さらばお伽の国
確約は得た。この短時間見ただけだが、サーロはこの類いの言葉を翻すことはないだろう。
「ありがとうございます。ちなみに調査はどれくらい掛かると思います?」
「二年か三年くらいか……」
「一月」
悩みつつ出したアントルの答えを遮りながら、サーロは僕に答えた。
五万人の同胞の調査だ。これからミーティア全土の銅犬の村に調査員を派遣し、そこから得た情報をまとめて更に精査しなければならない。もう少し掛かってもおかしくはないと思うが、サーロはそう言い切った。
「元より、竜の出現は身どもらミーティアにとって重要な事件である。そして銅犬の出身者が犯人の可能性が高い。で、あるならば。けして、手を抜くことは出来ん」
決意の目に、悲しみが混じる。
「……手をこまねいている間に、またも竜が放たれるかもしれないのだ」
なるほど。サーロの心配ももっともだ。
「……そうですね」
もしも姉妹が竜をおびき出したのが本当にこの国への恨みからであるならば、また次の手を考えるだろう。
クラリセンやライプニッツ。通り道の被害も考えずにそんなことをするのだ。また別な手を取るかもしれないし、その時にも周りの犠牲は考えずに大規模な災害に近いことを起こすだろう。
……数ヶ月前、そのクラリセンを滅ぼした、魔物使いの少女と同じように。
まあそれでも、ミーティアの被害は考えなくても良い気がする。エッセンで何か事を起こすのであれば、エッセンで被害が出た時点でどうにかなるだろう。仮にそれを乗り越えて災害……この場合は竜がミーティアに到達したとしてもどうにかなる。
「しかし、竜程度であれば何の問題も無いのでは?」
「何故だ?」
「サーロ様ならば、竜相手でも撃退するのは軽いでしょう」
闘気を使いつつであっても、多分僕と殴り合える者はそうはいない。さすがに《山徹し》ほどの威力はなくとも、あの地平線まで届く拳圧だけで竜を怯ませるのには充分だ。きっと、その拳が当たれば胴体に穴が空く。
そういった、武力で解決できる問題であれば、サーロがいれば充分だ。
「最後の突きは、当たれば僕も危なかった。遠当てとしても充分なものですし」
「……いくら拳が強くとも、それだけでは意味がない。貴様に負けたようにな」
「いえいえ。サーロ様は拳が強いだけではありませんでした。身のこなし、状況判断、どれも見事なものでしたよ。仮にサーロ様が複数いて、隊伍を組んでいらっしゃればエッセンも危うい」
サーロの攻撃は確かに凄まじい威力だったが、それだけではなかった。
むしろ、それ以外のところ。とりわけその『反射神経』が、一番驚くべきところだったと思う。
その反射速度が、僕の攻撃が通らずに長引いた一番の原因だ。
やっていることはとても単純なものだった。なんせ、ただ避けているだけだったのだから。
避けているだけ。だが、その精度と速度が異常だった。
どんな戦いの流儀でも、回避は身に付いた反射で行う。サーロもそれは同じだ。しかし、通常の回避行動は反復練習の成果である。相手の動きを予測して、または誘導して、もしくはそもそも当たらない位置に移動して行うものだ。
サーロの恐ろしさはそこだ。推測だが、驚くべき事にサーロは僕の攻撃を、受けてから避けていた。勿論、ダメージが通ってからではない。多分、その逆立った毛の先端に触れた辺りで感知し、そして神がかった瞬発力で避けて、或いは受け流していた。
開幕の僕への攻撃にもそれは現れていた。そしてそれ以前にも。
会議中、僕がセルヴォーの口を閉じる前に、サーロが先に殴り飛ばすことが出来たのもその反射神経と瞬発力の成せる業だ。明らかに僕が念動力を使おうとするよりも遅く始め、そして僕の念動力が作用するよりも早くに攻撃が当たっていた。正直、異常な事態だった。どうしてあのとき気がつかなかったのだろうか。
ジャンケンで例えるならば、常に後出しをしてくる相手。それも、審判も誰も気がつかない精度で。
魔法使いは卑怯だとオトフシによく言われていたが、こういう相手こそ、そういった賛辞が似合うと思う。
「グハハ! だってよぉ! サーロ、お前んとこの奴らがお前くらい強くなるまで、戦争はおあずけだなぁ!」
腹を抱えてアントルは笑う。もはやその顔に、朝までの鬱屈した雰囲気はなかった。
「ぬぅ……」
「ま、その辺はお任せします。戦争を起こすのも起こさないのも、この国が決めることです。もしも僕からお願いするとしたら、『勝てない戦はしないでほしい』くらいでしょうか」
「貴様に、愛国心は無いのか」
「それなりに愛着はありますよ。死んでほしくない人も、世話になった人もいます」
愛しているかと聞かれれば、それは否と答えるが。
「それにしては、この国を応援したり、意味がわからんな」
「……それこそ、貴方たちにはわからないことでしょう」
すぐにこの国に攻めこませないのは、この国に対する優しさではない。
勝ちの芽が無いのに行動する者や、捨て身となった者の行動は予測しづらい。それこそ無駄で不必要な犠牲が出るほどに。
