彼の口には合わない
それから部屋……というか一つの建物を宛がわれたが、うり坊たちは離してくれない。初めに彼らがいた大きな建物の中で、次から次へと話をせがまれていた。
「なー! じゃあ、この変な臭いの白いのはなんだー?」
今の話題は、僕の荷物の中に入っていた軟膏の話だ。干し肉の匂いを嗅ぎつけられ、それを出したところ、その干し肉よりもチラリと見えた瓶の中身が気になったらしい。
瓶を出せば、コルクのような蓋を開けずとも匂いについて言及される。干し肉の匂いといい、やはり子供でも鼻は良いらしい。
「それは血止めですね。ネルグで採れる水草の根をすり潰して、それを絞った液体に蜜蝋を混ぜたものです」
「へー! 食べていいか!?」
「駄目です」
甘い味はするけれども、青臭さの方が勝っている。人に勧められる味ではない。それにそもそも、経口薬ではなく外用薬だ。
その小さな猪、デルモの手の届かない位置まで瓶を持ち上げると、その瓶をとろうと必死に跳び上がってきた。
「なー! ちょっとだけ! なー!」
「だから、食べ物じゃないんですって」
つぶらな瞳で両手を伸ばし、懸命に訴えるその姿は少し微笑ましかった。
壁を作らず好奇心旺盛に寄ってきたデルモ。この子に限らず、他の子供たちも僕の話に興味津々だった。話題を積極的にふるわけではないが、デルモが僕にせがむ薬草の話や魔物の話、エッセンでの祭りの話などを黙って、時には合いの手を入れるように声を上げて聞き入っていた。
話題に飢えている。そんな印象だ。
「ちびども、飯だ飯ー!」
「わー!」
アントルが部屋に入ってくる。
アントルの所有する建物の中で一番大きなこの建物は、居間として、そして食堂として使われているらしい。
中央には薪が並べられ、その上で、天井から下ろされた棒に物が吊せるようになっている。囲炉裏に似ているが四角く区切られた場所もなく、そもそも土の地面の上に筵を敷いて座っているので、どちらかといえば砂漠地帯の台所という感じだろうか。
その中央の棒に、アントルは持ってきた金属製の壺を吊す。
中からは小麦粉を焦がしたような匂いがしており、火に掛けられるとそれが一層強くなった。
「……エッセンの方のお口に合えばいいんですけれど」
アントルとともに部屋に入ってきたアイさんが、取り分け皿のようなものを地面に置きながらそう呟く。そして一枚手に取ると、木製の窪みがついたしゃもじでその皿に料理をよそう。それは、どろりとしたクリームシチューのようなものだった。
差し出された皿を受け取り、子供たちに行き渡るのを待つ。
「俺な! 俺のな! あんまり茶色いの入れないでな!」
「じゃー、兄ちゃんのぶん、おいらの所に入れて!!」
「入れてー!」
わいわいと、大家族が料理を奪い合うように持っていく。苦手なのかデルモはいくつかの具を拒否していたが、他の子供たちには概ね好評のようだ。
いったい何だろうか、クリームシチューの中を覗いて具を確認する。
匂いからして、スープに使われているのは小麦粉のルーといくつかの香草だろう。そして具として入っているのは人参と、椎茸のようなキノコ、それと茶色くて丸い固まりか。葱も入ってはいるようだが、溶けてしまっているのかほぼ形が残っていないのが少し見えるだけだ。
「じゃ、皆のとこにいったなぁ。さぁ食うぞー、『獣神様の御名においてぇ!』」
「『じゅうしんさまのみなにおいて!』」
「おいてー!」
アントルがかしこまった挨拶をする。そして、それに続いて子供たちも同じ言葉を続ける。
……いただきますのようなものだろうか? この辺りのマナーについても勉強しておけばよかった。
とりあえず、僕も続けるべきだろうか。とは思ったが、その辺はアントルの方が心得ていたらしい。
「無理に付き合わねえでいいぞぉ、カラス。おめえはエッセンの人間なんだしなぁ」
「ええと、ありがとうございます。すいません、こちらの作法には疎いもので」
「グハハ、気にすんな」
そう言っている間にも、もう子供たちは器を持ち上げて啜りはじめている。僕も食べてもいいらしい。
周りの子供たちは片手で皿を持ち上げ、その中身をもう片方の手で掻き込むように食べていた。
なるほど、以前コックスが言っていた、『手を使う』というのはこういうことか。
しゃもじはあるし、スプーンくらい使えばいいのに。もしくはパンをつけるとか。とは思ったが、これがこちらの作法なんだろう。郷に入っては郷に従え、僕もそうするか。
といっても、食べづらい。熱いシチューを啜り、素手で掻き込むのは辛い。……僕だけ、スプーンを使っちゃ駄目かな。
と、手を止めて一瞬悩んでいるところに、アントルの声が響く。
「お前ら! 匙使えっつってんだろ!!」
……あるのか。
細長いコップのような物に入れられた木製のスプーンを、アントルが示す。そもそも、料理と一緒に配ればいいのに。
渋々といった感じで、うり坊たちはスプーンをそれぞれ持っていく。
そして、柔らかな蹄の先に挟んで、慣れていない動作で使い始めた。
僕にも配られる。
手食文化が未開なものだという気は無いが、僕としては道具を使って食べることに慣れてしまっている。果実などの固形物ならまだしも、汁物を道具なしで食べるのはキツい。
改めてシチューをすくえば、スプーンの先に茶色い塊が乗っかる。これは何だろう?
