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閑話:赤い髪のヒーロー

SIDE:ヒロインぽいあの子

本編の流れに関わりはありません。


 



 夕焼けを透かして、髪の毛が燃えるように赤くなる。夕日が照り返し甲冑を縁取る。その甲冑を纏った彼女が振り返り、ニコリと笑った。

「じゃあ、またいつかね」

 手を振ると、その武装の立てる金属音が静かに鳴り響く。

 今まで献身的にこの村を守ってくれていた探索者の女性とその仲間達。大人達の間でどのような話があったのか、それは幼い少女にはわからない。だが、見送りに自分と親友の二人しかいないということから、何かは感じ取っていた。


 去って行く彼女とその仲間達の後ろ姿が小さく消えるまで、幼い少女は見送った。

 赤い髪の毛。風に揺れる、燃えるような髪の毛。その長髪を見て、幼い少女は心の底から綺麗だと思った。いつか自分も、と心の何処かで決意した。


 それが見送った少女の、一番古い記憶である。

 少女の記憶は、まさしくその時から始まったのだ。






「今年の冬は、厳しいか……」

「ああ。キツいことになる」

 イラインから遠く離れた開拓村。ネルグの南西に位置するこの開拓村は、まだ出来て十一年ほど。街である事を認められるまでの、二十年の折り返しを過ぎたばかりだった。

 その片隅の小さな小屋で、その村の重役が顔を見合わせる。議題は、冬の間の食料に関してだった。


 小さな村にとって、冬期の備えは死活問題である。

 豊かな恵みをもたらすネルグであろうとも、やはり冬期は木の実などの実りも少なくなる。同じ量の食料を手に入れようとしても、その労力は当然増大するのだ。

 そして、食料が手に入らなくなる。それだけならまだいい。この村も、軌道には乗りはじめた。余所の村との交易などで食いつなぐことも出来るだろう。だが、もう一つの問題もある。


 ネルグの実りが減る、それに困るのは人間だけではない。それに合わせて、深部の魔物が活動域を広げ、それから逃げるようにして中層の魔物も浅層に現れるようになり、そして浅層の魔物が村の近くにも頻繁に現れるようになるのだ。

 通常は偶発的に現れている魔物も、気が荒くなり頻繁に姿を見せるようになる。そのための防備が、まだ小さいその村には必要だった。


 最近まで雇っていた探索者は、依頼の期限切れでこの村を去って行った。依頼の更新をしようにも、報酬の折り合いがつかなかったのだ。それは勿論それだけの報酬を用意出来なかった村側の失策であるし、何も無い開拓村に留まることが探索者達にとって苦痛になっていたという理由もある。それらの理由はともかく、それ故に今、この村には元からいた戦力しか残っていない。

 そしてその元からいた戦力も、弱体化の一途を辿っている。元より武力を持つ者が集まり作られる開拓村ではあるが、その村に魅力が無ければ当然人は去る。

 一人去り、そして負担の重くなった残った内の一人が怪我で倒れ、そして一人は能力の衰えから槍を手放す。

 一人減り、二人減り、そうして徐々にいなくなっていく。今までは自分たちで守り、そして冬は戦力を外注して凌いでいた。だがそういった繰り返しも、十年と少しの折り返しで限界に達していた。



 もう既に自らも老いを感じ始めた村長は、溜め息を吐く。今までは頑張ってきた。だが、この村を諦め手放すのも時間の問題か。街になれば、騎士団の駐留によってそんな心配も無くなるのに。

「もう、新たに人を集める余裕は無い」

「魔法使いが一人でも使えるようになれば、なあ……」

 重役は木戸の隙間から外を覗く。先程から聞こえていたはしゃぐ声。その声の主である二人を見て、また溜め息を吐いた。




 視線の先には、まだ幼い、少女と言うよりもまだ若い、幼女と呼ぶべき子供達がいた。


「テティ、またまほーのれんしゅう?」

 まだ名前の発音も正確でないほど、舌っ足らずな彼女。首を傾げるその親友の問いに、テティと呼ばれた女の子は頷き答える。

「そーよ! 私も、あのお姉さんみたいになるんだから!」

 そう言いながら、砂利に近い小石を手の上で弄ぶ。魔法使いの修練としては初歩の初歩、魔力圏内の物体を移動させるというものである。もっともその修練法は、最近までこの村に留まっていた探索者の一人に聞いたものではあるが。


