悪いことばかりじゃない
「で、どうすんだ? これで許してやんのか?」
「そんなわけないじゃないですか」
それなりに人の増えた食堂で、僕とアントルは食事を続ける。
おかわりの度にビクビクしながら給仕してくれる夫妻を見てるのは少し面白いが、それをずっと見ているわけにはいかない。今日中にミーティアまで行くのは決定事項だ。早いところ何事かで決着をつけ、ここを発ちたい。
だが、どう落着させるか。それを一切決めてなかったのだ。
お腹が満たされつつある今、どうでもよくなってきてはいるが、それでもこれで終わりでは駄目だろう。このままこの宿を発てば、今まで死んだ幾人もの旅人たちが報われない。
「道すがら、衛兵に通報していけばいいんじゃねえの?」
「それが理想ではあるんですけれど……」
衛兵に通報し、あとはライプニッツ領の法に照らし合わせて処罰させる。たしかに理想的ではある。
「でもそれにはいくつか障害がありまして……」
「障害?」
アントルは首を傾げる。何故改善されないのかとも思うが、今までそれでこの世界は何とかなっているのだ。不満に思う者も少ないのだろう。
「まず、証拠がありません。朝知らず茸入りの料理を食べたのは僕だけですし、それを見ているのは僕とアントルさんの二人だけ。結託して嘘を吐いていると言われてしまえば証明出来ません」
「ああ……」
「そして、昨日押し入ろうとした事実。それも証拠が無いんです。幸運にも僕は無事ですし、それを見ていた人はいません」
「……厨房を探せば朝知らず茸が出てくるんじゃねえの?」
「安眠のために食べていました、と言われればそれまでです」
別にあれは薬として使えないわけではない。夜間の眠りが浅い人が、好んで使うこともある。……毎日仕事がある宿屋で使われることはないとも思うが、別に使ってはいけないわけでもない。
もちろん、どれも詳細な聞き取りや裏付けが行われれば解決はされるだろう。壁の血の染みや床の血痕など、調べれば何かがあったことは確実だ。
だが、それに付き合うとしたらそれも問題だ。
「それと、そんなに時間は掛けたくありません。衛兵に協力していたら、今日中にこの街を発てなくなるどころか、しばらく出られなくなることすらあるかも」
もしもそうではない場合も問題だ。『ご意見は承りました、はいさようなら』という態度であれば、そのときはこの宿が罰されなくなる恐れも出てくる。
「そして、綿密な取り調べがあるとしたら、また当初の問題がぶり返してきます。余所者の僕と、この地域でずっと商売を営んできた夫婦、どちらの言葉の方が信用されますかね?」
「……まあ、奴等だろうな」
それが一番の問題だ。今まで経験した中で、一部の人物を除けばこの世界の犯罪は物証よりも証言が優先される。そして、その証言をする人物の信用が重視されている。当然といっては当然なのだが、今は厄介だ。
「すんごく失礼なことを言えば……昨日アントルさんに証言を頼みましたけど、正直あの二人が否認した上でアントルさんが何か言おうとも覆せる気がしません」
「グハハ、その通りだろう!」
「なので、あの二人が『客にデタラメなこと言われて困っている』と言えば、それで衛兵も納得しちゃう気がするんですよ」
そう言って僕がパンを口に押し込むと、アントルは頬杖をついて溜め息を吐く。頬に対して蹄の面積が小さく、突き刺さるように押し当てられた蹄で頬の肉が押し上げられていた。
しかし、思う。いくつか僕も宿に泊まったことはあったが、今までこんなことに遭遇したことは無かった。それは運が良かったということもあるだろう。むしろ、運が悪くなければ遭遇しないとも思うが。
だがそれ以上に、きっと他に要因がある。きっと、あの店のおかげだろう。
「……本当に、凄いんだなぁ……」
そうぼやく僕に、アントルは意外そうに目を丸くした。
「凄い? 誰がだ?」
無意識の呟きに、アントルが反応する。首をクイと……曲がるのか。曲げて、僕の顔を覗き込むようにして見る。間近で見ても本当に猪だ。
「あー、とすいません。僕が今までいた街では、きっと起こらない犯罪なんだなぁと思いまして」
「そんな治安の良い街だったんだなぁ。羨ましいぜ」
そう反応すると懐かしそうに目を細めてアントルは黙る。
だが、そうではない。治安がよかったからじゃない。
石ころ屋が、あの悪の組織があったからこそ起こらないと、そう思ったのだ。
仮に今回の強盗が成功したとしても、荷物はお金だけじゃない。そうすれば、次には盗品である荷物を換金、場合によっては始末する作業が必要になる。
その作業を、イライン周辺では石ころ屋が独占しているのだ。
独占。それは、競合する商売敵を排除するということ。
その上で、レイトンも言っていた。『石ころ屋は、手の届く範囲の悪を許さず、独占する』と。石ころ屋の敵は衛兵や騎士団だけではない。窃盗や強盗、禁制品の取り扱いをする業者など、自ら以外の全てが敵だ。
明言はされていないが、何度か経験がある。僕の目で見ても、法を破っているであろう繁盛している店が突然潰れる。路地裏で呼び込みをしていた、若い男向けの商売、その元締めらしき要人は何故か長生きしなかった。
単なる偶然かもしれない。だが、その後石ころ屋が潤っていたのはたしかだ。
だからきっと、今回のような事があったとすれば、早晩この宿は潰れあの夫妻は行方不明になる。そんな気がしていた。
皮肉な話だ。大きな犯罪組織が存在することで、周囲からは治安が良いように見えるなど。
「そうか」
「お?」
そこまで考えて気がついた。この宿屋にも必要だ。僕から奪った盗品を始末する者が。
まさか、そこまで自分でやるわけにもいくまい。いやもしかしたら、自分でやっているのかもしれないが、そうすれば簡単に足がつく……と思う。この地域の衛兵の質にもよるが、そう何度も繰り返しは出来ないだろう。
決めた。この宿屋への罰則は、潰れてくれるだけでいい。
だが、その盗品を扱う業者。そちらも潰れてもらおう。
そう、この宿で死んだ旅人が浮かばれないなど、僕が考えることじゃないのだ。僕は神様じゃない。
「すいませんアントルさん。午前中、ちょっと寄り道してもいいですか?」
「寄り道? 今日中にミーティアまでいけんなら構わねえぞ」
「大丈夫です。そう時間は取らせませんので」
まずは、あの夫婦を締め上げて……締め上げなくても吐いてくれそうだけど。
とりあえず、もう一皿食べてから、行動を始めよう。
笑顔でおかわりを頼むと、女将は青い顔をしていたが快諾してくれた。




