やってみたくなった
「お前、やらかしてたらしいな……」
その日、復活した僕が石ころ屋へ行くと、珍しくグスタフさんが渋い顔で出迎えた。
「一応聞きますけど、何のことでしょうか?」
素知らぬ顔で聞いてみる。予想は付いているが。
グスタフさんは溜め息を吐いて、顔を背けながら口を開く。
「五番街の路上で、騒ぎを起こしたな」
「あ、はい」
やっぱり、ハマンの件だ。
「五番街の方で噂が流れ始めた。『貧民街の奴に近づくと、問答無用で襲われる』だとさ」
「だいぶ歪曲して伝わってるようですが?」
「まあ、だろうな」
眉を顰めて、グスタフさんはこちらを見た。眉間に深い皺が寄っている。
「だが、噂ってのはそんなもんだ。吹聴する奴に歪められ、伝わっていくうちに変化して、受け取った時点でおかしなものになる」
「はい」
「ニクスキーの奴にも確認を取って、事態は把握してある。最悪でもねえが、悪手だったな」
「そうでしょうか」
「ああ。殺さなかったのは良い。大した怪我を負わせなかったのもいいだろう。だが、戦ったのはまずかった」
「そこからですか」
喧嘩を回避すれば良かったということか。
「貧民街の連中は立場が弱いからな。こういった諍いで勝つと、後で面倒なことになる。だから、お前は逃げるべきだった」
「……理解は出来そうですが、納得は出来ないですね……」
「そうだろうな」
頷いて、一応の理解を示すもグスタフさんの表情は渋い。
「だが、それがこの貧民街で暮らすための俺たちの知恵だ」
次いで外を見て、どこか悲しそうに呟く。
「長生きしたきゃあ、目立たねえことだ。波風立てずに、身分相応に生きるべきだ」
その顔には、実感が籠もって見えた。
「『昼に飛ぶ烏』って話、知ってるか」
「……? いえ、聞いたことはないですね」
「子供に向けて話される、教訓めいた話だ」
「どういった内容なんですか?」
「簡単な話なんだがな」
グスタフさんが重々しく語るその話は、いわゆる寓話だった。
いつもの夜にねぐらで寝ていた烏は、自分が鳥の王様になった夢を見ていました。
手下達に食べ物や、キラキラした硬貨を捧げさせて、得意げにガァガァと鳴いていたのです。
真夜中に目が覚めて、それでも彼は王様になった気分が抜けていませんでした。
まるで、今でも皆に崇められて尊敬されている、そんな気がしたのです。
烏は、夢の中のようにガァガァと鳴いてみましたが、誰も寄っては来ませんでした。
そこで、日が昇り昼になると、烏は森から出て、小さな鳥たちのいる人間達の畑に行きました。
そこで、夢の中と同じように高らかに鳴いてみました。
夢の中のように、鳥たちが集まってくる、そう思ったのです。
しかし、烏を迎えたのは鳥たちではなく、人間達の投石でした。
石が腹に食い込み、絶命する烏は死ぬ前に思いました。
「ああ、闇夜に紛れるこの姿を、わざわざ昼間に晒したのが間違いだったのだ。夜の森で好きなだけ鳴いていればよかったのに」
意訳すると、そんな感じの話だった。
「身の程をわきまえねえと、酷い目に遭う。そういうこった」
「……………」
僕には、その言葉の正誤が判断出来ず、ただ無言で応えるしかなかった。
「仮にお前に逃げる能力が無えとしても、ニクスキーの奴なら、お前を抱えて逃げるくらい簡単だったろう。それをしなかった奴も、浮かれてたんじゃねえかな」
グスタフさんはやれやれと溜め息を吐く。
「ま、しばらくは五番街、職人街に近づかねえこった。貧民街の噂なんてありふれてるから、すぐに消えるだろう」
そしてグスタフさんは「それまで、他の連中にも注意をしておかねえとな」と付け足した。
石ころ屋を出て、住処に戻る。考えごとをしながら歩き続ける。
たしかに、あそこで喧嘩を買う必要は無かった。もう魔力も闘気も使えたのだ。普通に、離脱出来ただろう。
そう思うが、やはり理不尽だ。
嫌な奴だった。
治療院で僕を押しのけ、あまつさえ突き飛ばして排除しようとした。街中では、人を集めて私刑を執行しようとした。
それに、反撃しただけで問題になるのだ。
後で面倒なことになる、そう言っていた。
どうなるのだろうか。
立場が弱いとは、街の住民として認められていないということだろう。
街からの保護を受けられない。
なるほど、たしかにそれだけで、市民からの犯罪のターゲットになり得るかも知れないのだ。
街を歩いていただけで、リンチされるかもしれない。物を盗まれても、傷つけられても、「こいつはスラム民だから」で無罪放免となる。そんな恐ろしい事態にならぬように、きっとみんなは耐えているのだろう。
スラムにいる限り、この忍耐は続く。
僕には、そんなの耐えられそうにない。
では、スラムから脱出するためにはどうしたらいいだろう。
市民権を得て、あいつらと同等になるにはどうしたら良いのだろう。
ストナさんの、あの嫌な視線を思い出す。
こちらの外見から、「汚らわしい、関わってはいけない者」と判断したあの目。
ハマンの、値踏みをするような視線を思い出す。
僕を、「押しのけてもいい者」と判断したあの目つき。
仮に市民権を得て、スラムを脱出し街に住むようになればあいつらの目つきは変わるのだろうか。
服装も態度も変えずに街に住んだとして、あいつらはそれが判断出来るのだろうか。
一回街を探索して「僕が変わっても何もならない」と思った。
けれど、それは本当のことだろうか。
試してみたい。
僕が変わったら、あいつらも変化出来るのだろうか。
スラムの住民としてではなく、普通の市民として、僕を扱えるのだろうか。
変わらないあいつらを見て、指を指して笑ってやりたい。
何を見ているんだと笑ってやりたい。
そうだ、スラムを脱出しよう。
時間がかかるかどうかもわからない。何をすれば良いか見当も付かない。
だが、やってみてもいいかもしれない。
何しろ、僕にはやりたいことなど無いのだから。
これからは、それが僕のやりたいことだ。
『昼に飛ぶカラス』は、この物語の旧題でした。




