体が勝手に
歩きながらふと思う。
僕は何故、ハイロを探しているんだろうか。
いけ好かない奴だ。助ける義理など無い。貧しいのは僕のせいでも無い。放っておけば良いのだ。
だが放っておこうと歩みを止めると、何故かそわそわする。
この感覚が何かはわからない。しかしこの感覚は、きっと不愉快なものなのだ。
ハイロも、程なくして見つかった。
貧民街を出てすぐに、怒号が響く。
通りから路地裏を覗き込むように、人集りが出来ていた。
物珍しそうに見つめる視線、痛々しげに顔を歪めて見る視線、憎々しげに目を細めた視線、いい気味だとでも言いたげな冷たい視線、そんな視線の見つめる先では、大人に囲まれたハイロが壁に背を向け座り込んでいた。
力なく四肢は投げ出され、顔は腫れている。
「こんなもんかな」
三人の大人のうち、ハイロの正面に立つ大人がそう呟く。その手は血に染まり、その血が誰の物かも明白だった。
「こんなもんじゃ足りませんよ旦那! こいつらは害虫みたいなもんなんですから」
取り巻きの一人がそう叫ぶ。その声に、もう一人も追従した。
「こいつらは、手足の一本ちょん切るくらいでちょうど良いんです、やっちゃってください!」
「もう止めでいいんじゃねえか?」
溜め息を吐いて、拳を血に染めた男が二人を見返す。
どういう状況だ、これは。
周囲を見回す。野次馬達が何かを言っている。
「あいつがひったくりしたんだってよ」
「ああ、貧民街の奴か」
「最近の襲撃事件といい、危ない奴らばっかだねえ」
「仕方ないさ、どうせ貧民街の奴らだからな。天罰だ」
そんな言葉がザワザワと聞こえてくる。
なるほど、宣言通りひったくりをしようとして捕まり、報復として暴行されている。そういうことか。
であるならば、これは自業自得なのだ。助ける義理は無い。
義理は無い。そのはずなのに、何故か目が離せない。
何故か、イラッとする。
ハイロを囲んでいる大人達の顔を見る。
一般人にしては大柄で、筋肉質の男が二人。ハイロに暴行したのは、もう一人の美丈夫だ。
肩まである金髪に、襟元にファーのついたマント、一見優美な男だが、目つきは鋭くどちらかと言えばワイルドな印象だった。
「まあ、雇い主様方の意向に逆らうわけにはいかねえか……」
口元のみをニコリと歪め微笑んで、金髪は足に力を込める。
そして、ぐったりとしているハイロのこめかみ目掛けて、回し蹴りを入れようとした。
そう、入れようとした。
金髪の動きがピタリと止まる。
金髪が自分で止めたのではない。周りの大人が止めたのでもない。ハイロが自力で止めたわけでもない。
「な……!?」
金髪が驚く。僕も驚いた。
僕が、念動力で止めたのだ。
自分でも、何をやっているのかわからない。
放っておいても良いと思った。これはハイロの身から出た錆びだと思った。
助けを求められたわけでもない、恩があるわけでもない。
だが、放っておけなかった。
念動力を解除すると同時に、闘気を活性化し一足飛びにハイロの下まで跳ぶ。
勢いを止めずに、そのままハイロを抱えて距離を取った。
土煙を上げて止まる。
「何だぁ? てめえ」
僕を見て、金髪が眉を顰める。
そして男のうち一人は、僕の顔を覚えていたようだ。
「あ、あのときのガキじゃねぇか!! 何でここに!?」
どうやら、ニクスキーさんが気絶させた中にいたらしい。
「レシッドさん! あいつ! あいつにも制裁をお願いします! 親方もお礼を弾むはずです!!」
慌てて男が金髪に叫ぶ。レシッドと呼ばれた金髪はその言葉を聞いて、ほぉ、と口を歪めた。
コキコキと指を鳴らしながら、レシッドが近づいてくる。
「悪いが、そういうことだ。俺の酒代になってくれや」
にやついたその顔は、今日の晩酌でも想像しているのだろうか。
もやもやしていた僕の心の内に、ひとつハイロを助ける理由が出来た。
僕は、この顔が心底嫌いだ。
とはいえ、数日前に注意されたばかりだ。極力戦闘は出来ない。
なので、逃げる。
こいつの酒代を、潰せれば満足だ。
路地の壁を蹴り、ハイロを抱えて飛び上がる。二回ほど壁を跳ねれば、すぐに屋根より上に上がれた。
下の住民には迷惑かもしれないが、勘弁してもらおう。
そのまま、屋根を走ってスラムに向かう。
スラムは目と鼻の先だ。
全力で疾走する。屋根から屋根を飛び移り、道を無視して走っていく。
道順はわからずとも、それなら問題が無い。