だから、効率的に勝負をつけるのには、敵は利口で有能なほうがいい。
そう、石ころ屋の敵は。
話を僕が脱線させてはいけない。
「では、調査結果は、イラインの方までお願いします」
「お前を訪ねていけばいいんかぁ?」
「いえ。それでもいいんですが、僕がいない可能性もありますので……」
どうしようか。それも悩む。まず調査に一ヶ月として、その後イラインまで向かうのに半月ほど必要だろうか。僕ならば急げば数日で戻れるが、そこまでは求めない。合わせてさらに猶予期間を考えると二ヶ月ほど必要だと思う。果たして、僕がその時イラインにいるだろうか。
……その頃になってまで、グスタフさんが調査を終えていないかどうかもわからないが。その頃には、不要な情報になっていてもおかしくないけれど、それはいい。
誰がどうやって届けるかも……それは心配ないか。
「そうですね。イラインの東、貧民街の一角に『石ころ屋』という雑貨屋があります。そこの店主にお願いします。もちろん、直接行かなくても文書か何かで届けてもらっても構いません」
探索者ギルドへ僕宛の文書を預かってもらっても構わないが、やはり一番信頼出来るところが良いだろう。それに、きっと文書では届かない。
「身どもらもエッセンに行くと言っただろう。行こうではないか。『石ころ屋』だな?」
「はい。エッセンの情報が欲しかったり、何か欲しいものなど、他にも頼みたいことがあれば気軽にどうぞ。きっと力になってくれるでしょう」
サーロは直接来る。それにくっついて、アントルもだが。
一段落し、会話が終わる。
「話はそれで終わりだな。では身どもはこれから、銅犬の指揮をせねばならん。失礼させてもらう」
サーロはきびきびとした動作で振り返る。それから、力強い足取りで村の中へ向かって歩き始めた。
「はい。それでは」
僕の言葉に振り返りもせず、ただ手を挙げてサーロは応える。一応こたえてくれるだけ、打ち解けることは出来たのだろう。
「じゃ、俺らも戻ろうぜぇ。これで目下の問題は片付いたしよぉ……しばらくゆっくり出来らぁ」
肩を回しながら、アントルもそう言った。ドゥミも黙って、そのアントルについて歩き始める。
スキップのような軽い足取り。それはアントルの重荷がなくなったことを示していた。
ならば、僕がこの国ですることも終わりだ。
僕は立ち止まったまま動かずに、アントルたちを見送る。
「では、僕もこれで失礼します」
歩き出していたアントルたちは、振り返って目を丸くした。
「何だぁ? 急によぉ」
「僕の用事は終わりましたし、もうこの国に留まる理由もありません。昨日言った予定通り、僕はこれからピスキスへと向かいます」
これからしばらくミーティアの中を歩くことになるが、姿は見せない方針だ。森人排斥派のトップのサーロが少しばかり穏やかになったとはいえ、末端まで伝わるのには時間がかかる。ミーティア人の対応は想像に難くない。
「んなん、急ぐもんじゃねえだろ。飯ぐらい食ってけよ」
「いえ。遠慮しておきますよ」
正直僕も、この国で過ごすのは辛い。
食べ物も住居も、全てがミーティア人用だ。いくら僕が森で暮らしてきたとはいっても、体のつくりはどうしようもない。向き不向きはあるだろう。
「アイさんに、よろしくお伝えください。そして、デルモさんには……」
背嚢から、数枚の干し肉を取り出す。残りは紙に包んであるこれだけだが、ミーティアを抜けるのは急いで走りきるのだ。問題は無い。
「こちら、差し上げます。きっとこれからも色々とあるとは思いますが、なるべく辛く当たらないようにしてあげてくださいね」
「お、おぉ」
紙の包みを丸ごと差し出すと、アントルは迷いながらも受け取ってくれた。
僕がこの国で見た中で、デルモが一番気の毒だった。毎度の食事が憂鬱なものとなるのは、僕なら耐えられない。せめて、少しくらいは『美味しいもの』を食べなければ。
「ピスキスって、妖精さんは何しに行きんすか?」
「何も用事はないです。強いて挙げれば、アウラが見てみたいだけで」
「そうざんすか」
口の端を吊り上げ、ドゥミはニィっと笑う。微笑みというよりも、悪ふざけをするような笑みで。
ちょこんと座り直すと、ドゥミは頭を下げる。蹲るようなその仕草は、きっとお辞儀のつもりなのだ。
「ありがとざんした。法狐を代表して、お礼を言いしんす」
「それはどうも、ご丁寧に」
僕もお辞儀を返す。頭を上げれば、アントルもドゥミも揃ってこちらを見ていた。
「……伝承では、アリエル様は勇者が亡くなってしばらくの後、ある日突然姿を消したとか」
「そうでしたなぁ。随分とみんなで探したもんでおざりいす」
でも、見つからなかった。そう聞いている。
「では僕も、そうするべきですね。きっと」
色々と助力してくれたドゥミへのお礼も兼ねて、懐かしい『妖精さん』と同じように。
「それでは、また何処かで」
二人が見ている前で、僕は姿を消した。