口に含んで、食感を確認する。何だろう、ちょっとホコホコした感触で、甘い気がした。そして次の瞬間、その甘みを上回る渋みが口の中に広がる。
これは、あれだ。以前ネルグの中で食べたことがある。だが、調理法の仕方の違いだろう。こんな味は初めてだった。
「……団栗ですか、これ」
「おう、そこの林でたんまり取れるんだ、それ」
アントルや、子供たちは美味しそうにそれを咀嚼している。だが正直、僕には向いていない味だった。
渋抜きしていないのだ。しかも、皮を剥いていない。食感の中にゴリゴリした感じも混ざっているということは、ちゃんと火も通していないのだろう。
猪の味覚にはちょうどよくても、僕の味覚にはあっていない。
「けー! 俺これきら―い!」
驚くことに……といっても好みは人それぞれだが、デルモもあまり好きではないようだ。団栗を一粒ずつ食べては、渋い顔をして飲み込んでいる。
やがて、それを続けることも苦しくなったのか、僕の方を見た。
「なー! にーちゃん! さっきの干し肉くれよ!」
「デルモ! わがまま言うんじゃねえ!!」
叱られたデルモは一瞬びくりと震え、僕の後ろに隠れる。干し肉を出すの自体は構わないが、食事の最中では失礼だろう。
僕はその頭をポンと撫で、首を小さく振った。
「またあとで差し上げますよ。夕食はちゃんと食べないと」
「宿り木持ちが……」
アントルは誰にも聞こえないような小さな声で呟き、口を自らで押さえる。僕以外には聞こえていなかったようで、その言葉は団らんに何の影響も及ぼさなかった。
また、ちびちびとデルモはシチューを食べ始める。他の子供たちが食べ終わってから、時間が経ってようやく皿が空になった。
他の子供たちはそれまでの間、スプーンを舐めて待っている。あまり行儀がよろしくないとは思うのだが、それを年長者二人は咎めない。それどころか、二人もやっている。この国ではやはり違うのだろうか。
「さて、皆終わったなぁ! 『感謝は獣神様に』」
それだけ言って、アントルは席を立つ。使っていた食器を、部屋の隅に置かれた壺に入れた。チャポンという音からして、そこには水が入っているのだろう。
「かんしゃはじゅうしんさまにー」
そして皆思い思いに席を立つ。『ごちそうさま』は一斉に行うわけではないらしい。
「カラスさんも、食器はそちらに入れておいてください。あとでまとめて洗いますのでね」
「はい、わかりました」
アイさんに促されるままに、僕もそこに食器を静かに入れる。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様でした。……お口に合いましたでしょうか?」
「ええ、美味しかったですよ」
正直、口には合わなかったが、それは口に出すまい。渋抜きすればエッセンでも食べられるだろうが、そのままではあまり好まれないと思う。
「ミーティアではよく食べられているんですか? あの料理」
「そうですね。多くの氏族で食べられています。たしか、灰牛の氏族は駄目だったかなぁ……」
蹄を頬に当て、思い出すように首を傾げる。やはり、種類によっても違いがあるのか。
「でも、うちでもあの子だけは嫌いなんですよね。まあ、人それぞれなんですけれど」
アイさんは、デルモを見ながら呟く。その声を聞きつけたようで、デルモはちょこちょこと寄ってきた。
「だってあれ、苦いんだぜー!?」
「そうでもないでしょう。デルモはすぐ苦いとかいうんだから……」
「それよりにーちゃん、にーちゃん、干し肉―!」
「ああ、はいはい」
覚えていたようで、デルモは僕に向けて両手を伸ばして訴える。仕方ない。言ったからにはあげなければ。僕はアイさんに会釈をしながら、一応聞く。
「あげてもいいですか?」
「……まったく、もう。すいません、わがままで」
「これくらいでちょうどいいですよ」
子供が遠慮して、わがまま一ついえない家庭は不健全だと思う。
差し出した干し肉にデルモは喜んで齧り付く。鼻息を吐き出し、渋い顔でアイさんはそれを見ていた。
会話も一段落し、一瞬の沈黙。その時を待っていたのだろう。アントルが徐に僕に歩み寄ってきた。
「さて、カラス。事情を話してえ。俺の部屋まで来てくれっかぁ?」
指し示されたのは、アントルが寝泊まりしている建物だ。部屋が独立しているこの家は、利便性とか考えられているんだろうか。
「はい。……では、アイさん。すいません、片付けも手伝いませんで」
「いえいえ。お父様、あまり失礼なことを言わないようにね」
「わかってらぁ。ま、こいつなら大丈夫だろうと踏んで連れてきてんだ。大丈夫だろ」
ポン、とアントルは腹を叩く。大丈夫とはどういうことだろう。僕だって、失礼なことを言われれば怒るのだが。
「本人の前で言うことではないですね」
「グハハ、すまねえな」
少しの嫌味も、アントルには通じない。ただ笑って流すと、アントルは僕をもう一度小屋へ促す。
ようやく、色々と話が聞ける。
僕の知らない異文化について、色々と吐いてもらわなければ。




