もうすぐ僕も
次の日の朝、僕は船着き場にいた。側では漁師たちが船を出すために、網や銛の手入れをしている。
網を直している漁師は、破れた箇所を手早い動きで結びなおす。乱れ解れていたその網が、見る間に綺麗に連続した四角形を作るのは、熟練した技の妙という感じだ。年老いてしわだらけになったその指先の動きは、一種の芸といっても納得してしまうかもしれない。本人は、必要に駆られて出来るようになっただけなのだろうけれど。
この街で船着き場といえば、交通の要所である。
舟屋が並び、海へ出るのであれば皆ここを通る。そして、海産物が水揚げされるのもここ。なので、その海産物を配送するために馬車が待機している。そして海産物を運ぶ馬は、そのまま人を運ぶのにも使えるだろう。
船と馬車。この港町で使われている交通手段がここに集中するのだ。
そうなれば自然と人が集まる。休憩として使う喫茶店のような店が並び、そこで働く従業員の住居が近くに出来る。その従業員が生活するための店が周囲に必要となり、そしてそれがまた連携して人が集まる。
そのため、朝と夜はこの区画の人口密度が特に高まる。
街の中に出来た小さな街。この街で船着き場といえば、そういうところなのだ。
……水中から出勤してきた者までいたことには、とても驚いたが。
普通に歩いて海面から出てきた。本人は一見すると普通の人間だったが、短く刈られた髪の毛や、手に持った鞄からは豪快に水が滴り、何となく異様な光景だった。
朝の船着き場で、そんな様子を眺めながら待っていると、どやどやと大きな荷物を持った商人のような集団がやってきた。
ような、というか知った顔がそこに紛れているので、商人の一団だろう。商人たちは荷物を集めて地面に置き、船着き場に荷物を預けてそこにいた人夫へ何かを依頼する。
すぐに人夫たちは、馬車の荷台のみを用意し、そこに荷物を積み込み始めた。一人が荷物を乱暴に扱ったようで怒られている。
「お待たせしましたー!」
その商人の一団から一人離れ、リコは僕のほうに駆け寄ってくる。両手で包みを持ち、早足で。
「おはようございます。ええと、その包みが頼んでおいた……?」
「はい、そうです。こちら、ご依頼を受けました革靴でございます。ご査収ください」
手早く別の布を一枚広げ、そこに包みを置いて恭しく開いた。そこには、僕が預けた革靴と同じデザインで、だがピカピカの綺麗な靴があった。
とりあえず、見てみよう。……だがその前に。
「ええと、その口調とかは……」
リコのいつもとだいぶ違う様子に、僕は面食らう。疑問を口に出したリコは、地面に荷物を置いて跪いたような恰好のまま、笑顔を僕に向けた。
そして、ひそひそと内緒話のように声を出す。
「ごめん一応君、客ってことになってるからさ! 合わせて! ちゃんとお客様向けの対応しないと怒られちゃうから!」
「……あ、はい、そういうことでしたら」
笑顔のまま、それには全くそぐわない声音で話すその姿は、何となく微笑ましい。
「では、確認します」
そう言って僕は靴を手に取る。なるほど、同じデザインだし、同じサイズだ。これなら今までと変わらず履けるだろう。だが、一つ気になるのが、足の側面についた小さい傷だった。
「あの、これ……」
「申し訳ありません!」
そう謝ってから、リコはまた声を潜ませる。
「ごめん、そこだけどうしても消せなかったんだ。他の場所は綺麗になってるでしょ?」
「消せなかった……って……、これ直したんですか」
「うん。あれから突貫作業だったけどね。どうかな?」
「はああ……」
僕は感嘆の息を吐く。結構な出来だ。同じデザイン、ではなかった。同じ靴だったのだ。しかし、所々切れていた縫い目は均一に並んで、汚れや傷も無くなり、靴底までしっかりしたこの靴はもはや新品だった。
