回り道をしすぎた
レイトンの姿がなくなると、それを確認してグスタフさんが口を開いた。
「あー、なんだ。まず俺から謝らなきゃならんな」
「仕方がない、許してやろうぞ」
「……なんの話でしょうか」
エウリューケに反応するものは誰もおらず、彼女は腰に手を当て胸を張ったまま動かなくなった。
「クラリセンで仮面の男が初めて現れたと聞いて、俺は『いなくなった男』を探しちまった。どこかに『存在する男』を探せば、こんなに苦労することはなかったはずなのにな」
水を一口飲んで、一息つく。
「奴らの狙いは既に半分達成されてる。本当に、くだらない理由だ。だからきっと、お前らにも、本当はレイトンにも理解は出来ねえ」
もう一度、レイトンのいるであろう方をちらりと見て、グスタフさんは溜息を吐く。
「ここにきて、急に現れた男、そいつが犯人だ。……本当は、ずっといたんだがな」
「急に現れた……、というと……」
「……俺からの助け舟はここまでだ。……レイトンにうるさく言われちまうしな」
それきりグスタフさんは身体を背け、伝票の整理を始めた。頼めば資料などは見せてくれるとは思うが、この態勢になってしまえばもはや質問は出来ないだろう。
しかし、急に現れた男? 誰だ?
レイトンが現れたことで、片耳の男についてはまだ話していない。ならば奴は違う。
急に現れたけれど、ずっといた男。他に誰かいるだろうか。
考える。僕も最近知った男、急に現れたというのはそういうことだろう。
「ねー、ねー、カラスくん」
再起動したエウリューケが、考え始めた僕の顔を覗き込むようにしゃがみこむ。上目遣いのその顔は、中身を知らなければそれなりに整っているかもしれない。
「何ですか?」
「あたしよくわかってないんだけどさぁ、なんで君が狙われてるの?」
「それは僕が竜を殺してしまったから……」
言いかけて気が付く。そうではないはずだ。
「……そういえば、何故でしょう。そうだ、竜の事件とは別個に、僕は狙われているはず……」
そうだ。殺害依頼が出されたのは確かだが、それは竜騒動とは関係が無い。
殺害依頼は竜を殺す前に行われている。加えて、竜を誘き出すために姉妹が森に入ったのはそのかなり前だろう。竜の縄張りはネルグ中層から深層にかけて。そんな短時間で往復できる距離ではない。
つまり、あのクラリセンで僕が仮面に何かしたわけではない。それ以前に、僕と奴の間に何かがあった。
「道で歩いているときに、そいつに唾吐きかけたりしてない? 大丈夫?」
「そんなことするわけないじゃないですか」
真剣な顔をしてそう僕に尋ねるエウリューケは、本気で言っているのだろうか。冗談が通じない人間にはなりたくないが、石ころ屋の面子の例にもれずエウリューケの本心もなかなか読めない。
「まあまあ、でもでも、そういう何かのときに加害者は覚えてないからねー。被害者はずーっと覚えてるんだけどー」
「……否定はできませんが、少なくとも僕から手を出したことはそうないはず……」
「自分から手を出してもさ、ぼろ負けしてたら立派な被害者ですよぅ。本人にとってはね……ププ、だっせぇ」
ゲラゲラとエウリューケは笑い出す。
しかし、そうだ。そういえば、僕へ恨みを持っている人間、これは最低条件なはずだ。
貧民街出身ということで蔑まれることはよくあったが、恨まれることはそうなかった。で、あるならばすぐに思い出せるものとしては……。
「ええと、トンネルじゃなくて……トッテルじゃなくて……」
名前が出てこない。テトラと一緒にいたときに一度僕が腕を折った探索者だが、その後レシッドと一緒にいた時も絡まれたはずだ。
「お? 心当たりあんすか? あんすか?」
「いえ、恨まれている人間でまず浮かんだんですけど、その人は違いますね」
体型が全く違う。太った中年男性と、やせ型の少年か青年、流石にコート越しでも見分けはつく。
「鍛冶屋、じゃないなぁ……」
