酒の勢い
連れられて入った店は、テーブルが三つほど、席が十席ほどしかない小さな店だった。虫食いだらけの木材を使ったカウンターも座れるようだが、狭いテーブルしかないので、食事というよりも所謂『一杯引っかける』という時に使う用だろう。立ち飲み用と言った方が早いか。
店に入るなり店主に一言挨拶をすると、レシッドは慣れた様子で一番奥の席にドカリと座る。程なくして店主が歩み寄り、スープの入った大きな器をレシッドと僕の前に置いた。
「はいよ、いつものだよね」
「悪いな!」
レシッドは、その皿に差されたスプーンを手にし、スープを啜る。その様子を見ていた僕は、自分の前の皿に目を戻してそれから店主を見た。短く白い髭を口元にびっしりと生やした店主は、僕を見返してニッと笑う。
「……お連れさんは酔ってないようだけど、とりあえず食べなよ」
「あ、はい。ありがとうございます」
勧められ、スプーンを手に取る。中は、米と野菜が一緒に煮込まれた粥のようなスープだった。それを掬って口に運ぶと、塩辛い味と酸っぱい味が混ざったような、……正直変な味が口の中に満ちる。
「その反応を見ると、お連れさんは初めてかね。俺の故郷でよく食われているんだけど」
「こんな味でも二日酔いには効くんだこれが」
「ハハハハ、こんな味とはご挨拶だな」
レシッドの軽口を豪快に笑い飛ばすと、店主は軽く手を挙げ厨房に入っていく。そういえば、注文すら取っていないが大丈夫なのだろうか。
「……流石に飲み過ぎたな。まだ頭が痛えし」
噛み締めるように具だくさんのスープを食べながら、レシッドはぼやく。空いている手で拳を作り、額を叩きながら。だが食欲はあるようで、スプーンを持つ手は止まらなかった。
「よく見りゃ、服も汚れっぱなしだし」
「まあ、道端で寝っ転がっていればそうなりますよ」
最近は雨もない。そのため、石畳の上は泥に塗れている。そこに何も敷かずに寝ていれば、当然そうなるだろう。酔いが若干醒めてきたのか、それとも料理の効果だろうか。目に光が戻ってきたレシッドは、自分の身を改めて確認して溜め息を吐いた。そして、首の後ろに手を当てて首を傾げる。
「なんか首も痛えし」
「変な寝方してたからでしょう」
多分、そうだろう。
「で、話を戻すぞ。ええと、あれだ、えーと、あれだよ」
「大体わかってて聞きますけど、何です?」
親指を眉間の皺に当て、レシッドは悩む。酔っ払ってるときのことは覚えてないタイプか。いや、ブラワーとやらの男の話はあれほど懐かしそうに話していたのだ。ただ単に、飲み過ぎだろう。
そして、本気でわからないという顔で首を傾げ、瞬きを繰り返しながら僕に逆に尋ねてきた。
「……何だっけ?」
「覚えてないなら、別にいいんじゃないですか?」
僕がそう誤魔化しても、まだ納得いかない様子だ。
「いや、なんか面白そうな話を聞きたかった気がしたんだが……」
一息に器から残った野菜を掻き込む。そして器を置くと、気がついたのか店主が駆け寄ってきて器を回収する。そしてレシッドに笑いかけるように言い放った。
「じゃあ開店準備があるから、早いところ帰ってくれよ?」
「開店前だったんですか!?」
僕は驚き聞き返す。レシッドがあまりにも自然に入るもんだから、普通に開店していると思っていたのだが、そういえば僕ら以外に客はいない。
「すいません! 普通に料理まで出していただいて……」
僕が謝ろうと立ち上がると、店主はそれを笑って制した。
「ハハ、いいよいいよ。こいつこの時間、よく賄い目当てに来るんだ。それに、世話になってもいるからね」
「こんな……といっては失礼ですけど、この店で仕事でも?」
こんな小さな店で、レシッドの仕事があるとは思えない。食材を採りに行くような男ではないし、まさか手伝いなどもしないだろう。
「いや? よく食べに来てくれるだけさ」
そこまで言って、店主は歯を見せて笑う。一瞬溜めた後、レシッドの方をチラリと見てからまた口を開く。
「ただ前に一度、料理に虫が入っていたとか文句を叫びだした男と出くわしてね」
「やめろって」
恥ずかしそうに頬を掻きながら、レシッドは店主の話を止める。僕の話を聞くためにここに連れ込まれたはずだが、いつの間にか立場が逆転していた。
「よくある話だよ。僕は職業上謝ることしか出来ないけど……いや、痛快だったね。道の反対まですっ飛んでったんだから」
「そのあと扉の弁償させられたけどな」
話の腰を折るようにレシッドは口を挟む。何とかして話を終わらせたいと、その目と態度が語っている。
「……格好いいじゃないですか」
「冗談じゃねえ」
プイと横を向くレシッドは歯を食いしばり、心底恥ずかしがっているように見えた。
その顔が赤いのは、酒のせいにしておこう。
店主に見送られて、僕らは店を出る。もう十一の鐘が鳴る頃、もうすぐ午前も終わるだろう。すっかり酔いが醒めた様子のレシッドは伸びをしながら僕の横をついてきた。
「そうだ、思い出した! お前が嫌々依頼を受けてる理由について、だ!」
僕は小さく舌打ちをしながら、顔を向ける。
「……そんな話でしたっけ」