 テティはその小石を見つめながら、その『お姉さん』の勇姿を思い出していた。





「大犬だー!!」

 それはテティが親友と泥遊びをしていたとき、突然のことだった。近くで木を伐りだしていた男性が叫ぶ。その声につられ、二人の少女はその森の奥を見た。

 暗闇に光る二つの目。口呼吸のその息は荒く、遠く離れた自らの場所までその生臭さが漂ってきているような錯覚を覚えた。

「……っ!」

 少女達は息を飲み、そして身を強張らせる。

「逃げなきゃ……!」

「う、うん!」

 二人共がそれからすぐに身を翻し、逃げ出すことが出来たのはお互いのおかげだろう。アイコンタクトの結果お互いを奮い立たせ、逃げ出す勇気を持てたのは三歳ほどの子供にとっては誇ってもいいことだ。

 気丈な振る舞い。手を繋ぎ、互いに遅れないように引っ張り合った。茂みを掻き分け、木の根を避けながら村の中まで駆け込もうとする。


 健気な逃走。

 だが、大犬はそんな彼女らに狙いを定めた。


 戦う術を持たない者にとって、魔物とは脅威である。魔法使いの力を自覚していない幼い少女らにとって、遭遇は死を意味し、そしてその死は確実に迫っているように思えた。


 振り返らずともわかる。がさがさと茂みに毛皮がぶつかる音。荒々しい呼吸音。その音が近付いてくる。それでも尚追いつかれなかったのは、彼女らが避ける必要のある枝が少なく、そして大犬はその全ての枝を折りながら迫っていたから。その僅かな差が、彼女らを迅速な死から救っていた。




 村の領域へ。茂みから転がり出るように、二人は駆け出す。

 障害物が無くなり、彼女らは焦った。繋いだ手に汗が噴き出す。だが、立ち止まるわけにはいかない。振り返る事が出来るほどの勇気は無い。ただ必死に走っていた。


 その焦りと、村まで辿り着いた安堵から、テティの足が縺れる。

「あっ……」

 自分が躓いたと、思ったときには手遅れだった。地面が自分に迫ってくる。繋いだ手は離れ、そして鼻の奥に広がるつんとした臭い。次の瞬間、顔面から地面に激突していた。


 痛い。だが、待ってくれる相手ではない。

 勇気からではなく恐れから、すぐに彼女は身を反転させた。そこにはすぐ目の前に、飛びかかる大犬の姿があった。




「フゥ……!」

 誰かの吠えるような声が聞こえた。自分は死んだ、とは思った。だが、それでもテティは見ていた。

 自らの目の前、頭上を通りすぎる赤く燃える火を。そしてその中に輝く、白い刀身を。


 足下近くにベチャリと落ちたその大犬は、顔が焼け爛れ崩れ落ちていた。


 その攻撃をした女性は、テティの手を取り強引に引き起こす。手甲から伝わる体温が、テティの手の汗を温めた。少し離れた所では、親友が大きな声で泣いていた。

「大丈夫? 怪我は!?」

「だ、だいじょうぶ、です」

 目に涙を浮かべながらも、気丈に答えるテティに、探索者の女性は安堵して微笑みかける。

「……よかったぁ……」

 その温かな微笑みに、ようやくテティの目から、涙がこぼれ落ちた。





 修練中のテティは目を開く。

 そうだ、あのお姉さんのように強くならなければ。

 彼女は幼いながらに薄々わかっていた。誰も自分たちには触れたがらない。自分と親友、その二人は疎んじられている。だから、何かの役に立たなければいけないのだ。そうしなければ、すぐに自分たちは用済みと捨てられてしまう。

 少女の憧れと焦りは、自らを修練へと駆り立てていた。



 ……魔法使いは有用である。それはこの世界の殆どの者が認めることだ。だが、幼い魔法使いは歓迎されないということ。それを知っているのは、彼らに近しい者たちばかりだろう。


