偽物退治
クラリセンの近くでは、魔物も賊もそうそう出ない。これはオラヴの目が行き届いているからというよりも、大きな街の近くだからだろう。それらにとって人間の集団は、それなりに脅威だ。
馬車の荷台で揺られながら、僕も安穏として過ごす。護衛依頼は前後のノイ達のパーティの仕事だ。そして、元々危険な生物とは遭遇しづらい道だ。彼らとて、護衛依頼はこなせるだろう。
勿論何かあれば加勢はするし、警戒もしてはいるが、王都への旅へと比べると大分力を抜いていた。
荷台の後ろに座り、前方に流れていく景色を眺めている僕に、馬に跨がり背後の警戒をしていたパーシャルが近付いてくる。御者をしている商人の確認をしつつ、僕に話しかけてきた。
「率爾ながら……」
「はい」
その細い男はニクスキーさんに何となく雰囲気が似ていた。そのためか僕は、声をかけられて背筋を伸ばしてしまう。人と話すときに姿勢を正すこと自体はおかしくはないと思うが、それでも何だか自分で自分が可笑しかった。
「先程のコンヴェイ殿の言葉が気になっているのだが、今回の依頼はどのような受理の仕方をされているのか教えていただけまいか」
「どのような受理……というと、コンヴェイさんにどういった話を通してあるか、ですか?」
僕が聞き返すと、パーシャルは頷いた。商人であるコンヴェイが先程言った事……というと……。
「特に何も変わったことはないですよ。ギルドの方から、貴方たちのパーティが護衛を引き受けたのですぐに出発してほしいと伝えてもらいました」
「それだけか?」
「ええ。普通でしょう? 僕が付いていくことは、先程お会いしたとき初めて伝えてもらいましたが」
そう、なんら変わったことはしていない。普通に護衛依頼を依頼した結果、護衛の探索者が集まった。コンヴェイにとってはそういう認識だろう。僕が加わったことで多少の変化はあるだろうが。
「では、自分が囮ということは……」
「囮だなんて人聞きの悪い。コンヴェイさんから依頼が出ていたので、その意向に沿って探索者の護衛のもと出発してもらっただけです」
僕の言葉に、パーシャルは口元を押さえ片目を瞑った。
「何とも……」
「強盗が出る道を通ることもご本人は承知の上ですし、探索者の貴方がたには、僕が報酬を出してようやく集まってもらいました。……僕以外誰も損をしていないと思いますが、どうですかね?」
「…………」
パーシャルは応えない。必要の無い危険を罪のない商人に押しつけているのだ。当然の反応か。
「それは、貴方の偽物を討伐するためか」
「はい。ご存じの通り、僕を騙った強盗がこの道に出るそうですが……荷物を積んだ馬車以外に被害が無いようですので、出てきてもらうためには誰か必要だと思いまして」
事件の起きた周囲を捜索すれば恐らく見つけることは出来るのだろうが、手っ取り早く解決したかった。何より、やはり犯行現場を押さえて証言しなければオラヴも納得すまい。
そして、商人を用意したのも理由はある。
「まあ、それこそ探索者にでも演技を頼んで、囮の馬車を用意すればよかったんでしょうけど……」
そこまで言って、僕も商人の方を振り返る。幌と荷物が邪魔で見えないが、その先にいることは感じられた。
「最近、誰も受けないような依頼ばかり受けていたもので。ギルド側の愚痴が多少わかるようになってしまいました」
「探索者がどの依頼を受けるか、それは強制されないはずでは」
「ええ、ですが、事情がありまして」
そこまで話す必要は無いだろう。パーシャルも、聞かずに僕の次の言葉を待った。
「誰も受けない依頼。ご存じだと思いますがそういった依頼の原因は、報酬に比べて着手の難易度や達成のための危険度が高いということです。今回の依頼も、報酬の増額か事件の解決がなければ依頼に探索者が着手することはなかった」
「……何が言いたいのかはわからないが、依頼を誰も受けないのは、その依頼主の責任だと?」
「全部が全部じゃありませんけど、そういうものが多いという印象ですね。今回に関していえば、迂回するような時間もかけたくないし、安全に運ぶための報酬も出したくないし、障害の除去のために何か行動する気もない」
ただ、障害の除去は商人の責任ではないとも思う。事件解決のための嘆願も受理されないこの状況では、何も出来ないだろう。
「それは仕方がないだろう。潤沢な資金を用意出来ない商会もあるし、商談の期限のために急ぐこともある」
「では、少しばかり危険な目にあってもらっても仕方がないとは思いませんか?」
僕が言い切ると、パーシャルに反論は無いのか口を噤んだ。だが別に、この人を言い負かそうと思っているわけではないのだ。話を終わらせよう。
