癇癪
「あ、足が、治……!」
男性は、足をさすりながら足首を回し、膝を屈伸させて具合を確かめる。滑らかに動くその足は、もはや見た目健常者と変わらない。……というか、完璧に治してあるのだ。紛う事なき健常者となっている。
「い、いや、う……動かねえなぁ……、やっぱガキには無理だったんだろ」
驚きを苦笑いで塗り直すように、男性は渋い顔をする。だが、だったら今動かしてたのは何だったんだろうか。
「あれ? そうですか?」
しかし、そう訴えがあったのならば仕方がない。僕はもう一度足に手を掛ける。だがその足は僕の手から遠ざけるように振られ、毛布の中に隠されてしまった。
僕は思わず溜め息を吐き、奥さんへと振り返った。
「見せて頂けないことには、これ以上はなんとも……」
「いらねえ!」
男性が叫ぶ。焦っているかのようなその声に、不思議に思うよりも先に何故か嫌悪感が湧いた。
……何故か、ではない。今僕の頭に浮かんだ情景は、今朝の夢だ。
薄い毛布の下、だらりと置かれた僕のその両足は、動いていなかったのだ。
なのに。
「ハ、ハハ! 手をかざして、適当に何かしたように見せるだけで金稼ぎ! 良い商売だなぁ!」
「本当にその足、動きませんか?」
「は?」
念動力で毛布を払いのけ、強引に足を曲げる。怪我をさせる気はないが、抵抗するなら怪我をしても構わない。
「特に引っかかりも無し。杖使って……でしょうか? 移動はしていたんですもんね、流石に萎縮はしてますが、あまり筋肉も衰えてはいないようですが」
口から出ている自分の声が、低い。自分でも驚くほどの冷たい声だ。
いつもの声音に戻そうとしても止まらない。そうだ、僕は今、たしかに怒っている。
オルガさんから適当に紹介を受けた仕事。流れ作業でこなせるような仕事だったはずだ。たった一つにここまで感情移入していれば、身が持たないだろう。
だが、今は我慢出来ない。動かない足を抱え、妻に苦労をかけている男性。その男性を、僕は治さなければならない。
今日ここに来たのは偶然だ。だが、それはきっと僕にとって意味のあることだ。この男性を治さなければならない。今朝の夢は、きっとそういう意味だったのだ。
そして、あの夢の中で感じた苦い後悔。それを慰めるため、この男性は治らなければならない。身勝手な理由ではあるが、今僕は止まるわけにはいかない。
「とりあえず、立っていただけますか? 立ち上がることは出来ますよね?」
その右足を庇って、左足を動かしていた。ならば、仮に訴えが真実だったとしても、左足だけで動くことは出来るはずだ。
「今日は疲れてるんだ、さっき楽になったとはいえ、無理……」
「面倒なんで起こしますね」
念動力を使って、強引に引き起こす。浮かべて直立姿勢を取らせて、そのまま床に足を着ける。裸足の足がぺたりと床を踏んだ。
「先に謝っておきます。少し驚かします、すいません」
「何を……?」
これで動かないのであれば、足が動かないというのはきっと真実なのだろう。だがそうはならない。確信があった。
歩み寄り、男性の額に人差し指を当てる。そして魔力を注入。ほんの少しで良い。
当然、男性は僕の腕を振り払い、抗議の言葉を口にした。
「なにすん……」
だが、その言葉の途中でその表情が驚愕に染まる。言葉が詰まり、鼻から息を強く吸い込んだ。
「う、うわあぁぁぁぁ!?」
肩に力が入り、そして一歩、二歩後ろに下がると、今度は前進。僕の横を駆け抜け、奥さんを押しのけるようにして部屋から出て行く。
「あなた!?」
「く、来るな! ひぃぃぃぃ!!!?」
玄関の閂は閉めてある。そして、すぐには開けられないように固定もしてある。
結果、男性は玄関の扉の横で、頭を抱えて蹲った。
何が起きたのかわからない、という風にその光景を見つめていた奥さんに、僕は努めて笑いかけた。
「治りましたね」
「探索者さん、貴方、主人に何を……」
「先程言ったでしょう? 少し、驚かせただけです」
密かに方法を考えていた魔法。人に使ったのは初めてだったが、ぶっつけ本番でも上手くいったようだ。使ったのはなんて事ない魔法だ。