 魔力というものは、衰えることはあれど一般的には成長しない。一本指の魔法使いは生まれたときから死ぬまでそうだし、魔術師が魔法使いになることもほぼ無い。むしろ、生後すぐは魔法使いでも、成長するにつれて魔法が使えなくなる者の方が多いくらいである。

 つまり、彼ら(魔法使い)は生まれつき魔法使いなのだ。

 理性を持たず、心地よければ笑い不快ならば泣き喚く、そんな幼いときでさえ、魔力を操る魔法使いなのだ。


 だからこそ問題が生まれる。

 呪文を使い、理性のままに魔術を行使する魔術師。それとは違い、魔法使いに必ずしも詠唱は必要ない。心のままに、魔法を使うのだ。際限なく、制限なく。

 気に入らなければ、ある者は周囲に火を放ち、ある者は周囲の金属を朽ちさせる。一般の民の手に負える代物ではない。


 例えるならば、起爆スイッチがどこかわからず、被害の規模もわからない爆弾。そういった扱いを彼らが受けるのは、当然のことなのかもしれない。

 だからこそ、魔法使いはそれを抑えられるほどの実力者の下で育つか、もしくは一人で育つ。そうなるのが一般的だった。

 手元に魔法使いがいる。それは贅沢なことであるはずだ。危険を覚悟で育て上げれば、莫大なリターンが期待出来るのだから。

 だが、育った力のみを安全に利用したい。そう考えてしまうのは、弱者にとってけして責められることではあるまい。



 今このとき、二人の魔法使いの少女がこの村に居住出来ているのは、一人の村民の優しさがあってこそである。

 魔法使いの一人はその村民、ポアロの娘。そしてもう一人、テティと呼ばれている少女は捨て子だった。恐らくこの開拓村の南東にあるライプニッツ領の領民の子だろうと、ポアロは当りを付けていた。

 果たして、その予想は正しい。彼女の両親は戦う術を持たない農民で、そんな彼女を扱いきれなくなった両親が、ネルグの森の中へと廃棄したのだ。その先に、開拓村があるということを知らずに。


 拾われた子供の名前はその毛布に刺繍されていた。生まれるまでは、両親にも育てる気があったのだろう。だが捨てられ、そして森に出ていたポアロがその子供を拾った。

 以来、その子供はポアロの庇護下となり、今まで暮らしてきている。

 ポアロが娘とテティ、その魔法使い達の癇癪の餌食にならずに三年以上の歳月を無事に暮らせているのは、先立たれた妻に代わり献身的に育児を行ってきたポアロ自身の功績だろう。

 その育児方針が、後に悲劇の原因となるのは、また別の話であるが。




 切ったことのないボサボサの茶髪を掻き上げて、テティは修練を続ける。目標は、あの探索者のように火を操ることだ。

 何も無いところに火を出し、操る。およそ夢のような話ではあるが、魔法使いにとっては夢ではない。しかしだからこそ、テティには難しい。いや、むしろ夢の方が実現しやすいというのが問題だ。


 もうテティは思考が出来る。理性が多少なりとも芽生えている。仮に、二人以外の魔法使いや魔術師がいて、それを日常的に見ていればまた違っただろう。だが、いなかった。故にその理性が否定してしまうのだ。『何もないところから火が出るなんてあり得ない』『道具も無しに火を操るなど人間には出来ない』と。

 魔法使いである。多少の温度操作や肉体強化は無意識に出来る。しかし、そういった目に見えることを新たに習得するのは、時間を掛けなければテティにも難しかった。



 テティは親友に目を向ける。

 動きの無い自分に退屈しているのだろう。親友は、呼び寄せた小鳥を頭の上に乗せ、キャッキャと笑っていた。そして何かを言い聞かせると、その小鳥はすぐさま森の中へと飛んでいき小さな果実を持ってくる。