「……僕は事件を解決出来る。ギルドは山積した依頼が一つ減る。貴方たちは割のいい仕事を一つ受けられる。そして商人は、流通の滞った街道を一番に通行出来る。誰も損をしていませんね」
「…………」
「……それはあまりにも、ギルドの側に立ちすぎではないだろうか」
沈黙の後吐き出された、諌めるようなパーシャルの言葉。それは僕にもわかっている。これは八つ当たりだ。どんな理屈を付けようとも、僕は無関係だった罪のない商人を危険に晒しているのだ。
「ま、そうなんですけどね」
だから僕も、反論出来なかった。
「とまあ、今即興で考えた理由はそんなところです」
「……からかってるのか?」
パーシャルは不愉快そうに眉をひそめる。ここは正直に言うべきだろう。
「いえいえ、話しながら自分の考えを整理していました。多分、僕の本心ではあります」
「先程、即興、と」
「ええ。それも本当です。コンヴェイさんの依頼を探してもらったときは、本当は何も考えていませんでした。『どうせ守れるし、ついでに適当な商人の護衛依頼を片付けてあげようかなー』くらいです」
始めからそんなに深く考えていたわけではない。最初は善意だった。
「であれば、我らは必要なかったはずでは? 貴方の護衛だけで、充分なはずだ」
「そうでもありません。僕が先導してたら流石に賊も僕の服装とかを気にすると思いますし、そもそも僕は依頼受けてませんから」
「すると貴方は護衛はしないと?」
「途中までは参加しますよ。その賊が現れるまでは。そこから先は僕はいなくなりますので、そこからは頑張ってください。”カラス”が現れなければ、その先何も問題ないでしょう?」
「……無論だ」
そこまで話して、パーシャルは振り返る。背後にいたノイに向かって、持ち場を離れていたことを謝罪したのだろう。会釈し、もう一度僕の方を向く。
「……正直思うところはあるが、事情は承知した。では、賊が現れるまでは大いに頼りにさせてもらおう」
「僕のワガママで集まってもらったようなものですからね。任せてください。鬼が出ようが竜が出ようが、この馬車には触れさせることすらしませんとも」
「その言葉が嘘ではないから、貴方は恐ろしい」
パーシャルはそう嘆くように言うと、配置に戻る。会話は出来るが、し辛い程度の距離。もう問答も終わりだろう。警戒をしながらも、また無言の空間が戻ってきた。
クラリセンを発ち、二時間以上は過ぎただろうか。魔物と遭遇することも無く馬車は走る。日も中天を過ぎて下降を始め、おやつの時間も過ぎた頃、前方の護衛が叫んだ。
「標通過! これより注意!」
それと同時に、馬車の速度が早足から駈足に近い速さとなる。商人が馬に鞭を入れ、嘶きが街道に響いた。
「標?」
呟きながら、僕が不思議そうな顔をしていたのだろう。ノイは唇の動きで僕に伝える。『クラリセンとライプニッツ領の境だ』と。
なるほど。今視界に入った大きな祠のような物が、境目の目安として置かれているのか。
旅路は順調らしい。そしてそれは、もう一つ重要な仕事が入るということを示しているのだ。
魔法で声を届け、ノイとパーシャルに伝える。流石に、驚愕させるのもまずいだろう。
「僕は姿を隠しますので、お二人はこれまで通りに……と、言うまでもないですね」
返事も聞かずに透明化する。二人が目を丸くしたのが面白かった。
ライプニッツ領に入ってすぐ襲撃されるというわけでもないようで、それから五分ほど待つ。
あまりの平和さに、もしかしたら今回の襲撃はないのかもしれない、そう思い始めた頃、進展があった。
前方に何者かが現れた。それを察知してすぐの急ブレーキ。そしてその後、商人の怒号が響く。
「ひぃ!? まさか!! お、お前、この探索者の方々が見えないのか!!」
「見えてますよぉ! へへ、その上で言うんですがね? その積荷、置いていっちゃあくれませんか!?」
絞り出すような笑い声とともに、男の声が聞こえた。
……来たようだ。
僕は荷台から降りて、透明のまま一応ノイとパーシャルに声をかける。
「あいつの相手は僕がしますので、馬車が走り出したらそのまま行ってください」
二人はその言葉に頷きで応える。それを確認した僕は、馬車の前に回りその男を見た。
……なんだろう。すごく、お粗末な変装だ。
黒いローブはあっている。けれども、身長は僕よりも少し高いし、ローブの下にはスケイルメイルを着ているようだ。髪の毛も黒髪に合わせようとして染めているのだろうが、根元が金色になってしまっている。
それよりも何よりも、その男は白っぽい口髭を生やし、顔は日焼けを繰り返して痛んだように肌が皺だらけだ。初老に近いんじゃないか。……僕はそんなに老けていない!
