殺害計画
「お? カラスってぇと……」
アントルはつぶらな瞳をまん丸に広げ、それから少し居住まいを正したように背筋を伸ばした。
……骨格とか普通の猪と違うのだろうか? 蹄からして違うのだから、そちらもちゃんと対応しているとも思うが。
「<狐砕き>かぁ! 噂は聞いてっぞ、会えて光栄だ」
「それはどうもありがとうございます。では、アントルさんも探索者でしょうか……?」
噂を知っているとすれば、そういった事にかかわる探索者か、もしくはこの前の事件を知っている商人か……と思ったが、よく考えたらあれで僕の悪名が知れ渡っていてもおかしくはない。馬車を襲う悪人に対する態度ではないと思うが……どうだろうか。
そう少し心配したが、アントルに何か思うところがある気配はない。歯並びの良い歯が並ぶ口を大きく開けて笑顔を作っていた。
「グハハ、俺もちったぁ知られてると思ったが、やっぱエッセンの方じゃ知られてねえか! 俺ぁな、傭兵だ。<動山>のアントルってので、ミーティアじゃわりと有名なんだけどよ!」
「申し訳ありません。エッセンから出たことが無いもので」
豪快に笑うアントルに一歩引きながらも、そう謝罪を返す。しかし、<動山>というのは聞いたことがある気がする。いや、読んだことがある。あれだ、勇者の英雄譚に。
「……<動山>って、あの金に輝く猪として勇者の物語にあった気がしますが……、まさかご本人で……?」
千年前の物語だ。そんなわけないと思いつつも、一応確認しておく。オラヴの例も……あれは直近で聞いた名前だったから違うか。
「ガハ、んなわけねえだろ! ただ、同じような魔法使いってだけだ。ミーティアにはそもそも魔法使い自体ほぼいねえんだけどな。俺と後何人か、だな!」
「へえ……」
笑い飛ばすように軽く言ったが、だとするとかなり貴重な存在じゃないか。エッセンですら五十人に満たないといわれる魔法使いだ。人口がどれくらい違うのかはわからないが、数人しかいないとなれば国の要人扱いされてもいいくらいだと思う。そもそも何でこんな宿に泊まっているんだろうか。
思わぬ重要人物に内心動揺していると、僕のテーブルにコトリと器が置かれる。
「お話中悪いね! なんでも、旦那があんたにってさ。何でも食えるんだろ? ちっと試食しちゃくんないか?」
そう一息に言い切ったのは女将さんだった。厨房の方を見れば、旦那さんがこちらを見て笑いかけている。
試食。新しいメニューでも作ったのだろうか? 見た目は白いポタージュのようなものだったが。
「ええと、頂けるのなら頂きますが……」
というか、食べなければいけない気がする。横から圧迫感のある女将さんの視線が刺さるのだ。反対の方をチラリと見れば、微笑ましい様子でアントルが笑いかけていた。
差してあるスプーンで、その器をかき回す。中には傘の大きなキノコが千切りにされて浮いているようで、白くてどろりとしたスープの中に黒いものが時たま見えた。
「いただきます」
仮にも客に出しているのだ。試食だろうが、そうそう食べられないような物は出さないだろう。そうして口に含んだスープとキノコの欠片。それを味わい、飲み込もうとして僕は気がつく。
それは、何てことない違和感だ。ただ、そのキノコを僕が知っているだけ。以前、グスタフさんの依頼でネルグから採ってきていたというだけだ。そしてその時に、口に含んでみていたというだけだ。
だがその違和感は、僕にこれからの騒動を予感させるのに充分だった。
……ザブロック邸でのこともそうだが、やはりグスタフさんには助けられている。薬師としても一流のあの老人に教わった本草学がなければ、僕は何度危機を脱せていないのだろうか。
ともあれ、今は知らぬフリが一番だろう。
「……美味しいですね。これも芋をすり潰したもののようですが……」
「ああ、旦那が出汁にこだわっててね。今度夕食に出そうかなんて思ってるらしいんだ。なんと、出汁に牛骨も豚骨も使わないで豆だけなんだと。試作品だが気に入ってもらってよかった。………それじゃ、問題無いって旦那にも伝えとくよ!」
僕が飲んだのを確認して元気よく女将さんは立ち去る。その姿を見送ってから、僕は溜め息を吐く。
「よお、よかったな! しっかし、芋に豆の汁なら俺も食えるのになぁ。俺も食わせてほしかったぜぇ」
アントルはそう言って僕に笑いかけるが、僕はそうは思わない。
アントルに出されなくてよかっただろう。いや、猪は嗅覚が鋭敏だと聞くし、魔法使いならばなんとかなるかもしれないが。
「……どうした?」
黙っている僕にようやく怪訝そうな目を向けるアントルに向けて、僕はスープを差し出す。
「この中身を見ても、飲みたいと思いますか?」
いや、見た目は普通のスープだ。キノコの入ったジャガイモのポタージュ。豆乳を使っているのも本当に美味しくするための工夫だろう。事実、美味しい。
だが、これを僕は飲みたいと思えない。
別に僕に危害を及ぼせるものではないが、積極的に食べたいとは思えない。
「……普通の美味そうな……」
そう言いながら、スープを嗅ぐアントルの目が変わった。嗅覚の方でもう嗅ぎ分けたか。
「こいつぁ……!」
立ち上がろうとするアントルの肩に手を掛け制止する。