 それを食べて、顔をくしゃりと歪める。その果実は種をくりぬいてからでないと食べられたものではないのに、また丸ごと食べたらしい。


 その姿を見て、悔しかった。

 親友が小鳥と話しているのは魔法だ。生来使えているその魔法の力を遺憾なく発揮して、彼女は小動物を味方に付けている。

 自分は出来ないのに、親友は自らの魔法を既に持っている。

 幼い彼女らは明確にそこまで理解していない。だが、悔しかった。その掌の温度が上がり、陽炎が見える程度には。



 明確な指標も無く、師もいないために成果が上がらない修練。

 テティはそれに一週間以上費やし、そして親友はひたすら彼女の側でそれを眺めているのだった。





 二本指の魔力圏内の小石を、投げるほどの強さで射出出来るようになった頃、季節はもう冬と呼べる時期に入っていた。

 その時期になれば、動物や魔物達は連日のように村近くまで侵入してくるようになっていた。大犬や猪たちは村の辺縁にある畑を襲い、そして村にとって最後の命綱ともいえる緊急時の食料まで奪っていく。

 村人達も応戦はする。村人達も無力ではない。大概は問題無く追い返せるが、しかしたまに怪我をし動きが鈍る者も出る。そして、この村には当然治療師などいない。

 その結果が、消耗戦。これ以上の被害が出れば、村の離散は避けられない問題となっていた。


 村に漂う鬱屈した気配。

 見張り台に立つ者は叫ぶのにも疲れ、魔物の襲来を知らせても逃げる者すら少なくなってきている程だ。一応はその声に反応し、詰めていた者たちが一斉にそこへ駆け出し、そして応戦する。だが、もはや無傷な者も少なくなり、応戦する者たちの動きも精彩を欠く様子だった。

 疲れ果てた村人達。あと二月もすれば、ネルグにも実りが戻り始める。だがそれまでは持たない。

 それでも、ここまで暮らしてきた村だ。次に魔物が来たらこの村を去ろう。次に魔物が来たら、と騙し騙し皆耐えていた。




「ま、魔物だー!」

 今日もまた魔物が来た。だが、何人かは不審に思った。慌てようがいつもと違う。見張り台の若者は襲来を知らせると、台から飛び降りるように着地し、そして一目散に村の中へと駆けていった。魔物の襲来を知らせる言葉を叫びながら。


 指差す方向に駆けていって、魔物の姿を見た者は理解した。自らの誤解を。そして逃げ出していった若者の意図を。

 彼はたしかに魔物の襲来を知らせていた。だが、違うのだ。その目的は、そこに人を集めることではなく。


「ね、眠り鼠だああぁぁぁ!!?」

 逃がすために、叫んでいたのだ。



 見敵した歴戦の勇士は震えた。目の前の小屋ほどもある鼠を見つめて。

 ……眠り鼠、厄介にも程がある。その声には催眠の効果があり、そしてハリネズミのようなその棘に刺されれば、眠るどころではなくそのまま目を覚まさないことになる。かすっただけでも毒があると聞く。そして、ゾウほどの大きさのその体躯の突進を受けても無事には済まない。


 元来臆病だと呼ばれている魔物ではあるが、中層に住むはずの彼らが村まで出てきているのは、きっと食糧不足のせいだろう。


 そして、更に嫌な事に、こいつは腹が減っているのだ。気が立っている。

 立ち向かおうとした男は、その眠り鼠の目を見てこの村の行く先を悟った。





 その日も、テティはまだ小石操作の修練をしていた。

 上達はしている。もはや、魔力圏内では物体は自由に動かせる。だがそれ以上に何をすればいいのか。見当も付かない。その歯がゆさが、更にその修練にテティを没頭させていた。

 そんな中、聞こえた声だ。

 魔物の襲来を知らせる声。いつものように、それでいていつもとは違うその声にテティは反応する。


 行かなければ。そんな義務感が心に満ちた。


 自分が今修練しているのは何のため? そう自問する。それは戦うためであり、村を守るためのはずだ。

 いつもならばポアロか、その仲間が二人の魔法使いを逃がすだろう。だが、その日は運悪く、テティと親友以外には誰もいなかった。

 そして、連日続けていた修練。幼い少女が根拠の無い自信を付けるには、それで充分だった。


「へれなはここで待ってて!」

 そうテティは叫ぶ。その蛮勇に親友まで巻き込まなかったのは、このときの彼女の行動のうち唯一利口だったことだろう。



 駆け出したテティ。多くの魔法使いは無意識に身体を強化している。魔力を完全に操れない幼年期ならばそれは顕著だが、その例に漏れず今のテティは成人男性の身体能力を上回る力を発揮していた。