簡単だ。簡単に、逃げられる。
そのはずだったのだが。
「へえ、速いな、おい」
レシッドが、すぐ後ろに追い縋っていた。
立ち上る光から、闘気を身に纏っているのがわかる。
「っ……!」
距離を取ろうと横に跳ぶ。だがやはり、速度は向こうの方が上らしい。
「待……てやぁ!」
レシッドの蹴りが横っ腹に当たりそうになるも、すんでのところで膝で防いだ。しかし、その衝撃までは殺せない。
ドスン、という衝撃と共に、僕は地面に突き落とされた。
ハイロを落とさないように着地する。追撃が無かったのが幸いだった。
ハイロが小さく呻くが、今はそんなこと気にしていられない。
「なかなかやるが、そんな子供でも人一人担いでいればそんなもんだよなぁ」
レシッドが、涼しい顔で降りてくる。
その言葉の通りのようだ。
レシッドは、闘気を使える。そのせいで、思ったより足が速い。
ハイロを抱えて逃げるのは困難だ。
どうしようか。
一瞬の逡巡、それをレシッドは見逃さなかった。
素早く僕の目の前まで来ると、僕の顔に前蹴りが放たれる。
腕を重ねて防ぐが、闘気が籠もっているらしい、腕が痺れた。
「へえ、そんな小さななりで、闘気を使うか。大したもんだよ、本当に」
楽しんでいるのか、追撃をせずにただにやにやしている。
不快だ。
「おい、こっちだ! いたぞ!」
先程の二人の男も、合流してくる。また囲まれる形となってしまった。
ニクスキーさんとのときよりも人数は少ないが、レシッドの分厄介なようだ。
むしろ、レシッド一人の方がこの前よりも厄介だと思うが。
「へ、へへ……クソガキ、覚悟しろよぉ?」
ジリジリと男が近づいてくる。
「なんせ、こっちには<猟犬>のレシッドさんがついてんだ」
「へぇ、探索者でしょうか……?」
聞き慣れない『<猟犬>の』というフレーズに興味が湧いた。男に問いかける。
たしか、上位の探索者には二つ名が付けられるという。レシッドもその類いだろうか。
「はは! よく知ってんじゃねえか! この方はなあ、どんな任務も忠実にこなし、狙った獲物は逃がさねえという」
「ま、汚れ仕事ばっかやってる苦労人だよ」
男の言葉を遮り、レシッドが自嘲する。しかし、その顔には自信が溢れていた。
「そうですか。それは怖い」
そう言いつつも、僕の戦意は萎えない。思っている以上に、あの顔は不快だったらしい。
「でも、これからはそんなふうに名乗れなくなりますけどね」
「あん?」
意味がわからないというふうに、レシッドは聞き返す。
僕は、それには答えない。
逃げるという行動は封じられた。話して通じる相手でもなさそうだ。
ならば、戦うしか無いだろう。
足下の砂を蹴り飛ばし、男達の顔の辺りにばらまく。
一瞬でも、目を瞑ってくれれば良い。
僕は瞬時に右端の男の頭を蹴り飛ばす。5mほどの距離はあったが、闘気で強化された今ではそんなもの無いも同然だ。
「ぅぎっ……!?」
鈍い音がして、後方にすっ飛んでいった。息はしているから大丈夫だろう。
もう一人の取り巻きは、何が起きているのかわからない様子で、飛ばされた男を見た。視線が外れると同時に、足を払い、顎先に裏拳を叩き込む。骨が軋む音がした。
「へ!?」
そして、そのまま地面に倒れ伏す。
あと一人、残すはレシッドのみだ。
流石、というべきか、もう態勢は整え、身構えている。
「おう、おう、すげえじゃん、お前何もんだよ!?」
そう笑いながら言うと、マントの内側から短剣を取り出し、逆手に構えた。
「でも、まだ」
「もういいですよね」
何事かを喋ろうとしたレシッドの、短剣を持つ手を蹴り、短剣を飛ばす。そのまま掌底を鳩尾に何発か打ち込んだ。
「お、ご、えぇ……」
胃の内容物を吐き出しながら、前のめりにレシッドは倒れた。
「これで、狙った獲物に逃げられちゃいましたね」
悶絶したレシッドの頭のすぐ横に、先程蹴り飛ばした短剣が落下し、刺さった。
ハイロを背負い、悠々と道を歩く。
平然としているように見えるかも知れないが、内心びくびくである。
やってしまった……。
戦うなと言われていたのに、相手を伸してしまった。
三人は放置してきた。
きっと誰かが介抱してくれるだろう。
しかし、これでまた噂が広まってしまう。
グスタフさんに、何て言おう。
初めての一人での喧嘩の感想は、爽快感と後悔が半分ずつで、後悔がちょっぴり多かった。




