獣から魚へ
夕方の道。どこからか、狼の遠吠えのようなものまで聞こえてくるミーティアの夕暮れ。
昼から夜の手前まで、ずっと僕は走り続けていた。
全力ではないが、足にはそれなりに力を込める。景色が飛ぶように後ろに流れていく。走る靴がそろそろ傷み始めてきた。ミーティアは小国と言われているだけあってそれなりに小さい。少し早めのこのペースならば、きっと明日にはピスキスに着くだろう。たまに置かれている塚に書かれた表示を見ながら、僕はそう思った。
走りながら、ふと考える。
獣の特徴を持つといわれているミーティア人の国が、言葉を話す動物たちの国だった。
食性も住居もミーティア人向けのところで、……彼らも人間ではあるだろうが、僕のような体を持つ人間には過ごしづらい文化の国だった。
ならば。
ピスキスについてはどうだろうか。
魚の特徴を持つ人々が暮らしている国。ミーティアのことを考えるのならば、同じような国であるということになる。
即ち、魚類の国。魚の特徴を持つ人間、という話からするのならば、水の中に沈んでいる街だとか、そういうものを想像してしまう。
事前に聞いていた話では、ピスキスの人間はエラや鱗があるものの、そんなに僕らと違う姿という事ではなかった。だが、どうだろうか。
その、僕らの姿に近いピスキスの人間。エラや鱗だけしか特徴が出なかった彼らは、ミーティアでいうところの『宿り木持ち』だということは考えられないだろうか。
むしろ、ピスキスの人間はみんな魚の姿をしているとか、そういう話であってもおかしくない。
ピスキスはエッセンと交流のある国だそうだし、そんな変わった国だという話を聞いたこともないので、そんな極端なことはないだろうが……。
まあ、ともかく行ってみればわかる話だ。
正直不安ではある。魚用のご飯は、僕にとっても美味しいものだろうか。僕はこの世界で、ネルグから離れて生きていけない体なのではないだろうか。そんな得体の知れない不安が、ミーティアでは湧き起こった。
ダンダンと地面を蹴り飛ばすたびに、靴底のひび割れが気になる。
三ヶ月に一回ほどの頻度で買い換えてはいたが、そろそろ買い換え時だろうか。
日が沈んでから適当な場所で一夜を過ごし、朝起きてから少し走る。
適当な朝ご飯を調達しようとしたが、一つだけ問題があった。
僕には、ミーティア人と動物の見分けがつかない。
いや、話せばわかるし、そもそもミーティア人は服を着ていた。仕草などを少し見ていれば見分けがつくのだが、それでも視界に入った段階ではどちらか判別がつかないのだ。朝起きて、小鳥を捕まえようとしたのだけれども、昨日寝たのは集落から少し離れたところだった。平原の中にぽつんとある林の中。おそらく人が来ないところだろうと思ってそこを選んだのだが、別に来てもおかしくはない。
服を着ていないとしても、子供は服を着ないとかそういう文化があったらどうしよう。
さすがに、ミーティア人を食べる気はない。いつも食べていた動物たちと、外見はほとんど変わりない彼らではあるが、そこは僕の心の何かが忌避しているようだ。
結局、地面に埋まっていた芋虫で腹を満たすことにした。
イラインはもう寒くなっており、ミールマンの方ではもう雪も降っているだろう。だがこの国では、未だ芋虫は元気だ。カブトムシのような、大きく白い虫。
……ミーティアでは、獣系の動物は狩らないようにしよう。火を通し、パンパンに張った芋虫の皮をプチッと噛みちぎりながら、僕はそう決めた。
そんなミーティアでの内心の取り決めももはや意味は無くなる。
日が完全に昇り切った頃。走る風の中に潮の香りが混じる。ミーティアに入ったときと同じように、関所のようなものが見えた。こちら側の門はライプニッツからの要請ではなく、元からあったそうだ。ピスキスとの交易にずっと使っていたらしい。
