助ける気は無い
やがてうってかわって明るい雰囲気を作ったアントルは、なんでもないことのように言う。
「『宿り木持ち』ってのは、あれだ。エッセンに反感を持っていないって奴だな。ほら、宿り木ってのは寄生する木だろ? まあ、そんなところだ」
そして、腕を下に引っ張るように肩から首に掛けて伸ばす。もう話は終わり、そんな雰囲気を纏うように。
だが、足りない。今の説明では足りないのだ。
先程のデルモのどこに、エッセンに反感を持っていないということが表れていたのか。僕に警戒心無く寄ってくるというのであれば、他の子供とてしているというのに。
そしてそれを、アントルが苦々しく思っているような仕草の説明もつかない。
他人の家庭の事情かもしれない。そこに踏みいるのは、部外者の僕がしてはいけないことなのかもしれない。
アントルは嘘を吐いているか、話していないことがある。それはほぼ確定だ。しかし別に嘘だろうが間違いだろうが、僕のこれからに支障を来さなければどうでもいいとも思う。アントルも別に僕を騙そうとしているわけでもないだろうし。
「そうですか。じゃあ、あの検問を通らなければ、エッセンに反感を持っていない、つまり好意的な人物だと思われてしまう、と」
「そうだなぁ。そうなっちまう」
「でしたら、アントルさんは『エッセンに好意的』だと周りから思われたくない、と」
どうであろうと、僕のこれからに影響を及ぼさない。
だから、これからの追及は、僕の個人的な好奇心を満たすためのものだ。
僕の言葉にムッとしたように、アントルは口を尖らせる。
「……そうは言ってねえだろ」
「ですが、検問前で言ってましたよね? 『門を通らんと、宿り木持ち扱いされちまう!』って、嫌そうに」
つまり、アントルは宿り木持ちと言われたくはない。それは確認済みだ。
「エッセンに反感を持っていないと思われたくはない。つまりこの国はそれだけ、反森人の気勢が強い……という事かと理解をしたんですが、そうでもないと」
「そうじゃねえって」
「でしたら、どうしてでしょう?」
困らせたいわけではないが、そしてどうでもいいとはいうが、やはり嘘を吐かれるのは気分が良くない。目の前の猪が首を竦める。そして、困ったように眉間の皺を濃くした。
……まあ、これくらいでいいだろう。本当に、困らせたいわけではない。好奇心も疼くが、アントルには検問で世話になった借りもある。嫌味を言って、僕の気も済んだ。
「いえ、すいません。教えていただいているというのに。返答に詰まる質問をするなんて」
笑顔を作って空気を変える。アントルが困るというのなら、もういいだろう。
「で、ついでなんで他のことに関しても色々と聞きたいんですが……」
「……さっきのお前の話、間違っちゃいねえんだよ」
テーブルマナーについて学んでおきたい。そう思い口に出すと、その言葉を遮りアントルは重々しく言った。
「……どれが、でしょう」
「この国の反森人についてだ。お前もあの国境で体験したとおり、エッセンの人間は嫌われてんだ。そりゃあ、もう、毒虫みてえにな」
「あれですか。色々と過激でしたけど」
通行のために作られた門なのに、誰も通さないと決意した門番が控えている。エッセンの人間は通さない、ならば、誰が通る門なのか。アントルは素通りのようなものなので、実質ミーティア人専用の通り道だといえるかもしれないが。
「あの門、最近……つっても何年か前だが、最近出来たんだ。ライプニッツ領からの申し出でなぁ」
「ライプニッツ領からの、ですか?」
「おお。『我が領と貴国の友好は、互いにとっての利益となりましょう。長きにわたる憎しみの連鎖を引き千切り、矛を収め、杯を交わしましょう』とか、そんな長ったらしい文章が、手紙に長々と書いてあった。そん時の緊急会議にゃあ参加してたし、よく覚えてんよ」
しみじみと、だが憎々しげにアントルは語る。その顔が、何処か門番の憎しみの顔と被って見えた。
「それ以降、ライプニッツにゃあ俺らの国からの移住者が増えてんだ。それも、宿り木持ちがなぁ」
「先程は、エッセンの人間を嫌っていると仰っていましたが」
毒虫のように、つまり蛇蝎の如く嫌っているのであれば、そんな人間たちのところで暮らそうなどと考えるものだろうか。
考えるとするならば、それは移住先がよほど恵まれている場所か、現在の居住地によほど住みづらいか、そのどちらかだが。
まさか。
「すまねえな。『宿り木持ち』は、エッセンに好意的なんじゃねえ。そりゃあ、今となっちゃ好意的な奴らも多いだろうが、もとは違え。ミーティアで、生活できなかった奴らなんだよ」
「ミーティアでの、被差別民、ですか」
アントルはゆっくりと頷く。であるならば、デルモは。
「俺らみてえな、獣神様の使徒の姿が薄い奴ら、それが宿り木持ちだ。今、うちにも一人いるが……」
悲しそうにアントルは黙り込む。見た目はウリボーのデルモも、その宿り木持ちなのか。
