ミーティアの宝
「先程の事なんですが……」
もう急ぐ気は無いのか、アントルは四つ足で走り出さない。その横を歩きながら、そして横目で遠くなりつつある門番の方を見ながら話を切り出す。色々と、知りたいことが増えている。
だが僕の用事を口に出す前に、アントルが苦々しい顔をしながら口を開いた。
「悪かったな。うちの国の奴がよぉ」
「いえ……と、それもですね。なんであんなに僕を入れるのを渋ったんでしょう?」
謝っているのは、先程の門番の態度だろう。出鼻から常に敵意丸出しで、アントルがいなかったら門を通っての入国は出来なかった。それがまず疑問だ。
「あいつらは過激すぎるけどよ……、簡単に言やあ、エッセンの連中を嫌ってんのよ。それこそ、この国に入れたがらないくらいなぁ」
「何がそんなに嫌いなんでしょう」
「嫌いだから嫌い。そんなもんだろうなぁ……」
鼻先をぐしぐしと掻きながら、アントルはそうぼやく。そして、何度か頷きながら僕の方を向いた。
「な。今日はうちの集落に泊まってかねえか? 長え話になっからよぉ。そこで何でも答えてやんよ」
「アントルさんの集落、近いんですか?」
「近えよ。あの山越えた辺りだ」
そう言って指した山は、地平線の先にチョコンとだけ見えている岩山だった。青みがかっているその程度から見れば、三十里ほどは離れているだろうか。いちいちこの世界はスケールが大きい。
「どうせどっかに泊まんだろ? 泊まってけよ」
「いえ、僕は適当に野宿でもしますので……」
森はないから食べ物は手に入りづらいが、それでもなんとかなるだろう。保存食もまだ背嚢に入っているし。そう思い断わろうとしたがアントルは首を振った。
「まどろっこしい交渉は苦手だし、直接言うけどよ。明日、協力してほしいことがあんだ」
「協力?」
「詳しい説明はあとでなぁ。そのかわり、今日の宿を提供するってことでどうよ」
宿でなくても僕は構わない。だから、別に魅力的でもなんでもない相談だ。協力してほしいことがわからなければ素直に頷けない。
「ま、もてなしも出来ねえし、出せるもんっつったら俺らが普段食ってるもんぐらいだけどよ。エッセンじゃ食えねえが、お前らにはそう旨いもんでも」
「話は聞きましょう」
旅は道連れ世は情け。話くらい聞いてもいいだろう。
「……そうか? 助かるけどよぉ……、何か軽くねえか?」
「いえいえ。話を聞いて、嫌なら断わります。それならかまいません」
頼み事を引き受けるとは言っていない。饗応の如何によって決めてもいいかもしれない。
「ああ、構わねえよ」
納得した様子のアントルは、また金色に光り四つん這いになった。
「で、よ! そうと決まったらとっとと行こうぜ!! また空を走ってこうぜぇ!!」
「もしかして、連れていくのはそれ目当てですか……」
「いやいやいやいや、これぁ俺の趣味みてえなもんだぁ!」
そう笑顔で言い切るアントルの姿に苦笑し、僕は魔力を展開した。
三十里も、あっという間だ。
空の上を駆けているのだ。ぐんぐんと近付く岩山に、後方に飛んでいく平原の草の波。林に囲まれ、平原にポツンと出現した岩山まで、すぐに取り付くことが出来た。
というか、山だと言うから岩山だと思ってはいたが、見た感じこれは大きな一枚岩だ。今来た北側から見れば、垂直な壁。エアーズロックのような、それかハーフドームのような、大きな石がデンと置かれている。そんな感じだ。だが上に登ればその岩は南側に向けてすり鉢状の地形を形成しており、逆に南から見れば大きな坂道のように登れるような岩だった。
大きな岩だ。雨など降れば、その坂道を伝って水を地面に注ぐのだろう。岩の表面には、滑り台のような窪みに水が流れた跡が筋のように残っていた。
その筋の先に茶色く見える林があり、その林の横にチョコンと小さな、それでも小さな開拓村よりは大きいだろう集落が見えた。
「あそこが俺らの集落だ! あそこにむけてさあ行くぜ!!」
「はいはい。道を作るのは僕なんですけどね」
文句を言いながらも、一応そこに向けて不可視の道に傾斜をつける。四十五度はある急な坂道だが、アントルはそこを軽々と駆け降りていく。……短い前足の動物が下り坂に弱いとは限らないらしい。
柔らかい枯れ葉で出来た地面を踏む。
枯れ葉のように見えるが、枯れ葉ではないのだろうか。辺りにある木々の葉っぱは殆どが枯れ葉のような茶色に染まっており、触ってみれば枯れ葉のようにカサカサしているわけでもなくどちらかといえば瑞々しい感じがする。これは、枯れていないのか。
