朝飯前の話
「おはようございます」
食堂で朝の料理を用意している主人夫妻に挨拶をする。
しかし夫妻は小さく挨拶を返すと、すぐに顔を逸らしてしまった。
合流したアントルと、受け取り口の近くで待つ。まだ他の客は来ておらず、朝のひんやりとした空気だけが、食堂を満たしていた。
「今日の朝食は何でしょうかね、アントルさん」
「ガハ、昨日試食した、茸の汁物でも出てくんじゃねえかなぁ」
厨房内に聞こえるように言った僕の言葉に、楽しそうにアントルは乗ってくる。アントルの言葉を聞いて、夫妻が身を固くしたのがよくわかった。
女将が食器を並べて、そこに旦那が食べ物を盛っていく。その食事を準備している間も、夫妻はお互いの顔を見ずに黙々と作業を続けていた。
プレートに乗せられているのは、スライスした上で耳を落とした食パンとそれに合わせるように薄く切られたチーズ。そしてヨーグルトのようなものを入れた小さな器が、端にちょこんと置かれている。
そのプレートを取り出し口の小さな置き場に置き、流石に無言では駄目だと思ったのだろう。少し引きつったような顔で、女将さんが僕に話しかけてきた。
「お、お早いですね」
「そうですか? まあ、昨日は早くに寝てしまいましたし、ね?」
「……何より……です……」
僕が受け取るプレートの、空いている場所にハムが乗せられる。アントルの分だろう隣に置かれたプレートには無いものだ。
……やはり、ハムなどの豚肉は駄目なのだろうか。人種間の違いは踏み込んでもいいのかどうかよくわからない。
「……ところで、昨夜変な夢を見たんですが」
「へえ、それはどういうものでしょうか」
プレートを持ち上げながら、話を切り出す。女将さんは、ぎくりと不自然に固めた笑顔で、僕の次の言葉を待っていた。
「刃物を持った男性が、部屋に押し入ってこようとする夢でして。怖くなって目が覚めてしまいました」
「それは怖かったでしょう」
「ええ。ちょうど目が覚めたときに、目の前で鍵が開けられてましたからね。いや、怖かったですよ」
ガシャンと、女将の用意している途中だったプレートが落ちる。その言葉を聞いていた旦那の方はといえば、何かを決意したかのようにそっぽを向いて包丁を握り締めていた。
「で、参考までにお聞きしたいんですが、なぜ僕を狙ったんですかね?」
「狙っ、狙ったなんて人聞きの悪い。お客さんは夢の続きを見ていらしたんでしょう」
慌てながら、落とした料理を拾おうともせずに女将はそう答える。
「ああ、はい。そういうの別に要らないので。僕は理由をお聞きしてるんです。部屋の変更のところからすると、旦那さんに聞いた方が早いでしょうか?」
旦那の方に目を向ければ、旦那はさっとこちらを振り向く。そして持っていたその包丁を振りかぶり、叫んだ。
「黙れぇ!!」
言葉と一緒に包丁が飛んでくる。危ない。
僕がその刃を顔の前で摘まんで止めると、旦那は手近な麺棒を掴み、追撃とばかりに投げつけてきた。
「ですから……」
その麺棒を空中で止め、ついでに旦那も念動力で拘束する。別に手荒な真似をする気はないのに。
「あんた!」
旦那が危害を加えられると思ったのだろう、何も乗っていない皿を使って僕を追い払うように女将も加勢にくる。だが、それも戦う術の無い中年女性の動きだ。
拘束し、旦那と共に並べて厨房内に浮かべる。直立姿勢で二人浮かんでいる図はそれなりにシュールだった。
「一応話だけ聞いて、後はそれから考えようかなと思ってたんですけど」
「お前、それは流石に甘すぎんだろ……」
アントルが肩を落とす。甘いとはどういうことだろうか。まさか僕が、無傷で見逃すとは思っていまい。
「で、何故です? 女将さんだって昨日言っていたじゃないですか。『まだ子供だよ』と」
「こいつらがそんな優しいタマかよ。聞き間違いじゃねぇか?」
呆れたようにアントルが呟くが、別にその言葉は慈悲の心から出たものではないだろう。むしろ、逆だ。僕を獲物の候補に挙げたからこそ出た発言だろう。
アントルに向け、補足の言葉を口にする。
「優しいからじゃありませんよ。『まだ子供』ってことは、金持ってない子供ということです。女将さんは、『あんな金持ってなさそうな子供を殺して利益が上がるか?』という言葉を発したんです。そうすると、次に疑問が湧くわけですが」
旦那を見ると、唇を噛み締めてこちらを睨んでいた。
「その金持ってなさそうな子供の僕を、標的に選んだのは何故でしょうか? そんな仕草してましたか、僕」