「つまらない仕掛けです。ほっといてもいいでしょう」
「だけど、こりゃあ、きっと夜に……。……宿、替えた方がよくねえか?」
質問の形を取ってはいるが、これは忠告だろう。だが、それをする気も僕には無い。
「別にこのままで構いませんよ。お金が返ってくるわけでもありませんしね。それに……」
返されたスープを飲み干し、空のカップを静かに握り締める。本当に味は良いのに。味は。
「今更宿を替えたいだなんて、逃げるみたいで嫌じゃないですか」
「グフ」
僕が笑って言うと、アントルは堪えきれないように笑う。
「グハハハ、そうか。なら仕方ねえな。男なら黙って前に進むもんだもんな!」
そして肩を叩かれる。ぷにぷにした蹄なのに、叩かれるとそれなりに痛い。
「でもよぉ、じゃあどうすんだ?」
「どうもしませんよ。今日はゆっくり休ませてもらいます。ですけれど……騒ぎになったら……」
言葉を切り、アントルを見る。気のよさそうな人物だ。協力してもらえるだろうか。
「そうですね、もしも僕が衛兵に取り調べされそうな事態になったら、証言してくれませんか? この料理について」
「構ぁねえよ。つーか、今衛兵呼んでもいいんだぜ?」
「足止め食らうのも嫌なので、それは最後の手段ということで」
衛兵の槍が僕に向けられる恐れもあるのだ。そうした場合は、最悪普通に壊滅させていくけど。……それも好都合か。もうこんな事をされないように、悪名を増やしておくのも悪くはない。
「足止め? 何か急いでんのか?」
「いいえ。別に急ぐ用事はありませんが、明日中にはミーティアまで行きたいなぁ、と思ってまして」
「なんだ。お前もミーティアまで行くのか、俺もだけど、……一緒に行くか?」
「あれ、偶然ですね。でも多分、移動速度が違うと思いますので遠慮しておきます」
僕はそう断わるが、両前足をテーブルの上に放り出し、なんとなく可愛らしい雰囲気を放つアントルはそれを受諾しなかった。
「遠慮すんなって! あれだ、何なら背中に乗せてってやっからよ!」
「……乗れるんですね、背中……」
つまり、四つ足で走っていくのか彼は。
結局、強引に押し切られる形でアントルと一緒にミーティアまで行くことになった。
思わぬ道連れの出現に、僕は喜んでいいのかどうかわからなかった。
夜中、目を覚ます。
皆が寝静まった今であれば、厨房の声は二階まで聞こえてくる。その、剣呑な気配まで鮮明に。勿論、聴覚を強化した上でだが。
「まだ子供だよ?」
「それが何だ。丸々と太っていれば、子豚だって食卓に上がるだろ」
声に合わせるように、金属を擦る音が聞こえてくる。刃物でも研いでいるのだろうか?
全殺しがいいか、手討ちがいいか、なんて笑えない冗談だ。おはぎやぼた餅ではない。その刃物は、僕に向けるために研がれているのだろう。
この宿屋で僕が遭遇するのは、本当につまらない計画だ。
恐らく、部屋替えの時からの計画だろう。事実、先程見せてもらったアントルの部屋の鍵は、僕の今寝ていた部屋のような粗末な鍵ではなかった。錠前のような鍵が取り付けられ、チェーンのようなものまで備えられていた。
対して、僕の部屋の鍵は薄い金属を差し込んで引き上げれば簡単に開けられるのに。
つまらない計画。それは、宿の主人による強盗だ。
『六部殺し』が有名だろうか。宿に泊まった人間が殺され、持っていた金品を強奪される。
僕が今まさに直面している危機だった。
先程確認してみたが、床の削られていない溝、そして壁の塗られた部分の裏には血液が付着していた。この部屋は、それ専用の部屋なのだろう。外部から簡単に鍵を開けることが出来、更に一番奥の部屋なので隣接している部屋が少なく不審な物音も漏れづらい。
試食と称して食べさせられた料理も、その布石だった。
『朝知らず茸』そう僕は教わった。食べてすぐには身体に何の変調も来さないが、一度眠れば深い睡眠に陥り一昼夜は目が覚めない。刻まれて入っていたのはその茸だ。
勿論、そんな毒物は既に排出してある。魔法使いにそんなものが通用するものか。
料理で客を昏睡させ、夜中に部屋に侵入して殺害、金品を奪う。
単純だが、計画の全貌はそんなところだろう。
やがて、足音を殺し誰かが階段を上ってくる。間違いなく宿の主人だ。
キイキイと鳴る廊下にも慣れているのか、抑えられた僅かな軋みだけが、誰かが近付いてくることを知らせていた。
僕の扉の前で止まる。カリカリという音。その音とともに、扉の隙間から差し金のような道具が差し込まれ、扉の金具を押し上げようと動いた。
その動作を見て、僕は溜め息を吐く。
本当に、つまらない。隠し扉か何かを作り部屋へ入る手段を考えるか、もしくは部屋に入らず中の人物を殺害するような仕掛けでも作ればいいのに。
つまらない計画だ。
ベッドを扉の前に置き、扉を開かなくするだけで成就しなくなるほどの簡単な計画。
ガチャガチャと扉を開けようとする音が響く。
だが、その音も空しく扉は一向に開かない。それからしばらく頑張っていただろうか。宿の主人は大きく地団駄を踏むと、階段を音も殺さずに降りていった。
……その後、何事もなく安眠し、朝を迎える。
食堂で会ったアントルは、僕を見て牙を剥いて豪快に笑っていた。




