その手を掴んで
「なるほど。本当に身どもの目は、曇りきっていたのだな」
「え? どういうことだよ」
強く目を瞑り、唇を震わせてサーロは呟く。だがその意味はわからないようで、アントルは僕とサーロの顔を交互に見た。
「わからないか? いや、もはや、聞かずともわかるはずだ」
しゃがみ込み、地面を見つめてサーロは息を吐く。
「……そのミーティア人。恐らくだが……宿り木持ちだったのだろう?」
「はい。当時はそんな呼称があるとは知りませんでしたが、僕らエッセンの人間に、銅犬の耳を付けたような姿でした」
「クク、しかも、銅犬の出か。クククク、傑作だな……」
悲しそうにサーロは笑う。そしてアントルのほうを向いて、口を大きく開けた。
「つまりだ。竜の騒動、原因は身どもなのだ。滑稽だな。身どもは、自らが原因で出現した竜を理由に、エッセンと戦争を起こそうとしていたのだ」
「お前のせいじゃねぇだろ」
「いいや、全ては身どもの起こしたことだろう。だろう? 森人よ。どうだ? その宿り木持ちは、何か言っていたか?」
今度は僕のほうを見て、心底可笑しいという顔で笑い続ける。不謹慎ではあるかもしれないが、きっとその、笑っている対象は竜やあの姉妹ではないのだ。僕は怒る気にはなれない。
「いいえ、何も。ですけれど……」
脳裏に、『あんな獣ども』と叫んだ姉のほうの顔が浮かんだ。それを察したのだろう、サーロは両拳で強く地面を叩いた。闘気も込めずに、弱く小さなその手で。
「感謝する、森人よ」
「あん?」
殊勝なその言葉に、アントルが目を丸くする。ポツリと吐き出されたその言葉は、僕にとっても意外なものだった。
「貴様に止められなければ、身どもは何の咎もない国に対して、無用な侵略をするところだった。……三百年前の、森人どもと同じようにな」
「サーロ様の場合は、理由があってのことでしょう」
僕はまだ事情を聞いてはいないが、『パイア様』とやらのこと。本当は違ったらしいが、それでも建前上は、アントルと共に復讐に生きるに足りる理由だろう。
「それでも、だ。身どもは森人どもが嫌いだ。しかしあの事は、当時の森人どもに償わせるべきことだ。今のエッセンとは関係が薄いだろう。当時から生きている者など、もはやそうはおるまい」
何となく晴れやかな顔で、サーロは空を見る。
「貴様のお陰で、無辜の者を殺さずにすんだ。この借り、今すぐ貴様に返さねばな」
「やめなんし!!」
ドゥミが叫ぶ。その言葉が発声される前に、もう行動は行われていた。
サーロがその手から爪を伸ばし、そしてその手は突き出された自らの喉に食らいつく。
そのまま横に引き裂けば、頸動脈と気道を引きちぎり、確実に命を絶つ。そんな軌道。
スローになった視界の中、爪が肉に食い込む。
皮が裂け、赤い内皮が割れ目から見える。
灰色がかった視界。
引き伸ばされた感覚の中、僕の手が伸びる。
そしてサーロの手首を掴むと、血が吹き出る直前、強引に首から引き剥がした。
「……何、やってるんですか」
「貴様こそ、何故止める。貴様の国に竜をおびき寄せようとした犯人、その犯人を作り上げたのは身どもだ。大量の森人が死ぬかもしれなかった。ならば、身どもは死を以て償わなければなるまい」
たしかに原因かもしれないけれど、それは違う。何故サーロが自裁しなければならないのか。
そもそもこの件では彼に非は無い。それに、僕はまだ言っていないことがある。
文句は色々とあるが、駄目だ。うまく言えない。
「そうだとしても、ここで死ぬのは違うでしょう!」
「おま、ばか、そうだぞぉ!!」
一拍遅れてアントルも追従する。反応できたのは僕が止めてからのようなので、少し遅い。
「お前はなんだ? 馬鹿なのかぁ!? 何で死ぬとか簡単に言うんだよ馬鹿!」
「言っただろう。命が奪われるところだったのだ。命で返すのが当然だろう」
「誰に! どうやって! 返すってんだよ!!」
憤慨しているアントルの体毛が、興奮からか金色に変化していく。押し潰されるようなその迫力は力を増し、吠えるアントルの怒りを十二分に周囲に伝えていた。
「今回の事件は、森人の命が『奪われた』んじゃねぇ、『奪われるところだった』んだ! お前が返す先なんざ、一つとして無え!!」
「……さっきとは立場が逆だな。貴様が、森人を軽んじてどうする」