自覚は無い。だが、そういった僕の何かが盗人を引きつけているのであれば、それは正さなければなるまい。またこういったことに巻き込まれたくもないのだ。
「……あのとき厨房にいやがったのか……」
「いいえ。部屋まで聞こえていましたよ」
悔しそうに呟かれた旦那の言葉を否定しておく。忍び込むのは得意だが、今回僕は忍んだ覚えも無い。
先程投げつけられた包丁を手で弄ぶ。万能包丁のような両刃の包丁は、鉄板から切り出して刃をつけたような粗末な作りだ。
その切っ先を旦那に向けて、目の前に浮遊させる。そうしたら、旦那のためだろうか。女将が嘆くように口を開いた。
「……だから、やめといた方がいいって言ったんだよ。やっぱり、本物じゃないか」
「うるせえ、こんななりじゃ、信じる方がおかしいだろうが」
そして夫婦喧嘩でも始まりそうに睨み合った彼ら。だが、そんなものを見たいわけではない。包丁を更に近づけ、旦那の首筋に当てると、二人はまた黙った。
「そういえばそれもありましたね。今の『本物』という言葉からすると、僕の名前はご存じだった様子。宿帳に記帳までしてるのに、どうしてそこでやめなかったんです?」
その答えは、もう半分ほど出てはいるが。『こんななりじゃ、信じる方がおかしい』とは、そういうことだろう。
「……あんたが、代金を出したときの顔だよ」
「顔?」
項垂れ、観念したように旦那は呟く。やはり自覚はなかったが、銀貨を払うときの顔とはどういうことだろうか。
「うちの料金は、他と比べてそれなりに高いんだ。なのにあんた、特に何も考えてる様子もなくその背嚢から銀貨をポンと出した。そんな子供の格好なのに、それがまず変だった」
「まあ、本当に気にしてませんでしたからね」
お金に困っているわけではない。相場等、特に気にすることなく出していたのは事実だ。しかし、やはり相場より高かったのか。
「で、まだやるかどうかは決めてなかったが、とりあえずあの部屋に案内した。……察しは付いているだろ? あの一番奥の部屋がどういう用途なのか」
僕は頷き続きを促す。
「で、そこであの名前だよ。『カラス』。背格好も聞いていたまんまだし、本人かもと思った。だが、馬鹿だったよ。それを『どっかの金持ちの馬鹿息子が、悪い虫を寄せ付けないために名乗ってるだけだ』とか勝手に勘違いして……」
ポツリポツリと、そこから悔いるような言葉が続く。
だがもはや、興味は無かった。
この前の商人といい、目の前にいる宿の主人といい、何故みんな伝聞の僕は脅威に思っているのに実物には何にも感じないのか。
そんな呆れのような悔しさのような考えが浮かぶ。
要するに、僕の見た目の問題なのだ。そんなに大金を使うようには見えず、そして力を持っているようには見えない。
「あ、あたしらを殺すのかい?」
黙っていた僕に、女将が唾を飛ばしながら尋ねてくる。
どうしようか。別に僕に被害があったわけではないので殺すまでは考えていないが、放置すればまた新たな被害者が出るだろう。悪人を許すものは善人に害を与える、古い諺だったか。
答えに一瞬迷った僕が、躊躇していると思ったのか、女将は続けた。
「殺すなんて考えるもんじゃないよ! いくらあんたが強かろうが、衛兵や騎士様が出っ張ってくれば、簡単に捕まっちまうんだからね!?」
「はあ、そうですか」
僕は女将の首を強めに締め付ける。若干の苦しさは味わってもらおう。
「別に逃げること自体は簡単だと思いますよ。今日中にミーティアに行くつもりではありますし、仮にここで貴方たちを殺したとして、バレるまでの時間を考えても逃げる時間はたっぷりあります。それに」
グイと女将の身体を引き寄せると、違う意味で息が詰まったのか震えながら僕を睨んでいた。
「貴方たちを殺せば、他の誰かが僕に手を出すことを防げるかもしれませんし。『カラス』という名前に、もっとちゃんと悪名をつけるためにも、貴方たちを殺した方が僕のためになるかもしれません」
二人の首筋を、脂汗が伝う。別に怖がらせているつもりもないが、恐怖を感じてくれるのであればもう少し早い方がよかった。
二人の拘束を外す。
ドサリと床に崩れ落ちた二人は、一瞬呆けた顔で僕らを見た。
「ま、その辺は食事の後考えましょう」
アントルにも目配せをし、先程とったプレートを持って食堂の席に足を向ける。上の階からは、客が起き出してきた気配もしている。
「そろそろ別の方も来ますし、どうぞお二人は仕事の続きを。……余計なことは考えませんよう」
返答を聞かずに席に着き、パンを頬張る。
やがて客が一人二人と食堂に現れ、夕食の時のように、食堂は活気を取り戻していた。