ただ恐ろしく、厄介な魔法。扁桃体に働きかけ、ストレスを与えてとある感情を作り出す。
野生動物への実験では中々上手くいかなかったのは、単純に脳の造りが違うからか。その辺りはまだ検証が必要だ。
使ったのは、化け狐の使っていた恐怖の喚起。なるほど、人相手ならば効果は充分だ。
体内に入った魔力が中和され、効果も消失したのだろう。男性は恐る恐る振り向いて、それから立ち上がった。虚勢で唾が飛ぶ。
「お、俺に何したんだ!?」
「歩けるかどうか試してほしかったので、ちょっと怖い目にあってもらいました。足は元通り何ともありませんね。何よりです」
鼻息荒く、男性は抗議の視線を僕に向ける。その視線を見ても、僕は後ろめたさや心苦しさは一切湧かない。
「これで、大工に復帰出来ますね。奥さんも喜んでくださるでしょう……ね?」
「え、ええ、はい……」
もっと喜ぶかと思った奥さんの顔色は優れない。まあ、旦那が得体の知れない魔法をかけられたのだ。仕方がないのかもしれない。
だがまあ、これで僕がすることもこの家には無い。次の依頼に行くとしよう。次は、泥牛の群れの調査と駆除だったか。
「……では、僕は失礼します。もはや患者もおりませんので」
外套を羽織り直し、夫婦に会釈し玄関へ向かう。外で出たい。しかしそこに、足が完治した男性が立ち塞がっていた。
「帰るんですが、どいていただけます?」
「……礼は言わねえ」
「わかってます」
僕は嗤いながら言葉を返す。その短い問答で、男性は道を開ける。
男性の中に、感謝は無いだろう。そんなことは先程からの態度でわかっていた。
男性への嫌がらせも終わり、だいぶスッキリしていた僕の頭。そこに、今の言葉で怒りが再燃する。
この怒りは僕の勝手なものだ。先程の治療はこの男性のためだという大義名分があったが、ここから口に出す嫌味はそうではない。勝手な怒り、だが止まらなかった。
玄関の扉を軋む音を立てて開く。そのドアノブに手を掛けて、僕は振り返った。
「ああ、そうですね。首か手か。次の治療は、もっと高額の依頼料を出していただけませんと、受ける探索者はおりませんのでお願いします。次は、僕は来ませんので」
「……どういう意味だ」
「言葉通りの意味です。多分、近日中にどこか痛めますよね?」
触診の印象からも、先程までの足は、動かなかったわけではない。動かしていなかっただけだ。
「……っ! クソ生意気なガキが!!」
その手を止めて、男性の目を真っ直ぐに見つめる。見下ろすその目。その血走った目に、僕は酷い嫌悪感を覚えた。
その嫌悪感の訳はわかっている。今朝の夢。あれは、たしかに僕の記憶だろう。
「……足が動かない辛さはよく知っています。そして、それを望む人はいるのかもしれませんが、その気持ちは僕にはわかりません」
足が動かない。ずっと嫌だった。周囲に、妻に迷惑をかけることが心苦しかった。その足が憎かった。一人で何も出来ないのが、辛かった。
「少なくとも」
僕の目が細くなる。止められない。きっと僕は、目の前の男を睨んでいるだろう。
「動く足を動かないと偽り、怠惰を正当化する。そんな人の気持ちは、僕には絶対に理解出来ませんね」
出来ない事とやらない事は違う。
この男性は、仕事が出来なかったんじゃない。やらなかったのだ。その、端から見れば動かなくてもおかしくない、奇妙に捻れた足を理由にして。
きっと、僕以外の誰かならば気にしないのだろう。
だがきっと、前世の僕ならば、前世から連なっている今の僕ならば、それは嫌悪の対象、そのど真ん中にいるのだ。
「……と、他人の家に口出しするなど、失礼でしたね。申し訳ありませんでした」
口に出したら苛立ちも粗方収まった。男性や奥さんの反応など知らない。呆気にとられている夫婦を余所に、笑顔を作って僕は出ていく。
石畳を踏みしめて、ネルグの森へと向かう。
一つの依頼に、これほど感情移入していれば疲れてしまう。
次の依頼からは、出来るだけ流れ作業で。そう思った僕は、泥牛を探し始める。
変なところに力が入っていたのだろう。発見し、殺した泥牛は原形を留めておらず、その日の僕の食卓に魔物の肉が並ぶことはなかった。