グスタフさんに確認するように目を向けようとするが、それを途中で止める。衛兵たちの詰め所襲撃の関係者であれば、グスタフさんはすぐに察知していた、と思う。
ならば。
「初めに浮かんだ人物が犯人……、とは思いたくないなぁ……」
僕はこめかみを押さえた。
だが、それならばすべて説明がつく。わざわざ遠回りしてここまで来て、みっともないが。
『あいつ』が犯人であれば、僕を狙った理由はわかる。
本当に僕への復讐だろう。体も名前も傷つけた、僕を狙うのは当然ともいえる。
そして、レイトンの言っていた『五年の間していたこと』もわかった。仲間を集めていたのだ。姉妹も、そこで『あいつ』の配下に加わった。配下に加えるための行動か、それとも配下に加わったからの行動か。そのどちらかはわからないが、ミーティアからの宿り木持ちの流出はあいつの仕業だ。
簡単なことだった。すでに幾度も名前は挙がっていたのだ。何故僕は気が付かなかったのだろう。
たとえて言うならば、対象が巨大すぎて見えていなかった。視野が狭いというのは僕の欠点だろうか。
五年前、この街に来ていたのだ。それはまだわがままが制限されているあいつにとって、一つのチャンスだった。
そして、一昨日の邂逅。あれは向こうから来たんじゃない。僕から、仮面の男に近づいていたのだ。
ならば、……そうか、ここでレイトンの言っていた『確認したいこと』か。ここで僕が欲しがる情報を既に察知していたというのに少しだけ悔しいが、仕方あるまい。それに、これはきっとグスタフさんからのヒントでもあった。
「グスタフさん、一つお聞きしたいことが……」
「はいよ」
紐で閉じられた書類。そこにはびっしりと文字列というか名前が書かれている。それは名前や場合によっては偽名と本名、通り名や所属パーティ、その内部での役割やその他出身地と、それなりに詳細なプロフィールだ。何を、と言わなくてもすぐに出てきた。本当に、二人には見透かされているのだ。
「俺もレイトンに言われて急遽揃えたもんだ。クラリセンにいた探索者の名簿、だろう?」
「はい、ありがとうございます」
その薄い束を受け取り、目を走らせる。
「ねー! 見ーせーてー! 見ーせーて!!」
僕の肩越しに、それをエウリューケは覗き込む。そして、多分同じ一点を見つめて、固まった。
思った通りの名前がそこにはある。
だが、僕とエウリューケでは注目した場所が違っていたらしい。
「ははー、そっか、だからじっちゃんもレイトンの野郎もさっきので納得したんだねぇ」
納得し、ポツリとそうエウリューケは呟いた。
「……さっきの?」
「うん。さっき、『これで確定だぜひゃっほーい』みたいなことを言ってたじゃんかさ」
「そこまで軽くはないと思いますが……」
そういう余計なことを付け加えるとわかりづらくなるからやめてほしい。
「その名前、あの領地の一族でしょ? まあ、一般市民の通報で衛兵たちがあんなに頑張るわけないもんなぁ」
「……そっか、そうですね」
喫茶店で衛兵たちに囲まれたとき、それは仮面の男の手配だと思った。
きっとそれは正しい。だが、それには一つ問題が残る。あの平和な街で、名声も権力も無い平民が通報したところで、あの早さで集うことはない。もしかしたら普通にできることなのかもしれないが、そこまでの信用を、ライプニッツ領の衛兵に対して僕はしていない。
ならば、どうやって総動員ともいえる大人数を、素早く動かしたのか。
簡単だ。仮面の男が仮面を外して、通報すればいいのだから。
もちろん仮面を外すというのは比喩的な意味でもいいし、物理的な意味でもいい。
要するに、名声は知らないが権力はあったのだ。仮面の男の素顔には。
「まとまったようだな」
パタンと帳簿を閉めて、グスタフさんは振り返る。僕の手から魔物騒動参加者の名簿を受けとると、それを棚にしまった。
「はい。まだまだ穴はありますし、他にも当てはまる人物はいそうですが」