足を入れるべき場所に手を入れて、軽く上下に振る。
「なんか、軽くなった気がします」
「それね、表面の革は元のやつを使ってるんだけど、他は違うんだよ」
「へえ……」
軽く探査してみれば、確かに表面とその中の素材は違うものだ。そして、これは何層にもなっている。
「まず、元の革には水を弾くのとこすれに強くなるように加工しておいた。ちょっと乾燥足りないかもしれないけど、もう充分だよ。その内側には黄王蛇の鱗の細かいところを、三足亀の甲羅と同じ構造になるように織り込んである。それは耐衝撃のところだね」
僕の手からするりと靴を取り、指で叩きながらリコは解説してくれる。だが、まずい。怪しい気配がする。
「足に接する面には、アウラから採れた珪晶藻を粉末にしたものを布に加工して使ってあるから、仮に水を注いでもこの通り!」
海面に、ジャブンと革靴を漬けて、僕に見せる。その靴の中は、なみなみと水で満たされていた。その水を逆さにして捨てると、またその中を僕に見せつけるように近づける。
「見てよ! この速乾性能! 高温多湿なところにいっても、ここだけはカラッと乾いてるから快適だよね!」
嬉しそうに、リコはそう僕に笑いかける。先輩商人の辺りでも少しざわめきがあった気がするが、これは商人として大丈夫なのだろうか。
「靴底にも、反発力の強い素材を複層で使ってあるから破けづらいし、糊も強いのを使ってあるから……」
「あの、リコさん、もうそろそろ……」
僕の心配をよそにリコの説明は続くが、もうそろそろ時間だろう。僕が必死に馬車のほうを指さすと、商人たちはこちらを見てそわそわしていた。
「ああ! でも、まだ説明していない部分が……」
「もう充分わかりましたから。それに、リコさんの仕事を疑ったりはしませんって」
「……あれ? 俺言ったっけ? 俺が作ったって……」
きょとんとしてそう返してきたが、直したといったのは自分だろうに。
リコは一回瞬きをして、それから髪の毛を自らでくしゃりと掻く。
「ははは! ごめんね! 言おうとして準備してきたことが、全部よくわかんなくなっちゃったみたいで!! 疲れてんのかな俺」
……あまりにも明るくそう言ったのは、徹夜ゆえだろうか。目の下には隈が出来ており、若干顔色も悪い。
「これから出発なんですから、ちゃんと休んでください。もう遅いですけど」
「ごめんねー! でも、大丈夫大丈夫、次の街までは寝てられるから!」
「そうですか……」
僕の言葉を聞いてから、リコは若干力が抜けたように肩を落とし、馬車のほうを見る。それからまたもう一度靴を布で包み、僕へと手渡す。
「じゃ、俺もそろそろ行かないと」
「はい。またこれからイラインへの旅路。頑張って、体に気を付けてください」
「うん。次に会えるのはいつかわからないけど」
少しだけ寂しそうな雰囲気を醸し出し、リコはそう呟いた。だが、その心配もない気がする。僕は若干下を見て言った。言葉とともに、無意識にため息が漏れた。
「もうすぐ僕もイラインに戻りますので、またすぐに会えますよ」
「そう? じゃあ、今度会った時に靴の使い心地聞かせてね」
手を振り、リコは離れていく。だが一歩歩いたところで振り返り、思い出したかのように口に出す。
「そうだ、これ言っとかなくちゃ」
「?」
僕が頭に疑問符を浮かべて次の言葉を待つと、リコは深々と頭を下げた。
「毎度ありがとうございます。今後ともどうか御贔屓に」
それから顔を上げ、無邪気な笑顔を残して振り返らずにリコは行った。
見送った僕の手に残った靴。確かに前よりも丈夫で軽い。
これならばまた仕事が捗りそうだ。
足を通した時にジャリジャリとした感触があったのはご愛敬だろう。
……即刻洗わないとなぁ……。