 辿り着いたテティは思わず唾を飲む。

 いつも魔物が現れたときは、こんな様子だっただろうか? 柵は壊され、家屋も崩れ、地面は抉れてそして足下には呻き声を上げている村人がいる。


 倒れていた名も知らぬ村人がテティに訴える。その血が滴る腕を懸命にテティに伸ばし、村の奥を指していた。

「……ば……何で……逃げろ……」

「だいじょーぶ!?」

 だがその言葉を意にも介さず、テティは村人に駆け寄る。どうしていいかわからなかったが、それでも駆け寄らずにはいられなかった。

「早く、……にげろ……って……!?」

 その倒れた身体がビクンと震える。そして村人は目を見開くと、弾かれたように強引に横に顔を向けた。テティもつられてそちらを見る。

 そこには、鼻息荒く赤い目を光らせた眠り鼠が、地面を引っ掻いて飛びかかる準備を整えていた。

「……くっ!」

 倒れていた村人が強引に身を起こす。そしてテティの身体を抱えると、そのまま放り投げる。放物線を描いて飛んだテティ。彼女が空中でスローになった視界で見たのは、その眠り鼠の突進をその身に受け、頭の上の棘に腹を貫かれた村人の姿だった。




 ベチャッとどう見ても華麗ではない着地。テティは背中からまとも着地した。だが、昂ぶった魔力で強化されたその身は傷を受けない。

 鮮明な意識。それ故に、その目はしっかりと捉えていた。先程まで話していた男性が、口から血飛沫を吐いて震えているのを。


 立ち上がる。それから一瞬の放心。力が抜けて、口がポカンと開けられた。

「う、あああぁぁぁぁぁ!!」

 そして絶叫。その様を鮮明に見ていたテティは、叫び声を上げる。初めて見た、死。怪我や病気で弱る姿は見たことがあるが、テティはその日人間の死体を初めて見た。

 髪の毛を掻き毟りながら、顎に力を込めて絶叫を止める。それは、幼いながらも自覚していない意地だった。


 目を瞑る。目の前の魔物の事など、考える余裕も無かった。

 何でおじさんが死ななくてはならなかったのか? テティは自問する。


 目の前のおじさんが弱かったから? 違う、いつも私達を助けてくれていた。

 冬になって、ご飯が無くなったから? 違う、去年は大丈夫だったはずだ。


 選択肢に入れなければならないもう一つの要素。それを敢えてテティは無視した。自分がその理由に入っていると考えるのは、まだ三つの少女には耐えられなかった。

 だから、その理由を外部に求める。自分のせいではなく、誰かのせい。そう願った彼女の脳裏に、最近あった一番の変化が浮かんだ。


 あのお姉さん達が、いなくなったから? そうだ、きっとそうだ。


 テティは救いを求めるように、その考えを掘り下げる。

 この村を守るには、あの探索者のお姉さん達がいないと駄目なんだ。おじさん達だけじゃ足りなかった。あの人達がいれば、前自分を助けてくれたように、きっとこの場もなんとかしてくれる。 