本当に、発想だけの問題だった。既知の情報、未知の情報、情報同士の繋がりは緩く、犯人には直接結びつかず巻き付いているだけ。巻き付いている人物は複数いる。だが、その巻き付いた糸の数が異常に多い人物。それは、犯人として疑うべき人物だ。
「フフーン、あたしはすぐにわかったもんねー!」
「お前の閃きも大したもんだが、今回はあてずっぽうに近いはずだ。どんな答えだろうが満点はやれねえ」
グスタフさんの窘める言葉にエウリューケは唇を尖らせる。
「だって仕方ないじゃんよぅ。あたしゃあこの事件にほとんど関わってないんですぜ」
「だから、それでも正解にしてやるんだよ」
溜息を吐きながら、グスタフさんはエウリューケを眺めた。何だろうか。なんだか微笑ましい。
それから僕に、静かに問いかける。
「一応具体的に、根拠を示してもらおうか」
「根拠、といいましても、状況証拠ばかりですが」
僕は指を折りながら、一つ一つ整理していく。
「まず、僕への恨みがある者。これは確定です。僕への殺害依頼は、そのためだけだった」
邪魔をさせない、という意図などなく、ただ単にクラリセンの魔物騒動に巻き込んで殺す気だった。オトフシもたしか言っていた。『今なら、魔物の暴動に巻き込まれたというだけで済む』、と。それは僕が殺されたとしても当てはまるはずだ。
「それから、五年前の竜騒動の時も、この前の竜騒動の時も、たしかにそいつはそこにいた。五年前はイラインに、この前のはクラリセンに。前者は僕の記憶から、後者は今見せてもらった名簿からです」
クラリセンで出会わなかったのは偶然だろうか。それとも避けられていたのだろうか。とにかく、東側にいたらしく全く見なかったから気が付かなかった。
そして、グスタフさんのヒントがここで解決できる。
「クラリセンの時に、仮面の男は突然現れどこかへ消えたんじゃない。素顔で、仮面を被らずに街に留まっていた。それが、先ほどグスタフさんが言っていた『存在する男』でしょう」
消えた足取りを街の外に求めるのではなく、街の中に求めるべきだった。初動捜査の遅れ、という単語が思い浮かんだがそう間違いではあるまい。
「仮面の男が直接姉妹を救出したことからして、やつらのうちすぐに動ける者は多くない。多くを連れているのであれば、手下にやらせればいい。にもかかわらず、ライプニッツ領で派手な動きが出来た理由。そして、僕に濡れ衣を着せるための衛兵の頑張りよう。これらからは、あいつはライプニッツ領で権力を持っているということが推察できます。加えて、姉妹を仲間に出来たことも、それに関連しているでしょうか」
それらから出た結論。
それに加えて、直接会って得た身体的な特徴。
そしてもう一つ、重要な情報。
「ライプニッツ領の吟遊詩人が歌っていた噂、その中で出てきた全く新しい人物。『竜を射殺した金髪の男』が『急に現れた男』ですね」
ここまで出てきた特徴を兼ね備えた男を僕は一人知っている。
「金髪で、竜を射殺できそうな魔法を使う。五年前のイラインにもクラリセンにもいて、ライプニッツ領で権力を持っている。僕に腕を折られ、衆目の前で恥をかかされた、と考える男。そしてなにより、レイトンは『僕が気付かないのはおかしい』と思っている。怪しい人物はきっと他にもいますけれど、ここまで条件が揃っているのはあいつ一人でしょう。……動機が一向にわかりませんけど、ね」
きっとレイトンのヒントはその辺についてもあったのだろう。
だが、まずは名前だ。レイトンからの試験では名前しか問われていないのだから。
先ほどの名簿の名前を思い浮かべて、ゆっくりと間違えないように口に出す。
そう、僕は口にしていた。そして、頻繁に見聞きしていたその名前。
随分と、長い遠回りをしてしまった気がする。
「レヴィン・セイヴァリ・ライプニッツ。僕が腕を砕いた、あいつが『仮面の男』です」
本当に、未だに僕は悪意には鈍感だ。