ではきっと、ライプニッツ領で多く見られた、角がある人間や毛皮のある人間たちも。
「敢えて言いますが、森人に近いミーティア人が、と」
「っ! そうだ!」
アントルが吠える。今アントルが帯びているのは怒りだろうか? 自分の子供が被差別民として生まれてしまった事に対して、そしてそれを明文化した僕に対して。
僕の好奇心は、アントルの心の蜂の巣を叩き落とさんばかりに刺激していたのだ。
僕は、頭を下げる。
「すいませんでした。余計なことを聞いたようです」
「……いや、いいさ。うちに今宿り木持ちがいんのも事実だし、お前はその意味を聞いただけだ」
頭上からの声に顔を上げると、アントルの姿がやけに小さく見える。溜め息を吐き、そのまま地面に沈んでいっていまいそうなほど落ち込んで見えた。
……とてもではないが、あとの授業は期待出来そうにない。
まあテーブルマナーに関しては、この国で誰かと一緒に食事をしなければいい。それくらい、なんとかなるだろう。
アントルが僕に頼み事をするのには、団栗のシチューでは足りなかった。デルモと同じく、僕も干し肉の方が好きだ。
はじめに決めていたことだ、饗応を受けてから決めようと。
その結果は交渉不成立。戦争前夜のこの国に滞在するのは、色々な意味で危ない。予定を変更して、明日は早々にピスキスへ向かったほうがいいかもしれない。
「……ここで聞いた、戦争については他言しません。僕は明日、ピスキスまで急ごうかと思います」
「仕方ねえな。まあ、今日はゆっくり休んでくれや」
諦め、身体の力を抜いたアントルの身体が少し緩んで垂れた気がする。悪いことをした気がする。だがアントルの言うとおり、僕は聞いただけだ。ここまでの移動の借りを返してもらったと考えれば、そう不公平な取引でもないと思う。自分勝手な考えかもしれないが。
「明日、俺ぁ日の出と一緒に会議場のある集落まで出かけちまう。お前が起きてくるときにゃあいねえと思うけど、元気でな」
「……ええ、わかりました。頑張ってください」
ハッキリと聞いてはいないが、アントルの求めているのはこのミーティアの恒常的な平和。そしてきっと、逃亡先としてのライプニッツ領との友好。
聞いている感じでは、きっとそのどちらも守り続けるのは難しいのだろう。
だから今は、そう言葉で応援するしかない。僕の出来ることなどたかが知れている。
立ち上がり、部屋の入り口のススキを手で押しのける。そしてもう一度、アントルの方を振り向いて、会釈する。
アントルは頷き、また会釈で僕に応えた。
藁を厚く敷いて作ったベッド……というよりまさに寝床は僕の体には若干固く、そこでもやはり宿り木持ちの苦労が偲ばれる。まさに動物の身体を持つミーティア人にとっては、これが普通のことなのだろう。
夜目が利くため明かりも少なく、身体が強いため粗末な寝床でも構わない。渋みも残る団栗が美味しく感じられ、多分干し肉が美味しくない。
そんなミーティア人にとっての当たり前が、そうではないのだ。
今日僕が体感した不快な感情。きっとそれ以上の不快感が、宿り木持ちには日々襲いかかっている。
僕にそれを解決する手段はない。僕が手を出すべき問題ではないのだ。
だから、今は休もう。
藁の寝床でも、それなりに身体を休めることは出来る。
次の日の朝、アントルは旅立つ。場所は知らないが、会議場のある集落とやらへ。
アイさんや、デルモを除く子供たちに見送られ、朝日の方向へ駆けてゆく。
そう、今回の問題、僕が関わることはない。発端となった竜を倒したとはいえ、重要なのはその竜自体。僕が倒した、それは今回の議題とは無関係だ。
宣戦布告も、僕がいなくても起こっていたようだし、僕が行って止められることもない。どんな結果になろうとも、僕が出来ることはないのだ。
だが、まだ言っていないことがある。
伝えていない重要な事。それを伝えれば、それこそ戦争になってもおかしくはない重要な事。
アントルが心配になったわけではない。行きがかり上、気になっているというようなわけではない。無関係だ。僕がアントルをこれから追いかけるのは、アントルの話に関係なく、自分のために追いかけるのだ。
けして、新しく出会った気の良い友人を、助けようという意図はない。
草原を駆ける猪の横を飛びながら、そっと近付く。
「で、その集落までどれくらいかかるんですか?」
「っ!!?」
僕が姿を隠したままそう問いかけると、草原を駆けていた金の光が若干鈍る。だが、アントルはすぐにその唇の端を吊り上げた。
「なあに、すぐよ。……へへ、助かるぜ」
「いえ。僕も少し用事があるんですよ」
だから、アントルの要望には応えられないと思う。
僕の答えを聞いたアントルは、さらに速度を上げる。
やがて日が完全に地平線から離れ、空が青くなった頃、アントルは急停止する。
停止のために蹄を立てて抉れた地面。そこから上がる土埃が消えて集落がハッキリと見えるまで、僕は眠い目を擦りながらぼーっと見つめていた。