「ケケ、積荷か命か、どちらか置いてくんだな。両方でもいいぞ」
そんな言葉を口にしながら、鉈を商人と探索者の二人に突きつける。そして最後に、決定的なことを口にした。
「この鉈は狐の血で赤く染まり、竜の原型を留めさせぬ、〈狐砕き〉のカラスとは俺様のことよ! わかったか!?」
「……」
その言葉に、魔術師の女性が溜め息を吐く。哀れなものを見たような、そんな冷たい目で。
僕がいることを知っているはずの商人はおろおろと慌てているようだが、前の護衛二人はそんな具合に落ち着き払っていた。
「へ、へへ! びびっちまって声も出ねえか!?」
目の前の自称カラスさんは、ビュンビュンと音を立てながら鉈を振る。その寂しい音に、僕もこれ以上見ていられなかった。
無言で頬に蹴りを入れる。
「ぷげっ!?」
偽カラスは、変な声を出して飛んでいった。手応えから、闘気などは無いのだろう。全く、面倒なことだ。
姿を現わし、商人を振り返る。商人と探索者の二人に聞こえるように、大きな声で叫んだ。
「僕はここでお別れです。こいつの相手は僕がしますので、どうぞ、ここからはお気を付けて!」
道の端で頬を押さえてもんどり打っている偽カラスを放置しそう言うと、探索者は頷き、そして彼らも商人に目で訴えた。商人は、その目を見て動揺が落ち着いたらしい。唾を飲み、馬に鞭を入れる。
「では、お元気で!」
「どこかで、また」
そんな言葉を叫びながら、馬車の一団は駆けていく。ここからは、本来の通り彼らが頑張ってくれるだろう。……ここまでで僕が何かしたわけでもないが。
見送る馬車の背中が小さくなるまで、僕は見送った。
足音も遠くに消え、車軸の立てる摩擦音も聞こえなくなった。街道の中間地点、ということはやはり人里は離れているようだ。周囲に誰もいない。だからこそ、強盗などが出たのだろうが。
日の光も、やや赤みを帯び始めた気がする。これは大変だ、急がなければ。
先程の偽カラスに目を戻せば、よろよろと立ち上がるところだった。
挨拶も無しに立ち去ろうとは、失礼じゃないだろうか。と思ったが、僕も挨拶をしていなかった。おあいこか。
「ふ、ひ……ひ……」
「何処へ行くんですか?」
僕が声をかけると、偽カラスは肩を振るわせる。そして恐る恐る僕の顔を見て、泣きそうに歯を食いしばった。
「見せてくださいよ。狐の首を落としたという鉈の冴えを」
その言葉に希望を見出したように、その目は力強く開かれ、そしてその鉈が僕に向けられた。
「そそそそうだぞ、俺はあのカラスだからな! て、抵抗するんじゃねえぞ、したら最後、恐ろしい目に……」
「……へえ……」
踏み込み、簡単に至近距離まで近づける。鉈を握る手にも力はこもっておらず、振れば多分何処かへ飛んでいく。それでも、恐ろしい目に僕を遭わせられるのか。
「恐ろしい目にって、こういうことですか?」
ならば、か弱い僕は身を守るしかない。先手必勝。人差し指を額につけ、少量の魔力を流し込む。化け狐の引き起こす恐怖。その何百分の一程度の強度だから、きっとそれくらいでは何ともならないだろうけれど。
「ぎゃああああ!!!!」
だがあんな啖呵を切った割には、簡単に無力化出来た。僕の顔を見て、それから街道沿いに根を張る木の幹に背をつけるまで、尻餅をついたまま後退りした。
少量の魔力だ。それだけで効果は切れたらしい。唇を震わせ、僕を見れるくらいにはすぐさま回復したようだ。
「ヒッ、ヒッ……」
息切れまでしている。気の毒なので、怖がらせないように笑顔で話しかけよう。