そんな地面が広がる集落は、木造で扉のない穴蔵という風情の建物が並び、全てが茶色っぽい渋い光景だった。
「ふいー、流石に疲れたなぁ……。よっしゃ、いっちょ俺んちいくぞぉ」
「そういえば、急に行っても大丈夫でしょうか?」
「構わねえよ! 元々大所帯だ、一人二人増えたところで変わんねえ」
まあ、宿を貸してくれると言ったのはアントルだ。ここまで来て、僕の宿を用意出来ないということは無いだろう。やがて一つの大きなゲルのような建物の前に着く。扉はないが、その代わりなのだろう。太い藁のような、ススキのような植物を束ねた束が入り口に置かれ、中の様子を隠している。この植物は先程から平原のそこかしこで生えていたものだ。
丈の長い枝で作られたドームのようなその家の中からは、やや高い、子供の声が聞こえていた。
「ただいまー!」
アントルが叫ぶ。すぐに中からドタドタと大勢の足音が聞こえてきて、そして藁の目隠しが押しのけられる。中から一番初めに出てきたのは、アントルと同じような二足歩行の猪だった。
「お父様! お帰りなさいませ!!」
「おう、アイ! 帰ったぞ!!」
ガシリと行われた親子? の抱擁。だが、どちらも重量級の猪だ。がっちりと組み合うその前足は相手の胴に回っておらず、その重さ同士の激突で互いの腹の肉を打つ音が響き、周囲の空気が震えた。
それは抱擁というよりも……。
「ぶつかり稽古かな?」
思わず呟いてしまったが、誰にも聞こえていないのはきっと幸いだっただろう。この世界にも、ぶつかり稽古というものがあるのかわからないが。
やがて、アイと呼ばれた猪が僕に気がつく。アントルよりもやや小さく、少し細身な気がする。下半身のみを隠しているアントルと違って、身体全体を布で覆うような格好をしていた。
「あら? お父様、そちらの方は?」
「おお、紹介しとかねえとな。今日泊めることになった、カラスってんだ」
「あらそうですか。こんにちは、カラス様。アントルの娘のアイと申します。何にもないところですが、ゆっくりしていってくださいね」
「え、はい。すいませんが、今日はよろしくお願いします」
「うふふ、そうかしこまらずに。さて、じゃあ私は夕餉の準備に取りかかりますわね」
そう言い残し、アイさんは近くの木造の倉に入っていく。そこで調理するのか、材料をとってくるのかはわからないが、とにかく姿を消した。
そして姿を消すと同時に、アントルに肩を強く叩かれる。
「ガハハ、美人だろう? 今夜泊まってくからって、手ぇ出すんじゃねえぞ!?」
「ええと、大丈夫です。そういうのは仲良くなった人にだけと決めているので」
そんなことは一切考えていなかったが、無難にそう答えておく。いや、そもそも彼女は雌……じゃなかった、女性だったのか。
見た目アントルと殆ど変わらず、一言で言えば猪だ。単独で見れば正直見分ける自信がない。唯一わかるとすれば、声が女性っぽいことくらいだろうか。あと、牙が小さい、かな?
……ミーティア人の美人というものがよくわからない。それ以前に、ミーティア人の見分けが難しい……。意外な課題だった。
アントルと話している内に、他にも小さなウリボー……いや、そう言っていいのかはわからないが、子供の猪がわらわらと出てくる。十人以上、数えてみたら十二人いる。
皆、僕を見てキョトンとした顔をしていた。
「誰? 誰?」
「まれんどか? おちんどか?」
「黒い! 俺より! 黒い!!」
そして、遠巻きに何事かヒソヒソと、一人は大きな声だが話し始める。……どうしたものか。大勢の子供相手の扱い方など知らない。
「ちびども! こいつぁ客だからな! 失礼のねえように……」
「なあ、お前! へいのむこうからきたんか!?」
アントルが話している最中に、僕の足元に一人縋り付くように寄ってくる。さきほどから一番大きな声を発していた子供だった。
僕はしゃがみこみ、目線を合わせるように……それでも膝立ちの僕よりも彼はやや低いのだが、低い姿勢で目を合せる。
「そうです。エッセンという国からきました」
「おおー!! はなし、きかせろ!! なんか! おもしろいはなし!!」
クルクル回り、興奮して叫ぶ。なんだろう。その姿を見ていると、僕には無い子供時代の象徴な気がして、少し寂しいような懐かしいような、そんな気分になる。
頭上で溜め息を吐くアントルを見れば、バツが悪そうに目を逸らしながら微笑んでいた。




