回の騒動を利用して、この街の体制は強化される。監視体制を強化するいい口実になった」
「この騒動は、俺らが起こしたもんだがな。そして、奴らはこの街で動きづらくなる」
クク、とグスタフは笑う。その暗い笑みを見ることが出来るのは、数限られた者たちだけだ。
「この、奴らに与えた仮初の引き分け。奴らは正しく処理できるかな?」
全ては未だ掌の中にある。
レイトンもグスタフも、そう確信していた。