 縋るように、そう考え続ける。そうしたところで、何が変わるわけでもないのに。


 暗闇の中、何かを擦り合わせるような、ザリザリという音がした。

 目を開けば、テティの目の前には眠り鼠が迫っている。音の出所は、擦れ合うその棘だった。それに加えて、気付けば突進のその足音が、お腹の中まで響いてくる。


 お姉さん、助けて。そう心の中でテティは叫んだ。

 だが、そんな叫びなど何の意味も無い。ただただ祈りの中で、テティは眠り鼠の接近を見ていた。






 一瞬の祈りの後、突進する眠り鼠の鼻先が、テティのお腹に触れる。次の瞬間、テティは衝撃に潰され、串刺しになるだろう。

 死の瀬戸際。極限まで引き延ばされた時間の中、テティはようやく理解する。

 あのお姉さんはもういない。


 誰も助けてはくれない。

 この村の人たちが向かっても、さっきのおじさんのように全員死んじゃうんだ。

 誰も、この村を守れない。

 あのお姉さんのように守ることは、出来ないんだ。



 お姉さんは、この村にとって必要だった。

 じゃあ、誰かがお姉さんの代わりをやらないと。


 みしりと肋骨が音を立てる。引き延ばされた時間の中であっても、もう猶予は無い。柔らかい胸に突き立てられたその棘も、もう身体に刺さる。

 だが、テティはもうそんなものを見ていなかった。


 誰がお姉さんの代わりをするの? テティはそう自問する。



 テティの脳裏に、あの日の別れが思い出される。

 夕日が透けて、綺麗だと思った。長い髪という自分との共通点が、誇らしいと思った。

 あの燃えているような綺麗な髪の毛。ああなりたいと、心の底から思った。



 そうだ、決まっている。


 私だ。



 私が、お姉さんの代わりをするんだ。






 次の瞬間、テティの髪の毛が燃え上がる。白熱するように目映く光ったその髪の毛は、まるで生きているかのように振るわれ、眠り鼠の棘に絡みついた。


「うわあぁぁぁぁ!!」

 感覚が戻る。しかし身体に刺さるかと思われたその棘は焼け落ち、その鼻先に巻き付けられた灼熱の髪の毛が、眠り鼠の突進を止めていた。

「ピィィィィィ!」

 眠り鼠の苦悶の声が周囲に響く。鼻を焼かれ、顔面を焼かれ、その毛皮も剥がれつつある。

 その様子に一切の憐憫を見せることもなく、テティは髪の毛を横薙ぎに払う。

 炎に変異した髪の毛。本来、火炎放射を当てたところでそこに物を動かす力は無い。だがその灼熱の髪の毛は、探索者の女性が振るった炎の剣が大犬を飛ばしたように、眠り鼠を吹き飛ばした。


 ゾウほどの大きさの鼠が宙を舞う。

 そして、地響き。先程までの突進の足音の比ではない。木片や瓦礫で散らかった地面に激突し、地面を揺らす衝撃が周囲に響いた。



 静まりかえった戦場。ただそこで倒れている人間達の呻き声が時たま聞こえるだけの。

「やった……、やったぁ……」

 その静寂に勝利を感じたテティは、天を仰いで涙を流していた。歓喜の涙、それを不謹慎だと叱る者は、今この戦場にはいない。






 慣れない力を使い、消耗したテティはフラフラと村の中央まで戻る。避難してきた住民達が、そこに集結していた。

 その中には、勿論親友の姿もある。

「テティ……!?」

 駆け寄ってきた親友は、その姿を見て驚き混じりに声を上げる。それはそうだろう。

 先程まで一緒だった彼女の茶色い髪の毛が、今では根元まで紅く染まっていたのだから。


「へれな! あたし、やったよ!!」

 そんな親友の驚きに気がつくこともなく、興奮状態のテティはそう胸を張る。先程までの死体も忘れ、死の一歩手前まで行ったことまで忘れ、ただただ誇らしげにそう自慢した。


 親友ヘレナと一緒にいたポアロは、その彼女を見て、外見上は冷静さを崩さずに問いかける。彼とて、必死だった。彼女も死んでいたのではないかと、気が気でなかったのだから。

「て、()()()ちゃん、おじさんに、詳しく教えてくれないかな?」

「あたしが、でっかいネズミをやっつけてきた!」

 テトラは誇らしげに、舌っ足らずな口調でそして身振り手振りを交えて眠り鼠の死体について懸命にポアロに伝えた。


 茶色から真紅に変わってしまった自らの髪の毛、それを見てテトラは微笑む。

 これで、私がお姉さんのように働ける。私が、お姉さんのようにこの村を守れる。


 これからは、私がこの村を守るんだ。






 それは後にクラリセンと呼ばれる、まだ名もない開拓村での出来事。

 この十二年後、この村が悲劇に襲われることを、彼女らはまだ何も知らない。






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[気になる点] カラスが捨てられた理由はこれだったのか?? いや髪の色か
[一言] 初めて合った時、カラスが女性と言ってたので二十歳くらいかと思ってました その後のテトラの行為が、見た目十歳中身はもっと下、の子供にコナかけてるようでオイオイ…と思っていたんだけど 十五くらい…
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