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いつか見た朝

 


 夢を見ていた。


 朝、温い空気が頬を撫でて、差し込む日差しが瞼の裏を赤く染める。もう覚醒はしているものの、目を開ける気も起きずにただ今日の朝ご飯の匂いだけを嗅いでいた。

 ノックの軽やかな音が響く。

「……さん、おはようございます」

「おはよう」

 眩しさに顔を顰めながら目を開くと、ちょうど女性が部屋に入ってくるところ。朝食をのせたカートを押して運んできた女性は、僕の顔色を見て微笑んだ。


 シャーッという威勢のいい音を立ててカーテンを勢いよく開け、そして窓を開ける。日光に室内の埃がキラキラとよく見えた。

「今日はいい天気ですよ。あとで、公園にでも行きましょうか」

「いいですね。昨日はずっと雨降ってましたし……」

 室内で出来ることと言えば、読書くらいだ。女性は、僕の横に積まれた本の山を見て苦笑した。

 その山と、正面の壁一面に並べられた本棚。そこに直射日光が当り、本が傷むことなど誰も気にしない。頼子(よりこ)さんは本など付き合いでしか読まないし、僕も気にするタイプではない。読めればいいのだ。

「まったく、本ばかり読んで、目を悪くなさいますよ」

「それくらいしか出来ませんから」

 僕は溜め息を吐きながら、自分の足先を見つめた。生まれてからずっと付き合っているとはいえ、受け入れることなど到底出来はしなかった。


「別にいいんですよ? 頼子さんも、今日くらい友達と出かけてきたって」

 どうせ、車椅子を押すのは彼女の役目だ。そんなことをさせるよりは、女友達との親睦を深めてきた方が有意義な休日だろう。そう思って勧めるが、頼子さんはやはり難色を示した。

「いいえ、何言ってるんですか。たまには外に出さないと、夫が干からびて死んでしまっては困ります」

 頬を膨らませながらそう答える頼子さんに、僕も噴き出すように笑った。




 朝食を食べ終わり、甘みのある緑茶を啜る。眠気もとうに覚め、軽く伸びれば背骨がパキパキと鳴った。その音を聞いて、頼子さんはしてやったり、という表情を作る。

「ほら、聞きました? やっぱり身体を動かさないと」

「……はいはい。行きますから、着替えとかをしないと」

 寝汗の染みたパジャマで外出するわけにはいかない。ようやく行く気になった僕を見て、頼子さんも笑って立ち上がる。薄いカーディガンが、動きにつられてひらひらとそよぐ。

「着替えを誰かに持ってこさせましょう」

「すみません、お願いします」

 朝食の器が手際よく重ねられ、カートに戻される。真っ白な手、水仕事後のケアをしっかりとしているのだろう。踊るように動くその手が眩しかった。



 カートの持ち手を両手で握り、歩き始めた頼子さんの後ろ姿を呼び止める。頼子さんは緩くパーマのかかった髪を翻しながら、振り返り首を傾げた。

「僕と結婚して、よかったと思いますか?」

 その質問は、結婚する前からも、した後も何度も聞いた質問。その度に違う答えを求めて、しかしやはり同じ答えが返ってくる質問。折に触れてするその質問に、頼子さんは今日も嫌な顔一つせず答えた。


「当然です。旦那様へは返しきれない恩がありますから」

「……そうですか」


 僕の質問に誇らしげに答えて、最後にまた笑顔を作ると頼子さんは部屋から出て行った。

 ただ、絨毯の上を進んでいくカートの音を残して。







 ハッと目を覚ます。

 顔に当たる朝日の暖かさに周囲を見回すが、先程のとは違い、ここは僕が暮らしている小さな家だ。床は埃が所々積もり、窓も透き通ったガラスではない。

 ……今のは、夢、だったと思う。

 だが、いつも見ている夢とは違う。明らかに、生活様式も人名もこの世界のものではなく、そして何より、話していたのは日本語だった。

 こんなことは初めてだ。あれは、過去の記憶とでもいうのだろうか。それとも、僕が想像の中で作り上げた世界なのだろうか。

 わからない。だが一つ言えることは、僕は今の夢を見てたしかに、『懐かしい』と感じたのだ。

 また右目から、涙が零れていた。



 顔を洗い、涙を洗い流せば、気分は元通り何事もなくなっていた。

 忘れるべきだろうか。ただの夢だ。仮に本当だとしても、今の僕には何の関わりもない夢。そうだ、忘れるべきだ。水を張った桶に映る顔が歪む。それはきっと、滴り落ちる滴のせいだろう。




「どうも、おはようございます」

「おはようございます。約束通り、依頼斡旋お願いします!」

 出来る限り元気よく挨拶をする。今朝の夢を振り払うように、今は何も考えずに済むように。

 だが、受付にいたオルガさんは、一段トーン低く応えた。

「では、こちら、とりあえず三件ほどお渡しいたします。要項は紙に書いてあるとおりですので、お気を付けていってらっしゃいませ」

 そう言って、選んでおいたのだろう、書類の中で別にされた依頼箋のみをただ渡してきた。

「何か注意とか、ありませんか?」

「特に何も……。そうですね、二つは今回近場で選んではありますが、飲み水には注意、くらいでしょうか。もう一つは街中なので何もありません」

「……ええと、何か、怒ってます?」

 オルガさんの表情が硬い。いつもは丁寧な解説が今回は無い。いつもは滑らかな書類を捲る手がたどたどしい。

「……いえ? いつも通りですが」

 ヘッ、という感じに笑う。いつもとは明らかに違う対応に、僕は首を傾げた。明らかに昨日のことが原因だろうが、これがどういう変化かわからない。


 だが、こうして固まっていても仕方がないだろう。僕が何かしなければいけないわけでもない、と思う。きっと。

「……では、いってきます」

 それだけ言って、ギルドを出る。振り返れば、オルガさんは僕が出るまでずっとこっちを見つめていた。




「……推拿による治療を求める、って探索者への依頼じゃないよなぁ……」

 渡された依頼箋の一枚を眺めて僕はぼやく。慢性的な脚の痛みで動けないため、その家族が探索者へ依頼してきている。これは本来であれば、治療師の出番だろう。オトフシには出来ない仕事だし、まあ僕がやっても問題は無いのだが……。


 こんな依頼ばかり続くのか。

 自分で言い出したことではあるが、呆れからだろう、溜め息と共に少しだけ自嘲の笑いが零れた。




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― 新着の感想 ―
[一言] オルガみたいなタイプっていつの間にか何処の馬の骨ともしれない男と結婚して子供作ってたりするよね
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