「そんな顔しても関係ねえな! 思い出したぞ、ああ思い出したぞ。……で、何でだ?」
「と言われましても、特に理由は無いと思います」
とぼけているわけではない。本当に、自覚がなかったのだから。本心だ。
しかしその言葉を聞いているのかいないのか、レシッドは質問を重ねた。
「……そういや、適当にいくつか? 依頼を紹介してもらってとかなんとか言ってたけど、何でいくつも受けてんだ?」
「ああ、それはですね……」
それからレシッドに、名前を伏せながらオルガさんの愚痴の内容を伝える。『受けたくない依頼』のせいで、他の部門から文句を言われている事について。それから、それが終われば僕が旅に出るとも。
だが、その内容を聞いている内に、レシッドは可哀想なものを見る目で僕を見ていた。
「おま、別にお前がしなくてもいいじゃねえか」
「ま、そうなんですけど」
本来僕が請け負う必要の無い仕事。オトフシも僕も、本来はそんなもの関わらなくても良い仕事だ。だが、僕の心には義務感がある。
「ですけど、ちょっと事情がありまして」
「……別にその辺言いたくねえならいいけど……。そんなん、ジジイにでも相談すりゃ良いんじゃねえの?」
「探索ギルドで、変な依頼が溜まっているから何とかしてくれ……と? 受けてくれるとは思いますが……」
レシッドの言葉で初めて気がついたが、そういえば別に頼ってもいい。お金さえ出せば、なんとかしてくれるだろう。しかし、それは。
「多分、物理的に依頼者が消えますよね」
「……だろうな」
依頼が消えるのではなく、依頼者が消える。そんな気がする。
「……別に事情を言いたくないわけでもないんですよ」
僕は足下の石ころを蹴る。それは、溝に入って何処かへ行ってしまった。
不思議そうに見るレシッドの顔を見つめて、何でもない風に僕は言う。
「この前、受付部門の方に求婚されまして」
「お、は?」
「で、それを断わったんで、せめてもの償いに、と思いまして」
「お、おう」
反応はして、理解もしているのだろう。だが飲み込めていない。そんな反応をレシッドは返す。そして唾をゴクリと飲み込むと、ようやく言葉の意味を捉えたようで驚いたように一瞬跳ねた。
「おめでとう……じゃねえな、断わってんだもんな。……え? 誰だ? お前と同世代なんかいたか?」
「そこら辺は秘密にさせてください。その人の名誉に関わるかもしれません」
オルガさんに、とばらして良いものかはわからない。レシッドの口の軽さはよく知らない。だが、その話が広まって次の相手探しに支障が出ても困る。とりあえずは秘密にするべきだろう。
悩んだ様子で頭を叩きながら、レシッドは地面を見つめる。それから、膝を叩くようにして顔を上げた。
「なるほど、大体わかったぞ。お前がギルドに行きたくない理由が」
「……へえ? それは何です?」
「いやいや、鈍いにも程がある。お前はその女に会いたくねえんだよ。いや、多分お互いにだな」
「いえ、そんなことは……」
ない、と言い切れなくて言葉に詰まる。あの夜たしかに僕はそう考えたし、昨日の朝のオルガさんの態度を考えれば……。
「依頼が面倒くさいってのもあんだろ。だが、振られた女がいる酒場に行きづらい気持ちは俺にもわかる」
「……まあ、そうかもしれませんね」
と言葉では言うが、なるほどそうだろう。……言われなければ自分の気持ちすらわからないとは、本当に僕はまだ幼くて情けない。
腕を組み、レシッドはニヤリと笑う。
「しっかし、まあ。こんなちっさいガキがそんな悩みをなぁ」
「ハハハ、本当に。……初めてかどうかはわかんないんですけどね」
後半ボソリと呟いた僕の言葉にレシッドは反応せずに、それから僕の背中を強く叩く。
「よっしゃ、わかった。男女の仲はな、こじれそうになったら離れるのが一番だ。くっつくもんならまたくっつくからな」
「は、はあ……」
「オトフシのバ、様も受けてんだろ? 俺も受けてやるよ。細けえ依頼なら俺の方が早く終わるしな」
「……本当ですか?」
労力に比して報酬の少ない依頼。本来そういう依頼をこの男は受けないだろう。僕はそう思っていたのだが、何故だろうか。
訝しげに尋ねた僕の肩を、レシッドはしたり顔で抱く。まだ酔いが残っているのか、顔が近い。
「おう。やっぱ探索者、それも色付きの仲間だもんな、色々と助け合わねえと」
そうは言うが、それだけでレシッドが協力するとは思えない。その思いが顔に出たのか、レシッドはフと笑った。
「しばらく金には困らねえから、それぐらいしてもいいだろ」
「……そこまで言っていただければ、ありがたいです」
多分言葉の最初にまだ言っていない言葉があるのだろうが、そこを聞くのは野暮なことだろう。
本当に、オトフシといいレシッドといい、僕はこんな風に助けられてばかりだ。感謝しなければいけない。そして、この感謝を忘れてはいけない。当然のことだと思ってはいけない。僕は、そう胸に刻んだ。
「それに俺より強い奴を一人でも街から減らしとかねえと。仕事のときに、敵対したらやべえからな」
そういうことを言わなければいいのに。レシッドのぼやきには反応せず、僕らは連れだってギルドの扉を開いた。