透明化したまま、そこをすり抜ける。
そこに立ち談笑しているドーベルマンのような銅犬たちは、許可証を発行してくれた銅犬たちと負けず劣らず鍛えられているようだったが、やはりサーロと比べれば一回り小さい。そして、槍を持っていない。槍はエッセンの人間に対する警戒だったという訳か。
そういえば、サーロもカルも、素手で戦おうとしていた。だが、警戒心を見せるために槍を装備していた。一応彼らも、森人への対応を考えていたのだ。
背嚢の中の許可証を探り出す。トランプほどの大きさの木片に、アントルの蹄の一部が捺印されている。
結局、これを使うことはなかった。アントルの家に少しだけ留まっただけで、あとはずっと走り通しだった。
まあ、仕方がない。ミーティアの暮らしは、僕には合わなかったのだ。観光しようとしても、落ち着いて歩くことは出来ない。
草原が広がり、ぽつんぽつんと林があり、そして山脈のような大きな岩があった。暮らす人は、木の実が煮込まれた料理を食べて、枯れ枝で作られた住居に寝泊まりする。それが僕のこの国で見た全てだ。
肉食の誰かに世話になればまた違ったのかもしれないが、それはそれでいい。
サーロとアントルが見聞を広げた結果、この国も開かれるかもしれない。僕が普通に歩けるようになって、興味深い風景や歌や踊りを見ることが出来るようになるかもしれない。僕はそれを待つ。
そうならなければ、それで構わない。ただ縁がなかったと、諦めよう。
次に来るときは、楽しい国になっていればいいな。
そこから街道を歩いて行く。潮の匂いは強くなり、そして何人か、すれ違う人までも現れるようになっていた。
草原の草はまばらになり、砂地のようなものが広がってくる。横にいくつか見える山も、木々が少ない岩山というか禿げ山というか、そんな実りの少なそうな山だった。葉っぱはなく木の幹しか見えない。
はたと気がつく。
……すれ違う、人?
そこまで考えてから、僕はミーティア方面に向かう馬車の姿を目で追った。
積み荷を積んだ幌馬車だが、御者はどんな姿だったろうか。ぱっと見人に見えたということは、やはり人の姿が主体なのだろうか。魚の特徴は? 顔は? 服はどんな感じだった? まずい、何の気なしに見過ごしてしまった。
遠くになりつつあるその馬車の隙間から少し見える積み荷は魚だった。手のひらほどの大きさの青魚だろうか。魚系の匂いがした覚えはないので、きっと新鮮なものだったのだろう。今朝早くに獲れたものだろうか。
そうだ、魚といえば鮮度が重要だけれども、その鮮度はどう保つのだろう。先ほど見た積み荷の中に、氷はなかったと思う。見逃しただけかもしれないが。
疑問はつきない。その好奇心に、僕の足は早まっていく。ミーティアを出てからゆっくりと歩いていたはずが、だんだんと早歩きになっていく。
やはり、こうでなくては。新しい国に入るのは、好奇心とともにでなければいけない。アントルには悪いが、やはり連れだって向かったのは失敗だった。どんなところか見てみたい。そんな、高揚した心とともにでなければ旅とはいいたくない。
やがて、すれ違う人が増えてきて、その人たちに目立った魚の特徴は無いことを知る。
ただ、首のあたりに深いしわがあるのは、話に聞いたえらだろうか。手のほうは見えないからわからない。
そして、不安を感じていた疑問の一つが氷解する。
大きな街につく。その大きな街はエッセンと同じく、やはり商人向けの検問があった。そしてその向こう側に広がる街は、一つ一つの小屋は小さいものの、地上にあり、僕が歩ける。
海に沈んでなどいない。魚が露店に並べられた、漁村のような街だった。
主人公「ミーティア人と動物の違いがわからない」
宇宙人「ニンゲンとサルの違いがわからない」