「だから、死んでねえし森人よかお前の命だ馬鹿野郎!」
アントルはサーロに飛びかかる。そしてアントルはサーロの上にのし掛かると、首もとをつかんで揺さぶった。一方的な取っ組み合いのような、一方的なじゃれあいのようなその仕草は少し可愛らしいが、被害が出ている。
重量級の、それも力のあるアントルが暴れているせいで、周囲に砂埃が飛ぶ。残っていた草が潰される。そして蹴られた砂が、ドゥミに降りかかる。
パラパラとしたその目の細かい礫を身に受けたドゥミの目が、スゥッと細められた。
「お二人とも」
静かな声が響く。その声に我に返った二人は動きを止めると、ドゥミのほうを見た。
「お話なら静かにしてくだしゃんせ。〈千尾皮〉の力、見たいのなら別ざんすが……」
耳元まで裂けたような、ドゥミの口が開かれる。並んだ牙は鋭く尖り、吊り上がった目は生物らしく見えない。狐というよりも魔物のようなその顔は、僕にフルシールの姿を連想させた。
そしてドゥミも何かに気がついたかのように僕のほうを見ると、先程と同じような穏やかな顔に戻った。
「ごめんなんしな。妖精さんにこんな顔見せてしまいんした」
「い、いえ」
正直、不気味な顔で怖かったとは言えない。
「まあ、でも」
落ち着き、離れた二人に向かって僕は話しかける。サーロが死ぬことは、僕も望んでいないのだ。
「そのミーティア人の姉妹が、純粋にこの国を恨んで襲わせようとしたかといっても、疑問が残ります」
「何故だ?」
「別口ですが、その姉妹の仲間が、僕の暗殺依頼を出していたからです」
そう、姉妹だけならば『この国への怨み』で通るだろう。けれども、誰か違う思惑の者が一人絡んだだけで、話はまるっきり違うものとなってしまう。
「こう言っては誤解を招くかもしれませんが、その仲間が姉妹を唆した恐れもありますので。ちなみに、仲間の出身はわかっていません」
「……だから罪がないとは言えん。身どもら銅犬は序列を重視するが、それは身どもら自身で納得して決めたものだ。上の者が誤った指示を出しても、指示に沿って行動した責任は下の者にもある」
つまり、誰かの失敗の責任は皆にある。カルよりも自分の罪が重いと言い切ったことといい、サーロら銅犬は基本的に連帯責任制らしい。組織としての責任の分散を縦割りで、というのは良いとは思うが、それも時と場合によるだろうに。
「その姉妹の動機はわかりません。けれどもひとついえるのは、貴方の償いは、死で行うものではないでしょう」
「ならば、どうしろと」
「アントルさんの言葉を借りるのであれば、『うっせぇ馬鹿! んなこたぁ自分で考えろ……』でしょうか」
最後の言葉は濁して言葉を引用する、さすがに言えなかった。
「死んで償うのではなく、生きて償えばいいじゃないですか。というよりも、貴方にはその責任がある」
僕の言葉に、サーロが奥歯を噛み締めた。
「ミーティアの子供たちの思想を誘導して、エッセンの人間を見たことが無い者ですら僕らを嫌う。そんな歪な状況にしたのは他ならない貴方です。歩み寄ってきた手すら握り返せないほど」
どんな思惑があるにしろ、ライプニッツからは歩みよりの姿勢を見せていた。ミーティアはその姿勢に、損得や取り決めを無視して、ただ感情だけで返した。
決まりを守れば行き来を許すはずの門番すら、その業務を怠って僕を追い返そうとした。僕が危険人物だからとかそういうものではなく、ただ嫌いなだけで。
「人が人を個人的に嫌うのはわかりますけれど……」
「……もうよい」
種族で考えることはない、と続けようとした僕の言葉は遮られた。力なく立ち上がり、サーロは僕を見る。その目に、怒りはない。
「わかった。借りは生きて返す。それでいいだろう」
僕の話を端的にまとめ、サーロは溜め息を吐く。
「身どもは森人が嫌いだ」
「知ってます」
まだ友好的な態度は見せてもらっていない。当然のように知っている。
「だが、借りとは、対等の相手に対する言葉だ。早急に、返すとしよう」
「素直に、負けたから従いますって言えばいいのによぉ」
呟くように、僕への決意の言葉を口にするサーロに、アントルは軽口を投げ掛ける。
あれだけ喧嘩をしていたが、やはり仲が良さそうでよかった。
僕はそれに安心した。