「続けましょうか」
「あ……あぁぁあぁ……」
唸るように声を絞り出している偽カラスの襟を掴み、強引に立たせる。身長の関係上完全に立たせることは出来ず、膝が折れてつま先が地面に付いているがそれはいいだろう。
そのまま元来た道に向かって、放り投げる。
頑丈なスケイルメイルを着ていてよかった。
百メートル以上飛び、それからそのローブをすり切らせながら滑るように着地し、それでもまだ元気らしい。
咳き込みながら、偽カラスは這いつくばって逃げようとしていた。
ゆっくりとその背後へ歩み寄る。時間にして数分かかっているが、それでもまだ立ち上がり逃げる気力は回復していないようで、まだ這ってたまにこちらを振り返りながら逃げようともがいている。
「辛そうですね。お手を貸しましょうか」
そう僕が優しい言葉をかけても、恐怖の表情は固まったまま解けない。やはりまだ逃げようと地面に指先を立てて身体を懸命に前に進ませる。
……これくらいでいいだろう。もうそろそろ、怖がらせるのも面倒になってきた。
だが、最後の一押しが足りない。僕は偽カラスの身体を浮かせ、強引にこちらに向ける。
真っ直ぐに偽カラスの顔を見れば、泣きそうな顔で、僕を睨んでいた。
「自己紹介がまだでしたね。私、探索者のカラスといいます」
「えっ……!?」
そして、僕が名乗ると固まる。何かその反応は面白い。
「僕の名前を使って、何やら最近してらっしゃるそうで、今回ご挨拶に伺いました」
「……へ、へへ、どうも……」
それから媚びるように笑い、僕に言葉を返す。とっかかりが見つかったとでも思ったのだろうか。
「すいません、カラスさんの名前を勝手に使ってしまいやして」
「言い訳はいりません。ちなみに謝罪もいりません」
そのにやけ顔に腹が立った。僕は偽カラスの言葉を止め、睨み付ける。
「ただ、勝手に名前を使われて名誉を傷つけられた僕の怒りを、受け止めていただければ結構です」
何を言っているのかわからない、というようなポカンとした顔を殴りつける。
その衝撃で、また十メートル以上すっ飛んでいった。
魔法で保護しながらでもこれくらいが限界だろうし、それにこれだけやれば充分だろう。
僕は歩み寄り、逃げようとしている頭の後ろに顔を寄せ囁く。
「どうします? 拳だけでは芸がありませんから、腕でも落としましょうか? この鉈で」
「ふふぇ……!」
「いえ、いっそのこと、狐と同じように首を落としてしまってもいいですね。それとも竜のように、お腹に穴を開けましょうか?」
「す、すいません、ごめんなさい、もうしません、助け、助けて……!」
脅かすだけで始まる命乞い。僕の名前を使わなければ強盗も出来ないということからもわかってはいたが、やはり、弱い。強盗ならば、自分の名前でも出来るのだ。それなのに、わざわざ僕の名前を使わなければ出来なかった。
自分の名前を広めようとした、ブルクスやトルネのほうが大分マシに見えるくらいだ。
「ライプニッツ領では、強盗は死罪。問答無用で。それもおわかりですよね?」
「ひ……!」
鉈を振り上げる。ゆっくりと、偽カラスに見えるように。
そしてその鉈を勢いよく振り下ろし。
「ですけれども」
仰向けに倒れた偽カラスの顔の横、地面に鉈を突き立てる。
「残念です。ここはクラリセン。ストゥルソン町長の下まで、連れて行くとしますね」
僕が道の横の祠を見ながらそう言うと、泡を吹きながら偽カラスはコクコクと頷き続けていた。